逃げられない呪い   作:布団は友達

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メチャクチャ長くなりましたが、これで傑は幸せです。


傑の呪い②

 

 

 

 

 

 

 私は茈苑から距離を置いた。

 お互いに冷静になる時間が欲しかったのだ。

 茈苑は自身の事情と決着を付けるべく悟と共同で動いているようで繁忙期を過ぎたというのに忙しそうだ。私もその間、特級術師になったばかりで任務のレベルも上がっているし、また茈苑に突き放されて蓋をしていた苦悩が再発して他人に意識を割く余裕が無かった。

 それが数ヶ月続き、春になった頃だ。

 私は硝子に呼び出されて医務室へ向かっている。

 教室で久し振りに四人で楽しく過ごしていたのだが、途中で退席した硝子からわざわざ口頭ではなくメールで伝えられた。

 あの場では話せない内容。

 悟と茈苑に聞かれると不都合とは何だ?

 あの二人は特に変わった様子は無……くはない。

 具体的に言うと茈苑の悟に対する態度だ。

 悟が話しかけると、ほんの一瞬だけ微かに変な反応を見せる。まるで捕食者を前に退路を失い、諦観に力を抜くような表情をした。

 もしかして、アレが関係しているのか。

 茈苑の縁談と、五条家の傘下に加わる件。

 暗殺の話もショッキングだが、失敗したと聞いているので特段それは関係無い話だろうし……。

 疑問は膨らむばかりだが、直に硝子から解も聞けるので深くは考えない事にした。

 

「硝子。お待たせ」

「来たか」

 

 医務室で硝子はパイプ椅子に座っていた。

 神妙な面持ちに私は首を傾げる。

 ……内容は、私が考える以上に深刻そうだな。

 硝子は自分の前に置いた椅子に座るよう促したので、私はそこに深く腰を下ろした。

 

「話って何かな」

「夏油。……落ち着いて聞け」

「……悟の事だね」

「違う。茈苑の話だ」

 

 茈苑?

 まさか、やはり縁談なのか。

 それなら婚姻の為に高専を退学させるとか、理由は色々と考えられる。

 だが、硝子が口にしたのはどれとも違った。

 私が耳を疑い、信じたくないと思った物だった。

 

 

 

「茈苑は、妊娠してる」

 

 

 

 心臓も止まったのかと思った。

 たった一言ながら凄まじい情報に五感がパンクし、自分が呼吸しているかどうか、眼の前がはっきり見えているかさえも分からなくなった。思い返せば、意識が飛んでいたのかもしれない。

 私は額を押さえ、呼吸を整える。

 

「冗談か?」

「私は茈苑の事で冗談は言わない」

「……いつから?」

「一ヶ月前から、術式が上手く作動しないことが判明して身体面で本人に相談された。それから日が経つに連れて変な症状も出るし、それで思い至った補助監督の一人が病院に連れて行ったら分かったんだ」

 

 一ヶ月前、から。

 私は茈苑と距離を置いているから分からなかった。

 そんな変化があったなんて知らなかった。

 将来の約束も破って、それからたった数月で立ち直って他の男と子を設けたというのか。茈苑がそんなに軽い人間なワケがない。

 きっと、誰かに強制されたのだ。

 そうでなければ学生でありながら、しかも私の想像以上に重く苦い事情を抱える彼女が易易とそんな事になるとはあり得ない。

 目に見えない圧力。

 まさか、彼女が口にしていた禪院か?

 それとも悟の意に反して動いた五条家や伏倉家?

 

「誰との子だ」

「夏油。落ち着け」

「落ち着いていられるか!私は――」

「落ち着けと言ってる」

「……!」

 

 腸の煮えくり返る思いで硝子に問い詰めようとして、相手の顔を見た途端にぞくりと体の底から震える。

 硝子はというと、顔色が悪かった。

 だが、爛々とした瞳に加えて知らぬ内にメスを強く握り込んでいる。

 硝子も、堪え難いのだろう。

 茈苑を好いた一人として。

 因みにあのメスは……私を刺そうとした?

 硝子もきっと知らない。だから、私かもしれないと思って事情を説明しながら堪えていたのか。

 

「夏油じゃないんだな?」

「っああ、私は知らない」

「……別に茈苑が誰と幸せになっても良かった。私の事さえ忘れなければ、私さえ見てれば。……でも、アイツ……!」

 

 硝子の瞳に苦痛の色が滲む。

 

「私には、何も明かさなかった。男に心当たりもあるらしいが、その相手を吐かなかった……隠したんだ、私に」

「硝子……」

「記憶喪失のタイミングで夏油は私の後釜狙って仲良くなったから、何か知ってると思ったけどその反応じゃ白か」

 

 硝子がメスを手放した。

 私も浮いていた腰を椅子へと戻す。

 それにしても、術式が上手く作動しない……か。

 恐らく、体内に己以外という『(異物)』を擁する事で自身を『完全化』する事が出来ないのだ。よもやそんな影響が出るとは思わなかったし、いやそもそも子が出来るなんて。

 

「悟には話したのか?」

「ああ。アイツ、デリカシーに欠けるから茈苑に無理させるかもだし。知っておけば対応も変わると思って」

「悟の反応は?」

「それが、「ウケる」って輝くような笑顔だったよ。でも、アイツも違うって言ってた」

「そう、か。いや、そもそも」

 

 私は重要な事を聞きそびれていた。

 

 

「茈苑は、産む気なのか?」

「……かなり乗り気だ」

 

 

 私はまた目眩を覚えて天井を仰ぐ。

 茈苑も何故、そこまで乗り気なんだ。

 男を明かさないという事は、それなりに本人も気にしている……まさか、私たちには明かしたくない?卒業後は、呪術だけではなく私や硝子、悟からも離れていくつもりか。

 そんな事は――許せない。

 誰から逃げても構わないが、私たちから逃げるなんて神が許しても私は看過しない。

 

 私は怒りのままに医務室を出て……暫くして立ち止まる。

 

 いや、ただの同級生だ。

 家族でも恋人でもなければ婚約もしていない。

 如何に仲が良くとも、許されない事もある。私には口出しする権利は無いのか。

 せめてできるのは、幸せを祈るくらい。

 だが、他人に明かせないような男との間に子を設けても……友人としてくらいは忠告、できるのか?

 

 教室に戻ると、茈苑だけだった。

 

 硝子から話を聞いた後だと、少し気まずい。

 

「茈苑。話を聞いたよ」

「この子のこと?」

 

 茈苑の腹を撫でる仕草に、私は自分のこめかみに青筋が立つのが分かった。

 愛おしげに腹部を上下に動く手付き。

 そこに宿る命に罪が無いと理解していたとしても、体が追いついてくれない。

 拳を握りしめ、自分に冷静であれと言い聞かせる。

 

「ああ。……本当に産む気かい?」

「……ボク、『家族』が欲しいから」

「伏倉家は」

「血の繋がった『他人』」

「……そうか」

 

 血の繋がった『家族』が欲しい、か。

 伏倉家は他人呼ばわりなのも、きっと自分が本当に信頼できて一緒にいられる人間との対比だ。

 そして、信頼して共に在れる『家族』。

 だからなのかもしれない。

 私の将来の話に目を輝かせたのも。

 私と家族になれるやもしれないと期待したのだ。

 

「ボク一人で育てたいんだ」

「茈苑。私が一緒に育てよう」

「駄目。傑とは一緒にいられない……傑は友達だから」

「だが」

「ごめん」

「…………」

「生きている内は」

「……生きている内は?」

 

 私の問に茈苑が頷く。

 

「約束」

「約束?」

「『死んだ後は呪いになって帰って来て』って」

「……本当に来てくれるのか?」

「うん。呪霊になったら見つけて、上手く使ってね(・・・・・・・)

 

 茈苑が微笑んだ。

 気休めの回答だけで安心してしまう私が情けない。

 誰だかは知らないが、硝子や私を押し退けて自分の物にしたと喜んでいる男には絶望して欲しい。茈苑はオマエを望んではいないし、死後は私の元へ来てくれる。

 茈苑が一緒に育てる事を望まない辺り、相手は呪術関係者なのは間違いない。

 学生の茈苑を孕ませるなど碌な男ではないと言いたいが、呪術界ら一般的な倫理観を説いたとしても果たして十全に伝わるかさえ不安視される闇深い業界だ。

 どちらにしろ、茈苑には望まれない男なのである。

 私は違う。

 死後は、その魂を委ねると確約された。

 口振りからして生きている内にだって会う事はできる。

 その間に決意が揺らぐ場合もあるだろう。

 もしかしたら、生きている時だって一緒にいられるかもしれない。

 どちらにしろ、幸運を祈りたい。

 呪術とは関係無い所で、使い潰されることのない人生を送ってくれ。

 

 

「茈苑。応援するよ」

「うん。ありがとう」

 

 

 

 どんな形であれ、幸せになってくれ。

 それなら、君を憎まずにいられるから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「バカ、な」

 

 

 その願いは届かなかった。

 2007年の初夏だった。

 やはり、予測された通り去年頻発した災害などで急増した呪霊被害への対処として任務に駆り出され、帰った私を待っていたのは、手術台に安置された体のみ。

 顔に布をかけられている。

 すぐ傍には、椅子に座って悟が沈黙していた。

 少し離れた壁に腕を組んで凭れかかっている硝子も俯いている。

 違うと心の中で叫び、震える足で傍まで寄った。

 

 布に手をかけ、ゆっくりと持ち上げる。

 

 紛れもない茈苑がそこにいた。

 まるで眠っているとさえ勘違いするような安らかな死に顔である。

 だが、ふと捲れた体の方には夥しい傷が刻まれているのが見えた。単なる傷痕ではなく、完全に治癒されていないできたばかりの傷。

 

「どうして」

「子供を誘拐する二級呪霊の案件だって報告されてた呪霊が特級だった。二級までなら体に無理をさせず且つ術式無しでも茈苑は祓えるからって出たのに、等級違いのバケモノを相手取る事になり、しかも緊急時に術式は使えなかった」

「その呪霊が?」

「いや――――――非術師だ」

 

 放たれた真相に耳を疑った。

 

「……呪霊被害を受けてた村は、とんと呪術的な知識が無く、特級相手にどうにか子供だけ救出して戦線を離脱して生き残った茈苑もまた同じ事が出来るのを見た子供が村に話したら恐怖のあまりその場の全員で団結し茈苑に襲いかかったらしい」

 

 吐き気がする。

 それ以上はやめてくれ、と言いたかった。

 報告する硝子の声は一切感情を含んでいない。いや、あれは後々考えれば抑えていたんだろうと分かる。

 悟は黙って遺体の手を握っていた。

 

「重傷な上に術式は機能不全……何なら制止に入った補助監督すらもが同じ目に遭ったらしい」

 

 私が耳にしているのは聞き間違いだ。

 私が目にしているのは幻なのだ。

 自分に言い聞かせるだけ、五感は否定するように鮮やかに死体を映し、呼吸の無い茈苑からの静寂を拾い続け、敏感に冷たい肌の感触を伝え、血の臭いと任務で取り込んだ呪霊の味を思い出させる。

 私はその場に座り込んだ。

 床が冷たい。

 

「偽物という線は?」

 

 悪足掻きにそんな事を尋ねると、黙っていた悟が口を開いた。

 

「俺の六眼()は違うってよ」

「…………!」

「術式も、肉体も茈苑だ」

 

 悟が眼で見た上で否定したなら、もう事実が覆る余地は無い。

 私は顔を手で覆う。

 駄目だ、頭が回らない。

 今はただ、何も考えたくない――なのに頭の中では手を叩く音が鳴り響いていた。あの日以来、耳にこびり付いてしまい、茈苑との約束で忘れかけていた、忌々しい音だ。

 揺らぐ、価値が。

 

 後で聞いた話によれば、茈苑の体内から赤子が消えていたらしい。

 任務は悟が引き継いだのだが、相手は茈苑が離脱の際にかなり削っていたのもあって衰弱していたため、特段強くはなかったと悟は語っていたそうだ。

 因みに、子を誘拐するという欲求の向き方からか呪霊が所有する術式が絡んでいる。

 そして――呪霊を祓った後に近くで小さな呪力の塊を六眼が捉えた。

 

 現場には、未成熟なまま死んだ子の亡骸があったそうだ。

 状態からして二、三ヶ月ほどの胎児。

 回収されたその子は、高専の霊園にある茈苑と同じ墓に葬られた。

 村の人間にも処罰は降ると、後で私にも通達は来た。

 すべてが一件落着……皆はそう思っているらしい。

 

 

 

「猿め」

 

 

 

 私を除いて。

 

 

 

 

 茈苑の死から二ヶ月が経過した七月。

 特級術師の私と悟が合同である任務に駆り出された。

 特級二名の派遣という大仰な体制に私も悟も驚きは隠せなかったし、その現場が伏倉家の屋敷というので尚更疑問に思った。

 つい先月、伏倉家が全滅したという。

 何の脈絡もなく、全員が息を止めて死に絶えたそうだ。

 突然死に毒殺や様々な可能性が挙げられたが、特殊な残穢が発見されたらしく、しかも現場には巨大な呪霊が現れたとの事で他にも何人か一級術師が派遣されたが悉く返り討ちになった。

 その結果、我々にお鉢が回った。

 

「なあ、傑」

「何だ」

「伏倉家って、元は巫女の一族なんだってよ。それがある時に術師と血が混じって、いつしか術師の家系に鞍替えして御三家御用達にまで栄えた」

「……そうなのか」

「アイツ以外、雑魚ばっからしいけどさ……それでも特別一級術師を何人も抱えてる。ソレが殺られるってのはかなりだ」

 

 情報は悟にも伏せられていたらしい。

 さっき補助監督から伝達された内容に目を瞠っていた。

 きっと、茈苑関連で伏倉家を取り込むべく五条家として動いていた時期もあったから、自分の耳に届いていなかった事が青天の霹靂だったようだ。

 

「そんで、俺ら二人がかりって何だよ」

「たしかに。過剰戦力だとは思うが」

「それだけ慎重になりてえって意味かよ」

 

 辟易とした様子で悟が舌打ちする。

 こうして話すのは久し振りだ。

 悟も単独の任務が多くなり、硝子は貴重な反転術式使いとして危険な前線から遠ざけられ、私もまた一人になる機会が多かった。

 今やあの教室に集まる時も揃う事が少ない。

 教室を訪れる機会自体がそもそも減り、私も次第にあそこで茈苑と一緒に菓子を食べていたのが遠い昔のように思い始めていた。

 

「お、付いたぜ」

 

 森が生い茂った深山の山荘だ。

 術師家系としては有りがちな格式高そうな堂々たる門構えである。

 石段を上がり、私たちは門を潜って敷地内に入った。

 途端。

 

「――……へえ」

「これは、強そうだな」

 

 踏み込んだ私たちは途轍も無く不気味な気配を感知する。

 突然、地面が消えたような錯覚にすら襲われた。

 巨大な呪力に包まれている――いや、『視られている』ような感覚だ。緊張と、少しの高揚と……懐かしいという感情が胸裏に渦を巻く。

 

「……!」

「……!?」

 

 気付けば、周囲の景色は変化していた。

 入口すら消え、壁際に何層もの階と無数の座敷を擁した巨大な塔と形容すべき異空間にいた。中央は吹き抜けになっており、階段や橋、そして度々途中で庵などと合流する通廊が入り乱れる迷路となっている。

 なんて巨大な生得領域……!

 色んな任務をこなしてはきたが、ここまで壮大な領域は初めてだった。間違いなく、感じられる呪力と存在するだけで景色を歪める影響力も特級案件だ。

 どうやら、一級が複数人にて祓えなかったという事実は本当のようだ。

 総監部が怯えて私と悟二人がかりで当たるよう指示したのも頷ける。

 触れた床などの質感も本物に近い……再現度が高すぎだ。呪力だけでそこまで成し遂せる事が力の強さを証明している。

 悟も油断なく周辺の情報を六眼で観察していた。

 

「スゲーな、主に規模が」

「呪霊は?」

「奥にいる」

 

 私と悟は、黙って気配の核心へ向かって歩む。

 領域内は広大だった。

 最悪、悟が強引に術式を放って破壊する事も可能だが、そうなって呪霊に警戒され、姿を隠されてはかなり厳しい。

 私たちは警戒しつつ、呪霊へと急接近した。

 

 そして迷路のような通路を歩き続けて十分ほどで辿り着いたのは、巨大な座敷だった。

 

 その中央に、ヤツはいた。

 

「………は?」

 

 悟が困惑の声を上げる。

 私は呪霊を見上げ、思わず眉を顰めた。

 今まで取り込んだ物と一線を画す強さなのは間違いない。

 外見は、蜷局を巻く巨大な龍だ。

 漆を塗ったような美しい漆黒と光沢を帯びた鱗と白銀の鬣をしている。龍らしく鹿の角と長い髭、流麗な巨躯でただ身動ぎもさせず静かに佇む姿は美しい一枚の絵のようでさえあった。

 ……ある一点を除いて。

 その呪霊こと仮称『黒龍』は、頭部のみならず体――背や横腹と確認できる限り夥しい量の閉じられた瞼があった。

 

 なるほど……強そうだ。

 これは、是が非でも戦略的に取り込んでおくべきだ。

 

「悟、祓うなよ。私が後で取り込む」

「嘘、だろ」

「悟?」

「コイツの術式……まさか」

「っ!?悟!」

 

 黒龍が突然、すべての瞼を開いた。

 体全体から向けられる紫紺の眼差しが私達を捉える。

 座敷の床を蹴り荒らしながら飛び、私たちへ突進して来た。

 呆然としている悟に代わり、私は呪霊を喚び出す。

 

「なに!?」

 

 だが、呪霊は来ない。

 それどころか、体すら動かなかった。

 私の横を通り過ぎ、固まっていた悟だけを角で跳ね上げながら壁を貫通し、外を優美に飛んで空中に投げ出された悟にまた向かっていく。

 なぜ私を無視した……!

 いや、それよりも悟の術式防御を貫通しただと!?

 何が優先度になっている……六眼に反応したか、それとも……脅威度か。

 

 ふと、体が動く事に気付いた。

 

 私も座敷から飛び出し、空中に喚んだ飛行型の呪霊の背中に乗る。

 ヤツの能力は何だ?

 相手の挙動の強制停止……だから悟の術式すら止めたのか。だが、あらゆる呪力も無下限で防御できてしまう。

 ヤツと対峙して直ぐはまだ体も動いていた。

 何が発動条件だ……考えられる物としては、瞼が開いた後……あの眼だ。

 あの眼が私たちを視た瞬間だろう。

 つまり術式は対象を視ることが条件……何だ、何故か懐かしい。

 視られたら体も術式も動かないなんて、まるで。

 

「いや、今は考えるなッ」

 

 視る事が条件なら、今アイツは悟に集中している。

 私は眼中にない(・・・・・)ようだ。

 悔しいような感じもするが、今だけは好都合だ。視た瞬間に止められるのだとすれば、見えていようと問題無いようにすれば良い!

 

「――いた」

 

 悟への突進を続ける黒龍。

 悟は通路に血塗れで転がっていた。

 反転術式を習得したアイツが治癒を行っていない……いや行えないのか?――だとすれば、あの眼が止めるのは術式というより呪力操作そのもの。

 そこまで干渉するなんて。

 

「厄介だが、潰れろ!」

 

 黒龍の頭上に巨大な達磨の呪霊二体を出現させる。

 等級にして一級だが、落ちる速度に比例して威力が増す。

 この『落下』というのは、挙動ではなく自然現象にカウントされる筈だ。

 だから、止められるワケが無い!

 

「……何!?」

 

 黒龍を圧殺するつもりで放った呪霊が空中で停止。

 それ以上、落下する事は無かった。

 まさか、干渉できるのは挙動……ではなく厳密に言えば動作どころか現象そのもの!

 クソ、何て厄介な術式(のうりょく)だ!

 このままでは悟が嬲り殺しにされる……!

 条件が『視る』事ならば、視えない死角からならば止められないだろう。

 

 私は悟のいる通廊のさらに下にある地点から呪霊を顕現させ、上の床を破壊する命令を発する。

 指示通り動いた呪霊によって通廊が破壊され、瓦礫と共に悟が落下したのを私は受け止める。その間に、頭上を轟然と龍の巨躯がすべてを薙ぎ払いながら通過していった。

 

 何なんだ、あの呪霊は。

 私の腕の中で、悟が治癒を始める。

 

「助かった、傑」

「アイツの術式は?」

「……『画竜点睛』」

「はっ?」

「茈苑と同じ術式だ」

「そんな馬鹿な……」

「しかも、人間の時と違って負担をかける脳なんて物が無いから呪力が続く限り、無制限に、しかも多方向へ同時に術式行使できる。……情報処理で焼き切れる器官も無いから、術式対象も眼球一つで視界全部止められるんだろうな」

「ま、待て、待ってくれ」

「流石に呪力の消耗がスゲーだろうけどな」

「……悟、あの呪霊は」

 

 私の問に、悟が顔の血を拭いながら冷たい目をこちらに向けた。

 

「傑も分かるだろ。発生源は伏倉家、このタイミングで相伝の『画竜点睛』の術式持ち」

「……」

「最近、アイツも非術師の手で死んだ……そりゃ呪いに転じても不思議じゃねえわな」

 

 悟が口を開く。

 やめろ、やめてくれ、まさか。

 

 

 

「――あれは茈苑だ」

 

 

 

 その瞬間、隣の壁を突き破って黒龍が現れる。

 私は咄嗟に悟を庇うように前に立ちながら、盾になる呪霊を複数体重ねるように喚んだ。

 術式発動は間に合った!

 私は来たる衝撃に備えて身構えた――――が、それは一向に訪れなかった。

 避けられない未来がいつまでも来ない事に疑問を抱いていると、黒龍が大きな顎を開いたまま止まっている事に気づく。

 

 

『す、スグ、ぐぐ、グルルル』

「え……?」

『スググル、ルルグ、スグスス……………スグル』

「――術式反転『赫』!!」

 

 

 戸惑う私の後ろから手を出し、盾になっている呪霊を目隠しにして黒龍へ悟が攻撃を放った。

 死角からの一撃に、黒龍が吹き飛ぶ。

 橋を幾つも壊しながら、底のないような空間を落ちていく。追うように悟が黒龍の直上の空間に瞬間移動した。

 

「舐めやがって。俺が祓う、確実に――!?」

「悟ッ!」

 

 突如として悟の隣の空間から黒龍が水面のような波紋を空中に起こして現れる。

 空間移動!……生得領域内なら自由自在、あり得ない話ではないか!

 無防備だった悟に対し、大きな顎を開ける。

 晒された口腔では途轍もない密度の呪力が渦巻き、大きな光を放っていた。悟は既に一切の動作を止められて、そこに縫い留められている。

 

 まずい、術式防御無しでアレを受ければ死ぬ!

 

 ふと観察したところ、黒龍は顎の下から腹部にかけて――下には全く眼が無い事が判明した。

 一か八か……!

 私は黒龍の直下に圧縮した一級相当の呪霊二体を配置する。

 

 

「――極ノ番『うずまき』」

 

 

 渦状に圧縮されていた呪力が爆ぜる。

 放たれた呪力の暴力に黒龍の顎が跳ね上げられ、腹部に風穴を空ける。辛うじて悟へと放出される予定だった呪力の塊は、頭上へと一条の太い光線となって消えた。

 なんて威力だ。

 まさか、ここまで強いなんて。

 ……いや、当然か。

 この呪霊が『画竜点睛』持ち……それも、茈苑なんて。

 

 

『スグルルルルルルル?ヤクヤク約ソク、守モッたのニぃ!五条悟コロス、ゴジョーサトットットッ殺ス!』

 

 

 

 黒龍の悪足掻きに振るわれた尾で悟は払い落とされ、私のいる通路の下の庵の屋根上に倒れる。

 幸い、黒龍の下……視界外に出た事で反転術式による治癒が始まった。

 危なかった、あと一歩で……?

 

 悟の生存に安堵していた私の頭上で、黒龍が変容を始めた。

 球状に蜷局を巻き、傷口から溢れた呪力がさらに薄い膜状となって総体を覆い隠す。

 やがて最終的に白い球体となった。

 私たちが唖然とする中、その表面にじわりと墨汁のような物が滲み始め、段々と濃く眼の形を描き始める。

 

「傑!!今すぐ仕留めんぞ!――コイツ『呪胎』だ!」

「何!?」

 

 悟の分析に、私は戦慄する。

 この状態で未だ『呪胎』……呪霊が産まれ落ちる前の状態であり、こういう場合の変容は大抵が危険度も特級相当になる。

 呪胎であの強さだぞ……!

 変容しきったら、もう手が付けられなくなる。

 

 アイツは呪いに転じた茈苑だ……でも、呪霊だ。

 

 私は自分に言い聞かせながら、断腸の思いで手持ちの特級呪霊一体を圧縮して殻に籠もった黒龍の下に配置する。

 悟も下から術式を発動させた。

 互いに出力最大――一撃で仕留める用意が出来た。

 

 

「術式反転・出力最大――」

「呪霊操術・極ノ番―――」

 

 

 漲る呪力を黒龍へ解き放つ。

 その瞬間だった。

 

 

『呪霊になったら見つけて、上手く使ってね(・・・・・・・)

 

 

 

 かつての声が響く。

 その瞬間、黒龍の殻の『眼』が完成した(・・・・)

 殻が割れ、放たれようとした私と悟の攻撃が無効化される。圧縮した呪力は呆気なく霧散してしまった。

 代わるように現れた新たな黒龍の気配は、さっきとは段違いに強力である。術式はともかく、私たちですら冷や汗が滲み出た。

 マズイ、このままだと。

 やはり、茈苑だからと手緩い事を言っている場合ではない!

 覚悟を決めろ、でなければ死ぬのは私たちだ!

 

 呪力の霧で周囲が満たされる。

 その中央で殻を破って現れた呪霊の姿に、私たちは目を凝らして……絶句した。

 

「………茈苑」

 

 そこに、茈苑がいた。

 少し違うとすれば、黒い巫女服に身を包んでいる事ぐらいである。

 生前の姿の焼き直しを見ているかのようで、私たちは手が震えるのが分かった。

 駄目だ、割り切れ。

 あれは人じゃない、呪霊なんだ!

 

 動けない私たちの前で優雅に空中を移動し、私の前に茈苑は着地した。

 

『約束』

「えっ……」

『約束、守ルよ』

「……憶えていてくれたのか?」

『ごめンね。ごめンね』

 

 約束を、憶えていたんだ。

 私はその感動のあまり、茈苑を抱き竦める。私の背中にも、優しく彼女の腕が回された。

 ああ、ああ、ああ!!

 

「騙されんな、傑!!ソイツは呪いだ!今すぐ離れろ、俺が祓う!」

 

 すぐ近くから悟の切迫した声が聞こえる。

 そうだよ、もう茈苑は呪いだ。

 これは、魂に刻まれた生前の情報をリピートしただけの物かもしれない。温もりもないし、あの甘い匂いすらしない。

 でも、この声と私を震わせる『魂』は間違いなく本物だ。

 

 

 

『傑』

「ああ――おかえり、茈苑」

 

 

 

 私の腕の中で茈苑の体が崩れ、代わりに手には球状にされた彼女が収まる。

 いつの間にか近くまで来ていた悟の唖然とした顔が見えた。

 私は彼の前で、そっと『茈苑』を飲み込む。

 私を想う魂の影響かもしれない。――とても呪霊とは思えない、甘い味だった。

 

「傑」

「大丈夫。もう私の制御下だよ」

「約束って何だよ」

「秘密だよ。私と………茈苑だけのね」

 

 私は飲み込んだ時の感触が残る喉に手を添えて、漲る多幸感に笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから一月後。

 私は高専内の寮部屋で一体の呪霊を喚ぶ。

 呪霊操術は呪霊を操るが故に、高専内で喚び出すと天元様の結界に反応して術師達にまで伝わってしまう。だから高専では常日頃から登録した呪霊のみしか出せない。

 そして、『彼女』もまたつい先日登録が済んだ。

 いつ呼び出しても、問題無いだろう。

 

 

「――茈苑、おいで」

 

 

 私の声に応えて、眼の前に茈苑が現れる。

 帰ってきてくれた、彼女が。

 こんなにも嬉しい事は無い。

 だって、約束を守ってくれるのだろう?私の願いを聞いてくれるのだろう?

 生きている内も。

 

 

 

 

 

 

「さあ、約束を果たそう。――私を『視てくれ』」

 

 

 

 

 

 

 

 死んだ後だって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






 過呪怨霊『茈苑』

 等級「特級」
 術式「画竜点睛」
 発生地「京都の伏倉家本家の土蔵」

 茈苑が幼少期を過ごした監禁場所の土蔵にて発生。
 現れるや伏倉家敷地全体を覆う生得領域を展開し、領域内にいる伏倉家の人間と使用人を鏖殺。主に虐待への復讐として彼らは狙われた。
 以降、確認に来た禪院扇の部下が訪れた後に変死し、帰って来ない事を訝しんだ扇の報告によって術師が派遣され、全員が死亡する。
 その後も高専からも一級術師複数名が派遣されるも同じ結果に遭い、後に特級術師二名による手で辛くも事態は解決した。

 2007年時は夏油傑の呪霊操術の制御下にある。
 行使すれば五条悟に対抗しうる手札。
 だが、これを夏油傑が使う事は無かった。





・術式『画竜点睛(がりょうてんせい)

 視た対象を任意で『未完成化』させる。
 術式及び呪力操作、動作、現象、傷や状態……等のあらゆる全てに効果を発揮する。視界外の物には通じないが、対象は肉体を必要しないため負荷に悩まされる事はなく、生前よりも強化され視界内の悉くに効く。
 視ている限りは、五条悟にも対抗可能。
 ただし、遮蔽物越しの攻撃には当然ながら弱いが呪霊の肉体によって全方位術式展開可能。


 拡張術式「翆ノ目(みどりのめ)

 呪霊になった為、生前のように術式反転は使えない……と思いきや、一つだけ残してそれ以外の目を全て閉じている時は同じ効果を得る。
 効果は、自身の『未完成化』と視た物を任意で『完成化』させる。後者は術師が対象ならば例として術式展開速度と術式効果の上昇等。


 拡張術式「火防眼(ひぶせのめ)

 呪符ではなく小龍型の式神を召喚し、視界を共有して本体ほどの効力は無いが術式を発動する。ただし式神の数に比例して呪力消費が激しくなる。
 式神は二級程度。





 領域展開『五眼炯々(ごげんけいけい)

 結界内の全てが視界内となる――死角無し状態。
 しかも、本来なら視えていない体内にまで術式が及ぶため生命活動そのものを『完成化=死』や『未完成化』まで可能。
 しかし、それだけの効果を得る代わりに展開中は一切動けない『縛り』。



 


曇らせ度は誰が一番高い?

  • 夏油傑
  • 五条悟
  • 家入硝子
  • 夜蛾正道
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