逃げられない呪い   作:布団は友達

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玉折
前編


 

 

 

 

 私――夏油傑は、今まで以上に苦悩した。

 非術師を守る信念に疑問を抱いたからだ。

 私が救助した命がさらなる他人を脅かし、命を懸けて誰かを守った仲間の死は知られず、大切な人(茈苑)が手を差し伸べた相手に殺された。

 意味を見失いつつあった。

 守るべき物の是非。

 報われる日も無く、果のない術師としての生涯を費やして救うに足る価値が非術師には感じられず、今はどうしようもなく彼らの醜悪な部分ばかりが私の魂に訴えかけてくる。

 

『意味ね――本当に必要か?』

 

 いつか、悟に言われた言葉だ。

 それは今でも当然そうだと言える。

 力を持って生まれた存在なのだから、力の使い方と使い所をきちんと把握しなくてはならない。無差別に振りまいては、呪いは災いにしかならないのだ。

 今までは非術師を守る事こそ意義だと弁えた。

 ただ、現実と理想の齟齬が致命的になっていく。

 非術師を守る意味は……あるのか?

 

 力の意味は、もっと別にあるんじゃないか。

 

 その疑問が甚だ膨らんでいく。

 そんな私の耳元で、私たちが呪ってしまった彼女は囁く。

 

 

 

『ボクが背中を押すね』

 

 

 

 その声が、私たちにとってどうしようもなく『逃げられない呪い』となって運命を変えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ×     ×    ×    ×

 

 

 

 

 

 

 

 悟に呼び出され、私たちは中庭にいた。

 久しく『四人』で集まった時間である。

 私と硝子は、悟の指示によってペンと消しゴムを持たされ、彼と数間の距離を保って立っていた。茈苑は少し離れた位置で私たちを見ている。

 集められた理由に対する詳しい説明は無い。

 私と硝子は訝しみながらも、彼の指示に従って手にしている物を構えた。

 

「いっくよー」

 

 硝子が腕を振りかぶる。

 私もタイミングを計り、彼女と同時になるよう受注の消しゴムを放った。

 真っ直ぐと二つの物体が悟へ接近する。

 消しゴムはともかく、割と容赦なく硝子が頭を狙って投射したペンは尖端を相手に向けていた。悟ならば防げるだろうが、危ない行為なのは確かだ。

 しかし、悟に身構える様子は皆無。

 掌印を結ぶ素振りも見せなかった。

 

 しかし……直前で悟の呪力が膨らむのが分かった。

 

 放たれたペンは、悟に直撃する寸前の宙で静止する。

 予想通りの術式による防御反応。

 入学当初から彼が見せてきた無下限呪術のため特段驚きはなかった。

 だが、向かっていった消しゴムだけは防御されず悟の頭に当たって跳ね返る。

 その結果は異常だった。

 当たれば危ないペンだけが止められる現象は、あまりにも都合が良すぎる。

 まるで。

 

「うん。イケるね」

「げ、何今の」

「術式対象の自動選択か?」

「そ。正確に言うと術式対象は俺だけど」

 

 悟は消しゴムとペンを掴んで笑う。

 どうやら、偶然の産物ではなく確信だったようだ。

 

「今までマニュアルでやってた事をオートマにした」

「でも、それだけじゃ対象の選択は出来ないでしょ」

「ハイ、そこの見学者さん。分かるー?」

 

 悟が徐ろに茈苑へ問を投げかけた。

 私たちも視線をそちらに向ける。

 悟は呪霊討伐の日から、特に私が茈苑と共にいる場所へ来ても大して彼女に触れようとはしなかったから意外に思えた。

 それは、茈苑自身も同様だろう。

 今や私と主従関係にあるため、その感情が不思議な事に手に取るように分かる。

 木陰に腰を下ろしていた茈苑は驚いて少しだけ黙るが、私たちでもやや理解し難い現象に対する己なりの見解を直ぐに口にした。

 

『危険度で選別してる』

「具体的には?」

『呪力の強弱ダケじゃなくテ、質量・速度・形状・毒性……?から物体の危険度を計測して必要ナ物だけ止めてる、とか』

「九十点。まだ毒物は難しい」

 

 ただ、術式防御をただ展開するだけでなく、危険物のみに絞って発動する事により、最小限の消費で無下限呪術をほぼ常時発動させられる――というのが悟の言。

 それは術師にとっては危険な行為だ。

 術式は肉体に刻まれ、使用した際の代償は呪力のみだが、種類によっては脳に負荷がかけられる。

 例として、悟や茈苑は特に該当する。

 無下限呪術ほど複雑で緻密な呪力操作を要する力となれば、相応に脳にはかなりの負担が強いられるのに。

 

「そこは大丈夫。自己補完の範疇で反転術式も回し続ける――これでいつでも新鮮な脳をお届けだ」

『六眼と悟の呪力量だからできる事』

「オマエだって似たような事やってたろ」

『やっと追い付イたね。まだ領域は出来テ無いみたいだけド』

「ここで祓うぞ、オマエ……!」

 

 生意気に挑発する茈苑に悟が歯軋りした。

 硝子は実験が終わるや茈苑の隣に移動し、彼女を抱きしめて一緒に木陰で涼んでいる。

 夏の陽射しは厳しく、たしかに私も暑い。

 ただ、それが気にならない程の悟の今起こした桁外れの呪術の方に驚いていた。

 いや、本当に驚かされるばかりだ。

 

 星漿体の任務以降、悟は“最強”に成った。

 

 任務も全て一人でこなし、硝子は元々危険な任務で外へ出る事は無いので、必然的に私も一人になる事が増えた。

 最近よく現場以外のプライベートでも茈苑を喚び出すのも、無自覚ながら私が孤独を感じているからかもしれないと自嘲的に思ったりもしている。

 肩を並べていた親友が、遠い。

 大切な人の温もりが、今は無い。

 信じていた物の価値が霞んでいる。

 

「傑、ちょっと痩せた?大丈夫か?」

 

 沈思に耽っていた私の思考を悟の声が呼び覚ます。

 私は内心を悟られまいと笑顔を取り繕った。

 悟らせてはならない。

 もう悟に比肩する存在ではないが、彼とは対等でいたいという切実な願い、或いはなけなしの自尊心が弱さを露見する事を拒む。

 

「ただの夏バテさ。大丈夫」

「ソーメン食い過ぎた?」

『傑が好きなノは、蕎麦』

 

 全く、何も上手くいかないものだ。

 

 

 

 

 その夏は、忙しかった。

 昨年頻発した災害の影響もあり、去年予測された通りどころかそれ以上の勢いで呪霊は湧いた。

 まるで蛆のように。

 

 祓う、取り込む。

 

 皆は知らない、呪霊の味。

 吐瀉物を処理した雑巾を丸飲みしているような気分にさせられる不快さの塊だった。

 以前、茈苑は私にそんな事を尋ねてきたっけ。

 それを聞いた後では、任務後の私によく作った料理を持ってきたり、ご飯に誘ってくれた。

 そんな彼女は、殺された。

 

 祓う、取り込む。

 

 

 …………誰の為に?

 

 

 盤星教の施設内にて、理子ちゃんの遺体に向かって満面の笑みを浮かべながら拍手喝采を送る非術師の信徒たちの記憶が蘇る。

 あの日から、自分に言い聞かせている。

 私が見た物は何も珍しくない、周知の醜悪。

 人ならば備わっていて当然の悪性だ。

 知った上で、私は術師として人を救う選択をしてきた筈だ。……悟には未だ否定されるが、茈苑も仲間もその在り方を称賛してくれた。

 

 ――ブレるな、術師として責任を果たせ。

 

 

「猿め」

『傑?』

「っ、ああ、すまない」

 

 隣りにいる茈苑が私の服の裾を引いていた。

 シャワーを浴びた後で校舎内の自販機が並んだ休憩所に座り、茈苑と会話をしていたんだった。

 何を話していたっけ。

 最近は何をしていても考え事で全て疎かになってしまう。

 

「茈苑。手を、握ってくれないか?」

『うん』

「……冷たいな」

『傑も冷たい』

「そうかな。ちゃんとシャワーで体は温まったけど」

『傑。今にも壊れそう』

 

 茈苑の震えた声に私は顔を上げる。

 隣では、私を視る時だけ彼女生来の色を取り戻す瞳がそこにあった。

 映された私の顔は、酷く窶れている。

 悟には、上手く誤魔化せただろうか。

 そんな事を呑気に心配していると、茈苑の両手が私の手を握る。

 冷たくて、生命の気配もない手だ。

 なのに、私の手を包む仕草はどうしようもなく労りという名の愛があって温かく感じる。

 

『ボクは、傑の味方』

「……私の?」

『うン。もし、いま傑が悩んデて、納得する答えが見つかってモ踏み切れない時は、背中ヲ押す…どんな答えでも』

「本当に?」

『うン。今は傑が一番大事ダから』

 

 ――その為に呪いになった(約束を守った)んだから。

 

 甘く鼓膜を震わせる声に私は少し苦痛が和らぐ。

 私が君を呪ったから、特級呪霊なんかになったのかもしれないのに。

 私は、茈苑に寄りかかってしまう。

 身を寄せると、彼女の片手が私の後ろから回って髪を梳いてくれた。

 ああ、本当にどうしようもないな。

 

『……灰原クン。気にせズ入って来て良いヨ』

 

 茈苑の声で我に返る。

 気付いたら、ペコペコと頭を下げながら一つ後輩の術師――灰原雄が人の良さそうな笑顔をこちらに向けて歩いて来ていた。

 どうやら物陰に隠れて、ずっと見ていたようだ。

 入りにくい空気にしていたみたいで申し訳無い。

 

「灰原か」

「お疲れ様です!夏油先輩、伏倉先輩!!」

「何か飲むか?」

「ええ!?悪いですよ……コーラで!!!」

「フフッ……」

 

 元気が良くて明るい答えに、私も思わず相好を崩す。

 注文通りコーラを奢ってやれば、嬉しそうに彼は飲み始めた。

 茈苑と共に私を挟んだ位置に灰原は座る。

 

「どうしてここに?」

「明日の任務、七海と一緒で結構遠出なんですよ。だからご挨拶にと」

「そうか。お土産頼むよ」

「了解です!!甘いのとしょっぱいの、どっちがいいですか?」

「悟も食べるかもしれないから、甘いのかな」

 

 灰原との会話を、茈苑は黙って聞いている。

 その間も、私は彼女の手を放さない。

 大切な人が隣りにいて、自分を慕ってくれる後輩がいる空間は、何だか少しだけ日々の疲れを忘れさせてくれる。

 だが……悩みだけは消えてくれない。

 

「……灰原」

「はい!」

「呪術師はやっていけそうか?……辛くないか?」

 

 私の問に灰原がきょとんとする。

 茈苑の手を握る力が強くなった。

 

「そー……ですね。自分はあまり物事を深く考えない性質(タチ)なので」

「……」

「でも、自分に出来る事を精一杯頑張るのは気持ちがいいです!!」

 

 快活な笑顔と共に言い切られた答えに私は微かな衝撃を受けた。

 あまり深く考えないというのは灰原らしい。

 そう在れたら、私もこうならずに済んだのだろうか。

 だが、自分に精一杯できる事を頑張る……か。

 いい言葉だな。

 つくづく、何で術師をやっているのか不思議なくらいに人のいいヤツだ。

 

「そうか……そうだな」

 

 私も、そう思える『答え』を見つけたい。

 茈苑も背中を押すと、言ってくれたのだから。

 

 

「君が夏油くん?――どんな女が、好み(タイプ)かな?」

 

 

 私たちが話していた休憩所に、何の脈絡も無い問を投げかけながら現れた闖入者。

 すりと伸びた長い足と、背筋を張った体は鍛えられていて座っているのもあるが、何故か自然とつい見上げてしまいそうになる女性だった。

 女性は、無言の私に返答を催促するように「ん?」と声を漏らす。

 こちらの内心を見透かすような瞳だ。

 つい警戒心が顔に出てしまう。

 茈苑にも呪力で術式発動準備を呼びかけてしまった。

 

「どちら様で――」

「自分は沢山食べる子が好きです!!」

「は、灰原……………」

 

 無警戒に答えてしまう灰原に呆れてしまった。

 そんな私に灰原は笑って。

 

「大丈夫ですよ。悪い人じゃないです、人を見る目には自信があります!!」

「……私の隣に座っておいてか?」

「……?ハイ!!伏倉先輩も隣にいますし!」

「あっはっはっ。君、今のは皮肉だよ」

 

 思わず意地悪をしてしまったが、言葉の真意が通じず灰原の明るさが返ってくるだけだった。

 

『灰原クンは、いい子』

「ありがとうございます!!」

「……随分灰原と仲が良いね、茈苑。浮気は感心しないよ」

『私ガ一番後輩の面倒見てたカラ。人望も篤イ』

 

 胸を張る茈苑に苦笑する。

 そういえば、頼り甲斐のある先輩になりたいと高専二年の始めにそう言っていたっけ。

 あの言葉通り、後輩の七海建人と灰原雄、それから今年になって入った者たちの指導もしていたな。悟と一緒によくちょっかいをかけて怒られたのも良い思い出だ。

 

「それで夏油君、少し話せるかな」

「あ。じゃ、自分は邪魔かと思うんでこれで失礼しまーす!」

『灰原クン、気を付ケて』

「はい!頑張って来ます!」

 

 猛々しく拳を振り掲げた灰原は、私たちに頭を下げながら最後まで笑顔で去っていった。

 女性は代わるように彼のいた位置に腰を下ろし、手を振って見送っている。

 

「後輩?素直でカワイイじゃないか」

「術師としてはもっと人を疑うべきかと」

「――で、夏油くんは答えてくれないのタイプ?あ、もしかして隣の子がまさにソレ?」

「まずはアナタが答えてくださいよ。どちら様?」

 

 私が問うと、女性は不敵な笑みを浮かべる。

 

 

「特級呪術師・九十九由基――って言えば分かるかな?」

 

 

 明かされた名に、私も茈苑も驚いて一瞬固まる。

 それは、噂でしか聞かなかった名だ。

 

「アナタがあの……!?」

「お、イイね!どのどの??」

「特級のくせに任務も全く受けず、海外をプラプラしてるロクでなしの……」

「……私高専って嫌ーい」

「拗ねた……」

『三人しかいない特級の一人。ボクや女性術師の憧レ』

「好き!高専は嫌いだけどこの子は好き!」

 

 女性――九十九由基さんが、許可無く茈苑に抱き着こうとするのを片手で制しておく。

 全く、距離感の掴めない人だ。

 

「――っていう冗談はさておいて、でも実際に高専と方針が合わないってのは本当。ここの人たちがやってるのは対症療法、私は原因療法がしたいの」

「原因療法?」

「――呪霊の生まれない世界を作ろうって話」

 

 …………!!

 私はその言葉に耳を疑った。

 だが、言われてみたら何故今まで考えなかったのか可怪しい話でもある。

 人を脅かす呪霊を祓うのが呪術師の役目。

 それが私の中の、それどころか術師全体の共通認識にして絶対に揺らがない真実であり固定概念……の筈だった。

 呪霊が生まれない……単純だが、たしかにそんな世界があれば、術師が命を懸けて戦う必要も無い安全な世界だ。

 

「少し授業をしようか。そもそも呪霊とは何かな?」

「人間から漏出した負の感情……呪力が澱のように積み重なり形を成したものです」

その通り(エクセレント)

 

 淀みなく答えられた私の回答に、九十九さんは満足そうだった。

 そこから彼女は述べる。

 呪霊を生まない方法は二つ。

 ①人類が呪力からの脱却を果たすこと。

 ②人類に呪力のコントロールを可能にさせること。

 この二つこそが、呪霊を発生させない世界を作る上で人類が向かうべき新たな形だと彼女は提唱した。

 

「①はね、イイ線いくと思ったんだ。モデルケースもいたし」

「モデルケース?」

「君もよく知っている人さ。――禪院甚爾」

 

 思わず顔を顰めてしまう。

 その名は、思い起こせば苦痛の伴う記憶しかない。

 茈苑も表情には出さないが、纏う空気がピリついている。

 

 禪院(ぜんいん)甚爾(とうじ)

 

 かつて星漿体護衛の任務で私たちを襲撃した盤星教の雇う呪詛師側の人間であり、天与呪縛で呪力を持たないながら私や茈苑、悟さえもが無惨に敗北し、理子ちゃんや黒井さんまでも手にかけた人物だ。

 天与呪縛とは、生まれながらに強く秀でた能力を得る代償に『縛り』を強制される特異体質である。

 奴もその一人だった。

 忌々しいほどに歯が立たなかった。

 九十九さん曰く、天与呪縛で一般人並になるケースは幾つも見てきたけど、呪力が完全にゼロなのは世界を探しても奴だけだったという。

 奴の変わった点はそれだけじゃない。

 禪院甚爾は、呪力ゼロにも拘わらず五感で呪霊を認識できた……本来は不可能な筈なのに。呪力を捨て去る事で肉体は一線を画し、逆に呪いに強い耐性を得たらしい。

 

「正に超人。負けた事は恥じなくていい」

「…………」

「彼を研究したかったけどフラれてしまってね。惜しい人を亡くしたよ。天与呪縛はサンプルも少ないし……そういう事で、私の本命は今は②だね」

「全人類の呪力のコントロール」

 

 だが、それも現実的じゃない。

 そもそも己の中の呪力を認識できないのが非術師なのだ。

 術式が無くとも呪力で戦える人間はいるが、それでも呪力があって、呪霊を認識できる程度でなくては話にならない。

 正直に言えば、荒唐無稽な話だ。

 だが、九十九さんは笑顔だった。

 

 

 

「知ってる?――術師から呪霊は生まれないんだ」

 

 

 

 その一言に、私は時間が止まったのかとさえ錯覚した。

 術師から、呪霊は生まれない……?

 そんな、事も知らなかった。

 

「勿論、術師本人が死後呪いに転ずる場合を除いてね……そこの彼女、伏倉(しくら)翆恋(すいれん)のように」

「は?」

「おや、知らなかったのかい?伏倉茈苑とは彼女の双子の姉の名さ。術式関係で死んだ姉の名を名乗らされていたと思っていたが……違うかい?」

 

 私は思わず茈苑の方へ勢いよく振り返る。

 すると、茈苑は私から目を逸らした。

 滅多に感情を出さない(おもて)が、今は痛々しいほどに苦しげに歪められている。私の手を握る力は、悲痛なほど強くなっていた。

 伏倉、翆恋。

 それが彼女本来の名、なのか。

 

「正直、術式『画竜点睛』も私の中では②を実現する現実的な手段の一つだった」

「彼女の術式が……?」

「彼女の術式と天元の結界を併用する事で、呪術大国日本の国民全員に『呪力発生の未完成化』又は『呪力操作の完成化』をかける事ができれば可能だ」

「な……そんな大規模な術式展開に彼女の身が保ちますか?」

「天元と同化すれば出来るかもしれない。無論、同化時に彼女の術式と意識を天元とは別個に独立させるか、或いは天元から主導権を奪うか」

「……」

「難点として、そんな事をすれば日本中の結界が保てる保証も無い……まあ、そこは研究を詰めれば可能になるかもしれない問題だ。

 だが、個人的には天元との同化は最悪の手段だし、私なら絶対にさせたくないね」

 

 少し意外なほどに語気を強めて九十九さんは、その方法は取りたくないと断言した。

 茈苑には、そんな可能性があったのか……。

 死んだ双子の姉、術式関係……彼女自身をあまり見てこなかった事が痛感させられる。

 私は苦しげな茈苑を見て、安心させようと笑顔を作った。

 

「茈苑。後で、君の事も教えてくれ」

『……ウン』

「大丈夫。隠していたとしても、それは悪い事ではないし、少なくとも私は君を恨んだりしない」

『傑……』

 

 私は再び九十九さんに向き直る。

 まだショックから立ち直れてはいないが、後で整理するとして、今は得るべき情報が他にもある。

 

「それで、どうして術師から呪霊は発生しないと?」

「理由は簡単。術師は呪力の漏出が非術師に比べ極端に少ない。術式行使による呪力の消費量や容量(キャパ)の差もあるけど……一番は流れ(・・)だね」

「流れ」

「術師の呪力は、本人の中をよく廻る」

 

 そんな、事が。

 じゃあ、呪霊を生み出しているのは非術師のみ。

 ならば原因は彼らではないか。

 

 そう考えると、また頭の中で拍手の音が鳴り響く。

 

 駄目だ、やめろ。

 感情で思考を塗り潰そうとするな。

 今は考えなくてはならないんだ。

 

 

 

「大雑把に言うと、全人類が術師になれば呪いは生まれない」

 

 

 

 だが、そんな努力も虚しく、九十九さんの出した結論に私の中で雑念が――思考が消える。

 思い浮かんだのは、醜悪な人間たち。

 私たちの苦労も知らず、守るに価しないと思わせるような連中の顔だった。

 

 

 ――猿め。

「じゃあ、非術師を皆殺しにすればいいじゃないですか」

 

 

 思わず口を衝いていた。

 ほとんど無意識だった。

 九十九さんに「夏油くん」と呼ばれて、ハッと我に返る。いけない、術師として考えてはならない事だった。

 慌てて訂正しようとして。

 

「それはアリだ」

 

 九十九さんは意外にも肯定した。

 私は困惑して変な声しか出ない。

 術師として、それはどうなんだ……いや、そもそも術師としての責務に懐疑的な私が、そんな事を言える口ではないのかもしれないが。

 

「というか多分、それが一番簡単だ。非術師を間引き続け、生存戦略として術師に適応してもらう。要は進化を促すの。鳥たちが翼を得たように、恐怖や危機感を使ってね」

「…………」

「だが、残念ながら私もそこまでイカれてない。――非術師は嫌いかい?夏油くん」

「………分からないんです」

 

 九十九さんの質問に私は首を横に振る。

 そう、分からない。

 呪術は非術師を守るためにあるのだと考えてきた。

 だが、最近はそんな非術師の非行によって裏切られる事が多く、私の中での非術師の価値……のようなものが揺らいでいる。

 弱者故の尊さ。

 助け合い、尊重し合う心配り。

 弱者故の醜さ。

 弱いからこそ他者を蹴落し、簡単に奪おうと考える下劣な思考。

 それらを内包して人なのである。

 だが、この二者の分別と受容が最近は特に出来なくなっていた。

 

 非術師を見下す自分。

 それを否定する自分。

 

 術師というマラソンゲーム――終わらない戦いの果ての映像(ビジョン)があまりに曖昧で、何が本音か分からない。

 その胸懐を吐露すれば、九十九さんも首を横に振る。

 

「それは、どちらも本音じゃないよ」

「…………?」

「まだ、その段階じゃない」

 

 九十九さんが二本指を立てた。

 

「非術師を見下す自分と、それを否定する自分。これらは思考された可能性だ。

 ――どちらを選ぶかは、これから君が『選ぶ』んだよ」

 

 彼女の微笑みに、私は口を噤む。

 これから、選ぶのか。

 もし仮に、私が選んだ方によっては大きな過ちを犯すのだとしても、茈苑は背中を押してくれるのだろうか。

 

 私が振り返ると、茈苑はいつの間にか消えていた。

 

 気付かぬ内に、術式を解いていたようだった。

 

 

 

 それから、九十九さんは早々に去っていった。

 まるで嵐のような人だったな。

 私は告げられた真実に未だ心が騒いで落ち着かない。

 しかも、そこに畳み掛けるように星漿体について彼女は言及した。

 

 あの時、もう一人の星漿体がいたのか……新しい星漿体が生まれたのか、どちらかは不明だがいずれにせよ天元は安定しているという。

 だから、去年から任務も継続して行えている。

 

 いつも通りの日常が、巡っている。

 

 

 

 数日後、任務から帰った七海と共に安置室にいた。

 解剖用の術台の上には、布をかけられた灰原の無惨な遺体が横たわっていた。

 布越しに分かる人体の膨らみは、半ばで途切れている。

 この前まで明るく笑いかけてくれた仲間が、私を強く慕ってくれた後輩の肌は冷たい。

 私は布を顔までかけてやった。

 

 背後では、同じ任務を受けていた七海も負傷体ながらも怒りに身を震わせ、近くにあった椅子を蹴飛ばす。

 その行いを、私は咎める事が出来なかった。

 つい先日、私も同じ気分を味わった仲だから。

 

「なんてことない二級呪霊討伐任務のハズだったのに……!クソッ……産土神信仰、アレは土地神だった……一級案件だ……!!」

 

 今年は死者も多い。

 有力な術師が任務で死亡してその分の任務が実力不足の七海たちにも割り振られたか、それとも元から敵性戦力を見誤ったが故の悲劇か……どちらにしても救いようのない結果だ。

 何とも度し難い。

 

 いつも通りの日常が、日本で巡っている。

 

 こんな事があっても。

 

「今は休め、七海。任務は悟が引き継いだ」

「……もうあの人だけで良くないですか?」

 

 その言葉を、否定できない。

 

 いつも通りの日常が、日本で巡っている。

 

 理子ちゃんや灰原や茈苑の屍を、晒した上で。

 

 

 

 いつも通りの日常が、巡っている。

 術師というマラソンゲーム……その果てが、積み重なる仲間の屍だとしても。

 

 

 

 

 

 

 

 私も任務に出ていた。

 2007年の9月、地図に載っていないような田舎の集落だった。

 村落内での神隠し、変死が発生したので、その原因と思われる呪霊の祓除が任務内容である。

 来るのも中々大変で、柄にもなく移動だけで疲れた。

 中々奥深い山の中だった。

 口喧しく早く不可思議な現象の原因を解決してくれと急かされたのも、しんどかった。

 

 何だか、彼らの声も遠い。

 

 そんな霞んだような意識で、私は一級相当の呪霊を祓った。

 術式からしても、神隠しの原因に間違いない。

 任務の対象だった呪霊である。

 なのに、彼らに事件の原因があると伝えられ、とある屋敷の奥へと案内された。

 これ以上、何があるというのか。

 

 疑問に思いながら案内に従って行った先で――最悪の光景を目の当たりにした。

 

 そこには、座敷牢に囚われた子供が二人いた。

 虜囚となっている子供は、酷い怪我を負っている。

 単なる呪霊被害とは全く無関係で、見る限りは明らかに暴行を加えられた痕ばかりだった。

 私は嘆息し、つい癖で額を掻く。

 概ね察しはつく。

 ここまで山奥だと閉鎖的になりがちで、考え方も旧態依然としており、独自の因習などに基づいて判断するため、私たちとは違う極端な価値観で善悪を判断する場合が屡々ある。

 それに気付きながらも、尋ねずにはいられない。

 

 

「これは何です?」

 

 

 私の質問に、彼らは首を傾げた。

 

「■■……?■■■■!?(何をとは?この二人が一連の事件の原因でしょう?)」

「違います」

「■■■■!!(この二人は頭がおかしい。不思議な力で村人を度々襲うのです)」

「事件の原因はもう私が取り除きました」

「■■■!!(私の孫もこの二人に殺されかけたことがあります)」

 

 私の声も聞こえてない様子だった。

 とにかく、この子達を罰しろと要求してくる。

 

「それはあっちが――」

「■■■!!■■!!■■■!!(黙りなさい、化け物め!あなた達の親もそうだった!やはり赤子の内に殺しておくべきだった!)」

 

 子供の声すら封殺し、怒りに任せて罵詈雑言を吐く。

 聞くに堪えない言葉だった。

 この地域の特色が強い訛りだとか、滑舌だとかそんな生易しい話ではなく…………同じ人間とは思えない、汚い声だった。

 いや実際、もう私の耳にはほとんど届いていない。

 

 もう考えたくない。

 

 私は、助けを求めて『茈苑』を喚び出した。

 彼女は、私の隣に立って子供たちと案内人となった者たちの声を聞く。

 状況を察したであろう彼女が、私の背中を擦った。

 

「どうしたらいい?」

『傑は、どうしたイかだよ』

「私?」

『こレを見て、どう思った?』

 

 茈苑は優しい声音で私の答えを促す。

 ゆっくりと、この村で、あるいはその前から乱れた私の心に寄り添うように。

 

「……醜いな。どうして、皆を守る為の力を持った術師がこんな目に遭わされてるんだ」

『彼らにハ分からないカラ』

「こんな奴ら、守る価値も無いじゃないか。……私の信念の、限界を見た」

『じゃア、今信じタイ物はある?』

 

 茈苑へと振り向く。

 彼女は、またあの目で私を見て――優しく微笑んでいた。

 非術師を見下す自分、それを否定する自分。

 以前から抱えていた大きな選択肢……私は選ばなくてはならない。

 

「私は、選ばなきゃいけない……でないと、苦しみは永遠に続くんだ。でも選べば止まれない、引き返せない。それが怖い……」

『そっカ』

 

 茈苑はそれを聞くと、座敷牢へと歩み寄る。

 囚われた子供たちに、私に向けたのと同じように安心させるよう笑顔を向ける。

 

『大丈夫』

 

 その声に、座敷牢で怯えて抱き合っていた子供が目が見開かれていた。

 差し出された茈苑の手を握る。

 暫くそのままだったが、やがて茈苑は立ち上がって再び私の下へと戻った。

 

『一旦、外に出よウ』

「あ、ああ。……皆さん、一旦外に出ましょうか」

 

 私は笑顔を作って案内人二人と共にその場を後にする。

 訝しみながらも従った二人の後に続き、屋敷を出た。

 

『傑、選択が苦しイなら背中を押スよ。いつか傑ガ、ボクに将来の夢を見セテくれたみたいに』

「……」

『どんな選択でモ、ボクは傑の味方。……死ぬマデずっと一緒』

「茈苑……」

 

 茈苑はそう言った。

 

 

 

 

『だっテ、傑がそウやって約束した(呪った)んだから』

 

 

 

 

 酷く、切ない笑顔だった。

 

 

 

 

 

 

 ぐちゃり、と肉が潰れる音がする。

 

 私が唖然とする中、茈苑の背部から伸びた黒く太い綱のような物が案内人二人を潰していた。先端は大きな竜の顎を模って、バリバリムシャムシャと人体を惨たらしく咀嚼している。

 茈苑が私の頬に手を伸ばした。

 

『どう?……楽に、なっタ?』

 

 私は死んだ案内人の遺した血痕を見て、酷く心が落ち着いていく。

 さっきまで意識を蝕んでいた霞が晴れていった。

 苦悩も何もかも、全て解消されたのが分かる。

 

 久々に胸いっぱいに空気が吸い込めた。

 

 ああ、体が軽い。

 だが、同時に深呼吸した事を後悔する。

 臭い…………。

 

 

「猿の臭いだ」

 

 

 私は茈苑の手を握り、彼女を見つめる。

 

「一緒に来てくれてありがとう」

『…………』

「もう君の手は汚させないよ。――後は私が掃除しておくよ、猿どもをね」

 

 一気に、数十体の呪霊を解き放つ。

 かつての自分が、こんな猿どもを救う為にと不快な気分を我慢してひたすら蓄えた、猿ども自身が作り出した醜さの形達を。

 それらはあっという間に私の命令に従って集落を駆け巡り、そこかしこで悲鳴を奏でる。

 実に耳を汚す不快な鳴き声だ。

 

 それらは一時間であっという間に終わり、私は制服のボタンを千切って地面に打ち捨てる。

 襟を開くと、涼しい。

 

 

 

「さて、行こうか茈苑」

 

 

 

 

 私は彼女と共に、子供たちを迎えに行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




長かった。

第二回、曇らせ度は誰が一番高い?

  • 夏油傑
  • 家入硝子
  • 五条悟
  • 夜蛾正道
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