逃げられない呪い   作:布団は友達

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離反後のお話です。


また会う日まで
これからの話


 

 

 

 

 

 

「恵、いつの間に『帳』張れたの?」

 

 

 高専四年の冬だった。

 傑の離反後から、星漿体護衛の任務で高専を襲撃した伏黒甚爾の息子――伏黒(ふしぐろ)(めぐみ)の面倒を見るようになって少し経つ。

 禪院との面倒な取引も終え、幼いながら()が修行を付けてやっているんだけど、有り難くないって感じの顔……しかもアイツに激似な顔立ちで嫌そうにするから育て甲斐が無い。

 ただ、持ってるモノは良質だ。

 呪力量もそこそこ、術式は宝物。

 なんと禪院家相伝でも最高の十種影法術である。

 影を媒介に十種の調伏した式神を召喚する物で、過去には『画竜点睛』による制止が無ければ六眼持ちの無下限呪術師と相討ちになりかけた当時の禪院当主の術式でもある。

 鍛えれば、将来的に僕とタメ張れる術師になるかも。

 

 だから、小さい頃から英才教育を施すんだが……。

 

 任務先で、恵は自ら『帳』を展開した。

 結界術の授業は、まだ先の予定だったのに。

 もしかして、誰かに元から教わった?父親……は、随分前に蒸発したとか言って何年も顔合わせしてないって本人が言ってたから無いか。それに、アイツは結界術も使えなかったから教えようも無いだろうし。

 

「恵、これ独学?」

「まあ、半分はそんな感じです」

「へー、やるじゃん……半分?」

 

 気になる言い方だな。

 半分は自力じゃないって言ってるし、誰かの手を借りてるなら独学とは違うのに。

 首を傾げる僕の前で、恵は小さな体に背負ったリュックをゴソゴソと体の前面に回し、チャックを開いた中から一冊のノートを引っ張り出した。

 …………あ、ソレ。

 

「まさか」

「はい。コレのお蔭です」

「えー……」

「分かりやすくて良いですね、『茈苑式呪術講座』。五条さんの説明よりも俺に合ってる」

「嘘でしょ」

 

 表紙には『茈苑式呪術講座・第一部』の文字。

 これは、僕が過去に同級生から貰った物でもある。

 今はもう必要無くなったから僕が不在の間も呪術の勉強ができるようにって丁度いいと思いながら適当に恵へ押し付けた。

 たしかに、ノートには結界術についても記されてた。

 

 これを貰った経緯というと……何だっけ。

 そうだ、あの時だ。

 僕がまだ反転術式の習得に熱を燃やしていた頃、同級生の女子に尋ねたら。

 

『ボクに教えを乞う五条悟』

 

 と、盛大に馬鹿にしてきたのだ。

 俺はその場ではキレて踵を返したのだが、後日その女子に呼び出され、このノートを渡されたのである。

 何事かと思ったら、なんと反転術式について説明する記述を自作で持ち込んできたのだ。

 少なくとも、硝子とは違い理路整然としてる。

 

『悟くんはこれ読むべき』

『はー?かったりー』

『強くなれないよ?』

『喧嘩売ってるだろ。初心に還って全力で殺し合ったろか、アアン!?』

『勝てないくせに』

『よっしゃ、外で話そうぜ茈苑』

『寂しんぼだね。傑と行ってよ』

 

 これを読んでいたからこそ、僕は命の瀬戸際でソレを思い出して実践し、見事に反転術式を習得した。

 それをアイツに報告したら。

 

『ボク、先生の才能あるかも』

 

 なんて調子に乗ってたな。

 それから、ノートにいつも書き加えてた。

 気付いたら何冊にも発展していて後輩も読めるように共有スペースに置くべきかな、とか変な思案してたんだよな。

 ……厄介だなぁ。

 いや、恵の役に立ってるけどさ。

 結界術の中には、僕の無下限の領域を中和して殴ってきたトンデモ結界術も載ってた……結局名前は決まってなかったが、実家で古い書物を漁ってたら同じ物が見つかって唖然としたな。

 アイツ、自己流で大昔の結界術に辿り着いたんだぜ?

 名前は『領域展延(りょういきてんえん)』。

 傑や僕が強烈過ぎたけど、つくづくアイツも天才の部類だったワケだ。

 

「そのノート、どれくらい読んだ?」

「前半までです。……これ、『一部』って事は何冊もあるんですか?」

「うん、十冊くらい?僕が譲り受けたんだよ」

「譲り受けた、って誰にですか」

「表紙に書いてるでしょ、『茈苑』って。その子だよ」

 

 表紙を見た恵が、なるほどと呟く。

 

「じゃあ、茈苑さんに教わりたい」

「それは無理。アイツ死んだから」

「……そうですか」

「いや、関わった事も無いのに何で恵そんな落ち込むの」

「落ち込んでませんけど、良い人だと思ったから」

 

 恵がノートを開く。

 そして指で紙面の一部を指し示すので、僕もそこに注目した。

 内容は呪具の扱いについて。

 シン陰流を用いた抜刀術……って、前半にこんなの書いてたっけ?僕がちゃんと読んでないのもあるけど、いつの間にシン陰流も習得してたのかよ。

 呆れながら文を読んでいくと、余白にフキダシが作られていた。

 

『文だけじゃ分からない時は、使える人のを見て盗もう!使用時の呪力の膨らみ方に注目!頑張って!』

 

 応援メッセージが書かれていた。

 そう……だね。

 たしかに、いいヤツだったかもね。

 

「ノート欲しい?」

「まあ、くれるなら」

「ダーメ。僕の教える事無くなりそうだし、ちゃんと返してね。……僕にとっても大事な人の遺品だから」

 

 僕の言葉に恵が固まった。

 何か意外そうな物を見る目だ。

 かーっ、失礼しちゃうねー!

 

「五条さんの恋人?」

「や。……笑える事に片想いだけどねー」

「どうせ気を惹きたくて意地悪してたんでしょ」

「……君、ホントに小学生?」

 

 その通りなんだけどね。

 意地悪、って言葉じゃ足りないくらい酷い事をした。

 冷静になって、色々と周りを顧みる事が出来るようになって、漸くアイツに何をしてたか理解した。

 あの頃は……何か理性の箍が外れてたな。

 百回殺されても仕方無い事なのに、茈苑が文句も言わずに受け止めてたから甘えてた……たまに勇気を出して茈苑が言おうとした文句も僕が封殺していたから、なんだけどさ。

 

 自分のワガママは全部通したい。

 

 かなりのガキだった。

 だから、自分以外を見る茈苑を許せなかった。

 落ち込んでいく傑の苦しみに気付かなかった。

 あの頃に気付けていたらという後悔が大きいけど、時間は巻き戻らない。二人の事を今では教訓として深く胸に刻んでいる。

 取り戻せるなら、取り戻したいさ。

 硝子は傑の事について何も言わないけど、未だに茈苑の事だけは諦めきれないみたいだし。

 

 二人の事があったから、もう誰も置き去りに……独りにしないように教育という道を選んだ。

 卒業後、僕は教師になる予定である。

 過酷な任務の連続で精神を摩耗しながらも強いが故に誰も頼れず孤独な中で病んでしまった傑、御三家や呪術界の闇に走狗の如く扱われ一抹の幸福すら許されなかった茈苑。

 二人を追いやった僕含め呪術界を一新する。

 その為に聡い仲間を作らなきゃいけない。

 上の連中を皆殺しにして挿げ替えるなんて傑みたいに暴走するんじゃなくて、これからの呪術界を牽引できる優秀な仲間……をね。

 

 もう二度と、アイツらみたいな犠牲者を生まないように。

 

 

 

「てか、何で恋人だと思ったの?」

「ノートの最後、五条さんの事ばっかり書いてるから」

「……ちょい見せて」

 

 恵から引ったくるようなノートを取る。

 ペラペラとページを最後まで捲ると、そこに記述者からのメッセージとあった。

 文章から分かる……僕宛てだ。

 そうか、思えば初めからこのノートは僕の為にアイツが書いてたんだから当然か。

 あの応援メッセージも、何もかも……僕の為に………………俺の為に。

 

 

 やめろ、抑えろ。

 

 

 自戒し、蓋をした筈の感情が湧き上がる。

 抱いたアイツの感触、体温、声、眼差し……一気に脳内に、体に蘇る。

 ノートを握りしめて、必死に自己暗示した。

 アイツはいないんだから、こんな感情を発散したところでロクな事にならない。

 もう、茈苑は呪いなんだ。

 次に会ったら、問答無用で祓わなければならない。

 ……ふーっ、落ち着いてきた。

 ごめんね、と言って恵に振り返りながらノートを差し出す。

 

「……何でそんな遠いの?」

「別に」

「いや、そんな離れ……てかなに奥の手の掌印なんか構えちゃってんの!?」

「五条さんの顔がヤバかったので」

 

 え、そんな顔してた?

 僕は頭を抱えてその場に屈んだ。

 

「はーっ……ごめん、落ち着いたから戻っといで」

「はあ……」

 

 ったく、ちゃんと見てないんだなってまた痛感させられたけど、茈苑も厄介な置き土産を遺したもんだね。

 アイツが僕を逃がしてくれないんじゃないか。

 こんなのを見たら、何度だって欲してしまう。

 

 完全に下りきった『帳』を見上げる。

 

 たしかに、先生の才能あったんじゃない?

 僕は脳内の茈苑に不本意ながらそう言った。

 きっとアイツは喜んだだろうな。

 

「茈苑さんって強かったんですか?」

「強かったよ?生意気なほどに……僕を殺せる数少ない人間だったかな」

「仲間、なんですよね?」

「仲間、だったよ」

 

 今は違うけど。

 僕は内心舌打ちしつつ、恵の背中を膝で蹴って前に押し出す。

 

「ほーら、呪いが待ってるよ!」

「ッ、んとにクソだな」

 

 恵だって生意気だけどね。

 でも、いつかアイツみたいに生意気なほど強くなってよ。

 

 

 

 

 そう――僕に置いて行かれないくらいにさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちょ、恵?いつから服の下に暗器なんて仕込んで……って何でそんな呪力強化上手くなってんの。……あ、体術までアイツ(茈苑)のをベースに………いやマジで、やっぱノート見んの程々にね!?僕が先生なんだからね!?」

「うるさ」

「うるさくない!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ×    ×    ×     ×

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私――家入硝子は、解剖室で一眠りしていた。

 最近は急患が多くて眠れなかったんだけど、ようやく一息ついてつい寝てしまった。こんな所よりも、部屋で眠るべきなのにね。

 そんな中、夢を見る。

 

『硝子、これ』

『ん、何さコレ』

 

 入学から一ヶ月が経過した時だ。

 茈苑はもじもじしながら私にネックレスを差し出した。

 意図が分からなくて私が矯めつ眇めつばかりしていると、茈苑が耳を赤くしながら言ってくれた。

 

『高専に来てからの初任給で買った』

『……何で私に?』

『硝子大好きだから』

 

 そうやって曇り無き眼で私を見てくる。

 その給料の為に怪我してきて私に心配させたくせに。

 内心でそんな悪態をつきながりも、私はそんな言葉に不覚にも胸が温かくなったんだ。

 ネックレスをその場で付けてアイツに披露するほど浮かれてしまった。

 

『どう?』

『…………』

『何で黙んのさ』

『……おかしい。ボク、硝子に似合う物を考えて買ったのに……』

『たしかに、似合ってないね。アンタ私服のセンスも壊滅的だし』

『ぅ……』

 

 たしかに、似合ってない。

 今が制服だから、っていう言い訳も通じない程に。

 大抵似合うようにってデザイン化されてるアクセサリーが人そのものに似合わないなんて有り得ないのに、茈苑はこの場でそんな奇跡を起こしてしまった。

 

 でも――私は嬉しくてそれを外さない。

 

 他にも何か選んだ方が良いかな、なんて言うアイツを抱き締めて黙らせた。

 

『良いじゃん。コレ貰うよ』

『でも』

『次に期待してる』

『……!じゃ、今度は服にするね』

『はは、早速不安にさせるじゃん』

 

 茈苑はそれからも色々とくれた。

 小物だったり、時にはお揃いの可愛くないマスコットのキーホルダーとか、相変わらずセンスを疑う物ばかりだったけれども私への感謝は欠かさなかった。

 それは、記憶を失った後もそうだ。

 怪我を治す度にすごく感謝して、誰かを救う度に耳敏くそれを聞きつけてはその都度私を褒めた。

 

 記憶喪失後は、いつも夏油に尻尾振ってたくせに。

 

 因みに、アイツのファーストキスは私だ。

 悪戯で奪ってやったら、「硝子なら後悔しない」とかまた誘い文句みたいな事を言ってもう一発かましてやった。

 それくらい、大事だったのに。

 それくらい、私を慕ってたのに。

 

『ねえ、何か言いなよ』

『…………』

『私とは話したくないの?ねえ!』

『やめてくれ、硝子。茈苑は私との約束を律儀に守ってくれているんだ』

『ッ、約束?』

『そう。――許可無く私以外と口を利いてはならないってね』

 

 最後は会話すらしてくれなかった。

 夏油と共に町中で私の前に現れた時は、口を固く閉ざしていた。……その手だけが私の服の裾を握っていたのが、せめて言葉の代わりにって気持ちを感じさせて私が夏油を殴る事を踏み留まらせた一助になっていた。

 いっそ、私の傍に居てくれればと思う。

 でも、アイツは夏油の隣を選んだ。

 

 それは――『約束』だから。

 

 本当に勝手だよね。

 私はほら……ネックレス(首輪)までして、アンタから逃げられなくなっているのに。

 やっと得た睡眠時にだって、夢に見るほど囚われている。

 どうして、私を置き去りにした。

 沸々と怒りが湧いて、夢の中だと言うのに拳を振るいたくなって――。

 

 

 

「硝子!……大丈夫?」

 

 

 誰かの声で目を覚ます。

 瞼を開けると、心配そうにこちらを見詰める歌姫先輩と目が合った。

 椅子の上で足を組んだまま寝てた所為で足が痺れた。

 はあ……また胸糞悪い夢だった。

 

 私は箱から一本取り出して銜える……のを歌姫先輩が止めた。

 

「硝子、禁煙するんでしょ」

「してますよ。これはシガレット」

 

 私は甘いそれを銜えて喫煙衝動を紛らわす。

 ホントにクソだよ。

 心配してくれる先輩よりも、私を捨てていった茈苑の方が気になって頭から離れないなんてさ。今もまだ、私は茈苑に囚われている。

 

 五条は前に歩き出した。

 

 

『育てる。強く聡い奴らを――もう誰も独りにさせない』

 

 

 あれだけの事があったのに。

 だから、私も卒業後は医師免許を取得して再び高専に戻ろうって方針を固めてる。

 いつか、茈苑が……夏油の下から帰ってきた時の為に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「硝子、アンタその変なネックレスいつまで付けてるの?」

「そんな事言うと茈苑が泣きますよ」

「やっぱりあの子のチョイスなのね……グスっ」

「泣いてます?歌姫先輩」

「泣いて、ねーよ……バカっ……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ×    ×    ×     ×

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「オマエがいなくなって二回目の冬だな。――茈苑」

 

 

 私――夜蛾正道は、茈苑の墓を清めながら呟く。

 茈苑がカッコいいから、なんて言ってから付けるようになったサングラスを目元から取る。

 先代が引退し、学長になって私は益々教育者としての責任を痛感するようになった。

 学校を変えなくては、という強い意思が芽生える。

 

 私はあくまで呪術規定側だが、悟が変革したいと願う未来の形に寄り添える力になれるよう、歩みを続けていく。

 悟の望む結末が、いずれ茈苑や傑のように迷い果てて暴走してしまう人間を作らない為なのだと信じて。

 

 

 

 

『夜蛾正道だ。よろしくな』

『…………』

『名前を教えてくれ』

『茈苑』

 

 初めて会ったあの子は機械だった。

 任務先で名家の方から推薦で同行させて欲しいと無理強いされ、仕方なく任務で共に呪詛師と戦った。

 一言で言えば、齢の割に強すぎた。

 人を殺す事に躊躇いがないのは呪術界の住人さながらなのだが、それを加味しても私の中ではあの子は異常に過ぎると目に映った。

 

 相手の血に塗れて、無感情に死体を見下ろす姿も含めて痛々しく見えたのだ。

 

 それからも度々任務で一緒になり、私は飴を常備するようになった。

 茈苑と会う度に、それを渡していた。

 

『マサミチ、これ何』

『飴だ。口に入れて舐めてみなさい』

『何も食べるなって家の人に言われた』

『飴は溶けて無くなるから、大した腹の足しにもならない。食べたってバレないさ』

『…………』

 

 茈苑は私をじっと見て、中々食べようとしない。

 毒物か何かでも入ってると警戒してるのか。

 痩せた体といい、時々任務中に脱力してフラフラする姿からも家でどんな食育を受けているのか察せてしまう。

 私は茈苑の手から取り上げた飴を一つ自分の口の中に放り、新たに出した物を茈苑に手渡す。

 すると、茈苑は渋々と口に入れて……目を瞬かせた。

 

『コレ、ふわっとする』

『ふわ?』

『何て言うか……口の中が気持ちよく……んん……』

『美味しい、か?』

『っ!うん、美味しい』

 

 それだ、と茈苑は何度も頷いた。

 その時、初めてこの子は血の通う人間で、どうしようもなくただの子供なのだと私には見えた。

 それからも飴を同時に何個か与えたりと甘やかした。

 任務前に一つ、任務後に二つ……なんて大事そうに食べてくれた。

 ただし、やはり食事に関しては外で食べるとバレてしまうので任務後に飯屋に行くことは出来ない。

 

 だが、長期任務となり初めて三日間の任務となった時は連れて行った。

 本来、長期になると食事や排泄を必要としないよう体内に『蟲』を入れてそういった作業が無くとも良いようにする方法が茈苑にも伏倉家から施され、食事は必要無いのだが、私が合流後すぐに抜いた。

 

『茈苑、二人で食べよう』

『何を?』

『ほら、これだ』

 

 私は任務の現場近くにある定食屋に連れて行った。

 補助監督などには口止め料を渡したり、食後に伏倉家から疑われぬよう新たに茈苑に入れる『蟲』も自前で用意してまで連れてきたかったのだ。

 私は知らなかったが、私から飴を貰うまで無自覚にも極度のストレスで味覚がなくなっていた茈苑は舌先の感覚が回復しつつあった。

 店の前では既に匂いがしていて……それを嗅ぐと茈苑の腹の虫が鳴った。

 

『……食べて、いいの?』

『ああ。今日くらいはな』

 

 私と共に入ったアイツは、その店でもスタンダードな定食を注文して一緒に食べた。

 胃が慣れていないだろうから、ゆっくり食べるように言い聞かせるが、一口目の味の衝撃を受けた後、涙目で掻き込むように食べてしまう。

 

『マサミチ。ボク、何したらいい?』

『ん?』

『だって、ごんな、美味じい物貰っだがら……』

『じゃあ、一言「ありがとう」って言ってくれたらそれで良いんだ』

『あり、がとう?』

『そうだ』

 

 私が言うと、ボロボロ泣きながら。

 

 

 

『ありがどう、ありがとう……ありが、どうっ……!』

 

 

 

 向かい合うように座っていた茈苑に、私は手を伸ばしてその頭を撫でてやった。

 周囲からの視線もあったが、意に介さず茈苑が泣き止むまで撫で続けた。

 

 それからも関係は変わらなかったが、ある日を境に茈苑とは任務でも会う事は無くなった。

 

 心配だが、私個人に伏倉家と連絡を取る手段は無い。

 あの子をどうにかする力も無い。

 まさか、私が食事に連れて行ったり甘やかした事を知った伏倉家が私とだけは任務でもマッチングしないようにしたのかもしれない……そう思って、後悔に悶々とする日々を送った。

 

 だが、入学前に私は高専で再会したのだ。

 

『マサミチ……じゃない、先生』

『茈苑……!』

『またご飯行こうね』

 

 それから、私達はまた色々話した。

 茈苑によれば、私の憂慮した通りの事は無く、単に偶然私と任務が噛み合わなかっただけだそうだ。よくよく思い返せば、たしかに茈苑は呪詛師専門のような物で、私はあれからめっきり呪霊相手ばかりだったので確かに合わなくて当然だ。

 ただ、私が居ない間にも親切にしてくれる大人が一人いたらしくてほっとした。

 

 伏倉家の目も離れたので、私は昔以上に甘やかした。

 一級術師になったと聞いた時にも二人で祝ったし、何よりもこの子の成長を喜んだ。

 

『し、茈苑……それは』

『先生。ボク、お母さんになる』

『――――』

『先生?』

 

 あまりの衝撃に卒倒したが、茈苑の懐妊報告と……卒業後は呪術界を離れて一緒になりたい相手がいると聞いて、色々と手を尽くした。

 この子が幸せになるなら、と。

 なのに…………。

 

 

「茈苑は、幸せになるべきだった」

 

 私は墓前で独り言つ。

 死んだ命は帰らない。

 そう理解しているのに、私は専門の呪骸でせめて茈苑の魂を縫い留められないかと研究をひたすらに続けた。

 今は、呪骸に肉体の情報から魂の情報を呪骸に入力する段階まで至っている。

 だが、それだけではまだ目覚めない。

 何かが足りないのだ。

 茈苑だけが理由ではなく元からやっていた研究だが、昔以上に集中して取り組んでいる理由が茈苑なのは間違いない。

 

 今は呪霊、そして呪詛師となった夏油傑と行動を共にしている。

 いつかは敵として、処刑対象として傑共々祓わなくてはならないが、最後にせめて一目だけ……あの子に悟が伏倉家から回収し、高専敷地に再度葬る前の姉の遺体から複製して入手した魂の情報で作った呪骸を会わせてやりたい。

 所詮『姉』の情報を持った何かでしか無いのだが。

 そして……いつか、茈苑の魂からも呪骸を作り、気休めだが二人が死後も一緒に居られるようにしたい。

 

 それが、今の私が抱くもう一つの理想。

 

「茈苑……見ててくれ」

 

 せめて死後にも、救いがあると思えるように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第二回、曇らせ度は誰が一番高い?

  • 夏油傑
  • 家入硝子
  • 五条悟
  • 夜蛾正道
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