運命の任務の前。
「傑、ちょっと校舎裏に来て欲しい」
それだけ言って、茈苑は早々に立ち去った。
私が呆然としていると、近くで聞いていた悟と硝子からの熱い眼差しを感じる。
煩わしくて睨み返すが、後で後悔した。
何故なら、てっきり二人がかりで冷やかしかと思ったら、硝子は嫉妬や怒りに近い感情で私を見ていたようだった。
「何だ、二人とも?」
「夏油。茈苑が頼み事を断り難い性格だからって何か強請ってる?」
「傑。校舎裏って……エロくね?」
悟、そういう展開を茈苑で想像するな。
そう言えば、最近ビデオの趣味が変わっていたな。
無口系クールの子がとんでもなく乱れるタイプの……まさかとは思うが、違うよな?
いや、落ち着け。
変に取り乱している私自身に対してため息をつく。……ふと、呼気が震えている事に気づいた。
何だ、妙に落ち着かない。
「あっれー。もしかして緊張してんの?」
「そんな事無いさ」
「だよな。傑のタイプは清楚系のOLだもんな」
「今は違う」
「あれ、それ先月か。今は?」
「その話はやめてくれ。むしろ、悟は茈苑をそういう対象として捉えられるのか?」
「んー、どうかなーっ」
ゆらゆらと体を揺らしながら、私の肩に腕を回す悟は誤魔化すように笑う。
それ白状しているようなものだぞ。
あと下品な私と悟のトーク内容に、硝子からの視線がより研ぎ澄まされて刃物としての凶器度が増しつつある。
「ムフフ展開じゃねーなら、他に何があんだよ」
「……告白?」
「オイオイオイオイ、思春期か?」
「思春期だ」
「青いな俺ら!」
二人でウキウキしながら、茈苑の呼び出した内容について考察し始める。
「たしかに。三人の中では茈苑と私が一番仲が良い自負がある」
「硝子に
「きっと、告白だ」
「そうかー?それに、
「……それは、確かに」
正直な事を告白すると、私は女子ウケが良い。
だから、異性に対してはある方面で自信が無いわけでは無いが、よくよく考えると同じ業界に身を置く異性である硝子からは意識すらされていないし、茈苑も同様かもしれない。
そもそも、告白だったとして私が受けるのか?
いつ死ぬかも分からない職種だし、安易に関係を結んでも相手を悲しませるか、それとも悲しむ目に遭うだけかもしれない。
加えて呪術師は滅私奉公が基本。
非術師の為に呪いを祓い、そこに私情は挟まない。
「何にしろ、私でなければ話せない重要な事だ」
「後で教えろよ、マジで」
「そんなに気になるのかい?」
「べっつにー?」
「私には教えろよ。絶対に」
「硝子は勿論。君に恨まれたくないからね」
そんな会話もあって、私は目的地へ向かった。
でも、そこで私が聞かされたのは期待と真逆。
茈苑に校舎裏に呼び出された時は、思春期男子さながらにもしかしてという変な想像をしたのは間違いない。
悟の事を内心でも散々に言ったが、私も同類だ。
でも、期待もするだろう。
普段から表情に出ない子だが、長く時間を共にしただけあって小さなリアクションから大体の感情が読み取れるようになり、親密になっている自覚がある。
茈苑は呼び出す時、緊張していた。
面と向かって話していたのに、目を合わせない。元々目は術式関係で開けていない子なんだけれども。
普段から真っすぐ私や悟たちに『視線』を向けている彼女が、それを避けている。
だからこそ、今回は大事だ。
私を呼び出すに当たって、かなりの決心を要した筈である。
その重大さが私にも同様の緊張感をもたらした。
何かが変わる――そんな予感があって。
「一級なれたよ」
期待外れの答えに落胆した。
いや、落胆より先に憤りが胸の内を焼いた。
粒揃いと言われた私たち四人だが、その評価をあまり喜べていなかった。
優秀と呼ばれる事が嫌な訳では無い。
皮肉込みではないから、本当なら素直に受け止めるべき筈なのだ。
だが、私が容認し難いのは『四人』という部分。
私や悟、硝子に――茈苑を含めているのだ。
あれだけ差し止めていたのに、悟と冥さんの推薦によって一級の資格を獲得してしまった。
分かっているのか。
彼女が益々擦り減らされていくのに。
私たち呪術師は、非術師を守る存在ではあるが常に人手不足で、その働きぶりは消耗品もさながらである。
特に、茈苑はそれが顕著だ。
戦い方なんて、寿命を削るようである。
記憶の摩耗なんて、一度や二度じゃない。
私や悟たちとの交流をすべて忘れた時に比べれば軽微かもしれないが、私と積み重ねた時間が彼女の中で失われていると気付いた時の焦燥感と怒りは筆舌に尽くし難い苦しさを催す。
等級が更新された学生証を両手で見せる茈苑は相変わらず表情に乏しいが、何だか後ろめたそうな顔をしている。
悪戯がバレてしまった子供のような。
知られたらマズいが、伝えなかった方が危ういと感じて報告している、まるで私が怒るのが分かっているような素振りだ。
そうだね。
私は、喜べない。
「おめでとう」
「冥さんとの合同任務の時、領域を修得したら『君とコネクションを持つのも後々悪くないかもね』って言って、推薦してくれた」
「領域かい?」
「うん。隠れて練習してた」
「へえ」
知らない間に、そんな進歩が。
領域とは、即ち呪術の最奥――最高到達点の一つ。
自らの呪いで世界を塗り変える故に、消費する呪力量も精神力も他と比較して凄まじいが、その消耗に相応しいだけの効果がある。
領域の修得は至難とされる。
しかも、茈苑の術式から推測すれば敵対者に悪夢のような力を発揮するに違いない。
たしかに、一級術師に相応しい力量だろう。
メキメキ実力を付けているのは知っていた。
体術だって入学当初からは、悟の特別訓練のお陰?らしく上達していたし、擦り傷程度しか治癒できないが反転術式を会得しつつあるとか。
夜蛾先生も我が子のように成長を喜んでいた。
そういうのを見ていると、つくづく私が嫌なヤツだと自覚させられる。
「またお祝いしないとね」
「でも、傑もさと……五条くんも特級って話が出てるらしいよね」
「まあね。光栄な事だよ」
「追い付けたと思ったんだけどな」
「そうでもないさ。今の話を聞いたら、私たちもうかうかしていられないと少し焦ったよ」
「ほんとに?」
「ああ」
本当だとも。
君が使い潰せる呪術界の駒にされるのだから。
「ところでさ」
「ん?」
「どうして、気まずそうにしてるんだい?」
「………傑は怒ると思って」
「どうして?」
「ボクの昇級、反対してたから」
………。
直接言葉にも態度にも示していなかったのに、どうやら本人には看破されていたようだ。
思わず黙ってしまったのも悪手だ。
私の反応を肯定と受け取ってか、茈苑は益々肩を小さくしてしまう。
「一級になると危険な任務がより多くなる」
「うん」
「以前のような事があると、私は怖いんだ」
「……傑が?」
「ああ。私は……その、呪詛師や呪霊の手にかかって死ぬなんてのはザラだ。それで同朋が失われるだろうという覚悟は、私にもある。でも君は……君自身の力で死にかけているじゃないか。だから……呪術師としては駄目なんだろうが、君に死んで欲しくないと思っている」
「―――」
呪術は、非術師を守る為にある。
それが私の呪術師としての揺るぎない信条だ。
誰かを守る為の力であり、自分を呪いから守る為の力でもある。
誰かとの争いで死ぬのは人として当然。
呪霊という災害に見舞われて死ぬのも自然。
そんな受け取り方は出来ていたけど、戦うほどに自分自身を誰よりも強く呪っていくような茈苑の姿は、私の目には痛々しくて見ていられなかった。
だから、強く反発した。
彼女が危地へ赴くのが厭わしく思えた。
呪術師としては、とても惰弱な考え方である。
そんな情けない本音を語ると。
「ありがとう。そう言われたの初めてで嬉しい」
見た事もない、茈苑の笑顔がそこにあった。
私は息を飲んで、その光景を凝視する。
時間にして一瞬だったかもしれないが、私の脳内で永遠に延長されたかのように、いつまでも頭から離れない。
そう言われたのは、初めて……か。
彼女を心の底から、誰よりも大切に想っているのは少なくとも彼女の認知している中だけでは私だけらしい。
その事実に、謎の高揚感が齎される。
柄にもなく少し落ち着かなくて、そんな自分に私も笑ってしまう。
「傑の事、見ても良い?」
その問に一瞬固まってしまう。
目を開けば、否応なしに術式が発動して負荷がかけられるから良くは無いが……。
取り敢えず「ああ」と答えると、茈苑の目が開かれた。
すると、鳶色の瞳が私を映した
いつもは、深い紫色の筈なのに……?
私も知っていた色と異なる瞳に、ついまじまじと見詰め返してしまった。
すると、茈苑の方から恥ずかしげに視線を逸らしてしまう。
少しだけ頬が赤くなっていた。
これは……。
「いつもと瞳の色が違うね」
「術式を使ってないから」
「何?」
聞き捨てならない事を聞いた。
術式無しで、視認が出来る……?
茈苑はその能力効果を底上げすべく、日頃から視覚を封じる『縛り』の所為で、目を開く時は術式発動のみに限られている。
その術式が、今は発動していないだと。
「どうして、今は」
「相手の承認を得れば、通常の視覚で物を捉えられるようになってるから」
「それも『縛り』かい?」
「うん。……でも」
「承認が必要という事は、君の意に応じる意思能力がある者が対象となる……そもそも受け答えの出来ない無生物とか獣は無理、という事かな」
「さすが傑」
「……中々に難儀だな」
「因みに、これをやったのも傑が初めて」
茈苑は再び目を閉じる。
でも、笑顔のままだった。
これが初めてなのだとすれば、私の特権かもしれない。
私は何て意思の弱い人間なんだろう
胸の中にあった怒りの熱が、今では茈苑の言葉によって呆気なく鎮められてしまっている。
「茈苑、それ悟や硝子にはやめときなよ」
「何で?」
「多分、ずっと自分を見ろって言ってくるから」
「そうかな……」
あの二人は、割と茈苑に無茶振りをする。
悟なんて、無表情の茈苑ににらめっこ勝負を仕掛けたりロシアンルーレットを始めたりもする……結局、どれでも表情が動かなくて悟が自滅していたけどさ。
「でも、ボクも傑にしか言わないと思う」
「なぜ?」
「傑との時間が、一番落ち着くから」
それは嬉しい評価だ。
いつかも言っていたな。
そう……去年、八ヶ月間の記憶を失う前にも私にくれた言葉だ。
まさか、こんな所で再び言われるなんて思いもしなかった。
記憶を失っても、茈苑は茈苑か。
「あのさ」
「ん?」
「たまにで良いから、また私の事を見てくれないかな?」
「………」
……我ながら変な事を頼んでいる自覚がある。
だが、私は見てしまった。
呪いに染まっていない瞳に映し出された剥き出しの『茈苑の色』。
もし、許してくれるのなら。
「ボクが承認を得る側なのに?」
「はは、たしかにね」
「分かった。約束する」
「そっか。じゃあ、また頼むよ」
茈苑が頷いたのを見て、私は安堵する。
良かった、変な頼み事だから拒否されるのも覚悟していた。
悟や硝子にはない、私と茈苑だけの約束。
儚い優越感に、思わず口元が緩む。――が、それもすぐに消えてなくなる事になる。
「うん。ボクが生きている内にお願いしてね」
喜びに満たされていた胸の中が塗り替わっていく。
折角、幸せな時間だったのに余計な一言を茈苑が口にした。
私の変化に気付いたのか、さっきまで儚い笑顔を浮かべていた茈苑の顔が凍りつく。
ああ、そんな表情も出来たんだね。
私は片手で彼女の首を緩く握り、抱き寄せる。
「そういう冗談が嫌いなんだ」
「すぐ……る……」
「良いかい、茈苑。君が死ぬなんて私は許さない。絶対にだ」
「………」
首を絞める手に力が入っていく。
耳元で囁く言葉に、呪いが滲んでいく。
「でも、もし死んだとしたら……その時は呪いになって帰っておいで」
茈苑の息を飲む声がした。
術師が死後呪いに転ずるケースも儘ある。
その場合、生前の記憶を保持しているなんて事は奇跡に等しいレベルで稀だが、もし茈苑が死んだのならば、どんな形であっても私は受け容れよう。
呪術師として、君の死も覚悟する。
生きている事はとても嬉しい。
だが、仮にもし死んでしまったとしても……もう関係ない。
何度だって。
「生きてる内も、死んだ後も――ずっとお願いし続けるよ」
どん、と胸を押される。
わずかに呪力で強化した事と、不意打ちだったのも重なって私は彼女から突き放された。
私の手から首を解放され、茈苑が咳き込む。
そして、目尻に薄く涙を浮かべながら――怯えた『紫紺の瞳』で私を見ていた。
ああ……そんな眼差しも、初めてだ。
彼女の瞳に映る自分が見える。
とても相手の首を絞めて、呪いの言葉を吐いていたとは思えない穏やかな笑顔だった。
他人事のように感じているのが不思議で、それを見ても尚特に不快感も無い。
「茈苑、約束してくれ」
「っ……約束?」
「生きている内も沢山頼ませてくれ。……死んだ後も」
「…………」
茈苑は逡巡したように、何かを言おうと口を開いては閉ざし、ずっと見詰めてくる。
「……分かった」
小さな声だったが、その返答を聞いて私は拳を握る。
生きている内も、死んだ後だって、彼女の特別な時間は……特別な視線は、私の物になる。
「ありがとう」
こんなにも晴れやかな気分は無い。
そして、運命が始まる。
好きな地獄を選んでよ。
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