その子はいつも傷だらけだった。
私がいくら治しても、直しても、また傷を作って帰って来る。
硝子がいるから戦える、なんて正直荷が重い台詞を言いながら負傷者を迎えるこちらの気持ちにもなって欲しいけど、それがどうしてか嬉しかった。
そして、プライベートで一緒に買い物とか色々しに行く度に。
「この時間があるのは硝子のお蔭。ありがとう」
本当にやめて欲しい。
段々と、この子の傷を治す事をやめたくなってきた。
そんなに期待しないでくれ。
いつか取り返しが付かない傷を受けて、私の手には負えなくなって、今際の際に「信じてたのに」とか「何で助けてくれないの」とか呪詛を吐かれても困るんだ。
でも、その言葉は誰よりも私の胸の奥深くに刺さる。
あの子の言葉が救いにもなっていた。
負傷した人間の苦痛に悶える姿、あるいは死体に何度も何度も触れると、いくら慣れがあるとは言ったって時々自分が分からなくなるから。
だから、いつの間にか真っすぐ感謝を伝えて、私が助けて救われた命で得た時間を尊ぶあの子の姿が眩しく映る。
見る度に増える傷が憎くなる。
傷ついて帰る彼女を嫌いになる。
何で、私がいるからって理由で傷付くのを厭わないの?
私がこんなに想ってるのも、知らないだろうに。
ああ。
どうせなら―――私が付けた傷だけなら許せるのに。
× × ×
「うわ、事件?」
入学初日で私は重傷者を発見した。
血塗れの腹を押さえて、高専入口の鳥居の下で浅い呼吸を繰り返している。
入学直ぐにコレとか最悪かよ――という薄情な感想を飲み込んで、すぐに治療を施した。散々説明を受けたけど、私は呪術界でも希少とされる他人の治癒が可能な反転術式使い。
まさか、その力を初日から使わされるとは。
鳥居の下にいるのは、少女だった。
年の頃は私と同じように見える。
腹部の傷は深く、臓物が溢れるのを押さえている。
相当の激痛に苛まれているだろうに、顔に脂汗を滲ませ、辛そうな呼吸を繰り返す割に表情には本人の状態が一切反映されていない。
人間というより、血の通った人形。
治療が終わると、少女が私の方へと顔を向けた。
ただ、まるで瞼が開かないのか、目を見せる事は無い。てっきり、そこもやられたのかと治療の手を続けようとしたけど止められた。
「だ、誰?」
当然の質問だと思う。
私は治療した腹部の状態を確認しながら答えた。
「家入硝子。今日からここに入学するの」
「………」
「アンタは?」
「……し、伏倉……茈苑」
「そ。伏倉、アンタも入学者?」
私の問に少女――伏倉茈苑は肯く。
それから、鳥居を頼りに震える足で立ち上がった。
私が差し伸べた手を取る様子も無い。――失礼というよりは、警戒が態度から見受けられる。
そりゃそうか。
あの怪我から察するに、誰かの襲撃を受けたんだ。
そこから逃げ延びた後なのか、さらに続けて現れた素性も知れない私が如何に治療してくれたとはいえ怖がるのも当然だろう。
ならその感情顔にも出しなよ、と言いかったけど。
「誰に、いつやられたの?その怪我」
「……こ、ここに来る前、一人に」
「ソイツは?」
「分からない。逃げて来た……ここなら、侵入した人の気配がすぐに伝わるから、入れば追ってこないと思った」
「何で狙われてんの?」
「ボクの術式が、不都合らしいから」
術式が不都合。
相手の秘密を暴いたり、居るだけで周囲を汚染する効果があるとか言わないと中々そんな文言は出てこないと思うんだけど。
我ながら、迂闊に関わってしまったか。
生憎と自殺願望は無いし、誰かの為の犠牲になる覚悟も情も持ち合わせていないのだ。
まあ、でも一応同じ入学者らしいし放置しておくのも悪い気はする。
「なら、一緒に行くか?」
「……」
「目、見えてないんでしょ」
「見えないけど、聴こえるから」
「聴こえる?……ああ、なるほど」
音の反響で空間を把握する能力か。
たしか、エコーロケーションだったか。
この様子だと、普段から目を閉じて生活しているんだろう。だから耳の使い方を人一倍心得ていて、そんな技術も使えるんだ。
じゃあ、手助けはもう要らないと。
「入学初日から災難だな」
「そうでもない。いつもの事だから」
「え、いつも死にかけてんの?」
「今日のが、特別だった。いつもは、自分で撃退できてた」
襲撃を撃退、しかもいつもの事か。
という事は、結構強いのかな。
「ごめんなさい」
「ん?なに急に」
「ボク……お金無くて」
俯いて告げられた声は尻すぼみしていく。
伏倉の言葉から察するに、どうやら反転術式による治療の対価に今持ち合わせが無い事を伝えたいと分かった。
治療費って。
「――――ぷっ、まさか治療費ふんだくるような人間に見える?そんなヤツじゃないよ」
「……?治すのにお金が必要だって聞いた」
「そりゃ真っ当な病院とかならね。まあ、私もタダ働きは嫌いだから……そうね、お金があった時に何か奢ってよ」
「………どうして」
「ん?」
「どうして救けたの?」
伏倉が不思議そうに尋ねる。
伏倉を治した理由?
訊かれた後、私の脳裏には……特に何も思い浮かばなかった。反転術式による治療を普段から行っている我が身の習慣で、考えるより先に治していたというのが最も先に上がった。
治療した後に相手の事情の重さを察して一瞬後悔はしたが、本当に特に理由は無い。
「別に。臭いけど、人を救けるのに理由要る?」
「――――」
「メンド臭くない?治せるから治した、そんだけ」
私がそう伝えると、伏倉は黙り込んだ。
え、何?もしかして笑いとか堪えてる?
しばらく反応が無いか見守っていると、やがて伏倉の閉じられた瞼からぽろぽろと涙が溢れ始めた。
うわ、何事。
「ありがとう、家入硝子様」
「様付けかよ」
「…………?誰かを呼ぶ時は様付けするのが普通じゃないの?」
「それは高貴な相手とか、メールの時だけだろ」
「……何て…呼べばいい?」
「んー、家入でも硝子でも渾名でも好きにして。別に呼ばれ方に拘ってないから。流石に様付けとフルネーム普段使いは嫌だけど」
伏倉はまた少し黙ってから。
「家……硝子、ありがとう」
「お、家入で迷ったな?何で?」
「と、年の近い子が初めてで……何か、硝子の方が、お友だちみたいで良いな……って」
表情は動かない割に、声から伝わる感情はある。
その齟齬が不気味に感じるけど、悪い気はしない。
年の近い子相手が初めてだとか、友だちに憧れるとか今まで過ごしていた環境の闇深さが窺い知れる発言も、呪術界ならではなのかな。
「なら、私も茈苑って呼ぼうか」
「うん。うん。それが良い」
「ところでさ、その涙はいつ止まんの?」
「わ、分からない」
伏倉――じゃなかった、茈苑は目元を袖で拭う。
痕になるからやめろと制止し、私が指で優しく拭いながら反転術式で腫れを引かせる……無駄使いだなぁ、こんな目的で使ったの初めてだわ。
「そんで、何で泣いてんの」
「人に優しくされたの、随分久しぶりだったからかもしれない」
「はは。じゃあ私は女神かな」
私が冗談めかしに笑って言うと、茈苑が頷いた。
いや、無表情だからそんな風に頷かれると真剣に受け止められたみたいで困るんだけど。
「硝子は神様。ボクに生きる時間をくれてありがとう」
飾り気のない感謝の言葉。
それを聞いて、今度は私が固まった。
私の力は人を治して当然、だから治したって役目を遂行しただけで感謝された事はあまり無い。
無表情の所為かもしれないけど、こんなにも真剣なお礼をされたのは初めてかも。
「どういたしまして」
胸の内で湧いた温かな気持ちに、思わず笑みが溢れた。
高専に入って数ヶ月。
茈苑は任務先でも活躍しているらしい。
同級生のあのクズ二名に比べれば見劣りするだろうけど、今まで自分に向けられてきた殺意から生き延びてきただけあって生存能力は高く、負傷しても必ず生還してきた。
そんなアイツの傷を私は癒し、迎える。
その度に、まるで神様のように持て囃された。
付き合っていく事で、段々と微かでも感情の機微を読み取れるようになって、今では茈苑が尻尾を振る人懐っこい犬のようにすら見えていた。
「はい、完治。脳の方は……まあ、多少はやったけど一応安静にしなよ」
「ありがとう。硝子は神様」
「それやめろ、重い」
「……ごめん」
私に咎められて茈苑が肩を落とす。
その反応に、ついつい頭を撫でたくなった。
コイツのこういう所は私だけでなく、歌姫先輩にも気に入られ、任務で一緒になった時はすごく可愛がられているらしい。
この前なんて、歌姫先輩との任務帰りに『硝子。油そばってね、凄いんだよ』とメールが来た。
それをクズ二人が「色気が無ェー!」とか誂っていたが、「色気のある食べ物って何?」と興味津々で尋ねて逆に困ってたっけ。
つくづく、純粋な子だな。
この子を見ていると、天使のように思えてくる。
空から落ちてきて、何も知らなくて、人の世に馴染むのが難しくて、いつも傷つくがそんな痛みをとても貴んでいる。
でも。
「私がいるからって、怪我覚悟ってのはやめて」
「…………?」
「アンタが痛そうなの見て、普通に私も嫌だから」
少し照れ臭いが、真っ直ぐに伝えると茈苑が深く頷いた。
「硝子好き」
「なら、やめろ。良いな?」
「分かった」
「それと術式は酷使するなよ。私が言えた口じゃないけど体術鍛えな。術式に頼らないように」
「硝子が言うなら頑張る」
本人も自覚しているだろうが、茈苑の術式は中々に危ない。
五条の目と同じように多大な負荷を脳に強いる。
私の治療可能な範囲のリスクで留めて欲しいが、この様子だと私が居ればどうにでもなると考えていそうで怖い。
いつか、廃人になって帰ってきそうだ。
そんな危惧が、治療を行う度に頭の中を常に過る。
気付けば、同級生で最も親しい人間になっていた。
買い物にも一緒に行くし、私をよく慕ってくれる。数少ない同性ともあるが、それを差し引いても私は入学から続くこの子との奇妙な紐帯を好ましく思っていた。
失われるのが怖いと、現在では思うほどに。
だから。
「だ、誰?」
初めて会った時と、全く同じ反応をする茈苑を見た時は心臓が止まりかけた。
警戒する紫紺の瞳が私を観察している。
怪我はそれほどでもないが、呪いから受けた傷とあれば何があるかわからないので、私が呼ばれた。
今回、茈苑が当たった任務は呪霊討伐。
しかし、不幸にもそこに別件の特級呪霊との遭遇、謎の呪詛師の介入があって茈苑は無理を強いられた。
普段から軋みを上げていた脳には、容赦無い呪いの負荷が伸し掛かり、結果として――――入学から八ヶ月も積み重ねた思い出を奪い去られた。
つまりは、私との思い出が消えたという事だ。
「家入硝子。アンタの同級生」
「同級生……もしかして、友だち?」
茈苑が期待するように訊いてくる。
私はそうだよ、と答えかけて――舌が固まった。
また友だちだよ、と伝えて同じように思い出を積み重ねて、コイツがまた無茶して記憶を失って、その度に私は…………私は………こんな辛い思いをしなくちゃいけないのかよ。
そう思ったらムカついて、無償に悲しくて、堪えられないと思って。
「いや?そこまでではなかったかな」
私は、逃げたんだ。
「傑、ご飯食べよう」
それから数ヶ月。
私が逃げた分、夏油が茈苑と距離を縮めていた。
茈苑もアイツを慕い、二人で楽しそうに談笑している。その姿がかつて私に対していた物と重なって頭が痛い。
自分じゃなくても、茈苑が誰かとの思い出が消えて態度がまた変わる都度私は苦しめられるのか。
傷ついて、傷付いた理由もろとも私すら忘れて帰って来る。
そんなアンタに、私は何回苦しめられれば良い?
「硝子?」
手元の煙草を握り潰していた私に、茈苑が呼びかける。
私ははっとしてそちらを向いて、『閉じられた目』に安堵した。
良かった、あの目じゃない。
私を未知の存在だと警戒する眼差しは無い。
「具合、悪い?」
「それなら自分で治してるよ」
「うん。硝子は凄いもんね」
もう駄目だ。
呪術師ならば、傷付くのも仕方無い。
敵は悪意に満ちている物ばかりで、無事な方が可怪しい。
だから、術師となった時点であらゆる事を覚悟しておくべきだ。たとえ絶対に後悔のない死が無いとしても。
「かもね。でもさ、治せない物もあるんだよ」
「何?」
でも、この子は違う。
もう私の中で、術師云々とは関係無くなってきていた。
私に治せない傷を、記憶の損失を作ってきて私を突き放したりしないで欲しい。
傷付いて欲しくない。
でも、この仕事上それは不可能だ。
いずれ、生命的な死ではなく、茈苑そのものが失われるような事態になるかもしれない。
私が許容できないのは、そこだ。
もう、傷付いて欲しくない。
失って欲しくない。
私なら治せるって信じて怪我してきて、その果に私すら忘れているくらいなら。
「―――茈苑との思い出とかさ」
私自身を傷として、この子に刻みつけてやりたい。
好きな地獄を選んでよ。
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夏油傑
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家入硝子
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五条悟
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夜蛾先生
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冥冥
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歌姫
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伏黒甚爾
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伏黒恵