①
2006年――春。
呪術高専二年が総動員で現場へ急行していた。
二日前に現着した歌姫二級術師及び冥冥一級術師が二人組で当たった任務だが、調査の為に踏み入った屋敷から一向に出てこない。
これを深刻に受け止め、応援として四人が派遣された次第である。
ただ、本人たちはそれに納得していない。
「茈……伏倉一人で良くね?」
そんな声を上げたのは、後部座席で不貞腐れている白銀の髪をした長身の少年――五条悟。
今日は応援要請を受け、無理やり休日を不意にされた事で不機嫌になっており、その態度が運転している補助監督を始終縮こませている。
「さと……五条くんは嫌なの?」
「だって、浜松ってこの前も任務で来たじゃん。余った時間で遊び尽くしたし、せめてもっと違う場所とかが良かったんだよ」
「でも美味しかった、あのお店」
「……また行くか」
助手席の少女――伏倉茈苑は、先日五条と共に任務で派遣された浜松で味わった甘味の思い出に浸っている。
顔には出ないが、その分声には異様に表れる。
二人で夜遅くまで遊び尽くし、迎えの補助監督――しかも現在運転しているその人は、また深夜まで仕事かとハンドルを強く握りながら泣き言を飲み込む。
一方で、普段から下の名前呼びをしているのが丸わかりな誤魔化し方をしている二人に対し、普段からそういう仲ですってアピールかコラという殺意を黙々と滾らせている硝子の圧力が車内を謎の緊張下で圧迫していた。
「茈苑。私は聞いてないよ?」
「お土産渡したよ」
「そうじゃない。悟が一緒だって事だよ」
「誰かと任務って言うと、傑は門限作るから遊べない」
「ママは厳しいもんな〜」
「悟、任務後に少し話そうか」
後部座席で静かな喧嘩が始める。
右の五条と、左を占有する夏油傑。
その間に挟まれた家入硝子は、その二人のやり取りを煩わしそうに一瞥だけ睨みを利かせて鎮めると、助手席へじとーっとした視線を投げる。
「私はお土産貰ってないけど」
「……?硝子にもあげた、一番美味しいの」
「は。貰ってな……五条?」
「知らなーい」
「よし。夏油やれ、校舎壊してもいいから」
「お許しが出たようだね」
「先生は許してくれないと思う」
後部座席がヒートアップしてきた頃、現場近くに到着した。
「お、到着したようだ」
「あー、帳は降ろしとくから先行くわ」
三人が勝手に降り、茈苑が礼を言いながら降車した直後、運転という試練を乗り越えた補助監督が大きな安堵の息を吐いたのを四人は知らない。
本来なら周囲から呪術的な情報を秘匿する目的の結界――『帳』を降ろすまでが補助監督の任だが、五条が降ろすとあってその厚意に甘えて車の中で休んでいる。
「あまり困らせては駄目だよ、悟」
「オマエだって乗る時に困らせてたじゃん」
晴れた春空の下、遠くに見える屋敷へ向かう。
雨に磨かれた石畳の道を進めば、人の管理の手を離れて久しく生い茂った庭園に入り、古色蒼然とした屋敷の外観がより詳細に見える。
ここが件の現場だが、特殊な眼を有する五条は既に異様な呪力を看取していた。
「結界っぽいな」
「下手に手を出すとまずいかな」
「ボクが視れば良い」
「駄目だ」
「やめろ」
「い゛たっ!」
茈苑が術式を発動しようと目を開く。
しかし、その瞬間に二つの手が目元を覆った。
一つは左の硝子、もう一つは右の夏油だった。勢いのあまり、叩くようになってしまい、パチンと痛快な音を立てた目潰しに茈苑が呻く。
「大きな屋敷とかだと脳が焼ききれるぞ」
「また私たちは摺り潰れる君を見なきゃいけないのかな?」
「ぅ……五条くん」
「はいはい。じゃ、俺がやる」
仕方なく、五条が前に出る。
空間が呪力の圧で歪み、一点に凝縮されるように屋敷の一部が裂け、そこで星でも形成するかのように次々と瓦礫が持ち上がる。
轟音と震動に見舞われて暫し、大きく穴を穿ったように屋敷があった土地は抉れていた。
散乱する瓦礫の中から、屋根の破片を押し退けて巫女服の女性が現れる。
その姿を見るや五条がニヤニヤと笑った。
「助けに来たよー、歌姫。……泣いてる?」
「っ、泣いてねえよ!つか敬語!」
「泣いたら慰めてくれるのかい?是非お願いしたいね」
「冥さんは泣かないでしょ。強いもん」
結界に囚われていた二人、歌姫と冥の生存を確認して茈苑が胸を撫で下ろすと、冥が彼女の存在に気づいて歩み寄る。
「伏倉、昇級おめでとう」
「ありがとうございます」
「どうかな、調子は。二級時と比較しても給金が高くなっただろう」
「うん。お蔭で沢山回転寿司で食べれました」
呑気に冥と会話をしていたが、勃然と地中から湧き上がる呪いの気配に茈苑は硝子の前へと躍り出る。
「硝子。下がって」
「ん」
穴の底から五条と口喧嘩をしていた歌姫の背後から、地殻を突き破って呪霊が出現――したのを、重ねるようにさらに巨大な呪霊がその半身を丸呑みにする。
呪霊からは夏油の気配を察し、茈苑は警戒を解いた。
「悟、弱い者いじめは良くないよ」
「強いやつ虐めるバカが何処にいんだよ」
「君の方がナチュラルに煽っているよ、夏油くん」
「……あ」
相変わらず、意識的に誂う五条と無意識に見下している夏油と相性が悪い歌姫が諍っており、ここで幾人も呪殺されたとは思えない騒々しさだった。
その間に、茈苑は先行隊の二人が無事である事を待機中の補助監督に通話で報告する。
頭上を見上げてため息をついた。
何の隔たりも無く青々と広がる空……五条は、帳を下ろさなかったのだが、これは如何なものかと密かに考え始めた。
案の定、帰る時には現場での出来事がニュースで取り沙汰されていた。帰着早々に教室で厳しい面持ちの担任こと夜蛾正道が教壇に鎮座し、その面前にて正座させられた三人を見下ろしながら説教が始まった。
補助監督を置き去りにした挙句『帳』を下ろさなかった五条には指導の拳骨が一つ、その行動を咎めなかった三名も含めて反省文の提出が求められた。
歌姫に貰った飴を舐めながら、茈苑は早々に反省文は終えて報告書を書いている――四人分の。
それぞれで筆跡、内容を使い分け、偽装している。
茈苑が有する特殊技能の一つであり、これでよく五条は報告書をサボっている。
「ホント変態的な特技だよな」
「私の字も完全にコピーできているね。でも悪いな、四人分も書かせるなんて」
「伏倉がゲームで負けたのが悪いんだって」
「悟は途中でイカサ」
「あー!!何でこんなにも弱いのかねー!?」
夏油の声を遮って五条が叫ぶ。
口にされる内容が伝わるのを阻止したかったのだろうが、もう殆ど言い切っているも同然であり、しっかりと内容を察していた茈苑は五条の報告書に手を加える。
面倒臭がって最低限しか記入しない五条の性格を反映した報告書だが、より詳細な情報を書き加え、本人らしからぬ真面目さを演出する。……後日、これを見た夜蛾先生に問い詰められる事になるのは言わずもがな。
「反省文はやらない」
「あ、茈苑。アンタの名字を家入にしてみて」
「何で?」
「いいから」
「分かった。……はい」
「おっけー。……パシャリと」
「何で撮ったの?」
「茈苑の字綺麗で好きだから」
「うん?でもボクも硝子の字好き。丸っこくて可愛いから」
女子二人で会話に花を咲かせている横で夏油が書き終わった反省文の端に、鉛筆で『夏油茈苑』と記す。
隣で顰めっ面の五条にも気付かず、ふと微笑んだ。
「そういう未来もあるのかもしれないね」
「チッ」
「硝子、その消しゴムは?」
「反省文に余計な事書き足してるみたいだから親切に消してやろうかと思って」
「うん。それにしては力強いな、反省文破こうとしてない?」
謎の抗争が始まる最中、五条はため息をついて天井を見上げる。
「つか、何で反省文書かねーといけないんだよ」
「『帳』無しは流石にね」
「別に
「でも、私たちの呪術などによる物的痕跡は見えるだろう。そういうのを超常現象として捉え、意識すれば再び呪霊が湧く……人々の心の平穏こそが呪霊の発生を抑制する。その為にも目に見えない脅威はできる限り秘匿しなければならないのさ」
「ボクは残らない。視るだけだから」
「視て壊れて、私を悲しませただろう?ほら、影響は残ってるじゃないか」
「……ごめんなさい」
自身は『帳』が不要だと胸を張った茈苑だったが、間髪入れず穏やかに夏油からの痛言を受けて悄然と椅子で縮こまる。
それを見て五条は爆笑し、慰めるように硝子が茈苑の頭を抱きしめて耳元で何やら囁く。
「私のこと忘れたの、忘れてないよ」
「ぅっ……」
「次忘れたら、その眼はもう要らないって判断するから。大丈夫、その後は私が面倒見るし目の怪我以外は治してあげる」
過去という武器を手に茈苑への攻撃を始めた硝子を尻目に、夏油は五条へと諭す。
呪術師としての当然の理念と規定を語る彼の穏やかな説教に、夜蛾先生からの拳骨でも堪えていた五条はため息混じりにもう分かったと遮って止める。
「弱い奴等に気を使うのは疲れるよ、ホント」
「『弱者生存』、それがあるべき社会の姿さ。弱きを助け強きを挫く……良いかい、悟?呪術は非術師を守る為にある」
「けっ、それ正論?――俺、正論嫌いなんだよね」
「……何?」
誇らしげに言説を披露する夏油だったが、それをせせら笑う五条の笑みに顔を曇らせた。
二人の間の空気がぴりぴりと焦げたように錯覚する熱の高まりを感じた硝子は、日頃からの経験でこれが喧嘩の予兆だと察しており、さっと茈苑の背後へと姿を隠す。
茈苑もまた、毎度のこと二人の喧嘩を止めているだけあって空気の変化には敏感であり、先の展開が予想できて嘆息を禁じ得なかった。
そんな二人の屈託も知らず、五条と夏油はヒートアップしていく。
「
「悟……」
「ポジショントークで気持ちよくなってんじゃねーよ。オ゛ッエー!!」
言論を真っ向から不快だと切り捨てて五条が戯けて見せると、ぶわりと強大な呪力が波打った。
夏油の背後の空間が軋み、虚空に生じた裂け目から彼の従える呪霊が一部を覗かせる。詳細は不明だが、呪力の大きさ等から茈苑はソレが特級相当の呪霊である事は容易に察知できた……怒りに任せて出して良い範疇の力の規模ではない。
そして、その呪霊の出現で夏油の怒りを理解した五条は尚の事不敵な笑みを深め、同じように呪力を燃やす。
「少し外で話そうか、悟。……茈苑との出張の事も含めて」
「寂しんぼか?一人で行けよ」
二人がいよいよ喧嘩……と表現するにはあまりに巨大な闘争を繰り広げようとしているので、茈苑は目を開いた。
「――やめて。反省文が増えるから」
「あ」
「げっ」
途端、二人の呪力がふっつりと消える。
呪力が練れず、互いの術式行使が阻害された。
誰の仕業かを理解した視線に、茈苑は仏頂面で対する。
重い沈黙に包まれる教室内を硝子の吹いた紫煙だけが漂う。
そんな時、教室の扉が開く。
中央で席を固めて雑談している教え子たちを、厳しい眼差しが捉えた。――が、既に茈苑は目を閉じ、五条と夏油はさも大人しく座っていたかのように振る舞い、硝子は一つの椅子を茈苑と共有しながら寛いでいる。
「今、激しい呪力を感じたが」
「さあ?」
「気の所為でしょ」
「反省文、書き終わりました」
「茈苑は仕事が早いな」
我が子のように茈苑を褒めて柔和な笑みを作る夜蛾に対し、扱いの差ありすぎじゃね?と不満を全面に出して五条が舌打ちする。
そんな教え子の態度に新たな説教の言葉を飲み込みつつ、教壇に立った夜蛾は全員が揃っているのを確認する。
「全員いるのか、丁度いい」
「丁度いい?」
「任務のお達しだ。悟、傑、茈苑……三人が指名された」
「えっ……硝子と、渋谷でご飯……」
「……すまん」
沈痛な面持ちで謝罪する夜蛾に何も言えず、ただ死んだように茈苑は机に突っ伏した。
その傍らでは、五条と夏油が不満げな顔でため息をつく。
「けっ」
「はーっ」
「……何だ、その何か言いたげな面は」
「「いや別に」」
「茈苑は置いとくとして、五条と夏油も指名って過剰戦力過ぎません?」
「硝子……」
硝子の指摘に、夏油が深く頷く。
「そうですね。悟とは出張に行ったようだし、私とも二人で行こうか茈苑」
「傑は何もさせてくれない……」
「大人しく出来たら、ご褒美にこの遊園地に連れて行ってあげよう」
「分かった、大人しくする」
「物に釣られやがって。犬かよ」
夜蛾は呆れながら手を叩く音で盛り上がる二人だけの会話を止める。
本人も五条たちの浜松での任務の後処理で疲れているとあって、話が脱線しないよう気を配るのもやっとだった。
「過剰戦力ではない、むしろ荷が重い任務だ。……これは天元様からのご指名だ」
「!」
天元――その名称に三人の身が引き締まる。
呪術師ならば誰もが当然知り、常に任務でもその力を借りている。
古来より活動し、日本における呪術的な歴史では欠かせないほど貴き存在で、高専各校、呪術界の拠点となる結界、任務にて行使される補助監督の結界術……およそ呪術師にとってはいずれも不可欠な要素において、そのすべての強度を底上げし、常日頃から活動を幇助している。
実際に天元様の手助けがなくては、セキュリティ的な観念からも任務の消化が上手くできない。
故に天元『様』と敬称を付けて呼ばれ、崇められている。
「天元様の指名」
「俺たちに何させてえの?」
「……まさか、同化の件ですか」
何かを察した夏油の言葉に、夜蛾は頷いた。
「今回の依頼は二つ。――『星漿体』、天元様との適合者となる少女の護衛と……抹消だ」
好きな地獄を選んでよ。
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夏油傑
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家入硝子
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五条悟
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夜蛾先生
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冥冥
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歌姫
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伏黒甚爾
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伏黒恵