どうか忘れないで欲しい。少年兵は光であり── 作:ダイス小説部部長
入学から、ちょうど一週間が経った。
授業、学食、寮。目にするものすべてが新しく、そしてあまりに柔らかい。このままクラスメイトの一人として溶け込んでいけば、僕という存在の輪郭さえも、この穏やかな日常にふやけて消えてしまう気がした。
それでも、教科書に並ぶ文字や数式は、僕の知らない世界の広さを突きつけてくる。追いつくだけで精一杯の日々は、自分がどれほど空っぽだったのか、再認識させられた。
「ノヴェちー、ピットはこっちだよー」
不意に、弾むような声が僕の意識の糸を引く。岸原さん──リコリンだ。
不運な事故で彼女の着替えを目撃してしまってから、一緒にいるのは気不味くなる。そう覚悟していたもののそんなことは無く、今では互いに愛称で呼び合えるほど打ち解けていた。
「ん、リコリンありがと」
「どーいたしまして!」
彼女の隣にいると、自分が普通の少年のように振る舞えているように思えて気持ちが軽やかに感じられた。僕は彼女の歩調に合わせて歩を進める。
ピットのスライドドアが開くと、そこには冷たく張り詰めた空気が淀んでいた。
「貴様はノーヴェ。……と、岸原か」
「よお、ノーヴェ。準備はいいか?」
声をかけてきたのは、箒さんと一夏。
二人の表情には、隠しきれない重圧が張り付いている。クラス代表決定戦。それはこの学園で初めて直面する、明確な勝敗がつく舞台だ。正しく緊張し、正しく熱を帯びる二人を、僕はどこか遠い場所から眺めているような感覚で見つめていた。
「うん、機体のチェックは終わってるよ。一夏の方こそ、大丈夫?」
「ああ! ……て言いたいんだけど、まだ機体が届いてないみたいなんだ」
一夏は悔しそうに拳を握り、ISが出撃するだろうカタパルト出口の、そのずっと先を見据えていた。きっと一夏の鋭い視線は、アリーナのさらに先の、対岸にいるセシリアを睨んでいるのだろう。
「それなら……僕が先に戦うことになるね」
僕は腕の待機状態のISに手をかけ、専用機の起動シーケンスに入ろうとした。準備不足で一夏が不戦敗で終わる事はまずない。一夏の方は日を改めるとか、他の試合をしている間に準備を進めるかするだろう、どんな裁定がされるとしても、僕が先に試合をする事になる。
「悪いな、ノーヴェ……頼む」
「ううん、気にしないで。一夏は機体が来たらすぐに──」
僕がカタパルトへ向かおうとした、その時だった。
「お、織斑くーん! 届きましたぁ! やっと届きましたよぉ!」
ピットの入り口から、山田先生が顔を真っ赤にして、今にも転びそうな勢いで駆け込んできた。誰が言うまでもなく、届いたものは何か理解出来た。
「……! やっと来たか!」
一夏の顔にパッと光が差し込む。だが、到着したばかりの機体だ。まともな調整やOSの最適化、ましてや初期化処理だって終わっていないはずだ。
「良かったね、じゃあ僕は行くから、初期化と調整を」
僕がそう提案しようとした瞬間、背後から冷徹で、絶対的な威圧感を伴った声が響いた。
「そんなものは実戦の中でやれ」
「千冬ね……いや、織斑先生!」
いつの間にかピットに現れていた織斑千冬は、腕を組み、鋭い眼光で一夏を射抜いた。
「ノーヴェ、お前の試合は後だ。……一夏、さっさと乗れ。第一戦は予定通りお前からだ」
僕は困惑した。準備をまともに整えないで行かせるのは合理的じゃなかったし、何より強引さにデジャブを感じ、眉が動いた。
「えっ!? でも先生、俺はまだこの機体の動かし方だって……」
困惑する一夏、走って上がった息を整えようとする山田先生。
長く続いたような気もする沈黙を破ったのは箒だった。
「何を弱気なことを言っている、一夏」
凛とした声と共に歩み寄る彼女は、一夏の目の前で立ち止まると、叱咤するように言い放った。
「この程度の障害、男子たるもの軽く乗り越えてみせろ」
一夏は一瞬呆気に取られたような顔をしたが、すぐに唇を噛み締め、覚悟を決めたように拳を握りしめる。
「……ああ、そうだな。やってやるよ。悪いなノーヴェ、先に行くぜ」
「分かった。応援してる」
一夏は半ばヤケクソ気味な、けれど確かな闘志を瞳に宿して、機体の待つカタパルトへ走っていった。
「ノヴェちー、一夏くん大丈夫かな?」
岸原さんが不安げに僕の袖を引く。何が大丈夫か、その意味が分からなかった。暫く考え込んで、試合の行方を聞いたのだと噛み砕いて、返事をする。
「……一夏は多分、セシリアに勝てないと思う」
僕はピットのモニターに映るカタパルトを見て呟いた。白式を身に纏う一夏の姿がそこにあった。機体の輪郭は工業的で、まだ馴染んでいない。新品の、持ち主を知らない機体の顔だ。
試合前の一夏を見ていると、初任務に望む新兵を想起させられた。真新しい戦闘服に身を包み、特に根拠なく自分は活躍するんだと信じきっている顔。今の一夏にそっくりだった。
僕は瞬きをして、モニターに視線を戻した。
「そうじゃなくて操縦が……え? ノヴェちさっき応援してるって言ったじゃん!?」
僕は視線を一夏が射出されて無人になったカタパルトから困惑する岸原さんへと向ける。
「相手はイギリスの代表候補生で、機体は第三世代の最新鋭『ブルーティアーズ』だよ? その差は歴然だと思うな」
岸原さんに、僕は分析した事実をそのまま伝えた。セシリアは国家代表候補という狭き門を通り抜けた上、まだ実験の域を出ない最新鋭機を任されているのだ。その実力が遅れを取るとは思えなかった。
「それは、そうだけど……もっと信じたりしないの?」
岸原さんが、不安そうに僕の顔を覗き込む。そんな彼女の反応に、僕は少しだけ言葉に詰まった。
確かにここで信じるから応援しているとなれば学園らしい。しかし、セシリア自身の実力にも信頼というものがある。僕はそれを差し置いて一夏を信じようなんて振り切る気にはなれなかった。
「どうにもならないものって、あるからね」
僕がそう答えると、岸原さんはどこか悲しそうな表情を浮かべた。
「ふん、一夏ならそんな逆境など容易く跳ね返してくれる。それに一夏はあの身勝手なやつに目にもの見せると意気込んでたのだ、負けたりなんてしない」
不機嫌そうに割り込んできたのは、篠ノ之さんだった。彼女の睨むような瞳には、セシリアへの敵意と、一夏への信頼、そして自分への怒りが含まれてるように感じた。怒らせてしまったのだろうか?いいやそれよりも気にすることがあった。
「身勝手……? それはどうして」
僕は疑問を呈した。セシリアさんとは諍いがあったが、元を辿れば僕が譲れないと反発したからであり、それを除けばセシリアは丁寧で親切な人だ。加えて、クラス代表を戦力優位性で選出する今になって人柄が話題に出る理由も分からなかった。
「分からないのか!? 一夏は貴様の為に……!」
「しののっち落ち着いて、ほら試合始まるよ!」
箒が詰め寄ろうとしたところ、岸原さんが慌てて僕たちの間に割って入り、場を宥めてくれた。
その時、アリーナ中に大きなアナウンスが響き渡った。僕らは会話を打ち切ってモニターを注視する。
『──クラス代表決定戦、第一試合。織斑一夏対セシリア・オルコット。両者、位置についてください!』
モニターには2人の姿が映っていた。セシリアと青と一夏の白だ。試合開始のカウントダウンが始まる中、一夏が口を開く。
『セシリア……この試合でひとつ、約束してもらうことがある』
『あらなんですの? 命乞いでしたら聞きますわ』
『勝ったらノーヴェに謝ってもらう!』
僕は困惑した。