教えられた場所に行くと、そこはシンプルで素朴な木造家屋であった。間取りや仕切りといった装飾に制作者の雅なセンスが感じられる。
徳州と符離の二人は鉄道勤務時代も家族として住居に登録していたため、ひとつの家に一緒に暮らすことに違和感はなかった。
入ってすぐは玄関、右手に靴箱、左手にに全身鏡と靴べらなどが吊るされていた。ドアを開けてすぐはリビング、ダイニングがあり、左右に個室というシンプルな構造だ。トイレと風呂は右手の部屋に隣接しており、左手の同じ空間にはクローゼットと物置が合体した小部屋がある。
「俺、右!」
符離はさっそく自分の部屋を宣言すると、リビングに荷物を放り出して、ベッドにダイブした。
「おう、柔らかい……」
税金で作られる公舎の固いベッドとは大違いだ。
「阿符、部屋を綺麗に保つ努力をして」
後ろからリビングに荷物を散らかすことへの小言が聞こえたが、符離は聞かなかったことにした。
ごろん、ごろんと寝返りをうって柔らかいベッドを堪能していると、リビングからドサリと重いものを置く音がした。
(自分だって散らかしてんじゃん)
符離はベッドから立ち上がってリビングに戻った。しかし徳州の姿が見当たらない。
「徳州?」
左の部屋に行ったのかと思い、移動した視線の先で何かが引っ掛かった。
「……! 徳州っ!」
徳州は荷物に寄り掛かるように、床にうつ伏せで倒れていた。
「おい、しっかりしろ、起きろ」
符離の中にトラウマが膨れ上がった。このまま目を覚まさなかったら……。
幸い、抱き抱えられた徳州はすぐに意識を取り戻した。灰色の睫毛の隙間から鈍い銀色の光がちらつき、眩しそうに端整な顔を歪めた。
「……具合が悪いのか?」
この時ばかりは心配そうに確かめる符離に、徳州はぱくぱくと唇を動かして何か言った。
聞き取れなかったが、どうせ大丈夫とか気にするなとか
「阿符……だ、大丈………」
「ろれつの回らない奴がなに言ってやがる」
抱きかかえるつもりで力を入れたが、相手は意外と重かった。それもそうだ。自分より体格が大きいのだから、支えるのにはそれ以上の力がいる。
幸い、半身を起こすと徳州は自分の足で身体を支え、符離に掴まりながらであるがのろのろと左の部屋に移動した。
符離も手伝い、ベッドに寝かせてやると、徳州はすぐに目を閉じてしまった。よほどしんどいのであろう。
「………。」
符離は無言で徳州が着ている黒いエプロンを掴むと、紐を外しはぎ取った。
するとその下から血の滲んだ白いシャツが現れた。
「馬鹿野郎……。出血してんじゃねーか……。」
反論する余力もなくなった徳州は、ただ少し荒い息を繰り返すだけだった。
「人には『絶対に動くな』とか言っておいて、自分のことは
イライラと符離が徳州の鼻を小突くと、彼は再び目を開けた。意識はあったらしい。
「……少し休む」
短く告げ、再び目を閉じる徳州。
符離はそんな兄の様子を見て、少し考えた末、部屋を出て荷物を取りに行った。
戻ってきた符離の手には、薬と鋏と包帯が握られていた。もう一度出ていくと、今度はタオルと容器に入った水を手に戻ってきた。
「お湯じゃなくて悪いけどよ、ガス通ってんの?ここ。まだ?」
返事があるはずもなく、符離は独りごとを話し続けた。
「……脱がすぜ」
血で張り付いた徳州の白いシャツを剝がしとり、水で濡らしたタオルで丁寧に拭き取る。染みるのか、徳州はたびたび鼻で唸った。
傷口に液体が染みるたび、筋張った顎を反らして顔をしかめる。深い呼吸は痛みを我慢している証拠だ。
符離はその紅の瞳で兄の歪んだ端整な顔をじっと見て、やおらベッドをきしませ、上からのしかかるように徳州に覆いかぶさると、かさついた唇に口づけをした。
「……?」
何が起こっているのか把握できていない徳州は、きつく閉じていた瞳をうっすら開いた。
視界いっぱいに少し幼さを残した符離の顔が広がり、ときどき頬や鼻先を蜂蜜色の髪がくすぐった。唇は柔らかくて湿ったものに塞がれており――
「――‼」
徳州は飛び起きようとしたが、傷が痛んで思うように力が入らなかった。
すぐに顔を横に反らして符離の口づけを躱す。
すると符離は右手で持ったタオルを傷口に押し当て、ふたたび徳州を痛みで仰け反らせ、口づけを再開した。
「んっ、ん!――」
痛みと混乱で涙目になりながらも力の入らない腕で符離を押しのけようとする。
どうしてこんなことをされているんだ?
「逃げるなよ」
符離が唇をずらしながら囁くように言った。
「痛いんだろ……。その……キ……キス……は、痛みを和らげるって……」
押しのけようとする者と、上から押さえつけようとする者。
符離がもう片方の腕で徳州の背中を抱きかかえるようにして起こすと、自然と顎が上がり、徳州はそれ以上逃げられなくなった。
侵入してきた舌の柔らかさに自然と身体が熱を帯び、痛みを感じていた脳はしびれるように甘い口づけを受け入れるようになった。
その脇で符離はアルコールの小瓶を開け、見えない位置から傷口に押し当てていく。
再び徳州は呻いたが、今度は逃げなかった。
それどころか符離の舌を痺れるように吸い、積極的に貪ってくる様だ。
(案外エロいんだな……)
符離は消毒そっちのけでしばらく兄の甘い唇を堪能すると、唇をずらし、顎裏、首筋、鎖骨と滑らかにキスのタッチを加えていく。
徳州はすっかり甘さにとろけていて、ぼんやりと潤んだ瞳はどこでもない壁をじっと見つめていた。
薄くはないが脂肪のつきにくい滑らかな胸板に軽く吸い付くと、符離は傷口に塗る軟膏をとりだし、擦り込むように肋骨や下腹を撫でた。
手の平の熱で暖められた軟膏は、染みることなくよく伸び、再び包帯を巻く段になってももはや徳州が痛みで呻くことはなかった。
手当てを終え、再び眠るように瞳を閉じてしまった兄の唇にもう一度軽くキスをすると、符離は毛布を持ち寄り一つのベッドに一緒に横たわった。
「痛んだらまた……してやるから、安心して寝ろよな……。」
恥ずかし気に告げたその言葉に、寝息かどうか、かすかな息遣いが返される。
二人分の鼓動は温かかった。