初出2008/4/20
ハイ・ラガート公国。冒険者ギルド。
「ここに名前を書いて……っと――これでいいですか?」
キモノという異国の衣服を身に纏い、その手に黒い筒のようなものを携えた、おかっぱ頭の少女が、言われた通りに記した書面を、近くにいたフルメイル姿の衛兵に手渡した。
「うむ……今確認をする。しばし待たれよ」
少女がひとつうなずくのを確認すると、フルメイルの女性が、記載項目を一つずつチェックしていく。
「結構だ。ギルド名は記載されていなが、何かしらのギルドに所属するつもりなのかね?」
「えーっと……少し迷っていまして。保留にしておいて、もしギルドを作る、あるいは所属が決まったら別途申請って――大丈夫ですか?」
「構わぬ。だが、作るにしろどこかに入るにしろ、かならずギルドに所属していることが、この国でのルールになっている。ギルド非所属の者には申し訳ないが、冒険許可を出せぬのだ」
フルメイルの女性の言葉に、少女は少し困ったような表情をして、訊ねてくる。
「ということは――迷宮に入れないってコトですか? 探索の許可が下りなくても、せめて中の雰囲気だけでも……と、思ったんですけど」
「いや。入り口から入ってすぐの広場までは一般開放してある。観光であるのなら、そこまで入る分には許可はいらん」
女性の言葉に、少女はパァっと表情を明るくさせる。
「それでは、しばらくこの国にご厄介させていただきます。ギルドの件は、また後日お伺いさせてもらいますで、よろしくお願いします」
背筋をただし、流麗な仕草で彼女は一礼をした。
「ああ。こちらも、君の武運を祈らせてもらう」
「ありがとうございます。それでは失礼しますね」
これまでの大人びた雰囲気とは違う年相応の笑顔で、少女は軽く会釈をすると、踵を返してギルドから出て行った。
それを見送りながら、フルメイルの女性は手にした書類に目を落とす。
確認の為、先ほどすでに目を通したものなので、数度と見る必要はないのだが、何となくだ。
この街における冒険者である限り、素性は一切不問となっている。この登録書類は便宜上のものであり、書かれている内容に虚偽があったとしても、誰も気にしたりはしないのである。
とはいえ――
「決して少なくはないが……それでも、やはりあの程度の年頃の少女が冒険者というのは、些かな……」
嘆息交じりに独りごちる。
そこへ、
「どうしたんですかギルド長?」
どうやら、今しがたの独り言を聞いていたらしい部下が声を掛けてきた。
「いや、何。今出て行った少女のことが少々気になっただけだ」
「つまりそれって、ギルド長がロリ……」
ゴン!
全てを言い終える前に、ギルド長は問答無用で部下の後頭部をぶん殴る。
「な、何をするんですかギルド長。痛いじゃないですか!」
「単純に、だ。いくら冒険者とはいえ、まだ若い少年少女達が命を落とす可能性があると思うと心苦しいと……そう感じただけだ」
「ギルド長……」
しみじみと言う上司を彼はしばし見つめ、おもむろにつぶやいた。
「まさか、ショタっ気まで……」
ガン!
「次はないぞ?」
うずくまりながら頭を抑え、半ば涙目になっている部下を睨みつけながら、低い声色でうめく。
それに、彼は無言でうなずいた。それから涙を拭いて、部下は立ち上がり訊ねる。
「ところで、あの子の名前は? 何か変わった格好をしていましたが」
「あれは、異国の剣士――ブシドーだったか。名前は……エンカ。少なくともこの書類にはそう記入してある」
「エンカ……エンカ……。なんだか変わった響きの名前ですね」
「ああ。異国の言葉なのだろう。だが、耳に気持ちよく響く綺麗な名前だ。この名のせいで、尚のこと彼女が心配になる」
「やっぱり、ギルド長ってロリ――」
ゴガンッ!
「三度目はないと言ったはずだが?」
ギルド長の怒りの鉄拳は、
「きゅ~」
容赦なく部下を床にめり込ませ、
「私から言う事はそれだけだ」
問答無用に沈黙させるに充分な威力をもっていた。
明るく、活気に満ちた街の人波を縫って、エンカは街の中央に聳える大樹と呼ぶにも大きすぎる樹の元へと向かっていく。
中央広場では、露天商や出店なども多く出ており、お肉を焼いた匂いや、果物の芳香などが漂っている。
声を掛けられ、思わず立ち止まり、様々な誘惑に負けそうになる。だが心の中で今日の目的を復唱し、誘惑を振り切って足を進めた。
ところで、この右手に握られた串に刺さった焼きイカなんなのだろう。
心なしかサイフの中からいくばくかの現金が減っているが、とりあえずは気にしないことにした。
「……よ、弱いなぁわたし……」
否、気にしないことにしたつもりだったのに――エンカはうっかり冷静になってしまい、イカ串を見つめた。
店主自慢のタレを塗って焼き上げたというこのイカは、程よく焼き色が付き、焦げたタレは香ばしい匂いでもってエンカを誘惑してくる。
これは中々の強敵だった。
「じゅるり……ま、まぁ買っちゃったモノは仕方がないよね?」
出かかった涎を拭いて、誰にともなくそんな言い訳をする。
よく考えてみれば、強敵も何も、買ってしまった時点で負けているような気がしたが。
「いただきます」
串を持っていながら、エンカは器用にかつ行儀よく手を合わせ、それから思うがままにかぶりつく。
「美味しいっ♪」
焼きたてのイカに絡む甘辛ダレ。イカは肉厚で歯ごたえと適度な弾力を持ちつつも、サックリ簡単に噛み切れる。何だか幸せな気分になれる一本だ。 そんな至福の串焼きイカに舌鼓を打っていると、一枚の木の葉が、風に流されて目の前へと舞い落ちてくる。
ふと、空を見上げると、まるで広場を覆うよな巨大な枝が眼に入った。
「あ」
そこに至り、イカに上書きされ忘れていた目的を思い出す。
「め、迷宮に行かないと」
苦笑を浮かべ、エンカは少し急ぎ足で、世界樹の根元へと向かうのだった。
――二本目の串焼きイカを片手に持って。
「んんー……」
テネレッツァは、柔らかな日差しを浴びながら大きく伸びをする。
まだ冒険者ギルドへの登録はしていないが、彼もまた、このハイ・ラガートにある世界樹の迷宮へとやってきた冒険者だ。
冒険者――といっても、武器や鎧の類を身に着けてはいない。
肘や膝、足首に軽量型のガードを付けているが、防具といえばその程度で、服装そのものは、街の人たちとそう変わらないラフ格好だった。
強いて異質を挙げるのであれば、その服の上に羽織っている白衣と、一際大きい肩掛けのバッグくらいか。
そのバッグは穴こそ空いていないものの、傷や染みから相当使い込まれているように見える。それだけ見れば、様々な経験を持つ歴戦のツワモノだと言われても、誰も疑わないだろう。
だが、無精ひげとよれた白衣が、カバンの印象を打ち消して、彼の全体像を頼りなさげに変えてしまっていた。長身でありながら痩せたシルエットが、ひょろりという言葉を連想させ、尚のことそう思わせるのかもしれない。
彼は白衣の内ポケットからシガレットケースを取り出すと、そこからタバコを一本取り出して口に咥える。
だが、火をつけることはしなかった。この人波の中でそれは危険だと思ったのだ。
些か物足りないが、口元が寂しかったのが解消できたので良しとする。
世界樹を目指しながら通りを歩いていると、テネレッツァの横を、彼と同じような格好した少女が一人通り過ぎていく。
何ともなしに目で追うと、彼女は何故かトゲ付きハンマァを携えていた。
彼女は自分と違いバックアップ専用ではなく、自身も前線で、剣士らと肩を並べて戦えるだけの戦闘スキルを有しているのだろう。
あれだけの重量武器を軽々と持てるだけの筋力が、あの小さな身体のどこにあるのだろうか――そんな僅かな疑問が沸くが、何であれ、彼女もまた冒険時の危険から生き延びる為に、相応の努力をしていることぐらいは見て取れる。
「さすがは冒険者の集まる街だねぇ」
長いこと各地を旅して来たが、未だに見たコトのないタイプの冒険者と出会えるとは――すれ違っただけとはいえ――思ってもみなかった。
しみじみと独りごちながら、迷宮の入り口前の広場までやってくる。
これから中へと入るために、荷物等の最終チェックをしているパーティ。満身創痍ながらも満足げな顔をして迷宮から出てくるパーティ等、この広場だけは街中の広場とは違う活気に満ちていた。
敢えて言うなら、殺伐とした活気というべきか。この場所に於いては、観光客の方が異端な存在に見える。
そんな中、物腰は冒険者ながら、少々変わった格好をした少女の背中を見つけた。
「やぁエンカちゃん」
「おぶ?」
何やら不思議な声で返事をして、その少女は振り返る。
口にチョコバナナを咥えて振り返ったこの少女――エンカは、この街へ来る途中の乗合馬車で一緒になった娘である。
お互い冒険者ということや、彼女が凛とした雰囲気とは裏腹に、意外とお喋り好きということもあって、話が弾み意気投合したのだ。
ただ単純に、お互い馬車の中でヒマを持て余していただけ――という説もあるが。
馬車を降りた後、互いの目的地が違っていたので別れたのだが……まさか、こうも簡単に再会するとは思っても見なかった。
口の中のバナナを慌てて嚥下して、エンカは改めて返事をした。
「こんにちはテネ先生。四時間ぶりです」
「あははは……良く会うね」
「ですね」
黙って立っている彼女は、どこか近寄りがたい凛とした雰囲気を放っているのだが、こうやって話してみると、別にどうということはない。年相応の少女だ。
エンカの右手には、何も刺さっていない竹串が二本と、イカ焼きが一つ。左手には食べかけのチョコバナナ一つと、フランクフルト。それから串ステーキが一つ。
凛々しさが欠片もなく吹き飛ぶ装備だ。それどころか、腰元に刀を差していなければ、おおよそ冒険者とは思えない姿となっている。口元についたチョコとか特に。
とりあえず口元のチョコを教えてやると、彼女はどこからともなくハンカチを取り出して、慌ててそれを拭った。
「そっちの手に持った、食べ終わった串はこれに入れるといい」
「あ、すみません」
カバンの中から空の袋を取り出して、口を開いてやると、エンカは空いた串を片手の開いた指で器用に折って、そこへ捨てた。
「ところで、君もこれから冒険かい?」
「あー……いえ。仲間を集める前に、これから冒険する迷宮の下見をしようと思いまして」
ペロリとバナナに掛かったチョコレートを舐めてエンカが笑う。
「そう。なら僕と目的は同じだ。一緒にどうだい? 迷宮観光でも」
差し出された手を見、エンカは慌てて食べかけのバナナを一気に食べ切り、先ほどもらった袋へと串を捨てる。そうしてようやくフリーになった片手で――
「はい。是非」
――テネレッツァの手を握り返した。
「ほぅ……これは……」
「うわー……」
迷宮へと足を踏み入れるなり、二人は揃って感嘆と共にため息を漏らした。
樹の中に存在する自然迷宮――その言葉から、よもやここまで美しい樹海など想像できはしなかった。
文字通り樹の中の薄暗い苔むしたものを想像していたのだが、これは本物の森だ。
どこからともなく流れる風に揺れる木々のざわめき。どこからともなく差し込んでくる光が作る柔らかな木漏れ陽。
見たことのない草木が作る緑の絨毯。そして、その絨毯を彩るのは見たことのない花や実だ。
ここが【樹の中】という室内――空間内とでもいうべきか――だということを忘れてしまいそうである。
二人が美しき樹海に圧倒されていると、衛士の一人がこちらへとやってきた。
「失礼。新しい冒険者の方ですか?」
「はい」
「冒険者ギルドへの登録の方は?」
「まだですが……まぁ、これから入る迷宮の入り口でも見ておこうと思いまして」
テネレッツァの言葉に、衛士はなるほどと一つうなずくと、入ってすぐの広い空間を示した。
「入り口のあるこの空間だけは、あまり魔物も近寄らず比較的穏やかな場所だ。ギルドに正式登録せず観光という名目でここへ来られたのなら、申し訳ないがこの部屋だけで勘弁ねがいたい」
「そうですか」
エンカは仕方がないと肩を竦めて周囲を見渡す。
そのまま何やら談笑を始めたテネレッツァと衛士を横目に、せめてこの部屋だけでもとエンカは歩き始めた。
部屋から左右に伸びている通路の入り口には衛士が立っており、さすがにこっそり通るということは出来そうにない。
もっとも、こっそり通れたりしても、その結果悶着を起こすのは望ましくはないので、やるかどうかは微妙なところではあるが。
歩き回りながら、フランクフルトと串ステーキを食べ終えて、それらの串をゴミ袋へと放り込んだ時、エンカはふと奇妙な風を感じた。
周囲を見渡す。
相変わらずテネレッツァはおしゃべりに興じているようだし、各通路の衛士にとりたてて変化はない。
「気のせいかな?」
首を傾げながら、注意深く風の流れを感じ取る。
やはり、僅かながら不思議な動きをする風があるのを感じた。
「こっちの方……から?」
部屋の北側の隅。
風はそこの壁の向こうから流れて来ているように感じる。
注意深くその壁を観察してみると、木々で巧妙に隠れてはいるが、小柄な人なら何とか通れそうなスキマがあった。
テネレッツァも衛士達も、エンカの行動など気にとめていない。
好奇心と良心と。ほんのちょっとだけ揉めたものの、結果は――
「うん。行こう」
彼女もまた、やはり冒険者だったということで。