木々の隙間に身体を滑り込ませると、そこには小さいながらもしっかりとした通路が存在していた。
どうやら、長い年月の果て、成長した木々が壁となって塞いでしまったようだが、もともとはちゃんとした通路のようである。
しかし、通路の終端は木々により変形させられている扉によって行き止まりとなっていた。
変形した扉と絡み合った木々の隙間からは光が入ってきているので、この先にも通路か空間があるようだが――
「…………」
エンカは軽く腰を落とし、左手で鞘の鯉口を握り、右手を刀の柄に添える……と、その時、口にイカ焼きを咥えていたのを思い出し、それを一時的に串入れに使っている袋へと丁寧にしまった。
それから改めて構えなおす。
軽く息を吐いて、静かに扉に絡みついた枝葉を見る。
枝が無くなれば、扉は自然に倒れそうだ。
ゆっくりと吐いていた息を止め、自然に軽く息を吸う。
その直後、カッと目を見開き、右手が柄を握り締めた。
「破ッ!」
裂帛の気合いと共に、シャランと響く涼やかな音。
その直後に微かに聞こえる、チンという金属同士がぶつかりあう小さな音。
「ふぅ」
まるで何かをし終えた後のように、エンカが軽く安堵の息をつくと、歪んだ扉に絡み付いていた枝々の要所がバッサリと切れて、床に落ちた。
どうやらとんでもない早業で、枝を切り落としたようだ。
扉の重量を支えていた部分の枝が切れたことで、グラリと歪な扉は傾いた。
「あー! こっちに倒れてきちゃダメーっ!」
エンカは慌ててその扉に体当たりをして、反対側へと押してやる。
そして、扉は重々しい音と共に倒れた。
姿を見せた部屋は、入り口のところの広間のような部分に負けず劣らず大きかった。
そして――
「をを? 何かいる?」
その部屋の中央には、トカゲを大きくし凶悪にしたような魔物が一匹横たわっていた。
気配を消して――あれだけの音を立てた後、今更ではあるが念の為――そろりそろりとその魔物へと近づいていく。
一見、死んでいるのかと思ったが、注意深く見てみると、腹部の辺りが僅かに上下しているのがわかる。
どうやらこの巨躯の魔物は手傷を負っており、その為、ここで休んでいるようだ。
それにしてもこの魔物――その口の大きさといったら、人間など一口で飲み込みそうだ。
「うわー……牙もすごいなー」
きっと、発達した後ろ足で駆け寄ってきて、頑丈そうな爪で一撃をかました後、この鋭い牙と強靭な顎でバリバリと獲物を食すのだろう。
「…………」
うっかり自分がそうやって餌食になるところを想像してしまい、エンカは軽く身震いする。
もちろん実際に襲ってくるのであれば、大人しくエサになどなるつもりはない。
もし襲ってくるのなら応戦するし、勝てそうになければもちろん逃げる。だが、どちらであれ戦わないで済むならそれに越したことはないのである。
ゆえに、他の冒険者達も敢えて放置しているのだろう。触らぬ祟りになんとやら――と、いうやつである。
エンカは最後にもう一度、鼻をスンスンと動かしている魔物を見やり、それで見納めだと肩を竦めてから踵を返す。
そうして、先ほど抜けてきた通路へと向かった時――
「――ッ!?」
背後で巨大な物が動く気配を感じて、振り返った。
立ち上がった魔物の姿は、思っていたよりも大きかった。
先ほど見た大きな口は、エンカの頭の位置よりやや高い。頭の天辺までは、エンカがさらにもう一人分くらい必要な高さだ。
そして、尻尾を伸ばすと尚のこと全長が大きくなった。尻尾まで含めると両手を広げたエンカ四人分くらいの大きさになるのではないだろうか。
寝ぼけた頭をはっきりさせるかのように、魔物は身体を揺らしてから、こちらへとゆっくりと身体を向けた。
時折鼻を動かして、何かの臭いを探っているようにも見える。
ふと、思い――腰につけた袋を見やる。よくよく考えれば、この中はきっと美味しそうな匂いで充満してはずだ。
「も、もしかして……これを探してたりする?」
袋を腰から放して、口を開くと、魔物が一瞬だけ動きを止めた。その口が笑ったように見えたのは気のせいではないはずだ。
「よし!」
エンカは何かに確信を持つと、迷う事無く袋を投げ捨てた。
この綺麗な樹海の中にゴミを捨てるのは些か心苦しいが、命には代えられないのだ。
袋を投げ捨てるのと同時に、魔物は後ろ足で地を蹴った。
エンカもまた投げるのと同時に、隠れていた通路の方へと飛び退いている。
(は、速いッ!?)
あの巨体に似合わない速度での強襲。投げるのと逃げるのとを同時に行っていなければ危なかった。
魔物はその袋に鼻を近づけて臭いを嗅いでから、器用に爪で袋を持ち上げると、その袋ごと口の中へと放り込んで一飲みしてしまった。
だが、そんなものを見届けるまでもなく、エンカはすでに通路の中へと身を滑り込ましている。
向こうへと抜けるまでは完全に安心できないが、これで一息はつける――そう思って振り返った時、通路の向こうから、こちらを覗いている魔物と目があった。
とにもかくにも、ギルドに所属しなければどうしようもない。
長い金の髪をたなびかせて歩く女性――パストラルはその事実を何度も反芻しながら、嘆息した。
手早く自分のギルドを立ち上げてしまおうかとも思ったが、そうした場合、既にギルド所属扱いになるため、別のギルドに入ることが難しくなってしまう。
欲しいのは仲間であり、ギルドではないのだ。ギルドの立ち上げはそれこそ本末転倒だと悩んだ末、彼女はとにかく声を掛けて回ることにした。
もっとも、帰ってくる返事はどうにも良くは無いものばかりだったが。
「確かに、医学知識のある人間や、自然を熟知したような人は重宝されるのも分かるんだけどさ……」
ぶつくさと言いながら、世界樹を見上げる。
中に迷宮を内包するこの樹は、まるで街を見守るように枝葉を広げ、そこに在る。
「…………」
足を止め、相棒が納まっている腰元のホルスターを見やった。
ややして――腰元の銃を素早く抜き、構え、そしてすぐに納める。
淀みなく、ブレる事なく、流れるような動作。
腕には自信がある――そう言うと、誰もがそう言うのだと笑われる。それは仕方がない。誰もがそうやって自分を売り込もうとするのだから、自惚れだと思われてしまうのも無理はない。
だからこそ、一度で良いから樹海に連れて行って欲しかった。役に立つ所を見せれば迎えてくれるギルドもあるだろうと思ったのだ。
結果として、それでも連れて行ってくれるギルドなどなかった。
「確かに……そりゃあ他の人たちから見れば、たかが小娘だろうけどさぁ……」
厚手の青いコートを羽織っているため、体型こそ見て取ることは出来ないだろうし――見られたところでどうせ男が見るところなんて決まっているし、期待に応えるようなものを持っていないが。だがそれがどうした。それが悪いか――何より童顔であることは自覚している。
そのせいでナメられるのはもはや仕方がない。だが、だからといって見た目だけで断られるのはいかがなものか。
「いけないわね――イライラしちゃ」
軽く息を吐く。それで一緒にイライラが外に出てくれればよかったのだが、そううまくはいかなかった。
当てもなく歩いていたパストラルだったが、気がつけば迷宮の入り口までやってきていたことに気が付いた。
「観光だけなら、入り口を入ってすぐの広場までは開放されてるんだっけ?」
気晴らしに、中に入ってみるだけでも価値があると言われている迷宮を、見ておくのも悪くない。
彼女は自分の考えに小さくうなずくと、足を迷宮の入り口へと向けるのだった。
「……そういえばテネレッツァさん。一緒にいたお嬢さんはどこへ?」
「え?」
衛士と談笑していたテネレッツァは言われて、周囲を見渡した。
確かに部屋の中から居なくなっている。
「もしかして、我々の眼を盗んで奥へと行ってしまったとか?」
「まぁだとしても、彼女も冒険者ですよ? 一人でそう無茶はしないと思いますよ。
ヘタうてば、この迷宮に入れるかどうか怪しくなっちゃいますしね……それに、そんなコトされちゃったら、君達衛士は僕ら冒険者にナメられちゃいますよ? 特にこの街に着たばかりの新入りに、ね?」
茶目っ気たっぷりにテネレッツァは言うが、さすがに衛士は青ざめる。
「それ、シャレになってません」
「あははは」
笑うテネレッツァに――
「失礼します」
衛士は一言そう頭を下げて、部屋の左右の通路の見張りの元へと小走りで駆けて行った。
「見張りってのも楽じゃないんだねぇ」
なんとも気のない独り言を漏らして、周囲を見渡す。
やはりエンカの姿はない。
「うーん……黙って迷宮から出て行っちゃうような子ではないと思うんだけど」
頭を掻きながら、衛士の姿を目で追っていると、彼は入り口へと向かっていく。
「?」
気になってテネレッツァも入り口の方へと視線を向けると、長いブロンドの銃使いが一人。
どうやら彼女もテネレッツァ達と同様に、仲間集めの前に見学しに来た冒険者のようだ。
自分やエンカ同様に、この樹の中の自然に驚いている彼女を何となく眺めていると、不意に目があった。
テネレッツァは軽く手を挙げて挨拶をすると、彼女も小さく会釈を返してきた。
「悪い子じゃなさそうだねぇ」
エンカとチームを組むかどうかは決まっていないが、組むにしろ組まないにしろ、チーム内に後方援護が出来る人材は欲しかった。
そういう意味では、彼女を誘うというのは、今後の為に悪くはない。
挨拶を返してくれると言うことは、声を掛ければ多少なりとも会話はしてくるはずだ。
テネレッツツァは気安さを演出するように、両手をポケットに入れる。それから、彼女の元へと行こうと最初の一歩を踏み出した。
その時――
ズズン……ズズン……と連続して、何か大きなモノが壁にぶつかるような音が響いて聞こえた。
彼は素早くポケットから手を出して、周囲を警戒する。
衛士や銃使いの少女も同様だ。
ややして――
「テ、テネ先生ッ!」
北側の壁に絡んでいた枝が突然斬れ落ち口を開けた。
「エ、エンカ……ちゃん?」
予想外の場所から飛び出してきたエンカに、テネレッツァの口からタバコが落ちた。
「き、君はどこから出てくるんだ!?」
「あそこの通路、奥のおっきい部屋に繋がってて、そしたらそこに大きい魔物が居て……」
早口で事情を説明していると、横からテネレッツァと談笑していた衛士がやってくる。
「その魔物、怪我してませんでした?」
「うん。してたけど、突然起き上がって、わたしを襲ってきて……」
エンカの言葉に衛士は青ざめた。
「あんな魔物がこんな低い階層暴れたら、駆け出しの冒険者達はただじゃすまなくなるッ!」
彼は慌てて二人の衛士を呼んでその場で相談を始めた。
それを見ていたらしい銃使いが声を掛けてくる。
「どうかしたの?」
「この辺りにはいないハズの魔物が暴れてるらしいよ」
「ふーん」
気のない返事をして、音がする方に視線を向ける。
そして話が纏まったらしく、衛士の一人は三人に頭を下げて迷宮から出て行く。そして、もう一人は左の通路の奥へと向かった。
「奥の部屋の魔物を誰かが倒してくれるまで、駆け出しレベルの冒険者を奥へ行かせない事にしました」
「賢明ね」
「ああ。無駄に薬泉院を忙しくする必要もないからね」
衛士に銃使いとテネレッツァは揃ってうなずくが、エンカだけは、隠し通路の方を睨んだままだ。
「エンカちゃん?」
「…………」
テネレッツァの言葉も聞こえていないほど、一点だけを見つめ続け――そして、繰り返し響いていた音が止んだ時、エンカは刀の鯉口を強く握った。
「みんな構えて。あの通路――わたしが思ってたよりも広かったみたい……来るよッ!」
「え?」
衛士だけはエンカが何を言っているのか、分からず頭に疑問符を浮かべた。
だが、彼以外はするべき事を瞬時に理解した。
入り口から隠し通路へ近い位置へと三人は移動する。
「えっと……銃使いさん、何か巻き込んじゃった感じですけど良いんですか?」
「話を聞く限りだとヤバそうな魔物なんでしょ? 迷宮の外へ出すのはまずいじゃない。なら、動ける人間が、勝てずとも足止めくらいはしないとね」
彼女の言葉にエンカはうなずく。
「とりあえず即席とはいえ、連携をスムーズにするために名乗っておいた方が良いだろう。僕はテネレッツァだ。呼び辛かったらテネでいい。見ての通り、もっぱら後方支援しかできないけどね」
「エンカです。わたしが前に出ます」
「パストラルよ。私は後方からエンカの援護させてもらうわ」
「二人とも出来る限り死なないようにね」
エンカの言葉に、二人はうなずく。
「そりゃあ、僕だって死ぬのは嫌だしね……全力で出来ることをするさ!」
「当たり前のコトを言わないの。全員生き延びてかつ魔物を倒す。それで
テネレッツァもパストラルも、この状況下で、どこか不敵な笑みを浮かべていた。
冒険者はリスクを出来る限り減らして行動する事を当然としているが、その一方で、こういった危機的状況を楽しみともしている。
もちろん、今がのっぴきならない状況だと理解している。その上で覚悟を決め、笑っているのだ。
エンカもまた――二人の力強い返答に、同じような笑みを浮かべた。
「お客さんがようやくお出ましのようだ」
通路から響く足音が徐々に大きくなって来る。
それが一際大きく感じる頃には、すでに三人の口元から笑みは消えていた。
そして――
先ほどまで隠れていた通路から、ついに巨大な影が姿を見せた。