「思ってた以上に大きいわね」
「でも確かにケガをしてるようだ。さながら【手負いの襲撃者】ってトコロか」
ゆっくりと姿を見せた【手負いの襲撃者】は、通路から出てくると、一度だけ周囲を見渡した。
「あの子、見た目より俊敏だから気をつけて」
後ろを見ずにエンカはそう告げて、数歩前に出る。
【手負いの襲撃者】は、この場にエンカ達しかいないと判断すると、即座に獰猛なまでの殺気を放ってきた。
身構えるこちらを敵とみなしたようだ。
「パストラル。撃ち抜けるかい?」
言いながら、テネレッツァはカバンからなんらかの液体の入ったビンを取り出した。
「どんな状況からでもやってみせますよ?」
テネレッツァの意図を察したパストラルはうなずく。
自信満々なパストラルに、テネレッツァは笑みを返した。
「散って!」
【手負いの襲撃者】が前傾姿勢を取って走り始めるのと同時にエンカが鋭く告げる。
テネレッツァは左へ。パストラルは右へ。エンカはギリギリまで引き付けて後方へと飛び退く。
同時に鋭い爪が、エンカが数瞬前までいた場所を薙いだ。
「パストラル!」
名前を呼びながら、テネレッツァが薬ビンを二本、【手負いの襲撃者】の頭上へ放り投げた。
「エンカ、浴びないでよ!」
彼の放り投げた薬が、どんな効果があるか分かったモノではない。パストラルは一応の警告をしながら、二つのビンに狙いを付ける。
二人が何をするのか気がついたエンカは、鋭く【手負いの襲撃者】へと踏み込んだ。
見事頭上で薬ビンが打ち抜かれる。
同時に、エンカが刀を鞘ごと振り上げて、魔物の顎をカチ上げた。
液体が【手負いの襲撃者】の顔に掛かる。
エンカはそれを浴びないように、素早く魔物の脇を抜ける。
「―――――――ァァァァッ!!」
直後、【手負いの襲撃者】悲鳴を上げて、自身の手で顔をひっきりなしに触り始めた。
「す、すごいじゃないですかテネレッツァさん!」
苦しむ魔物の姿を見て、何時の間にか物陰に非難していた衛士が、顔を出してきた。
「いや、一応――君も戦ってるくれるとありがたいんだけどね」
「何を言ってるんですかッ! 一階の入り口に配置されるような衛士が、あんな化け物と渡り合えるワケないじゃないですかッ!」
「うん。言いたいコトは判るけど胸張って言うようなことじゃないよねソレ」
「それであの薬はなんだったんですか?」
テネレッツァのツッコミを無視して、目を輝かせて訊いてくる衛士に、彼は淀みなく答えた。
「激・刺激目薬レモン汁」
「…………………………え?」
テネレッツァと衛士が和やかに会話しているのを他所に、エンカは素早く一太刀。それに続いて、パストラルも一度発砲した。
「硬い皮膚と、あの図体。今のじゃあそんなに効果なさそうね」
「だね。パストラルさん、何か手はある?」
エンカの問いに逡巡する。
「やっぱり決定打はあなたよ。アレだけ皮膚が硬いと私の銃じゃ決め手になりづらいから」
「わかった。それで、わたしは何をすればいい?」
「熟練したブシドーは、一刀の元に敵を切り伏せられるらしいけど……あなた、出来る?」
「出来なくはないけど、ちゃんと集中してしっかりと構えないとちょっと……。わたし、まだ未熟だから」
「でも準備さえ出来れば行けるのね?」
「うん!」
「なら充分よ。時間を稼いであげる。決めて見せなさいッ!」
「承知ッ!」
力強くうなずくエンカに、パストラルはうなずき返す。
それから、刀を鞘に納めて腰を落としたエンカの前に出る。
どうやら先ほどの薬はそれほど強力なものではなかったらしい。
辛そういしながらも、【手負いの襲撃者】は真っ赤に充血した目を見開いて、パストラルを睨む。
「―――――――――ッ!」
そして、咆哮と共にコチラへ向かって駆けて来た。
少しでもエンカから距離を離すため、パストラルも【手負いの襲撃者】に向かって駆け出した。
轟という風鳴りを纏いながら、その凶悪な腕が振り下ろされる。
確かに鋼のように硬い爪は恐ろしいが、真に恐ろしいのは、その爪を振るう豪腕だ。仮に爪がなかったとしても、あの豪腕からの繰り出される純粋なパワーは、人間などいとも簡単に吹き飛ばすだろう。
身を翻しその爪を躱しながら、パストラルは内心で肝を冷やす。
(毎度思うけど、剣士さん達は、よくまぁこんな恐ろしい紙一重、何度もやってみせるものよね)
だが、冷静さはまったく失ってなかった。
躱しながら狙いを付ける。狙いは大きく開けた口の中。
(いくら外が硬くても中なら――)
引鉄に指が掛かる――だが、それを引くよりも速く、本能が危機を知らせるよりも速く、パストラルの身体は反射的にそこから飛び退いた。
次いで、本能が危険だと警鐘を鳴らす。
目の前を【手負いの襲撃者】のもう一方の手が通り過ぎていくのが見える。
その直後――後ろへと飛んでいたはずのパストラルの身体は、突然方向転換をして横へと飛び始めた。
(掠った……ッ!)
ほんの僅かな時間のはずなのに、とても長く感じる浮遊感。そして、地面にぶつかる衝撃と、地面を滑る痛み。
すぐにパストラルは立ち上がる。
掠ったのは右の脇腹。出血しているが、痛みはそうでもない。そして傷口周辺――というより、傷口よりも下に、何やらベトベトしたものが大量に付着していた。
「こ、これ……あいつの涎?」
ばっちぃわねぇ――などと胸中で毒づきながら、右手を動かそうとして、違和感を覚える。
(あれ?)
カクンと、右ひざが勝手に曲がる。
テネレッツァが血相を変えて走ってきていた。もう一度、自分の傷口を見下ろす。ドクドクと血が流れている。
(何で……コレで私……痛くないのよ?)
ふと気が付くと、右半身が言うことを聞かない。まるで麻酔でも打たれたような鈍い痺れを感じる。
(麻酔――って、この涎……毒?)
自分で自分が青ざめていくのが分かる。
【手負いの襲撃者】がコチラを向く。
エンカが構えを解いて魔物に向かって掛けて行く。
震える右手から何とか銃を取り、左手で握りなおす。
(左はまだ……動かせる)
自分で言ったのだ。完全勝利を目指すと。
(だから、死なない。死ぬ気はないッ!)
身体の具合から判断して、撃てて一回。毒のせいで麻痺した痛覚は、逆に狙いを付ける邪魔にならなくて助かるくらいだ。
(こんな状態でも出来る限り最高の援護をしてみせるわよッ!)
左手を真っ直ぐに伸ばす。
「……私を、邪魔する壁はッ、この弾丸でッ、全部撃ち抜いてやるんだからッ!」
そして自分を鼓舞するように、呂律が回らなくなりかけてる口を無理矢理動かして、パストラルはそう吼えた。
最速の踏み込みから、抜刀一閃。
慌てて放った一撃ゆえに、大した威力を発揮できず、【手負いの襲撃者】のスネに傷を付ける程度のものだった。だが、今はそれで充分だ。魔物の注意が自分に向いた。
その間にテネレッツァがパストラルの元へと駆け寄っていく。
彼がどの程度の腕のメディックであるかは知らないが、それでも、パストラルを看てくれる人がいるのはありがいたい。
彼女のことは彼にまかせておけばいい。
エンカは目の前にいる魔物にのみ意識を集中する。
爪だろうが牙だろうが体当たりだろうが、どれであっても躱して反撃を決めてみせる。
だが、こともあろうか、【手負いの襲撃者】は突然、踵を返した。
「え?」
その理由を考えるよりも早く、横合いから何かが風を切って向かってくる。
(しまったッ! 尻尾ッ!?)
咄嗟に身をよじるが、躱しきれずに横殴りに強打され、壁に叩き付けられた。
「がっ……は……あ……」
激しく咽ながらも、エンカはすぐに立ち上がり【手負いの襲撃者】の方へと向き直る。
魔物は身体をこちらに向けて、前傾姿勢を取る。
体当たりか――跳躍からの爪や牙か。
どちらであれ、この距離であれば、溜めの時間がありそうだ。
エンカは無理やり呼吸を整えて、再び抜刀の構えを取る。
「確実に……斬るッ!」
静かに力強く、エンカは気合いを入れた。
「痛くないのかい」
落ち着いたように振舞っているが、テネレッツァの表情には戸惑いが浮かんでいる。どうやらそうとう酷い傷のようだ。
「だえき」
「ん?」
「あいつの……だえき、どくを……もっていたみたい」
痺れで呂律もギリギリの口で何とか答える。
「な!」
今度はさすがにテネレッツァも青ざめた。
「うつ……まで、みるの……まって」
エンカが尻尾で吹き飛ばされたのには焦ったが、彼女は毅然と立ち上がり、先ほど見せた構えを取る。
どうやらアレで決めるらしい。
こちらも、あの一刀の為に出来ることをしよう。
「テネさん」
フルで呼ぶ時間も惜しい。失礼だとは思ったが省略して彼の名を呼ぶ。
「わたしのて、ブレないようにおさえてて……ください」
彼はしばらくパストラルと銃の間で視線を
「わかった。だが、終わったらすぐに治療するよ」
小さく首だけ動かして、パストラルは肯定を示す。
必殺の一撃を構えるエンカ。
エンカに飛び掛るべく構える魔物。
エンカを援護すべく照準を合わせるパストラル。
永遠より永く、そして刹那よりも短い膠着の中、最初に動いたのは【手負いの襲撃者】だった。
発達した足の筋肉を躍動させながら、砂煙とともに樹海を駆ける。
その荒々しさは、されどどこか美しさを感じさせるほどに、見事なまでの迫力を伴っている。
次に動いたのは、パストラルだ。
巨体ゆえに痛覚が鈍く、そして皮膚も硬い。だがそれでも生物ゆえ、身体の末端へ向かうほど、神経が密集し、痛覚も高いはずだ。
その推測のもと、【手負いの襲撃者】の速度と愛銃の弾速、そして魔物と弾丸の軌道を計算する。
右半身はほぼ動かない。だがそれでも問題はない。左半身は銃と一体化し、引鉄は自らの指と同化する。指を動かして撃つのではない。銃はもはや脳の信号により、弾丸を発射する身体の機能の一部だ。
培ってきた経験と、そこから来るカン――そして、状況を分析し尽した頭が、同時に、撃てと命令を下す。
パストラルが撃とうと思った時には、もうすでに、左腕は火薬を炸裂させ、鉛の塊をその指先から放っていた。
エンカはまだ、動いていなかった。
魔物の速度は思ったよりも速い。
タイミングを取り直しているヒマはなかった。間合いに入ったら抜かなくてはならない。
抜く前に斬り終えておけ――師の言葉が頭を過ぎる。
それはイメージの話だった。鞘から抜くと同時に斬る――ブシドーが身に付けし【道】が技の一つ【居合い】。
居合いの達人同士の戦いであれば、鞘の中のみで勝負が決まるという。
それをブシドー以外に使うのであれば、抜く前に斬って見せよ――それが師コブシの教えだ。
ゆえにエンカもまた、本気で居合いを使う時は、抜く前に、相手を斬ることに成功した像が見えるまで、抜くことはない。空想で斬り、現実で同様に斬る。
例え現実で斬れても、空想で斬れていなければ成功したとは認めてくれない。それがコブシという師であった。
そして、今はまさに、本気の居合いを使う時。
習った通りに考えるのならば、エンカはすでに【手負いの襲撃者】を斬っていなければならないのだ。
だが、斬れていない。斬れるイメージが浮かばない。
じりじりと、焦燥が身を焦がす。しかし、それに耐えなければ逆に自らが危ないのだ。
魔物は間合いの三歩外。まだ斬れない。
魔物は間合いの二歩外。まだ斬れない。
魔物は間合いの一歩外。なぜ斬れない……ッ!
魔物の間合いは後半歩。ダメだ。現実だけで斬るしかない。
そして、魔物は間合いに入る。
(くっ――もう、抜かないと……ッ!)
そう判断し、全身に力を入れた瞬間――
(何?)
ほんの僅かな時間だが、【手負いの襲撃者】が動きを止めた。
足の小指から血が出ている。たたらを踏む魔物。
その一瞬の中。エンカは抜く前に敵を斬る。
(見えたッ!)
小指の傷はどう考えてもパストラルの援護射撃だろう。あれだけのケガをしても約束は守ってくれた。チャンスが生まれた。
後は――
(わたしが斬るだけだッ!)
――刮目せよ!
エンカの身体が沈む。【手負いの襲撃者】がケガをしながらも強引にこちらへと進んでくる。
――これが、
エンカは力強く一歩踏み込む。
――
シャ……ァンという涼やかな鞘鳴りを奏でながら刃が抜かれる。
「ああああああッ!」
呼気と共に、壮絶な気合いが喉の奥から迸る。
木漏れ日に照らされ輝く刃が、白銀の弧を描いた。
「斬――ッ!」
――煌めき也ッ!
一瞬の交差。
直後の一瞬の静寂。
残心の姿勢で、エンカは軽く息を吐く。
魔物は動く気配がない。
チ……ンという音共に、刃が納刀された。同時に、【手負いの襲撃者】の首が、重々しい音を立てて地面に落ちた。それに遅れること数秒、首を追うように魔物の巨躯が大地に倒れる。その音が、部屋全体に鈍く響き渡る。
「……ごめんね」
そんなエンカの呟きは誰の耳へと届く事無く、風に溶けて、消えていった。