「た、助けてくれ!」
エンカとテネレッツァがしばらく進むと、悲鳴のような声が聞こえてきて、二人は素早く身構える。
十字路の右の方から走ってくるのは、一組のギルド。満身創痍のソードマンが、ぐったりとしたパラディンを背負っている。その後ろを必死に走るメディックとアルケミスト。そして、アルケミストから肩を借りているガンナーだ。
エンカが地面に目を落とすと、
となれば、彼らが必死になって逃げている相手は決まっている。
「パストラルかカロレがいると楽だったんだけどね」
「無いものねだりをしても仕方がありません」
「だね」
カタナを持つ左手に力を込めて、エンカはそっとその柄に右手を添える。
エンカ横で、テネレッツァは親指で、彼らに進むべき道を示していた。
その合図に希望を見出したように、最後の力を振り絞り、彼らは走る速度を上げる。
「テネ先生。この前の襲撃者の時みたいに、一瞬でもいいので、動き止められませんか?
あの角鹿が変な足使いをする前に、一撃で決めたいので」
「難しい注文だが――短期決戦は僕も望むところだしね」
エンカ達【S4U】は過去に数度、鹿と戦っている。ある程度の習性や行動パターンは把握しているつもりだった。そのことから、正直――二人では厳しいことは分かっているし、それ以上に、こちらを幻惑してくる独特のステップが非常にやっかいなのだ。
ゆえに、向こうが何かする前に牽制し、その一瞬の隙をエンカが決める。
テネレッツァはカバンから、何らかの薬品が入っているらしい試験管を取り出す。
それから足元の小石を拾った。
「そんな小石で何をするんです?」
「ま、即席でパストラルの真似をするにはこれかな、と」
訝るエンカが次の言葉を発する前に、冒険者達が目の前にやってくる。
テネレッツァが示す通りの道――エンカ達が通ってきた道だ――に、彼らは入っていく。
それに遅れるように、通りの向こうから鹿がこちら目掛けて駆け寄ってきた。
テネレッツァが試験管を正面へ向かって放り投げると、拾った小石を親指で弾いて飛ばす。
それは見事に宙を待っていた試験管を捉え破壊する。同時に、試験管の中に入っていた赤い液体が撒き散らされた。
その赤い飛沫のなかを角鹿が駆け抜けてくる。
直後――
顔を左右に振り始め、目に見えて走る速度が遅くなった。
それで充分。すでに準備は出来ている。
もがきながら、それでも走りよってくる角鹿を見据えて、エンカは一歩踏み出した。
シャラァ――――ンッ!!
エンカの右手がブレるやいなや、涼やかな音と共に、刃が抜き放たれる!
銀光の奇跡は、それそのものが白刃であるかのように、見るものの目に鮮烈な光を焼き付けると、僅かな間もおかずに納刀された。
白刃の奇跡は――鹿の首を通り抜けている。
ぐらりと、鹿の体が傾くとゆっくりと地面へと横たわる。その衝撃で、首と体が分断された。
「ふー……っ」
大きく息を吐いて、エンカは残心の姿勢を解いた。
「テネ先生。あの人たち!」
「ああ」
いくら強靭な体を持つ鹿とはいえ、流石に首を落とされれば息絶えるだろう。二人は鹿の生死の確認をするまでもなく、通路の中ほどでぐったりとしているギルドへと駆け寄っていく。
「大丈夫ですか?」
「助かりました……」
テネレッツァはすぐに、朦朧としているパラディンに駆け寄ると応急処置を開始する。
「糸はお持ちですか?」
「それが……買ってくるのを忘れてしまいまして」
リーダー格だろうソードマンは面目なさそうに、そう告げる。
しばらく考えてから、エンカは自分の腰の巾着からアリアドネの糸を取り出してそのソードマンに手渡した。
「これを」
「え? いいんですか!?」
驚いた様子の彼にうなずくのは、エンカではなくテネレッツァだ。
「それを使って今すぐに彼を薬泉院に連れて行った方がいい。ここで出来る応急処置では、限界があるからね。
それに、そっちのガンナーさんの足を思うと、普通に魔物と戦いながら街へ戻るのは辛いだろう?」
うなずくガンナーを見て、ソードマンは申し訳なさそうにそれを受け取った。
「ありがとう……ございますッ!」
「あ、帰る前にひとつ確認したいんですが」
「はい」
「SOSってあなた達ですか?」
ソードマンが首を横に振るのと同時にハッとする。
「そうですよ! 僕達以外にも危険な人がまだ!」
「はい。それは私達が助けに行きますから。皆さんは自分達が助かることを優先してください」
エンカの言葉に四人はうなずくと、一箇所に集まってアリアドネの糸を掲げた。
光に包まれて姿を消したギルドを見送って、二人は嘆息した。
「すみません。大事な糸を」
「いや、悪くない判断だ。見殺しにするのは寝覚めが悪いしね」
「一応、先生の糸があるから大丈夫ですよね?」
「あー……」
火のついていないタバコを咥え、そのままピコピコと上下に動かしながら、ひどく申し訳なさそうに、テネレッツァが告げる。
「ごめん。僕が持っていた糸はなくしてしまったんだ」
「え?」
「いやぁ……恥ずかしい話なんだが、息絶えているリスを見つけてね。
これも何かの縁だろうと、手厚く葬ってやろうと近寄ったら――」
「近寄ったら?」
「実は死んだフリだったようでさ、口の開いてたカバンから糸を盗んで走っていちゃって……」
あっはっは――と、テネレッツァは笑うが、エンカは胸中で青ざめていた。この状況下でアリアドネの糸が手元に無いことになるのだ。
「とにかく、一刻もはやくパスティやカロレさんと合流しましょう。私達二人だけの状態で、ピンチになったら大変です」
「そうだね。失点もちゃんと取り返さないとね」
「お願いしますよ、テネ先生!」
横薙ぎされる太くしなやかな蔓の一撃を、パストラルは姿勢を低くしてやりすごす。その範囲から離脱していたカロレはすかさず矢を放った。
放たれた矢は、ラフレシアの根に突き刺さるが、それを意に返す様子もなく突き進んでくる。
「チィ……植物だけに、痛覚とかがなさそうだなオイ!」
「あったとしても鈍感なんでしょうね」
振り返りながら数度トリガーを引く。やはり、何発か当たるもののやはり効果が薄い。
「姐御。火炎弾とか持ってないのか?」
「生憎と――火薬や薬品の調合って苦手なのよね」
銃の腕には自信があるけれど、などと嘯くが、それでどうにかならないからこそ、別の方向をカロレは考えたのだろう。
ラフレシアが数本の蔓を伸ばしてくるッ!
二人は左右に散開するようにそれらを
だが、その着地を狙うかのように細い蔓がカロレの足を払って、転ばせる。
一方で、ラフレシアは顔をパストラルに向けると、柱頭牙に囲まれた空洞が何かを吹き出してきた。
「……花粉ッ!?」
確か、カロレが毒性の花粉を持っていると言っていた。
どんな種類の毒であるかは不明だが、吸って良いことなどありはしないだろう。パストラルは銃を持っていない左手で、鼻と口を覆う。
それでどうにか出来るとは思っていないが、最低限の気休めになれば――そう思っての行動だったのだが、まったく予想外のものがパストラルを襲った。
「冷……た……ッ」
吐き出されたのは、痛いくらい冷たい息だ。
凍えるほどではないものの、春のような気候であるこのフロアで浴びるには冷たすぎる。その冷気は一瞬にしてパストラルから体温を奪い去っていった。
「……っ」
晩秋の明け方に裸で寝ていた感じと例えるべきか。とにかく、全身が冷え、末端は完全に
動けないほどではない。だがいつも通り動くには支障がある。
春のような樹海の気温が、気持ちよく身体を温めてくれるものの、それで全快するには時間が掛りすぎる。
(まず……ッ!)
そう思った時、ラフレシアは太い蔓を二本、パストラルに向かって伸ばしてきた。
片方は右手に、もう片方は左足に巻き付いて、彼女の身体を持ち上げる。
「――――ぁぁぁッ!」
そのまま一気にあの空洞へと飲み込まれ死ぬのだと、彼女はそう思ったのだが、ただ持ち上げられただけで、一旦、蔓は動きを止めた。
「……な、なに……?」
予想だにしない、未知の行動。
他の魔物であれば、このまま噛み付かれても不思議はない状態での不可解な動き。
「え……? い、いやッ!」
そして、無数の細い蔓をパストラルに巻き付けててくると、その内の何本かが袖や裾、襟から服の内側へと侵入してくる。
「ちょ……なに? なんなのよ……ッ!」
もぞもぞと、服の中という狭い空間内を這い回る蔓達は、当然パストラルの柔らかな肌の表面を擦っていく。
「変なトコ入ってこないで……きゃっ!」
その不快でおぞましい感触に、パストラルは身をよじって抵抗するがその程度でどうにかなるものではなかった。
「こいつ……もしか、して……ッ!」
その動きの意味に、パストラルは気が付いた。
「服や装飾品が……んっ……自分の栄養にならないことを……っ……知ってるの?」
それはつまり、このラフレシアが何人もの人間を捕食して学習したことの証明だといえよう。
少なくとも、今着ているものを破かれて裸にされるまでは食べられることはないということだ。
(正直、誰かに裸を見られるのは嫌だけれど……)
その羞恥心も、生きているからこそ感じるものなのだ。
見れば、ただ転ばされただけかと思ったカロレは、地面に横たわったまま動かない。
彼が生きているにしろ死んでしまっているにしろ、助けとしてはあてにならない。
(……カロレ! 死んでたりしたら……さすがに私の寝覚めが悪いわよ……ッ!)
そう叫ぼうとして、声がうまく出せないことに気が付いた。
(あ……あれ……)
身体が拘束されていたのと、全身を這い回る蔓の感触のせいで気が付くのが遅れてしまったが、全身に力が入らなくなっている。
「はぁ――――――あ」
(これ、悴んでるとか――そういうのじゃ……ない……)
まるで高熱に浮かされているかのような、ひどく気怠い痺れ。
「ふぅ……はぁ――ぁ……はぁ――」
その上、まるで何キロもの距離を走ったかのように息が荒くなっている。
(……毒……? そりゃまぁ……そうよね……これだけ……近くにいれば……花粉をモロに……)
不思議な感覚ではあった。じわじわと、身体中に毒が巡っていき、力が抜けているのを感じているのに、危機感がまったく働かない。
きっと、思考が緩慢になってきているのだろう。
(……あー……まずい……気を……しっかりもたない、と……)
食べられてしまうより先に、毒が回って――
(まったく……迷宮に……来てか、ら……毒に……縁があ、る……わ…………ね)
全身の感覚が狂い始めているのだろうか。
「んん……っ」
さっきまでおぞましく感じていた、蔓が身体を撫でていく感触が、むず痒いようなこそばゆいような――不思議な刺激にすり替わっている。
(なんだか……気持ち……いい……)
その感覚が非常に危険な兆候だというのは何となく分かるのだが、それ以上の考えが出てこない。意識と思考が混濁している。
「ぁぁ……っ……ぅぅ……ん」
勝手に漏れる変な声とともに、きっと自分の生きようとする意思も漏れているのかもしれない。
(全身を、マッサージ……されて、る……みたい……)
身体をかみ砕かれ、激痛にのたうち回りながら死ぬくらいなら――
「ん……ぁ……ぅ……」
この気持ちの良い感覚のまま、毒死した方がマシかもしれない――ぼんやりとした思考の中で、そんなことを思い始めた時――
「パスティィィィィィィィィィィィィィッ!!」
耳に良く馴染んだ声が、響いてきた。
その声を聞いた瞬間、鈍っていた思考が少しだけクリアになる。
「え……んか……」
シャラァァァ――――ン……。
まるで全身を浄化してくれるかのような、涼やかな音と共に、焦点の定まらないパストラルの視界の中で、
「斬――――――ッ!」
息を飲むような美しき銀閃が刹那の中で煌めいた。