キシャァァァァァァァァッ!
奇声のような悲鳴が聞えるのと同時に、パストラルを拘束しいた蔓から力がなくなる。
万全の状態であれば、その状態からでも姿勢を直して着地することができただろうが、今はまともに身体を動かせない。
ふわり……そんな浮遊感と、その一瞬後に身体が落下していく感覚。
そのまま地面に落ちてしまうのかと思ったが、急に落下感がなくなった。地面が自分を受け止める前に、誰かが受け止めてくれたらしい。
「やぁ――あんまし、大丈夫ではなさそうだね」
聞き慣れた、優しく低い声。
「せん……せい……」
安堵したのも束の間、捕らえた獲物をみすみす逃がしてなるものかと、ラフレシアが途中で切れた蔓を振り回す。
「そろそろ、君の出番は終わりだ」
向けられた蔓を見据え、テネレッツァは眼鏡の奥から、ラフレシアを睨み付ける。
「破――ッ!」
向けられた蔓の
「先生! パスティとカロレさんを!」
「ああ」
彼はひとつうなずくと、パストラルを抱きかかえながらも軽やかにその場から離脱して、カロレの元へと駆け寄った。
その横にパストラルを降ろし、二人の状態を確認する。
パストラルの症状は見るまでもなく毒だ。
だがカロレは――
「カロレ?」
「ぐ……痛ぅ……旦那?」
「うん。君は毒や大きな怪我はなさそうだね。意識を失ってただけか」
「面目ねぇ――っとそれよりラフレシアはッ!?」
勢いよく起き上がろうとして、カロレはふらついた。
それをテネレッツァは支えながら――
「無理はしな方がいい。それと、あの大きな花ならエンカちゃんが足止めしてる」
言われて、カロレはラフレシアへと視線を向ける。
「旦那。あいつの花粉には毒が含まれてる。吸い続けると――」
「なるほど。パストラルはそれにやられたんだね」
テネレッツァは鞄から黄金色の液体を取り出すと、それをパストラルの口元に持って行く。
「飲めるかい?」
だが、口元は微かに動くのだが、それ以上の動きがない。
「まずいな」
意識が薄れているからか、それとも力が入らないのか。あるいはその両方か。
微かに上下する胸は非常に不規則で、元々白い肌はさらに白くなっている。
あちこち破け、あるいははだけた服が、その様子と相俟って非常に扇情的だった。
「――ッ」
唇を噛みしめる。
一瞬とはいえ、そんな姿をしたパストラルを色っぽいと思ってしまった自分を恥じる。同時にカロレの中で何かが弾けた。
「俺の――俺が――」
口の奥で小さく呟くと、落していた弓を拾う。
「カロレ?」
「姐御を頼むぜ……旦那ッ!」
そう告げて、カロレは羽織っていた革のマントをパストラルに掛けてやると、何かを決意したように駆けだした。
背中の矢筒から矢を二本手にとって同時に
エンカに気を取られこちらへ無防備な背を向けているラフレシアに――
「このォ――――クソっ
カロレはその二本の矢を同時に射った。
パストラルの状態がまともではないことは、一目見た段階で気付いていた。
そんな風にしたこの花に対して、自分が怒っているのだと自覚するのと同時に、ひどく冷静な自分がいるのにも、エンカは気が付いていた。
感覚が極限まで研ぎ澄まされている。
この初めて会う魔物ではあるが、花粉には毒がある――漠然と、エンカはそれに気が付いていた。
自分自身でも不思議なのだが、この戦いの最中、花粉の粒子一つ一つがまるで自分の目に映っているような気がするのだ。
無論、それで花粉を吸うのを防げるわけではない。だが、その時その時で、どの場所の花粉が濃くなっているのかが分かる。
そこへ行けば必要以上に花粉を吸ってしまうのだから、そこを避けるようにエンカは蔓にようる攻撃を躱していく。
良いテンションだ――と、エンカは思う。
身体は一番ベストな熱を帯びているのに、思考は冷静すぎるほどに冷静だ。
研ぎ澄まされた感覚は、本来知覚出来ないものまで、知覚出来るほど鋭くなっている。
こんな状況でなければ、今の
(でも――一刻も早くパスティを連れて帰らないと)
だから、隙を見つけ、一瞬で終わらせる。
ラフレシアがこちらに向けて何かを吐き出してきた。
花粉ではない。それが冷気なのだと、エンカは悟る。これで獲物の身体を冷やし、動きを鈍らせたところを捕食するのだろう。
その放たれた捕食の冷気を見据えていると、エンカは自分でも驚くべきそれを知覚する。
(冷気……なんだよね?)
刹那の中で首を傾げてしまうほど不可思議が知覚。
目に見えない冷たい吐息であるはずのそれの中に、刃が見えた。あるいは拳。あるいは矢。
最初はどれでもなく、どれでもあったのだが、迫り来る捕食の冷気を見据えているとそれが、一本の弓矢のように感じられるようになってきた。
そこから先はほとんど無意識だ。
真っ直ぐに飛んでくる、捕食の冷気という矢にむけて手を伸ばす。
それを矢だと知覚することが出来たところで、気体である以上は受け止めることは出来るはずがないと、そう思っているのに――
右手が、それこそ本物の矢を白羽取りするように、捕食の冷気の中核たる矢を握りしめた。
瞬間――捕食の冷気が完全に霧散する。多少はひんやりとした空気がエンカに掛るが、それは動きを鈍らせるにはまったく至らないものだった。
「このォ――――クソっ花ァァァァッ!」
そして、その直後にカロレの声が聞え、花の魔物がグラついた。
瞬間、エンカはそれを視た。
自分が斬るべき軌跡と、走るべき軌跡を。
――刮目せよッ!
右手が柄に触れる。
腰を落とす。
地面を蹴る。
「破ぁぁぁぁぁぁぁッ!」
弾かれるように駆け抜ける。
着地地点と次の着地地点までの距離を縮めるかの如く。
見るものにそう錯覚させるような走り方で。
――これが、
斬るべき場所はもう分かっている。
ゆえに躊躇うことはなく、この速度のまま払い抜ける。
――人刃一体の、
「――――――斬ッ!!」
抜刀の時の
――一閃也ッ!
鞘のギリギリまで刃を納めた残心から、納刀の最後の一押し。
チンっと軽い音を立てて、刃は完全に鞘に納まった。
それに呼応するように、ラフレシアが袈裟懸けにズレ、そのまま二つになった身体がそれぞれ音を立てて、ゆっくりと地面へと倒れ伏した。
冷たい冷たい海の底。暗い暗い海の底。
日の光の届かないその場所に、パストラルの意識は横たわっているようだった。
何も見えない、何も聞えないその場所で、パストラルは不思議なベッドに横たわる。
身体を包み込む柔らかな布団が心地よく、このまま眠っても構わないよと告げてくる。
「姐御ッ!」
布団の言葉に甘えて、意識を睡魔に委ねようとする度に、耳障りなノイズが聞えて、少しだけ睡魔が引く。
こんなに眠いのに、ノイズがひどい。まるで寝るのを阻害するかのように、水に阻まれくぐもった声が響いて聞える。
(眠いの……このまま寝かせて……)
声にならない声で、そう告げる。
「パストラルッ!」
遠い遠い場所にある、遙か彼方の唇に、何かが触れているような気がした。
「頼む……飲むんだ。飲んでくれ!」
(飲む……? 飲むって何を……? えーっと――っていうか、飲むって何だっけ?
何をすることを飲って言うんだっけ? あー……もう、考えるのとか、面倒よ……お願い――お願いだから……このまま、静かに……寝かせてよ……。とても……眠くて、眠くて、たまらないから……)
「パスティ! 目を開けてぇッ!」
今度のノイズは、ガツンと来た。
ほんの一瞬とはいえ、眠気が吹き飛ぶほど、脳の中に響き渡る。
(……なんだろう……今の……よく分からない、けど……このまま――寝ちゃダメなの、かな……?)
「先生ッ! その薬貸して下さいッ!!」
「それは構わないけど……」
「――って、おい! エンカ嬢、アンタがそれを飲んで……あ、なるほど」
海の外から聞える会話のようなノイズ。
でも、それは、不思議と耳障りには思わなかった。
遠い遠い場所にある、遙か彼方の唇に、柔らかく暖かい何かが重なった。
お願いッ! パスティ、目を覚まして……ッ!
今度ははっきりと、エンカの声がパストラルの意識に届いた。
口の中に、不思議な暖かみが生まれるが、それが苦しくて、どうしようもなくて……
(口の中に何か……流れ、て……)
喉の奥へとやってくるその優しい暖かみは、だけどそこで動きを緩めてしまう。
(苦し……飲まないと……)
無意識のうちに、自分の喉をゆっくりと嚥下させる。
その暖かい何かは喉を通り、お腹の方へとやってくると、今度は全身へと広がっていく。
その暖かいのが気持ちよかった。
今までの眠気を誘う冷たい心地よさとは違う。動きたくなるような、快活な心地よさだった。
海が明るくなる。水面までの距離が短くなる。
海の中で浮遊するベッドの上で、パストラルの意識ははっきりと二つの手を視ていた。
海上から伸ばされる小さく暖かみのある見慣れた手。
海底から伸ばされる、小さくあおみがかった見慣れぬ手。
二つの手が告げてくる。
どちらを選ぶも貴女しだい。
海から飛び出し目覚めのために、前者の手をとってもいいし、二度と目覚めに快眠のために、後者の手を取っていい。
寝ているような起きているような、どっちつかずのそのぼーっとした中で、パルトラルの意識は、その片方の手を取った時、闇の中へと落ちていった。
パストラルが目を覚ますと、そこはあまり馴染みのない――だが、見覚えのあるベッドの上だった。
「……ここ……」
薬泉院のベッドだ。
誰か周りに居ないのかと首を動かそうとしたとき、
「お? 目ぇ覚めたみてぇだな」
「カロレ……」
すぐ側から知り合いの声が聞えてきて、少し安堵する。
パストラルは身体を起こそうとするが、なまりのように重くなっていて、うまく動かせない。
「無理すんなよ。姐御は三日も寝てたんだ。身体が鈍りまくってるだろうかよ」
「それはまた……カンを取り戻すのが大変そうだわ」
大きく息を吐き、彼女はベッドの中で肩を竦める。
「命あっての物種、だろ?」
「そうね。こんな悩みも生きているからこそ、ではあるわね」
まったくもって、面倒なことではあるのだが。
「ねぇ……。私、ラフレシアに捕まってからのこと、イマイチ覚えてないんだけど。どうなったの?」
「別に――どうってことねぇよ。エンカ嬢とテネの旦那が助けてくれた、それだけだ」
ぷいと視線を逸らして、カロレはぶっきらぼうにそう告げた。
「それだけって……」
「マジでそれだけなんだって。俺も途中で気を失っちまったから、旦那に起こされるまで何があったかなんて、知らねーんだけどな」
確かに、記憶の中に残っているカロレは倒れていたのだが――なんだろう、ちょっと釈然としない何かがある。
「ねぇ……カロレ」
「な、なんだい姐御」
「見てたわね?」
そのカマ掛けに、カロレは面白いように顔色を変えてのける。
「ば、バカ言うなよ! み、見損なわないで欲しいぜ!
そりゃあ、妙にエロい声出してるなぁ……とか――いや、そんなの思って無くて!
と、と、と、とにかく助けようとしたんだけど、起き上がったところに、一発良いのをもらっちまって、気絶しちまって……えーっと! だから! だからな! ホントだぞ!?」
ジトーっと、カロレの慌てふためく姿を見ながらも、記憶にうっすらと残る叫び声を思い出す。
(この、クソっ花……ね)
その時の声と、今の慌てふためく姿のギャップに、思わずクスクスと笑ってしまう。
「なんだよ?」
「いいえ。捻くれずに素直にがんばったコトだけ言えば、別に私も睨んだりしないのに……ってね」
「な、何の話だよ」
「別に……そういう捻くれ方もありなのかもねって」
「???」
困惑顔のカロレを見ながら、ひとしきり笑った後で、ふと思い出したようにパストラルは自分の唇に触れる。
「ねぇ――」
「何だ?」
「ううん……やっぱいい……」
「エンカ嬢だよ」
「え?」
「もう口を動かす力もなくなってた姐御に、エンカ嬢は口移しで、旦那特製の毒消しを飲ませたんだよ」
「そう」
小さく小さく微笑んで、パストラルはもう一度だけ唇に触れた。
(う……なんかヤバイ)
小さく微笑むその顔が、
(――むちゃくちゃ可愛いじゃねーか!)
普段、勝ち気でどこか澄ました感じとは違う、柔らかなその顔に、不覚にもカロレの胸がときめいた。ときめいてしまった。
(いや、だが……しかし! どー考えたって、今の俺はエンカに勝てねぇだろ!)
その横顔にドキドキしながら、胸中で彼にしか分からない色々な葛藤を短時間で高速処理していると、病室の入り口のドアが開く。
「パスティ!」
持っていた荷物を放り投げて、エンカはパストラルに飛びついた。
「ちょ、ちょっとエンカ……」
放り投げられた荷物はテネレッツァが器用に全てキャッチしている。ある意味でこのメディックも中々謎の人物である。
それはそれとして――
「こっちはまだ病み上がりなんだから……」
「だって……だってぇ……」
抱きついてくるエンカに困った顔はしているものの、別にパストラルは嫌ではないらしく、引き離す気はないようだ。
(むー……結成してまだ大して時間が経ってねぇらしーんだけど)
それでも、まぁ、エンカが泣く理由も分からなくはない。
薬泉院の医師の話では、テネレッツァの持っていた解毒剤がなければ、命が無かったかもしれないと言われたのだ。
適切に調合された解毒剤であったが、それでももはやパストラルの体力と精神力だけが、命の明暗を分けるほど衰弱してると聞かされれば、さすがに気が気ではない。
「ま。まだ先は長いんだ。がんばるといい」
「うっす。そのつもりですよ――て、え?」
テネレッツァに思わず顔を向ける。何やら彼はこちらへ向かって一瞬だけ親指を立てていた。
どうやらがんばれという彼なりのエールらしいが。
(勝てるのかねぇ……俺は。
あらゆる意味で、ラフレシア何かよりもずっと強敵っぽいんだけどよ)
きっかけがどうあれ、どうやら自分は本気で惚れてしまったようである。
「ま、適当にがんばりますよ」
「ああ。応援はしないががんばってくれ。玉砕してくれると僕としては面白いんだけど」
この眼鏡。ひでぇ。
おまけ.
「ところで、私とカロレは糸を持ってなかったんだけど大丈夫だったの?」
「私とテネ先生も持ってなかったよ」
「え? じゃあどうやって帰って来たのよ?」
「え?」
「え?」
初出
2009/9/27(たぶん)