前世の記憶が戻ったので、シャーレでハッピーエンドを手に入れたい 作:うどんそば
私がトリニティから出向になってから一ヶ月が経った。もうすっかり生活には慣れ、居住区の一室はこれからも私専用にしてくれるという先生の気遣いから、こちらも第二の家のような感じになってきている。
「ねえ先生」
”ん? どうかした?”
「いや、最近セイアちゃんと全く連絡が取れなくてさ。いつもなら、二日に一回はモモトークが来てたんだけどなあ……先生は知らないかなって」
”うーん、知らないかな。あ、そういえば、今日で出向が終わりだから私と一緒にティーパーティーに挨拶に来てほしいらしいよ”
「へえ、じゃあその時居るかも。まあ入院中だしいない可能性が高いとは思うけどね」
とりあえず、何かあったならミカちゃんか、ナギサちゃんから連絡されるでしょ。私達の仲だしね。
とにかく、ようやく出向が終わるんだから、しっかりナギサちゃんにしたことを報告しないと。じゃないと何をしに行ったんだって話だしね。……ちょっと面倒だけど。
”じゃあ、早速行く?”
「いいの?」
”キタノと一緒だから、仕事にも余裕はあるしね”
そう言った先生は制服を着直して、にっこりと笑った。私も立ち上がって同じように笑った。なんだかんだ久しぶりのトリニティだ。楽しみだなあ。
●●●
「あれ?」
久しぶりに来たトリニティは、少し物々しい雰囲気に包まれていた。
いや、普段と同じはずなのだけれど、どこか違うのだ。なんだか、嫌な予感がする。そういった類の違和感。それがどこかしこから漏れ出てきている。
”なんだか少し落ち着かないね”
「うん。なんか変だね。少し嫌な空気」
それでも帰る訳にはいかない。羽織についた、レイサとおそろいに作ったバッジと、ティーパーティー関係者のであるバッジを撫でて、行き慣れた道を辿った。
変にしんとした廊下を歩き、少しずつ廊下を歩き、いつもの部屋の前に置かれた椅子に座る。
「どうも、ここで待っていないといけないみたいだね。先生から入ってきてほしいって」
モモトークを見ながら、先生にそう言う。
”別々なんだね”
「まあ、そういうこともあるでしょ。ナギサちゃんのことだから、先生にお願いがあるのかも。まあそうだったら、どんな内容でも聞いてあげてよ。考えなしにこういうことをする子じゃないから」
”うん。それは、シャーレの名に誓うよ”
いってらっしゃい、と手を振って、扉の向こうに行く先生を送る。……さて、私は先生が来るまで暇なわけだけど、とりあえず今の状況を整理しなきゃ。
まずモモトーク。なぜか一気に他人行儀になったナギサちゃん。これはまあ気の所為という事も考えられる。次に、何故か謝るような文言を何度も送ってきたミカちゃん。そして連絡がつかないセイアちゃん……これは、ほぼ間違いなく、『あれ』だろう。
となると、この後どうなるかは私にはわからない。なんて言ったって、私が居るというそれだけで崩壊しかねないそんなシナリオだからだ。
中から、珍しく先生の大きな声が聞こえる。かろうじて怒声にはなっていないが、それの一歩手前のような声。一ヶ月とはいえ、濃密な時間を過ごした私には、一度も向けたことのない声だ。
ガチャリ、とドアが開いて、一瞬私にとんでもなく深い悲しみと怒りを携えたような瞳をぶつけた瞬間、先生ははっとして、いつものように顔を緩めて、安心したような縋るような目で、しっかりと私を見た。
”……キタノ”
「うん。先生は先生を全うしてよ。私のことは気にしないで」
それだけ言うと、先生を送り出すように、帰りの方向に背中を押した。きっと今の状態の先生には、一人の時間が必要だ。
「さて、じゃあ次は私の番だね」
ドアをノックする。すると、中からどうぞという声が聞こえ、私はドアを開けた。
「やっほー。……やつれたね」
「そうでしょうか……」
無表情のままナギサちゃんは言う。元気も明らかになくなり、やつれ、完璧な所作は、ところどころほつれを感じさせる。
着席を促され、私はいつもセイアちゃんが座っていたところに座った。すると、そこに紅茶が置かれる。
「ふう……まず、一ヶ月のシャーレへの出向、お疲れ様でした」
「いやいや! ああいう機会をくれてありがとうね。すごく楽しかった」
「そうですか……それなら良かったです。ヒフミさんからも、キタノさんの活躍をお聞きしていました。先生も、正式にシャーレ専任生徒にしないかと冗談を言われるくらいには……流石キタノさんですね」
「へえ、みんなからもそんなに。嬉しい限りだなあ」
重い空気を打破しようと、少しでも緩い空気を出すためにおどけたように答えてみるが、ナギサちゃんは全く反応しない。そうしてそこから張り詰めた空気が支配した。
お茶を二杯、三杯。いつものナギサちゃんでは考えられないペースで紅茶を飲み続ける。なにかに集中しないとやっていられないと言わんばかりに。
そうして二、三十分。ようやくナギサちゃんは溜息を吐きながら、言葉をこぼした。
「帰ってきて早々で申し訳ないですが、キ、キタノさんを……あ、ああぁ……」
「落ち着いて。ナギサちゃん」
私の名前とともに震えだし、ティーカップを落としかけるナギサちゃんを支えようとすると……
「触らないで!」
「っ!」
その手を払い除けられた。そうして、初めて見るくらいうろたえたような顔をしたようなナギサちゃんは、深くうなだれて、嘲るように零した。
「今の私には、貴方に触れてもらい、支えてもらう資格など無いのです」
濃いくまを隠すこともなくこちらにその目を向けてきたナギサちゃんは、今度ははっきりと、一言一句を噛みしめるように言った。
「……キタノさんは、補習授業部所属とします。これから期限内に行うテストに合格してください」
「わかったよ」
「……え?」
まるで受け入れられるとは思っていなかったような声。あっけにとられたような、そんな間抜けた声。
「……成績優秀な貴方が補習授業部なのですよ?」
「うん。でも、ナギサちゃんが決めたことなんでしょ? じゃあ、なにか理由があるはずでしょ?」
確かに、未来を知っているということもある。それに、この部の設立の目的ももちろん知っている。でも、きっと知らなかったとしても私はきっとこれを受け入れただろう。
……私はナギサちゃんを信じているのだ。裏切られると知っていても。
「わかりました……では、明日から、補習授業部で、補習の日々を過ごしていただきます。今日のところは、それだけです。時間も時間ですし、もうお帰りになったほうがいいと思います」
疲れ切って言うナギサちゃんに背を向ける。そうしてドアを開けて、
「信じてるからね」
とだけ言って、その部屋を後にした。
ティーパーティーのにぎやかな声が聞こえていたはずの部屋からは、ただ一人の慟哭が聞こえてきた。
これから始まるのは、救いのない物語。まだこれはプロローグに過ぎないのだろう。それに、ここに居るのは『特異点』。私がころんだ瞬間、全てが無に帰し、各々が己の無力を呪うことになりかねない、そんな救いのない物語なのだ。
……セイアちゃんならなんと言うだろう。
そうだね。誰も得することのない、後味の悪い物語。それだけじゃないだろうね。何もかもが混沌で、何もかもを可しとしない。そんな物語とでも表現するのだろうか。
でも、これから私が紡ぐのは、誰もが最後に笑える。そんな物語だ。そのために、一生懸命に生きると誓ったのだから。傷つくことも、涙を流すこともあるだろう。それでも、最後に誰も欠けなければ……私の目に全員が立っているところを写せたら……きっとハッピーエンドなのだろう。
この世界線のナギサ、かわいそうでかわいい