翌日。
旧サテライト地域にある港への道をオレンジ色のトラックが走っていた。
「入口の辺りでいい。 そこからは足で探す」
「当たり前ぇだろ。 オレの車タクシー代わりにしやがる癖に偉そうに指図すんな」
「明日港に荷物を受け取りに行くからと言い出したのはお前だろ」
「人の善意に対する態度ってやつを話してんだよオレは」
多くの倉庫が立ち並ぶ港湾地帯。 ゲートを通過したトラックがゆっくりと脇に寄せられる。
「ほらよ。 埠頭はまっすぐ行きゃわかんだろ」
「恩に着るぞムクロ」
「頭っからそういう態度でいろっつのチクショウ。 ま、 健闘を祈るぜ」
そう言い残してトラックは倉庫群へと走り出し、大きな車体も脇に逸れればすぐに見えなくなった。
朝の陽ざしが燦燦と降り注ぐ、 まっ平らなアスファルト舗装の道をジャックは大股で歩き出す。
知らず、足並みが早くなる。
立ち並ぶ倉庫の数々や働く人々にわき目も振らず、 只管歩き続ける内にやがて海へと目いっぱい腕を伸ばすようにいくつものコンクリート製の道が伸びたエリアに足を踏み入れた。
既に十人からは居そうな、 それでいて港の職員には見えない人間が方々に散って作業している光景が目に入る。
「すまない。 少し聞いてもいいか」
手近な若者に声をかけると、 ジャックは早速カーリーの特徴を伝えてみる。
あぁ、とすぐに何か思い当たった様子の男は額の汗を拭うと、軍手を嵌めた手で倉庫付近の人だかりを指した。
「多分あっちで集めたごみの分別をしてくれてる人の中にいると思います。 彼女、 目が悪いから」
朗らかに笑う若者に礼を言って歩き出すジャックだが、 些か表情は硬い。
ゴミ袋の中身をシートに広げて何か作業をしている集団にズンズンと歩み寄るジャック。
やがてその姿を見とめたひとりが、 あまり清掃向けではない身なりをした男を訝し気に眺め始めた。
すまないが、と断りを入れて立ち上がった女性に事情を説明しようと歩み寄った時、 視界の端に目深にフードを被った妙な姿の人物を見つけた。
空き缶やらビンやら、 雑多にぶち撒けられたごみの前にしゃがみ込んで手を伸ばし、 身体を丸めて拾い上げた缶を鼻先で凝視している。 しばらくそうした後、別の袋が張られた箱に缶を放り入れてまた缶を拾う。
缶を拾う仕草もどこかおぼつかず、まるで暗闇で落とし物を探しているようにすら見えた。
「おい、お前。 そこの女」
一心不乱に缶を拾っていた女の手が止まり、 はっと顔を上げるが、 目元まで被ったフードが邪魔で顔を伺い知ることができない。
「貴様、フードを取れ。 人探しをして」
いるんだ、と言い切る前に。 フードの人物はバネ仕掛けを思わせる勢いで立ち上がり、駆け出した。
「な!?」
見えない何かに弾き飛ばされたかのように不恰好な姿勢のまま女が倉庫の中へと駆け込んでいく。
「待て!すまん、 通してくれ!」
作業中の人とゴミ山を迂回してジャックも倉庫に入り込む。
足音が奥から聞こえ、 そちらに向かう中でガァンッと重い金属音が響く。
音のした部屋に駆け込むと、 そこ奥には金属の扉。 上には非常通路を示す緑色のランプが灯っている。
「えぇい!待たんか貴様ッ!」
戸を蹴破らん勢いで開け放つと、倉庫同士が作る路地を走る後ろ姿があった。
コンクリートの大地を蹴ってその背中を追う。
次第にその背に追いつき、息せき切って走る女の息遣いが聞き取れる距離まで近づいていた。 存外足が遅い。
「くぅっ!」
手を伸ばす。
「カーリー!」
指先が僅かにフードに触れ、 風に捲り上げられたそれが背中へと落ちた。
ふわっと広がる髪。 はっとした声と共に頭を抑えるも時すでに遅く。
慌ててフードを追いかけた視線が背後の姿を瞬きの間捉える。
大きな眼。
燻んだ灰の、微かな青。
脳裡を掠める映像に胸を抉られるような痛みが走る。
伸ばした手が細い手首を掴む。
冷たい肌越しに早鐘を打つ脈動が伝わる。
互いの呼吸音だけが、 しばしの間薄暗い路地に響いていた。
やがて重々しい静寂が降りかかり始めたころ。
「・・・・ジャック、 よね・・・・ その声・・・・」
「カーリー・・・・」
カーリーの表情は髪に隠れて伺い知れない。
握る手首は本当にか細く、このまま握っていたら何かの拍子に容易く折れてしまうのではないと不安になるほどだった。
それでもジャックはその手を離せない。
また逃げられてしまう、という当たり前の警戒以上に、今手放してしまったら取り返しのつかないことになるような、 そんな警鐘が頭の隅で激しくジャックを苛んでいた。
「カーリー、俺は」
「やめて」
ジャックが何か言おうとするとカーリーは激しくかぶりを振る。
「聞け!いや、そもそも何故逃げようとする!」
「あなたには関係ないから!」
「有る!有るに決まっているだろ!」
ジャックの手にも我知らず力が入る。
強引に引き寄せると、 体勢を崩したカーリーがジャックの胸に飛び込んできた。
その両肩をすかさず掴んで、 それでも顔を背けようとするカーリーに、 ジャックは抱いていた一番の不安を投げかけた。
「・・・・思い出したのか」
その言葉を聞いても、 カーリーはジャックと頑なに顔を合わせようとしない。 だが、 既に彼女の身体に強張りは無く、抵抗の意思は無いように見えた。
「・・・・ジャック離して、 痛いの・・・・」
はっとしてきつく握り締めていた骨張った細い肩を放すと、 カーリーは少しよろけて二、三歩後退り足を停めた。
片手で肩を擦りながら俯くカーリーの顔を、先ほどまでに比べればいくらかうかがい知ることが出来る。
写真で見た以上に痛々しかった。
げっそりと痩せこけて頬骨が浮いている。
眼窩に向かって落ち窪んだ目の周りは隈というには深すぎる程で、唇も肌もこの薄暗がりで分かるほどカサカサに痛んでいた。
掌に骨張った感触が残る。
ギリリと、と音がする。
ジャックの握った拳の内側で爪が掌に突き立つ。
「あの時と」
ぽつりと細い声がした。
はっとして見ればフードを被り直したカーリーがジャックを見つめていた。
「あの時と同じような顔をするのね」
その一言が如何に雄弁であるかは言うまでもない。
「カーリー―」
「私ね。ジャック、私ね。今ね、 償いをしているの」
ジャックの震える言葉を遮って、掠れた声が語り出した。
「少し前にね、私、 全部、 思い出したの。 あなたにしたこと。 この町のみんなにしたこと。全部」
「カーリー」
「みんな殺したんだよね、 私。 あんな事していながらさ、 私、 頑張ってる人見て元気になるとか、希望を届けたいとか、そんなこと、 許されるわけないんだから」
「カーリーッ」
どちらの声も震えている。
怒りと哀しみと、 自罰の念が籠り、膨らみ、次第に声が大きくなっていく。
「お願いだから放っておいて。 私なら大丈夫、別に死んじゃったりする気も無いから。 死んだりなんか、そんな風に逃げたりして、いいわけ、ないんだか一」
「いい加減にしろカーリーッ!!」
ジャックの怒声にカーリーの肩がビクリと跳ねる。
一歩、ジャックが歩み寄る。
「カーリーいいか、俺はな」
カーリーが二歩下がる。
「だから、ジャックは、私の事なんか忘れてよ」
ジャックがまた一歩距離を詰める。
「俺は、お前をずっと探していたんだ」
カーリーが遠ざかる。
「やめて」
一歩。
「俺はお前を」
二歩。
「お願いやめて」
手を
「迎える為に今日まで!」
激しく振り払う。
「やめてって言ってるじゃないッッッ!!」
バチンと痛々しい破裂音。 張られた手の甲がジクジクと熱く脈打つのを気にも留めず、ジャックは唖然としてカーリーを見つめていた。
「それだけはダメ。 絶対にダメなの」
掠れて上擦った言葉が震える唇から紡ぎ出される。
ジャックを打ち据えた掌を潰しそうな程に握る手も、表情を隠すフードも、肩も、膝もが、見ているだけで不安を催すほどに震えている。
「お願いジャック。一生のお願いなの」
ふらつく足取りで踵を返す。
「待て!」
ジャックは動かない。
今にも浮き上がりそうな爪先を捩じ伏せて、立ち去ろうとする女の背に渾身の言葉を投げかけた。
「お前がダークシグナーだった時のことを思い出したのなら!覚えているはずだ!」
ふらり、ふらりと柳のような頼りなげな足取りで少しずつ遠ざかるカーリーを、敢えて追わない。捕えない。
力づくではダメだ。
「忘れたとは言わさん。お前が罪を背負おうとするなら俺は」
「誰かの幸せを願う事が罪なら俺も同罪だ、だったかしら」
足が止まる。
ふふふふ、と肩が揺れる。
ゆらりと振り返る女の口元に歪んだ微笑みが張り付いていた。
そこから紡がれる言葉は、先ほどまでの震えた哀れっぽい物とは違う、何か別の生き物にすり替わったようなひどく冷たい声色をしている。
「ふ、ふふふ、お馬鹿な人。覚えてるに決まってるじゃない、そんな臭いセリフ」
「なーーーーな、ならばこそだ!お前一人で何が償いだ!ずっと思っていた、お前がいつかダークシグナーの時の行いを思い出した時、俺は必ず共に背負うと!」
ゆっくりと歩み寄る。
女は逃げず、半身のままジャックを見つめている。
「今の俺にはそれができる。お前を救いたいんだ、カーリー」
「やめてよね」
やはり、氷のように冷たい声だった。
目の前まで来たジャックを見上げる瞳も冷ややかに、口元を醜く歪める。
「私は人殺し。欲に駆られてダークシグナーとしての自分を受け入れたのは私。私の罪に勝手に触らないでちょうだい」
「うーーぁ・・・・」
裾が翻り、再び向けられた背がゆっくりと遠ざかっていく。
縫い付けられたように足が動かない。手を伸ばしても届かない。
声が、出ない。
離れていくカーリーが僅かに歩みを緩め、顎だけが辛うじて見える程度に首を向けると。
「もう、私を見つけないで」
フードに手を添え、その縁を固く握り締める。
「さようなら、 ジャック」
その言葉を最後に、カーリーは静かな足取りで路地を曲がると姿を消した。