大変ねコレ…
路地がほんの少し明るくなり、ジャックは空を見上げてようやく我に帰ることが出来た。
何度も何度も、カーリーの言葉を反芻する内にいくらか時が過ぎてしまったようだった。
今は動く足でゆっくりとコンクリを踏みしめながらカーリーの消えた路地へ向かうが、当然もう、そこに彼女の姿は無い。
忙しなく行き交う人々の足音と話し声が今更になって耳に入ってきたことで、また少し正気を取り戻してジャックはその場を後にした。
なぜ。
どうして。
そんな言葉ばかりが頭の中を飛び交って思考がまとまらない。
彼女がダークシグナーだった時の方が余程会話が出来たのではないかと思うほど。
それほどに強い拒絶の意思を叩きつけられて、ジャックは心はひどく落ち窪んでいる。
なぜ。
なぜそれ程までに拒絶されたのか。
どうして。
どうして、ジャックの言葉を、あの時の、あの最期の瞬間を覚えているのなら。
なぜ。
カーリーが、心優しく、他者を強く思い遣れるカーリーがダークシグナーとして働いた虐殺を思い出せばきっとひどく傷つく。
そんな事は分かっていた。
(だから、俺は)
だからといってどうしてそこまで自分の身を削るような償い方を選ぶのか。
「私の罪に勝手に触らないで」
カーリーの声が頭蓋の内に何度も反響する。
「やめてって言ってるじゃないッッッ!!」
撥ね退けられた手、痛みは引いたのに、未だ熱く脈を打つように感じられる。
「どうして独りで背負おうとするんだ…カーリーーー」
額を抑えて壁に拳を打ちつける。
硬くざらついたコンクリが拳を傷つけても、手の甲の熱さが和らぐことは無かった。
太陽が中天に差し掛かった頃。
ふらふらと歩く内に、周囲は低い建物や恰幅の良い大きな平たい建造物の多い地域に辿り着いていた。いつの間にかシティの近くまで歩いていたらしい。
足が重い。
適当な店を探すと、こぢんまりとしたカフェが見つけられて、ジャックはゆっくりとその戸を開けて適当な席についた。
好物のブルーアイズマウンテンを飲む気にもなれない。
店主に適当にと注文すると、重い頭を支えるように額に手を当てる。
脳に充満する疑問と困惑、そして、認めたくはないがショックとで本当に頭が破裂する思いだった。
事態は深刻ではあるのだが、それ以前に。
(フラれたのか・・・・)
そんな極些細な事実に打ちのめされていると自覚できる程度には冷静さを取り戻し始めていた。
しかし、改めてそう理解するとどっと身体の芯から疲れが溢れ出た。
カーリーをあのままにはしておけない。
だが自分ではだめだ。マーサのところで働くというならマーサに頼むか。だが週一でそこまで面倒をみれるだろうか。子供達の世話もある。マーサに頼り切っていいとは思えない。元の職場は。いや、カーリーは自分の罪を自覚したが故にアレだけ打ち込んでいた仕事を辞めた、逆効果だ。どうすればいい。
誰かを頼ってもダメ。自分はダメ。
(俺ではダメなのか、カーリー・・・・)
カタッ、と音がして重い頭を傾けると、そばに薄茶色の液体で満たされたカップが置かれていた。
顔を上げると、イガグリかウニかと思わせる挑戦的な髪型をした強面の店主がフッと笑って立っていた。
会釈し、暗い色の溜息を零してカップを口に運ぶと、甘くまろやかな味わいが舌の上に広がった。
「どうだい?悪くないだろ?」
「ん、あ、あぁ」
普段ブラックしか飲まないジャックだが、ミルクと砂糖の効いたこのコーヒーが、今は不思議と舌に馴染んだ。
舌の奥でとろりと香る丸みのある味わい。飲んだ事がない。香りこそブルーアイズマウンテンとは比べるべくも無いが、実に優しく奥深い旨味があった。
「ただのミルクコーヒーにゃ出せねぇまろやかさだろ。“カイザーメランジェ”ってんだ。味の決め手は卵だぜ」
“
たしかミックスとか混ぜ物という意味だったか。
「ウチの客にゃワーカーホリックが多くてな、そういう奴らは好きなんだよそういうの。ま、この時間はご覧の通り閑古鳥が元気に鳴いてる店だからよ。好きにいてくれてかまわねぇよ」
そう言い残して店主はカウンターの向こうへ行ってグラスやカップの整理をし始めた。大柄な彼には少々手狭なように見える。
しかし甘いコーヒーを黙って用意するとは、余程疲れが顔に出ていたらしいとジャックは嘆息する。
(俺はカイザーではなくキングなのだがな)
少しだけそんな下らない事を考える余裕が生まれたのを感じるが、それは頭と心が麻痺し始めているようにも思える。
人間、怒りも哀しみもそう長く抱えてはいられないものだ。
(キング。そのはずだ、俺は)
5年の歳月をかけて登り詰めた今の自分。
鍛え、叩き直し、誰からも尊敬され、それを受け止め、失望させまいと振る舞いにも気をつけて、やがて認められ、今の自分には絶対の自信があった。
仮に、カーリーが失意の淵に居ようとも、必ず救い上げられるだけの力もあると自負していた。
その自信は木っ端微塵に砕かれた。
真のキングとなる事。そこには確かな野心があり、ジャック・アトラスは然るべくしてそうあるものだという強い自認がある。
(女一人救えず、突き放された程度でこの為体とはな。これがキングの真の姿とは、笑えてくるな)
そんならしくもない自嘲すら湧いてくる。
あの時のように。
(カーリー)
かつて、己が力で積み上げたと思っていたキングという座が、他者によって組み上げられたハリボテと知った時。
無様な道化だと、偽りの王だと己を苛んだ時、傍にいてくれたのは他でもない。
カーリーがいたから、レクス・ゴドウィンとの闘いの中でも心から闘志が消える事はなかった。
あの闘いの後、カーリーが蘇った時の喜びは言葉にしようも無かった。
今のジャック・アトラスという男の骨子には、確かにカーリーという女が組み込まれているのだ。
真に他者を思い遣る心が、傷つき病んだ心をも救う。
(それを教えてくれたのはカーリー、お前だったじゃないか)
ならば今の自分はそれを持ち合わせていないと言うのか。
ギリリと奥歯が鳴る。
歯痒い。
これではあの時、ダークシグナーとなったカーリーと闘ったあのデュエルの方が、デュエルという勝敗の終着点が有った分まだ気楽だったのかも知れない。
デュエルする限り、二人は向き合う事ができたのだから。
だが今は。
頭の中で思い出と現実が駆け巡る。時には衝突して思考が止まり、また巡り出す。
繰り返し、繰り返し、奮起と挫折を循環し続けるジャックは、やがてその意識を深く沈めていった。