陰キャコミュ症よわよわトレーナーにメジロマックイーンが惚れるまでのお話 作:砂糖と蜂蜜の牛乳割り
続きをすぐに書くと言ったな? あれは嘘だ。
うわああああーーーっ!!!
——シトシトと降り続ける雨が肌を濡らす。
「関係ありません、どのようなバ場だろうと駆け抜けてみせます」
——ザワザワと疎らな喧騒が耳朶を打つ。
「この日のためトレーニングしてきたのですもの、集中を途切れさせてなるものですか」
——ギュッと握った拳を意志を覚悟を胸に、ゲートを見据える。
「必ずや、メジロ家たる者として恥じない走りをご覧に入れましょう」
あの惨敗を喫した選抜レースが行われてから、数ヶ月後。
私のデビュー戦が幕を上げようとしておりました。
『——本日、ここ阪神レース場で行われるのは新バ戦ダート右1700m、雨天によりバ場は不良、発走は11:20、第一コーナー手前からのスタートとなります。一番人気はハギノレジェンド。二番人気はメジロマックイーン。両者とも注目が集められているウマ娘です』
『一番人気のハギノレジェンドは前回行われたデビュー戦において二着と十分な成績を残していますからね、そのぶん期待も高いのでしょう。次に二番人気のメジロマックイーンは今回が初めてのレースですが、『メジロの至宝』と名高い。個人的には、この不良バ場でさえものともしない二人のデッドヒートを見たいですね』
「噂によると、選抜レースでメジロマックイーンは7着だったそうじゃないか。大丈夫なのか?」
「いやいや、そんなの不調だったに決まってんだろ? メジロ家のウマ娘だ、速いに違いない……よな?」
「ハギノレジェンド頑張ってくれーー! あとついでにマックイーンも頑張れーー!」
実況と解説、観客席の声は基本的にはハギノレジェンドさんを応援しつつ、メジロ家の一員である私への僅かな期待感もあるといった様子。
私は今から、その認識を覆さなければなりません。
「やり遂げなければ……」
周囲の期待、メジロの名を背負う『重圧』。
積み上げてきたものではなく、その者の資質が問われる。
本番のレースというのは、ここまで重いものなのですか……。
「……っ……!」
手が震える、体が異様に寒い……。
頭の中にグルグルと回るのは、ネガティブなことばかり。
もしこれで素質がないと判断されれば、世間からも、メジロ家からも見限られるかもしれない。
きっと、トレーナーさんも……。
ずっと覚悟していたことのはずなのに、怖いっ。
私がどうしようもなく立ち尽くしていると、耳にあの声が染み込んできました。
優しくて、それでいて臆病なあの人の声。
「ま、マックイーンッ!!! 本気の君なら絶対に大丈夫! だから、が、がんばれぇぇぇ………ひぃっ! お、大声出して、ごめんなさいぃ」
柵に乗り出して叫ぶトレーナーさんは、隣の方に睨まれてすぐにシュンと体を丸めて引っ込んでいました。
確かに最後は尻すぼみした言葉となっていましたが、あの臆病なトレーナーさんが観衆の意見に真向から立ち向かうのには、どれほどの勇気が必要だったのでしょうか。
全て私のために……負けていられるものですか。
私は新たに決意を固めました。
今この瞬間だけは、トレーナーさんのために走りましょう、と。
『出走ウマ娘はゲートに入ってください』
アナウンスに促され、ゲートへ。
『各ウマ娘ゲートに入りました』
立ち並んだウマ娘の顔は既にデビューを果たした方々に比べると、緊張で堅い。
どのようなレースでも、ウマ娘は皆本気なのです。
私わたくしだって……!
しばらく待てば、この静寂を破るように。
バンッ——ゲートが開かれた瞬間、一斉に刹那の逡巡もなく勢いよく飛び出しました。
『スタートしました。出遅れはありません。
まず一番人気ハギノレジェンドが先頭に躍り出た!
続く二番手にメジロマックイーンが追いすがる!』
スタート後、私はハギノレジェンドさんの斜め後ろについて機を狙います。
それは私が最も得意な作戦、先行での勝負。
もとよりダートは適正外あるため、不慣れなレースでペースを乱されるよりは、自分のペースを貫く方が良いと判断してのこと。
この泥濘んだ不良バで後方につけ過ぎ、泥が目に入ることを防ぐ目的もありますが。
『先頭集団は早くも第一、第ニコーナーに差し掛かりました!
雨が降り続いているダートで滑らないのでしょうか?』
『踏ん張りの強いウマ娘なら大丈夫でしょう。この不良バ場の中、いかにして失速を抑えつつ曲がるのか見ものですよ』
右回りのため右足に重心を傾け、外側へと引っ張ろうとする遠心力に抗い、最小限のロスでコーナーを周る。
「トレーナーさんの予想通り、前もってしていたコーナー練習がここで生きましたわ……!」
コーナーを曲がり終えれば、ふたたび向正面の直線に入ります。
前方とは僅か一バ身差。
いつでも抜けられるように、ひたすら横につける。
まだ……まだ抑えて……。
『続く第三、四コーナー!
ハギノレジェンドとメジロマックイーンの二人は、一バ身、二バ身、三バ身と後続との差を広げていくぞ!
果たして、ここから巻き返すウマ娘はいるのでしょうか!』
横並び第四コーナーの終わり目で直線が見えた瞬間、観客席から聞こえ見えたのは、
「がんばれ……っ! あともう少し、がんばれマックイーン!!!」
柵から乗り出して、必死に応援するトレーナーさんでした。
それで、トレーナーさんとレース前に交わした言葉を思い出しました。
——『ウマ娘の力は、想いの丈によって高まる』。
誰よりも信念をもったマックイーンなら、きっと誰よりも強くなれるよ、と。
……私は、メジロ家の使命を果たすべく精進して参りました。
ですが、今だけは。この時だけはトレーナーさんにこの勝利を捧げましょう。
徐々に加速していく脚は、湿ったダートの土を貫き後方に次々と吹き飛ばしていく。
一切の鈍りをみせず、軽やかな体はどこまでも駆けて速く。
くわえて嬉しいことに風も味方してくれて、背中をふんわり押してくれる感覚には高揚感すら覚える。
——ここだ。
最終直線に差し掛かったところで、私わたくしはここが最良のタイミングであると悟りました。
何をどうすれば最速であるのか。
幼少期から叩き込まれた感覚というよりも、おそらくそれは、この血に流れるウマ娘たちの本能ともいえるもの。
その本能に抗わず流れるように身を任せれば、瞬く間に深く腰を落とし、踏み込んだ地を抉り、その瞬間に溜めていた脚のすべてを爆発させました。
「はああああぁぁぁーーっ!」
『抜け出した! メジロマックイーン抜け出した!
一番手のハギノレジェンド粘る! 粘る!
だがメジロマックイーン追い越した! 先頭に立った!』
「………っ!? 負けるかァーっ!!!」
しかし、その背後から聞こえる雄叫びは、段々と小さくなっていきます。いずれ視界にも入らなくなるでしょう。
空色そらいろの闘気を纏い、瞳から鋭い紫紺の一閃を迸らせる。
ふとスクリーンに映った自分の姿は、ある種の『怪物』でした。
けれどそれは、ウマ娘としての殻を幾重も破った証。何者もの追随を許さない圧倒的な走り。
ゆえに、その神速をもって私は、数瞬のうちにゴール板を駆け抜けたのです。
『メジロマックイーン差し切ってゴールインッ!!!
1着です! メジロマックイーン1着!
他のウマ娘を寄せ付けない完璧な勝負でした!』
「つ、つえぇ……2着とは1バ身3差、3着に10バ身も差をつけてやがる……」
「これはもしかしたら日本ダービーも行けるんじゃないか……?」
「だ、誰だ! 本命のメジロマックイーンを『ついで』なんて言ったやつは!」
「「お前だよっ!!!」」
実況と観客席の盛り上がりにより、私はようやくゴール板を通り過ぎ、勝利したことを認識します。
「はあっ、はあっ……っ……!」
脚の負担を考えてすぐには速度を緩めずに、軽く走る。
ジョギング程度の速さになったところで、脚を止め、そこでようやく酸素を求めて肺を大きく動かせば、次第に窒息感が緩和され楽に。
手を胸に当てると、自身の中でドクドクと心臓が激しく鼓動しているのがわかります。耳朶を打つ脈がうるさいぐらいに。
今までにない出力に未だ体が慣れていないのでしょう。
しかし、休む間もなく私に襲いかかる存在がいました。
「1着お゛め゛て゛と゛う゛っっっ〜〜!!! まっぐいーーーん!!!」
それは、顔を涙と鼻水でぐちゃぐちゃにして駆け寄ってくるトレーナーさんでした。
「ひっ、ち、近づかないでくださいまし! とにかく、その顔中の液体を拭ってからですわ!」
「だってマックイーンが1着をとってくれてさぁ……! こんな、こんな……ううっ」
感極まりすぎて呂律が上手く回らないようです。
はぁ……まったく、仕方のない人。
私わたくしがいないとダメなんですから。
内心ため息を吐きつつ、懐からハンカチを取り出しては、彼から流れる滂沱の涙を拭ってあげました。
♦︎
組織が保有するアジトの一つ。
草木の生い茂る郊外に建てられた広い倉庫。
恐ろしく低い声が響いた。
「俺らのアジトを潰して回っている奴がいる」
闇夜に紛れるような黒い装束を纏う集団のうち、リーダーの男が部下達を見下ろし、乱暴にそう言い放つ。
その口調には隠すまでもない怒りが滲んでおり、部下達の気をより引き締める呼び水となっているようだ。
やがて構成員の一人が一歩足を前に出し、言葉を選ぶようにして慎重に尋ねた。
「それは……警察もしくはウマ娘の仕業でしょうか?」
その声が空間内に響いた瞬間、場が凍りついた。
何を当たり前のことを言っているんだ、コイツはと。
他の構成員たちは思った。
当然のことを聞くなど、あまりに非効率。
リーダーが最も嫌うことだ。質問をした男は始末されるだろうと、誰もが思った。
しかし、そうはならなかった。
リーダーは首を横に振ると、
「いいや残念なことに違う……化け物の『駿川たづな』でもない。どこのウマの骨とも知らん、たった一人の『ヒト』によるものだ」
「「「なっ……!?」」」
——ありえない。
けれど、リーダーが実に悔しそうに苦虫を噛み潰したかのように述べる言葉だからこそ、そこには信憑性があった。
「今回も奴が関わってくる可能性が高い、最大限警戒して事にあたれ」
「「「了解、リーダー!!!」」」
計画を進めるため、部下達がそれぞれの持ち場に散る。
「……必ずウマ娘を根絶やしにしてやる。そして必ず奴等に報いを……」
誰もいなくなった倉庫でリーダーは一人、呟いた。
♦︎
デビュー戦があってから数日後。
ミーティングを兼ねてトレーナー室に。
私はそこで、前々から気になっていたことをトレーナーさんに尋ねてみました。
「なぜ、トレーナーさんはそこまで——有り体に言えば『キモい』のでしょうか?」
「ぐはぁっ、どストレートすぎるよぉ……」
一切の言葉の飾り立てもなく、直球に尋ねてみれば、トレーナーさんは深く傷つく。
が、そうやっていつまでも自身の評価から目を背けて良いわけもないのです。
現実を突きつける必要がある。たとえそれが非情なるものであっても。
ゆえに、私は言葉を重ね、蹲うずくまり苦しみだしたトレーナーさんにさらにトドメを刺しにいく。
「常に吃りながら、不自然に辺りを見回して、声をかけたら何故か笑ってニチャニチャと。それが『キモくない』とでも?」
「あ、あぅっ……ぐぼぉぉ……!」
ぐはぁ、にもなり得なかった血反吐が辺りにぶち撒けられる。いつものことです、構わず続けました。
「少々厳しい言葉でしょうが、現状を正しく把握するためには時に必要なことですわ。まだそれにくわえて——」
「もうそれ以上言わないでぇ……僕のガラスのハートが粉々にされちゃうのぉぉ……」
本当に相当なダメージがあったようで、蹲るどころか完全に倒れ伏し、左胸を手で押さえさながら「ゼェハァゼェハァ……」と本気で苦しそうにしている。吹けば今にも死にそう。
この様子からも分かる通り、彼のメンタルはガラスどころではなく、豆腐よりもよりも遥かに脆い。あまり舐めてもらっては困りますわ。
「ふぅ、やっと落ち着いたぁ……」
しばらくしてショックから回復したようで、トレーナーさんは俯いていた顔を上げ、キリリと凛々しい(と思い込んでるだけ)表情を浮かべています。
実際は、若干目を逸らしながらオドオドと締まりのない表情で、一抹の不安を覚えさせられますが……。
何はともあれ意を決して、その口からようやく自身が引っ込み思案(譲歩譲歩を重ねて、とてもオブラートに表現した言葉)なワケが語られます。
「その……どうしても、遠慮しちゃうん、だよね」
「遠慮、ですか」
「うん、みんな何か必死にアレコレ頑張ってて、すごいなぁって。僕にはできないことを一杯……だから、いつも尊敬してるんだ……それで、そんな人たちが真剣なところを邪魔しちゃったらダメだって思っちゃって……」
「なるほど」
私は神妙に頷き、原因がどこにあるのかを推察してみることにした。
(きっと、トレーナーさんは優しすぎるのでしょう。他に類を見ないほどに。それで他者を慮りすぎてしまうのですわ)
優しいのは良いことです。
ですが、ここまでとなると考えもの。
果たして、それは良いことなのか、悪いことなのか。
首を捻り悩み、私が判断しかねているうちに、トレーナーさんはおそるおそる口を開く。
「そ、それと、よかったらなんだけど、嫌じゃなかったらなんだけど……明日、一緒にお出かけしない? 最近、トレーニングばっかりだし、たまには息抜きも必要かな〜なんて……」
「はぁ、お出かけですか、そうですわね……」
ウマ娘と担当トレーナーの二人で出かけることは大して珍しいことでもなく、ましてや私達は『一心同体』の関係。
いまさら動揺もないですが、思考に集中していたところで、突然、彼からの滅多にないお出かけへのお誘い。
思わず軽く流してしまったところで気づきます。
けれど時すでに遅し。意表をつかれ生じた、その一瞬の空白がいけなかったのです。
「あ、ううん、やっぱり何でもない……。そうだよね、僕と出かけるなんて嫌だったよ、ね……ごめん」
言葉に間をあける私の様子に、本当は自分と行きたくないのではないかと勘違いした彼。
だんだんと弱々しくなる言葉尻。
ああ、もうっ……!
「嫌ではありませんわ、トレーナーさんとお出かけするのは。いつもお世話になっておりますもの」
なんだかんだ言っても、トレーナーさんは優秀。
その並外れたトレーニング手腕および私のレースでの活躍は、誰もが認めるに足るもの。
物凄い人物であることは間違いありません。
ですが、それにしても……。
「いや〜、それほどでも〜。ふへ、ふへへへへぇっ」
「その笑い方は、絶対に良くありませんわ……」
褒めた途端、こうしてデュフデュフと気持ち悪く照れはじめるのですから、始末に負えません。
本当にこの性格と悪癖さえなければ、トレーナーとして非の打ち所がない人物なのですが。
切実なまでに、そう思いました。
♦︎
夜。
寮の自室へと戻り、勉強もそこそこに寝巻きに着替え、親友であり同室の栗毛のウマ娘——イクノディクタスさんと談笑を楽しんでいました。
「——ということがありまして、明日の休日はトレーナーさんとお出かけすることになりましたの」
「こう言っては失礼かもしれませんが、あちらからお誘いになるのは大変珍しいですね。もしかすると、初めてなのでは?」
「ええ。ですからトレーナーさんからのお誘いを受けたときは、私おもわず耳を疑ってしまいましたもの」
冗談を交えつつ、私がクスっと笑えばつられてイクノさんも微笑む。
二人の話題といえば、学園での生活やトレーニングでの出来事、学園周りにできたウマ娘スポーツ用品店、スイーツ店などです。
時折、私の調整についても……と、イクノさんには日々お世話になっておりますわ。
それはさておき、とりわけ今日はトレーナーさんとのお出かけに際して、会話に華が咲きました。
再三繰り返したとおり、トレーナーさんは巷で有名な『陰キャ』などという言葉では言い表せないほど、拗らせたお方。
そんなトレーナーさんが自ら『お出かけ』に誘うのですから、明日は空からゴールドシップさんが降ってくるものかと……それはいつも通りでしたか。
思い返せば、トレーナーさんは不思議な方でした。
曰く、過度な食事制限が原因で体が動きにくくなっている。
曰く、メジロ家の重圧に囚われて走る際に力みすぎている。
曰く、我慢しすぎは逆効果で適度に息を抜くと良い。
彼は指摘している最中も時折周りをキョロキョロしたりと挙動不審か行動を繰り返していましたが、すべての言葉は正確で的を射ています。
それも、一度走りを見ただけで瞬時に。
凄まじい観察力と推察力。
トレーニングの最中も適宜アドバイス——とてつもなく吃りながらですが——したことや、焦った私がトレーニングを過剰にしないように調整も欠かしません。
トレーナーさんと出会ってから、一年。
あまり自分のことを語らない人ですから、いまだに彼については不可解な点が多いのです。
たづなさんとは仲が深いようで、たびたび理事長室に呼び出されておりますし、
たまに急用とおっしゃって、突然トレーナーさんが何処かへと行ってしまう時も。
学園に帰ってきたと思えば、ぐったりと。やけに疲労困憊の状態なのです。
いったい何をしていらっしゃるのでしょう……?
私がやや頭を捻っていると、次の瞬間イクノさんがその思考を吹き飛ばす一言を放ちました。
「マックイーンさんのトレーナーさんは、少々癖が強いですが、素晴らしい方だと思います。明日のデートが上手くいくことを願っていますね」
トレーナーさんがデート? どなたと……私と!?
「ででで、デート!? イクノさん違いますわ! これは『デート』ではなく『お出かけ』ですの! 断じて『デート』ではないので勘違いなさらないでくださいまし……!」
なぜ、トレーナーさんと私がデートなんて……!
……いえ、確かにトレーナーさんは非常に優秀な方で、トレーニング内容はどれも成長を実感できるものばかりで焦ることなくペースを保てておりますし、よく周りに気配りができ、いつも私のことを気にかけてくださるとても優しいお方で……って、そうではなくっ!
ですので、私がデートではないと否定するのは、イクノさんにそうだと思われるのが嫌なだけですわっ!
断じて、トレーナーさんとのお出かけがデートだと思うと当日恥ずかしくなる、などという訳ではありませんわ!
ですが、イクノさんにとって慌てる私がどこか可笑しかったのでしょうか、見ればさらに笑みを深めています。
「ふふふっ、そういうことにしておきます」
もしかして、ニヤニヤしていらっしゃる? もしかしなくとも、私の反応を見て楽しんでいらっしゃる?
「まったくもうっ。イクノさんたら……!」
揶揄われていたのだとわかり、頬を膨らませてみせます。
怒る私に対して、イクノさんは「そうでした」と次に神妙な顔つきを浮かべ、
「明日のお出かけではどうかお気をつけて」
普段の真剣みを帯びた口調で、告げます。
そのことに、私は首を捻りました。
「? なにかあるのですか?」
「はい。たづなさんによると今日の昼頃にトレセン学園の周りで不審者が現れたそうです。それとこれは地方の話ですが……最近はトレセンの生徒がとある犯罪組織に誘拐される事件が何度か起こっています。お出かけの際には十分な警戒が必要かと」
「ええ、それはメジロ家の方からも連絡がきていましたわ。お婆様もご心配のようで明日のお出かけは何人か護衛をつけると……。外出を禁止されるよりはマシと考えるべきでしょうか。とはいえ、その犯罪組織のメンバーは全員がヒトで構成されているようですし、ウマ娘が負ける通りはありませんが。そもそも、組織はなぜウマ娘にそこまでこだわるのでしょうか?」
「おそらく、いまだ10年前の事件でウマ娘への恨みを持つヒト達なのでしょう……」
「……なるほど、あの事件で」
それは、10年前の出来事。
とある一人のウマ娘が暴れ狂い、多くの方々が命を落としてしまった惨劇です。
犯人は同じくウマ娘の警察官に取り押さえられましたが、全ては手遅れ。
その事件をキッカケに、世間で一気にウマ娘への風当たりが強くなりました。
多くの優秀なウマ娘を排出しているメジロ家にも批難が殺到し、当時幼い私もメジロのウマ娘皆も外から聞こえる怒号に震えておりました。
あれからウマ娘が何か大きな事件を起こすことはなく、日々の活躍もあって、流石に10年も経てば声を上げる人も少なくなりましたが、いまだにウマ娘へ抵抗を示す方もいます。
それほど、凄惨な事件だったのです……。
率直に申し上げますと、なるべくなら護衛は付けたくありません。
ずば抜けた身体能力を持つウマ娘にヒトは敵わないでしょうから。
それは世に周知されている事実であり、ヒトがいくら武器を用いようともウマ娘の命は脅かせない。
とはいえ、今回の護衛はお婆様の采配です。そのお気持ちを無碍にはできませんわ。
(明日の護衛はメジロ家専属のウマ娘が10人……いくらなんでも多すぎでは? これでは雰囲気も何もあったものではありませんわ。それとも、それだけ例の犯罪組織が危険ということでしょうか……すこし、残念です……)
おそらく護衛にはメジロ家専属のウマ娘が付き、守備を完璧に固めてくるでしょう。
ああ、お堅い雰囲気にトレーナーさんが萎縮しなければ良いのだけれど。
そうやって考えれば考えるほどより思考は袋小路に追い詰められて、あてもなく行ったり来たりを繰り返す。とりわけ策もないので胸の内は苦しくなっていくだけ。
私は窓から覗く夜空を眺めます。
暗く沈んでいく頭と相反するように、雲ひとつない空には余すことなく星が煌めき瞬またたいている。きっと明日は晴天でしょう。
絶好のお出かけ日和だというのに決して二人きりにはなれない次の日を想い、ひとり溜息をこぼしました。
♦︎
翌日の朝。
とくだん早くもなく遅くもなく東から朝日が全身を現したこの時間。
案の定、一切の濁りなく晴れた爽やかな青空の下。
ここトレセン学園の正門前は、とある二つの色彩が綾なす二次元論によってのみ支配されておりました。
——いえ、片方がもう片方を喰らう一方的な蹂躙でしたか。
「昨晩ご連絡させて頂いた通り、本日はメジロマックイーンお嬢様の護衛として我々もご同行しますのであしからずご承知を」
黒鹿毛や栗毛、葦毛とウマ耳に尻尾。黒々と社会的な鎧——スーツを首から下まで身に纏うウマ娘の尖兵達。そこから僅かに覗く肢体は一部の無駄なく鍛え上げられており、構えも隙がない。
「は、はぃぃぃっ! よ、よろしゅくお願いしましゅっ……!」
一方、食物連鎖の頂点たる彼女らに相対するはプルプルと体をしきりに震わせ、寸分違わず真っ青な空に顔面を同化させる哀れな子羊トレーナーさん。その膝は今も笑っており、情けないことこの上ない。
勝敗は火を見るより明らか。
「はあぁぁ、やっぱりこうなりましたわ……」
もとよりトレーナーさんにそれほどの根性を期待していた訳でないとはいえ、もう少しはあるだろうと踏んでいたのですが……。
すると、そうして天を仰ぐ私に護衛隊長さんが慇懃な態度でもって礼を一つ。
「マックイーンお嬢様。このあとのご予定を伺ってもよろしいでしょうか。先日お尋ねした際には保留という形を取っておられましたが、私ども護衛にも様々な準備が必要になるため——
「あぁもうっ! 先日ははぐらかして申し訳ありませんでした、ですからそうあまり問い詰めないでくださいまし! 午前は人気のスイーツ店へ。午後は野球観戦ですわっ!」
「なるほど……するとやはりスイーツに目がなく、最近は野球選手の『ユタカ』なる人物を推しているマックイーンお嬢様は、周囲に野球観戦しに行っていることを隠しているつもりで全然隠しきれておらず、ご友人は必死に知らないフリをされておられると……了解致しました、これで大体の護衛プランは決まりました」
「はぁ、どうせ私はスイーツ大好きなユタカ推しですわよ——お待ちなさい、今なんと……? 決して聞き逃してはいけないことを言っていた気がしますわ」
「ところでお嬢様」
「あからさまに話を逸らさないでくださいまし!」
「そちらのトレーナー様が先程から『かひゅーかひゅー』と死にかけのアルパカのような呼吸をしておられますが」
「へっ?」
「かひゅーかひゅー……ああ、ワンダーアキュートお婆ちゃんが向こう岸で手を振ってるよ。きっとお迎えに来てくれたんだ……今まで良いトレーナー人生をありがとうマックイーン。おかげで悔いなく向こうに行け、る……よ……ガクッ」
「トレーナーさんっ、トレーナーさんしっかり! アキュートさんはあと数十年はご存命ですわよっ!」
「っ、心臓が止まってる……速やかにAEDで蘇生します。医療班急げ!」
護衛達の僅かに漏れ出した威圧感によって心肺の停止を引き起こしてしまったトレーナーさんは、駆けつけた医療班と護衛のウマ娘達にやってどうにか一命を取り留め、奇跡的に一時間後にはデートを再開できるまでに回復。
この一件により護衛達は張り詰めていた気を和らげ、トレーナーさんの蚤ほどの心臓でも耐えられるまでに覇気は抑えられることに。
何はともあれ、こうして二人の『お出かけ』はなんともヘンテコな形で幕を開けるのでした……。
今この瞬間、私は確かに『緊張』しておりました。
もたらされた静寂を分かつように、じんわり額から頬に流れゆく汗が、床へと零れ落ちて飛沫を。
ですが、私は怯みませんでした。
手の中でわずかに震えるフォークは、それでも正しい動きをもって目標に添えられ、スッと柔らかにその刀身が身を断ち切っては持ち上げます。
そのまま、口へと『苺タルト』を頬張れば——訪れたのは『
「んんん――~~~っ! ……ああ、美味しいですわぁ〜。こちらの苺タルトをひとたび口に含めば、まず初めに訪れるのはサクサクとした食感です。下部のクッキー生地が心地よい歯ごたえをもたらし、生地を固める際にもちいられたバターの風味が深いコクを生み出しています。一見、そのままだとクッキー生地が口内の水分を奪い去り、パサパサとするかと思われてしまいがちですが、このお店の苺タルトは別格のようです。見てくださいまし、下部のクッキー生地と上部のスポンジとの中間層にカスタードクリームが挟まれているでしょう! こちらに含まれた水分と、さらに上側にある紅に輝く苺や苺のソースによって完璧に水分が調整され、うっとりとしてしまう調和ハーモニーを奏でておりますの! 美しくも美味しくもあって、食べ切ることに勿体ないとすら感じてしまいますわ。はあぁ~、なんて罪な悩みなのでしょうか」
テーブルを極彩色に彩る、輝かんばかりのスイーツ……!
ああ……! 私は、ここが天国だと言われても信じてしまいそうです!
匙が……! 匙が止まりませんの!
「……トレーナー様。お嬢様は減量をなさっているとうかがったのですが……これは?」
「そのぉ……普段からマックイーンは減量頑張ってますし、チートデイの今日ぐらいは大丈夫かな~なんて考えて……あ、いえ、もしカロリーがオーバーしてもトレーニングで取り戻せますから許してくださいぃ」
「いえ、責めたわけではありませんから許すも何もありませんよ」
護衛隊長さんの目が一瞬、訝しげに細められたのを私は見逃しませんでした。
食後、店を出て次の目的地へと向かっていると、トレーナーさんが「はっ、そうだった……!」と何か思いついたのか急に立ち止まって、私の方に向き直ります。
「あっ、ごめん、マックイーン。僕ちょっとトイレに行ってくるよ。マックイーンの方は大丈夫……? ほら、アレとかソレとか」
「いえ、私は大丈夫ですわ。待っておりますので、お気遣いなく」
「そ、そう……? それじゃぁ……うん」
ちょっとだけ凹んだ様子でお手洗いに向かわれるトレーナーさん。
彼なりに私を気遣ったのでしょう、女性はそういったことを言い出しにくいことを知って。
ですが、メジロ家のウマ娘たる者、殿方に気を遣われるほど自己管理は温くありませんわ。
そう、考えていると護衛隊長さんが私の側に近づいてきました。
まるでトレーナーさんが居ないこの瞬間を狙ったように。
そして、そっと耳打ちを。
「マックイーンお嬢様、お耳に入れておきたいことがあるのですが」
「どうかしまして?」
「トレーナー殿のことです、彼はどうにも怪しい」
「……なぜそう思うのですか」
「トレーナー殿の経歴を調べたのですが、そのトレーナー業を始める以前のデータが無いのです。学歴も、資格も、職業もトレーナー学校に通っていたこと以外、すべて真っ白でした」
「経歴を偽装している可能性があると……?」
「はい、くわえて先程からトレーナー殿には何やら身のこなしに洗練されたものを感じます。少なくとも、一般の方では到底ないかと」
護身術を心得ている私にも、その違和感には気づいておりました。
一見、猫背に見えるトレーナーさんの重心は常に腰より下、どちらかといえば脚と爪先に力が集約しており、明らかに低いのです。
そして、異様な重心の低さが可能とするのは、素早い動き。
ただ姿勢が悪いと言われればそうかもしれません。
ただ、どのようなことがあろうとも、すぐさま対処できるようにしているようにも見える、と彼女は言いたいのでしょう。
ですが、それでも——
「問題ありません、トレーナーさんのことを私は信頼しております」
「ですが……」
「これ以上、トレーナーさんを疑うことは私が許しませんわ」
「なぜ、そこまでトレーナー殿を信頼なさっているのでしょうか……? 通常であれば、少しの疑念は持つはずです。それをお嬢様には全く見受けられない。そこまで信頼にたる人物なのですか、あの方は」
そんなもの、簡単な答えです。
「だって、『一心同体』ですもの。トレーナーさんが何者であろうとも、出会ったその時から私わたくしのトレーナーであることは変わりませんわ」
「……私ごときが出過ぎた真似でした、失礼をお詫び申し上げ——
「へいへいカノジョ〜! 俺らと遊ばね〜?」
突然、護衛隊長の言葉を妨げる声が横から。
見ればそこに居たのは飄々と、いかにも態度が軽い男性。
いわゆるナンパをしにきたのでしょう。
「あなた方とは遊びません。先約がありますので」
「連れねぇなぁ〜、ちょっとぐらい良いじゃんよ〜」
そう言うと、男性は手を伸ばし、私の手を掴みました。
まるでさもそれが当たり前であるかのような、緩慢でかつ流れるような動き。
護衛隊長さんも、つい反応が遅れてしまった殺気の欠片もない所作。
もちろん、このとき私達は油断していたのでしょう。
たかがヒト、それも見るからに一般の方。
私たちウマ娘をどうこうできる存在ではない。
私も、護衛隊長さんでさえも、そう自然と侮っていたのです。
それが後悔に変わったのは、手に『チクリ』と小さな痛みが走った時でした。
「っ……う」
突然、体に力が入らなくなり、私は地面に倒れ込みます。声も、指一本でさえ動かせません。
これ、は毒……?
「お、お嬢様……!? っ、キサマッ!! お嬢様に何を——ぐっ……!」
なんとか目だけ動かせば、見えたのは私と同じように倒れ伏した護衛隊長さんの姿でした。
特に何をされた形跡もなく、突然……。
「がぁ……っ……ぁ!」
次に倒れた護衛の方々の首筋には、何やら小さな針のようなものが刺さって……おそらくは私と同じ毒を。
「なぜ……どうやってっ……」
護衛隊長が苦しげな呻き声。
それに応えるようにして、先程までの軽い雰囲気など嘘のように男性はゆらりと怪しげに私達の目の前に佇み、静かに口を開きました。
「……メジロマックイーンは朝6時に起床する」
私……? なぜ今私の起床時間など……。
突如として語り出した男性は、疑問など求めていないとばかりに口を止めることなく語り続ける。
「トレセン学園は基本7時30分からの授業だが、朝の自己トレーニングのために早く起きる。友人兼同室のイクノディクタスも同じく起床し、二人仲良く身支度を整えて部屋を出る。午前の授業を終えた昼休みには、イクノディクタス、トウカイテイオー、ゴールドシップといった友人と食事を共に。放課後はトレーナーとのトレーニングをこなす。トレーナーとの関係は良好で確かな信頼関係を築いている。最近の悩みはスイーツの誘惑を断ち切れずにいること。トレーナーはそのことを気遣っており、おそらくは近々スイーツを食べに出掛けるだろう。
『毒』を盛るならば、そこだ。
「また、メジロ専属の護衛隊長は元々エジプトにある貧民街の生まれで、幼いとき飢えて一人彷徨っていた所をメジロ家当主に拾われてから仕え、メジロ家への忠誠心は非常に厚い。貧民街にいた際に劣悪な空気の中住んでいたため、持病として『ぜん息』を患っており、毎朝毎晩必ず飲み薬を服用している。
ならば、その薬を遅効性の毒薬にすり替えればいい。
他の隊員は護衛隊長ほど警戒心も強くなく、五感も鈍い。護衛隊長が倒れれば、あとは小型の麻酔銃でサクッと狙撃するだけ……ってところか」
「なに……を……」
「ヒトは非力なもんで、おっかなくて獣とは正々堂々となんて戦えねぇ。
だから仕留める時、狩人はまずその習性を知る。ソイツが朝何時に起きて、何を食い、何を好み、夜何時に寝るか。どんなことだろうと根掘り葉掘り調べ上げて、一番油断してるところを確実に罠に嵌める」
ニヤリ、男性は凶悪に口端を歪め、
「ヒトのことを舐めてくれたお陰で楽に済んだわ、そこら辺だけは感謝してもいいぞ」
ああ……お婆様が警戒していたのはコレだったのですね。
これはきっと罰なのでしょう、無意識のうちにヒトを見下していたウマ娘への。
「おい、拘束して荷台に詰め。ちと騒ぎすぎた、早くずらかるぞ」
男達の車に詰められ連れ去られる間際、
こちらに駆けてくる影が見えました。
「っ、マックイーーーーンッ!!!!!」
っ、トレーナーさん……。
きてはダメ、ですわ。逃げ、て。
「なんだ、担当ウマ娘を攫われた間抜けか。放っておけ。どうせ一般人如きがどうこうできるわけねぇだろ」
荷台は閉められ、車が出て。
そこで毒が回ってきたのか、
気力で保っていた意識も侵食されていき、
ついに私は気を失ってしまいました……。
♦︎
「……たづなさん、マックイーンが攫われました。僕は奴らを追跡します。後は頼みました」
『わかりました……ご武運を』
トレーナーは一人、マックイーンの連れ去られた方向へと駆けた。