チャンピオン、転移する 作:ナンジャモの脇
目の前に広がる青々とした木々。自然の香りが風に乗って運ばれ、のどかな雰囲気が街並みの良さを引き立てている。
看板を見ると、そこには『トキワシティ』と書かれていた。
聞き覚えのない、見覚えのない街に突然飛ばされてしまった青年──ヒトツバは乾いた喉から絞り出すように声を発した。
「……ここ、どこだ?」
きっかけはいつものフーパのイタズラだった。焦った様子の事務員が息を切らせてヒトツバの仕事部屋に飛び込んできた。
「チャンピオン! ヒトツバチャンピオン! またフーパがあっちこっちにリング広げてます!」
「はあー……またかよ。四天王の皆に対処させてくれ」
溜息をついたヒトツバは青紫色のくせっ毛をかきあげて背もたれにもたれる。
フーパは誰の手持ちでもない野生のポケモンだ。
しかしリーグ付近に住み着いており、職員や四天王が食事を与えたり遊び相手になったりしているため、ほぼ野生では無い。ただ誰の手持ちでもない野生で暮らしているポケモン、という扱いになっている。
そのフーパは悪戯が大好きで、事務員が言ったようにリングをあっちこっちに散りばめて人をからかってくるのだ。それもただ構って欲しさにやっているものなので、少し反応してあげれば直ぐに収まる。
いつもだったら自分で対処してたが、今日は大量の書類を片付けなければならない。だからフーパの相手などしてられなかった。
それで四天王に頼んで貰おうと思ったのだが、事務員はため息をついて首を横に振る。
「いや、フーパはチャンピオンに遊んでもらいたくてイタズラしてるんですから、他の人がいっても対処なんか出来ませんよ」
「じゃあこの書類の山どうにかしてくれよ! そしたらフーパの相手してやるから!」
「いやあ、その書類はチャンピオンに確認してもらわないといけませんので……」
「ほらみろ!」
自分だって行けるものならフーパのところに行きたい、誰が好きこのんで一時間も書類と睨めっこするか──そうヒトツバが悪態を着いていると空中に見慣れたリングが現れた。
その中から小生意気な笑顔を浮かべたフーパがひょっこり。ヒトツバの額には血管がビキリ。
「シシシシ!」
「あっ! てめフーパ! このクソ忙しい時に面倒事持ってくんじゃねぇよ!!」
いつもなら笑って仕方なく相手をしていたがこの時のヒトツバは、あまりの忙しさでイライラが溜まりに溜まっていた。
それでついフーパに当たってしまった。
今まで軽く注意されることはあったフーパだったが、本気で怒られたことは生まれて初めてだった。ガガーン! とショックを受け、肩を震わせる。
「シッ!? シ〜……」
「あっ、やべ。違うんだフーパ。本気で怒ったわけじゃなくてな?」
椅子を蹴倒す勢いで立ち上がりフーパの元へ近付く。泣き止んでもらうために色々と言葉をかけるがフーパの涙は止まらない。
「オッデマシィ!!」
小さな両手をめいいっぱい上げた。と、同時に感じたのは浮遊感。ヒトツバが足元に目をつければあのリングが開いており、深淵が覗いていた。
「おわああああぁぁあぁぁ!?」
「ちゃ、チャンピオン!? た、大変だー!! 誰かー!」
どんどん小さくなっていく事務員の声を聞きながら落下していくヒトツバ。しかし彼は余裕でいた。
というのもフーパのリングに入るのはこれが初めてというわけでもないのだ。いつも通り、アケイシ地方のどこかに飛ばされるのだろう。そしたらリーグに戻ればいい。
そうして冒頭に戻る。
「どうすっかなぁ……」
知らない街、ということは別の地方に飛ばされてしまった可能性が高い。取り敢えずリーグに連絡を取ろうと思い、ポリゴンフォンを取り出そうとして気づく。
【悲報】ヒトツバ、ポリゴンフォンを持っていない。
「あれ、待てよ……」
更にゴソゴソとポケットやポーチを確認する。
「財布もない」
【続報】ヒトツバ、財布も持っていない。
【続続報】ヒトツバ、飯も食えない。
脳内で掲示板のタイトルが流れ続けている。
──もしかして詰んだのでは? ヒトツバの頬に冷や汗か垂れる。
「いや待て待て、街ならポケモンセンターかジムがあるはず。そこで通信機借りてリーグに連絡取ればいいんだ」
通信機はポケモンセンターならどんな田舎でも備え付けられている標準設備なのだ。冷や汗を拭い、一安心。これで心配は無い。
空腹はこの際無視。一日くらい飯を抜いても人は死にはしない。
「そうと決まれば善は急げ」
丁度ポケモンセンターの屋根も見えている位置にある。連絡を取ってさっさとリーグに戻らなければ。
ポケモンセンターにたどり着き、受付のジョーイさんに事の経緯を説明する。しかしジョーイさんは困った顔をして首を傾げるばかりだった。
「ええっと……もう一度出身地とお名前を聞いてもよろしいでしょうか?」
「アケイシ地方シイカタウン出身のヒトツバです。アケイシリーグのチャンピオン、見覚えないですか?」
「アケイシ地方もリーグも聞いた事が無くて……検索してもヒットしないんですよ」
「んなバカな……いや待てよ、まさか……」
最悪の予想が頭に浮かぶ。どうか外れてますように願いながらジョーイさんに話を聞く。
「な、なあジョーイさん。ここって何地方のトキワシティ?」
「え? カントー地方のトキワシティですけど……どうかされましたか?」
カントー地方。聞き覚えのない地方だ。この前の他地方リーグ交流戦の時にもそんな地方の名前、どこにもなかった。
「……ちなみにここのリーグって有名だったりする?」
「はい。セキエイリーグはカントー、ジョウトのふたつの地方のリーグですから。知名度はかなり高いと思いますよ」
「じょ、ジョウト? セキエイリーグ?」
どちらも聞いた事がない。嫌な予感が経験値を積んでいる。
ヒトツバがダラダラと冷や汗を流していると、ポケモンセンターに一人の青年が入ってきた。ヒトツバと話しているジョーイさんを見つけると、こちらに片手を上げて近寄ってきた。
「おーいジョーイさん。自称リーグチャンピオンが訪ねてきたって言うから来たけどその人か?」
「グリーンさん。お忙しいところすみません」
「いいっていいって」
グリーン、と呼ばれた茶髪の青年はジョーイと一言二言交わすとヒトツバの方に向き直った。
「で、あんたがチャンピオンさんか? 俺はグリーン、ここトキワシティのジムリーダーをしてる」
「アケイシリーグチャンピオンのヒトツバです」
ヒトツバの自己紹介を聞いて怪訝そうな瞳を向けるグリーン。
「アケイシ、アケイシねえ……聞いたことないな」
「奇遇ですね。俺もカントーとかジョウトとか聞いたことが無いんだよ」
「……それはいくら何でも冗談だろ?」
「イヤ本当に。俺からしたらアケイシ地方のことを知らないのが不思議でならないけどな」
グリーンは聡い。そして人の感情の機微を読み取るのも上手い。だからこそ、ヒトツバの言葉に嘘が無いのは理解している。そして一つの予想が頭に浮かんだ。
「なあグリーンさん、俺は何となく自分が置かれた状況に予想がついているんだが……聞いてもらってもいいか?」
「……いいぜ。ここじゃなんだ、うちのジムに来いよ」
ハンドジェスチャーで『着いてこい』と示されたので素直に従う。二人の青年がポケモンセンターを出て行こうとするのを見て、ジョーイさんは困ったように呟く。
「……あの、私は業務に戻ってもいいのでしょうか?」
急いで戻ってお礼を言うヒトツバだった。感謝の念は大事である。
トキワジム内、応接間にて。グリーンとヒトツバはテーブルを挟み向かい合って座っていた。
「まあ飲めよ。緑茶だけど」
「どうも。ずず……あ、美味いなこのお茶」
「ああ、トキワは緑の街だからな。茶葉が名産なんだ」
「へー」
「……本当に知らねえんだな」
グリーンの言葉に首を傾げる。なにかおかしなことを言っただろうか?
「別に名産品なんかじゃないからな。ただいいとこのお茶なだけだ」
「へえ。それで?」
「トキワの名産が茶葉だなんて嘘、カントージョウトの人間であればすぐわかるからな。確認のつもりだったんだが、騙したみたいになってわるかったな」
「別にいいさ。自分でも怪しいと思うしな」
確信を得るための確認だったのなら致し方ない。というかそれくらいで機嫌を損ねるほど狭量な人間ではチャンピオンなど務められない。
「ホウエン、シンオウ、イッシュ、カロス、アローラ、ガラル、パルデア。この地方に聞き覚えは?」
「ないな」
今グリーンが上げた地方はリーグ交流戦などによく参加する有名な地方だ。だがヒトツバは首を横に振る。
「ならオーレ、フィオレ、アルミア、オブリビア、フェルム、レンティル。これはどうだ?」
「悪い。一つも聞いたことがない」
全ての名前に聞き覚えがない。どんどん予感が証拠で固められていき、レベルアップしていく。予想の範囲内だったのかグリーンはさして驚くこともなく頷いて見せる。
「そうか。んー、ならお前が知っている地方の名前を上げてくれよ」
「そうだな……アケイシ、カイセイ、テニ、チエン、ナーザァ、ハテーノ、リリゴア、ガラリオ。メジャーな地方だとこれくらいかな」
「どの地方も全く知らねーな……なあ、あんたもしかしてだけどよ」
「ああ……まさか……」
グリーンの反応で嫌な予感は確信へと進化した。何ということか、どうやらヒトツバは──
「まさか、違う世界にワープするなんて……」
異世界転移してしまったようだ。
ヒトツバ
・フーパのリングによってアケイシ地方からカントー地方へとワープしてしまった男。一応チャンピオン。
グリーン
・セキエイリーグ カントーサイドの元チャンピオンでトキワジムの現ジムリーダー。思ったより面倒そうな事態になりそうで内心頭を抱えている。
ジョーイさん
・ご存じジョーイさん。旅やバトルにより荒んだトレーナーの心を癒す清涼剤。可愛い。トキワシティのポケモンセンターに勤めて十年になるベテランジョーイさん。今年二十八歳になったようで、実家からの電話に震えている。