ダンジョンに英雄を、伴侶を、名声を、正義を、混沌を。果ては出会いなどを求めるのは間違っている   作:七海香波

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※残念ながら前話の最後に出た謎の美少女ヒロインちゃんの出番はしばらくお預けです。
???「なのじゃ!?」
 全ては突発的に性癖を語ろうとした挙句設定を固めきれなかった作者の責任です、どうかご了承ください(ペコリ)。



第239層『遊毒怪廊』、そして――

 

 新階層へと赴く時は、いつもこの胸中が震えてやまない。

 未知へ足を踏み入れる興奮と、死の淵へまた一歩近づいている恐怖。

 子供心さながらの無謀(ワクワク)と成熟した大人の精神(こころ)が訴える躊躇いが魂の奥底でない交ぜになり、拮抗して丁度よい塩梅となる不思議な感覚――この状態こそが俺、クレス・カタストロフという冒険者の絶好調(ベストコンディション)だった。

 

 奮い立つ身体で階層を繋ぐ階段を一歩ずつ噛みしめるように下りながら、逸る気持ちを抑えつつ俺は自らの身に纏う攻略装備をもう一度視線でなぞって確かめる。

 耐炎、耐雷、耐氷、耐光……耐魔法・特殊攻撃用最外装『赤王竜の膜外套(ドライグ・クローク)』。

 耐斬打突及びその他諸々の耐物理攻撃用金属鎧『極光石の軽鎧(ユニバイト・アーマー)』。

 そして肌着(インナー)兼、耐毒耐渇耐酸……耐悪環境用装備『樹精霊の護布衣(ドライアド・クロス)』。

 加えて背中に担ぐ巨大背嚢には、各種の回復薬と最低ひと月は持つ携帯食料一式、そして遠・中・近と全ての距離に対応できる武具がそれぞれ予備を含めて最低五種ずつ詰め込んである。これらを身に纏うその重みは、いつものように昂る俺の身体を落ち着けて深慮と安心感を与えてくれる。

 

 何よりも己の生存を最優先に、かつ並行して攻略を推し進めることの出来る超級冒険者用の未踏破領域行軍用装備(フロントライナーズ・セット)

 点検・修復を済ませたこれらの装備にはやはり出発前に何度も見返した通り一つの綻びも見当たらなくて、頷きの代わりに両手を叩いて気を引き締める。

 

 つまり、自身の準備に内面外面ともに瑕疵はない。

 まさに絶好の攻略日和だ、素晴らしい。

 そう結論付けて、俺はとうに辿り着いていた階段の最下段から、未知の階層(第239層)へと恐る恐る足を踏み入れる。

 

 

 

 

 

 最初にクレスを出迎えたのは、彼の視界一面を余すことなく満たす紫色の濃霧だった。

 確かな視界が確保できるのは5(メドル)ほど先まで。それより先はぼんやりとした霞のカーテンが幾重にも重なって朦朧としており、奥に何が蠢いているのか真面な判別がつかない。

 視覚の疑似的な遮断。

 さっそく迷宮(ダンジョン)が繰り出してきた厄介なそれ(ギミック)に舌打ちする間もなく、首元に巻き付けていた『樹精霊の護布衣(ドライアド・クロス)』のスカーフを鼻の所まで引き上げて顔の下半分を覆い隠す。

 

「……毒霧だな。それも、可燃性(・・・)か」

 

 鼻奥の粘膜がピリリと焼かれる辛い感覚と、甘ったるい腐敗臭の組み合わせ(コンボ)。その意味をここに至るまでの経験で直感的に察し、彼は目を細めた。可燃性気体(ガス)が満ちている、つまりこの階層(第239層)はどうやら火気厳禁のようだ。

 となれば初手【プロメテウス】(開幕ブッパ)による露払いは自ずと控えられる。さて、どうしたものか。

 悩みながらも、ひとまずクレスは足を先に進めようとして――ずぷり。

 軟泥性の感触を以て彼を出迎えた地面に、その膝までが一息に沈みこんだ。付け加えれば、それでもなお確かな足場を踏みしめた感触がなかった。

 

「視覚封じに加えて、進もうとする脚まで封じるか。ふん、なるほどな」

 

 すぐさま埋まった脚を引き抜いたクレスは、背嚢から槍を取り出して足の代わりに地面に突き刺してみた。

 しかし彼の身長を優に超えるその長物を尺代わりに用いてもなお、その底を見出すことが出来なかった。

 つまり、底なし沼。

 地上にも度々見られ、数々の人命を容易く奪っていく危険地帯もこの階層には存在しているようだ。しかもこちらもまた溶解性の毒性を持っているらしく、槍の汚泥が付着した部分から細かな気泡がしゅわしゅわと発生していた。

 

 それらの僅か一歩、されど決して小さくはない一歩で得た手掛かりを前に、クレス・カタストロフは。

 

「――よし、撤退だな」

 

 己の準備不足を悟り、その場から上階へ向けて颯爽と逃走を開始した。

 それは、もし迷宮(ダンジョン)に会話能力があるとしたら「えっ、ちょっ、待っ……は?」と思わず呟いて呆けてしまいたくなるほどの、目にも鮮やかな撤退だった。

 

 

 

 

 

「改めて、再挑戦(トライ)だ」

 

 撤退時にしれっと採取していた大気と地面の一部を拠点(第201層)に持ち帰り分析した上で、それらへの対策を身に着けたクレスがもう一度第239層に降り立つ。

 前回に比べ、三倍の量を用意した解毒薬はもちろんのこと。

 『樹精霊の護符(ドライアド・クロス)』の余りをフィルターとして詰めた鳥の嘴を模したような被り物(ペストマスク)に、鮭型モンスターから取れる弾水性の皮から作った水上歩行用足装備『跳鮭の長靴(エッレド・ブーツ)』。これらによって毒霧を防ぎ、底なし沼の上を歩こうという心算だった。

 そこには見た目の統一性などなく、美神は「美しくない」と軽蔑唾棄し、冒険者であればすわ「モンスターの一種か」と勘違いしてしまうような珍妙な装い(フォルム)があった。

 されどこの階層においてはこの格好こそが最も効率が良かろう、とクレスは判断した。

 なればこそ彼は迷うことなく、今の死神にも似た姿で以て進軍を再び開始する。

 

「……」

 

 背中の恩恵(ファルナ)が、装備の内側でじんわりと熱を持つ。

 スキル【深淵踏破(オデュッセイア)】による幸運アビリティの一時的発現。

 それに導かれるようにして、彼は聴覚を主感覚、視覚を補助的感覚として慎重に歩を進める。評価値Aにも達する暗視アビリティがクレスにはあるが、彼はあえて見えないものを無理に視ようとはしなかった。それより楽に周囲の動きを捉えられる聴覚を素直に頼り、余った脳の労力を警戒により多く振り分ける。その方がここでは効率的だと、積み重ねてきた過去が考えるまでもなく彼にその手法を選択させた。

 

「……!」

 

 果たしてこの階層で最初の違和感を捉えたのは、彼の眼だった。

 ただ見るだけでない、観察することの余裕がクレスに気づかせた変化。

 それは、極僅かに盛り上がった地面だった。

 液状毒を多く含んで粘性を得た泥の地面なら、通常、重力に慣らされて平坦になっていて然るべきだ。

 しかし凸状になっている箇所がある……となれば、それは通常ではなく明確な異常である。

 

「(ならば、まずはこれ(・・)で様子を見よう)」

 

 この第239層は現状、前の層と違って一般的(ベーシック)な洞窟型だ。

 彼はその壁面から少々拝借した土をこねこねして団子を作り、異常目掛けて投擲する。

 罠であれモンスターであれ、まず何らかの衝撃を受ければ反応を見せるだろうと考えて。

 

『……ズ。ズ、モォォォ……』

 

 異常のド真ん中にぴったり着弾したクレスの土団子。それは、触れている部分からゆっくりと捕食されていった。

 急な攻撃をたわいなく受け止め、呑み込むように捕食しつつ、異常の正体がのそのそと動き始める。

 

 起き上がったその姿は、地面と同じ濁った土色に染まっていた。

 滴る雫のような輪郭を形作った汚泥が遅々としながらも蠢き、目のない顔でクレスを睨みつける。それは他階層でも見られる粘性体モンスター『スライム』に近しい外見だが、色と質感がこの階層相応のものへと変貌を遂げている。

 

「(正確には『マッド・スライム』だな。物理よりも魔法に弱いモンスター。本来なら魔法(【プロメテウス】)で焼却してやるところだが、火気はここではよろしくない。ついでここの泥を取り込んでいるせいで、原種の液状体よりも粘性を増していそうだ。となれば奴に最適な武器はこれ(・・)か)」

 

 クレスが耐泥粘体(マッド・スライム)用に取り出したのは、先ほど地面(底なし沼)の深さを測るのにも使った長槍だった。

 打撃()が効かないは言うまでもなく、斬撃()もあの身体に囚われて途中で止まってしまう可能性がある。その点刺突()であれば、一点集中で肉を貫いて核たる魔石を打ち抜きやすそうだと彼は見た。

 脇の下に柄の後方を通す形で、重心より拳三つ分ほど穂先に近い部分を右手に握えて構える。

 

「……」

 

 不定形である泥粘体(マッド・スライム)の魔石の位置は恐らく、他の同種に倣って重心に近い場所にあると考えられる。例外も多々あれど、第一に狙うべきはそこだろう。

 ずるずると這うように距離を縮めてくる敵の動きを慎重に見定めつつ、その弱点の凡その位置にあたりをつけて。ちょうど穂先が魔石に至る位置まで泥粘体(マッド・スライム)が近づいた、その時。

 クレスは腰を捩るようにして勢いをつけ、槍を一息に打ち込んだ。

 そして固い何かを砕いた感触を得ると同時に、すぐさま引き抜いて残心を取る。

 万が一狙いが外れた時に備えて距離を確保しつつ、彼は泥粘体(マッド・スライム)の変化を見逃さないよう観察する。

 

『……ズ、ズ……』

 

 どうやら貫いたときに彼が得た手応えは正しかったようで、刺突によって開けられた穴から泥粘体(マッド・スライム)の全体に罅が走り、輪郭が解けて崩れる。そのまま泥粘体(マッド・スライム)の死体は地面に同化するように消えていった。

 それ以上の変化――例えば死に際の自爆だとか――が起きる様子はなく、クレスは安堵して警戒態勢に戻った。

 

「(環境に適応した特性はあれど、急に方向性の異なる進化を遂げたような特異性はなかった。ひとまずこれまでの常識が通じるとみてよさそうだが……油断せずに続けよう)」

 

 耳を澄ませ、目を凝らしながらクレスは先へと進む。

 迷宮(ダンジョン)の気まぐれはいつでも冒険者の既知を未知へと変えて襲い掛かる。

 加えて先例のない未攻略階層での進攻(アタック)……どこまでが知っているものなのか、どこまでが知らないものなのかさえ現状理解できていない。

 不安に駆られる身体を勇気で以て前に進めつつ、クレスはまず第一にこの第239層におけるその二つの境目を見極めようと集中する。

 

「……!」

 

 今度は、鼓膜を震わせるかすかな大気の流れの騒めきを察知。

 その一部が先ほどから自分を追いかけてきていることを察して、クレスは振り向いた。

 もうもうと視界を覆う毒霧……その一角に覗くやたらと濃度の高い霧が、標的(クレス)に察知されたことを理解して急に速度を上げて襲い掛かってくる。

 

『……ゴ、ォオオッ……!』

 

 唸るような叫びを上げて突進してくるそのモンスターは、意思を持った毒霧『スモッグ・ゴースト』。

 実体のないかの怪物は呼吸を通して標的の体内に潜り込み、内側から毒と呪い(カース)で以て喰い殺す。

 されどモンスターである以上は、魔石という弱点を持つことからは逃れえず。

 他の層で同種(お仲間)に遭遇した覚えのあるクレスは、慌てず懐から別の武具を取り出した。

 

「(……一点だけ存在する、やたらと霧が濃い場所)」

 

 すなわち、防御膜(弱点)

 そこに狙いを定めた彼は、手に取った棒手裏剣に手首の捻りを加えて投げ放った。

 流星のように宙を駆けた金属の閃光が、カキンと小気味良い音を立てて奥に隠れた魔石を破壊する。

 散り散りになってほつれていく魔霧の身体。

 それは本来、黒い塵となっていない以上素材(ドロップアイテム)『ゴーストリィ・スモーク』――地上の呪術師(シャーマン)が使う神事道具(リチュアル・アイテム)としての価値を持つのだが、今は回収している余裕がないので放置。

 脳内のメモに既知(「知ったものだ」)の一言だけを書き加え、クレスは更に先へと行く。

 

 それから彼が出会ったのは毒芋虫(ポイズン・ウェルミス)痺蜘蛛(パラライズ・スパイダー)翼針竜(ウィングド・ベルーダ)竜牙蛇(ドラゴニック・ヴァイパー)などなど、どれも他の階層で遭遇したことのある毒虫系・爬虫類系モンスターだった。

 むろんそれぞれにはこの階層に適したが故の少しばかりの変化が見受けられた。だが、戦い方に大きな転換を強いられるほどではなかった。

 

「(環境こそ厄介極まりないが、これならば。モンスターに邪魔されることなく次の階層に辿り着けそうだ――)」

 

 ――などという甚だしい思い上がりが迷宮(ダンジョン)では死を招くことを、クレスは忘れない。

 慎重に慎重を重ね掛けして、かつ時には大胆に後ろに下がることも忘れず、彼は遅々としながらも自分の視界の及ぶ範囲を懐に入れてある光の導線が走る水晶へ着実に地図化(マッピング)していく。

 魔道具(マジックアイテム)『ミラージュ・クリスタル』。魔力を込めることで記録した迷宮(ダンジョン)の構造を幻影として映し出すことの出来る、彼が魔法大国(アルテナ)の古き知り合いに作らせた便利な魔法地図だ。

 その最大の特徴は、指やペンによる物理的接触が不要であり、魔力による直接操作が行えること。

 これによって攻略の手を止めることなく、行動(アクション)と並行しての記録(レポート)が可能となる。

 『深々層』の行軍においてはまず欠かせない逸品に発見した情報を魔力の光で書き綴りながら、躊躇せず進行を続ける。

 

「(……これは)」

 

 地図の作成と同時に襲い掛かってきた漆黒の毒サソリ『ダーカー・マンティコア』の群れをクレスが掃討し終えると、今度はかすかな甘い香りが覆面(マスク)を通して鼻についた。

 念のために確かめようとそちらへクレスが顔を向けると、途端に視界が揺れる(・・・・・・)

 

「……くっ!」

 

 ここまで毒霧対策に開口による発言を控えていた彼が、初めて声を上げる。

 咄嗟に効果を発揮したのは『耐異常』アビリティと、それをなお貫通して異常をもたらす現状への『適応』アビリティ。その二つが自身の崩れかけた平衡感覚(・・・・)を持ち直したのだと神の恩恵(ファルナ)と魂の結びつきから直感したクレスは、新たな敵の正体をそれから顔を背けつつ(・・・・・・・・・・)理解する。

 迷宮(ダンジョン)内に自然発生的な地震はなく、先ほどの揺れは何か別の要因によってもたらされたもの。つまりこれは恐らく、モンスターによる攻撃――。

 

「(――先ほど見えていたのは腐敗樹(ロット・トレント)。そして、その果実に止まって汁を啜っていた……巨大な蛾。この状態異常(・・・・)の原因は、奴が背の翼に生やしていた二つの()だ)」

 

 自然界に多々存在する眼状紋。

 蝶や蛾などに主に見られるそれらは一般的に、見かけ倒しの威嚇に過ぎない。

 だが、たった今彼と相対したものは文字通り格が違っていた。

 

「(この階層に満ちる毒霧を平然と貫通して効果を及ぼし、睨まれたと察知したとほぼ同時に射竦められるような感覚を抱かされた。レベル21である俺が、一瞬とはいえ世界が震えるような錯覚に強制的に陥らされる……危険だな)」

 

 それはかつて何処かで読んだ英雄譚に登場し、また迷宮(ここ)にも階層主(モンスターレックス)として存在する【魔眼将(バロール)】を想起させる、『未知』の(彼の知らない)モンスターだ。

 

「(名づけるなら睨羽蛾『バロールウィング・モス』、もしくは『モス・バロールビュー』か。決定は今度主神(カオス)にでも委ねるとして。まずは奴を仕留め、情報を得よう)」

 

 幸いにも名前の元となる予定の『バロール』とは違い、あの睨羽蛾(モンスター)には階層主(モンスターレックス)特有の威圧感がなかった。

 彼の目測にはなるが、レベルにしておよそ16から18、高くて19程度。

 となれば面倒臭さこそあれど、クレスに倒せないことはない。

 彼は再び背嚢から別の武器を取り出し、その弦に矢をつがえた。

 長弓(ロングボウ)

 速射性に優れた短弓(ショートボウ)とは異なり、威力に優れたそれでクレスは睨羽蛾(未知のモス)を狙う。

 

『キュキュオォォッ……!』

 

 毒鱗粉を舞い散らせながら飛び立った仮称:睨羽蛾(バロールウィング・モス)は素早い動きで翻弄しようとしながらクレスに迫りくる。

 対して彼は目を閉じ、視覚を覆い隠しながら後ろへ下がった。

 未把握の地形が広がる先ではなく、地図作成(マッピング)で調査を終えている後方へ。

 魔眼模様(バロール・パターン)の影響を鑑みれば、瞼を下ろし、視覚を完全に封じながら戦うことが求められる。

 ならばより把握している情報の多い場所で戦闘を行う方が、少しでも不利を減らせると見込んでの行動だった。

 今回頼るのは此処に至るまで活用してきた聴覚、そして盲目戦闘における各種補正アビリティだ。

 

「(回避と適応、集中に挑戦そして幸運か? 毒を食らわず、まだ正常に戻らない平衡感覚のままで矢を的中させる。一見して難題だな。だが、それでこそ迷宮(ダンジョン)を攻略している実感があるというもの)」

 

 目を瞑りながら器用に後退するクレスの(後ろ)には、当然新たに出現したモンスターがいる。されど彼は、それらに衝突することなく間をすり抜けていく。既に彼らの気配は覚えているから、睨羽蛾(バロールウィング・モス)を意識する片手間でその位置を把握することも容易い。

 クレスは戦いの邪魔になるからと、彼らを殺すようなことはしなかった。

 そも、素材(ドロップアイテム)目当てや情報回収などの明確な目的がなければ、クレスはそれほど積極的にモンスターを手にかけない。

 冒険者()の手口を覚えた迷宮(ダンジョン)が、より強力なモンスターを産もうとするのを防ぐためだ。

 一部の例外を除いて、彼女の(モンスター)が理性を持たず愚かなままでいてくれれば、力を振るうだけの木偶の坊でいてくれれば。弱者たる冒険者は優位を保ちやすいのだから――このように。

 

『キュキュッ……キュゥンッ!?』

 

 蜘蛛型モンスター、痺蜘蛛(パラライズ・スパイダー)

 クレスは先ほどそれらと遭遇した際、あえて彼らの巣のみを破壊して討伐そのものは避けていた。

 当然彼らは得物を捕食するため、すぐさま新たな巣を作る。

 『深々層』のモンスターに相応しい、強靭な糸と素早さで以て。

 

 そして、以前とは異なる位置に設えられた彼らの巣のことを、その先に生息していた睨羽蛾(バロールウィング・モス)はまだ知らなかった。

 クレスを追おうとするあまり速度を上げすぎて、毒霧に視界を遮らていた睨羽蛾(バロールウィング・モス)は、彼の予想通り新たな痺蜘蛛(パラライズ・スパイダー)の巣に突っ込んでしまう。その間をすり抜けた彼とは異なり、その身体は瞬く間に糸に捉えられて動けなくなった。

 

『キュ、キュ、キュッ……!』

「(無駄だ。蜘蛛の巣は逃れようと暴れるほどに絡まって、動けなくなる。そして連中は、哀れな得物に瞬く間に群がる)」

 

 近くにいた三匹の蜘蛛が囚われの睨羽蛾(バロールウィング・モス)に殺到し、その身体を糸でぐるぐる巻きにしていく。睨羽蛾(バロールウィング・モス)も必死に彼らを追い払おうとするが、その度に逆に動けなくさせられていく。

 捕食者と非捕食者の関係――そこにいる彼らの眼に今、クレスの存在は映っていない。

 その隙を狙って、力を溜めに溜め込んでいた彼の矢がようやく射出された。

 

「(……隙だらけだ!)」

 

 風を切る四つの鏃が毒霧に風穴を開けて、蜘蛛と蛾の胸中にそれぞれ存在する魔石を寸分違わず打ち抜く。

 悲鳴を上げて命を失ったモンスターたちの肉体が滅び、死骸の一部だけが残った。

 

「(よし)」

 

 今回残ったのは巣として張られた蜘蛛たちの糸と鋏角、そして睨羽蛾(バロールウィング・モス)の翼だった。初見のモンスターから素材を取れるのは結構有難いもので、後々持ち帰って活用の路を探すのに役立つだろう。

 

「(その為に蜘蛛糸を割くのは面倒だが、まあいいか。これも幸運アビリティの賜物と思っておこう)」

 

 クレスはねばつく糸を丹念にはがし、残された翼膜を折り畳んで回収する。

 それなりに凶悪な効果を持っていた睨羽蛾(バロールウィング・モス)がその実希少種(レアモンスター)だったという可能性も否めない以上、ここで手間をかけて手に入れる必要性はあると彼は考えていた。実はそうでもなかった、としてもそれは後の笑い話にでもすればいい。

 

「(あ、鋏角が一つ下に落ちたな。……まあ良いか。こいつは何度か見かけたやつだし)」

 

 回収過程で足元の底無し毒沼に落としてしまった痺蜘蛛(パラライズ・スパイダー)の鋏角を少しだけもったいなく思いながら、クレスはお腹をさする。

 そういえばそろそろ昼飯の時間か、と腹時計で察した彼は背嚢から手の平ほどの大きさの弁当を取り出して食器にカチャリと装填(・・)する。

 

「(行動食6号。食事をしている実感はないが、仕方がない)」

 

 気体の圧力を用いて、濃縮した栄養素を直接体内に打ち込む形式(タイプ)の食事。

 これまた魔法大国(アルテナ)で開発させた拳銃型の食器を活用して、ものの数秒で彼は食事を終わらせた。

 この階層で通常の食事を行おうとした場合、周囲の毒霧を一緒に取り込んでしまうことが考えられる。もちろんその毒は『耐異常』アビリティで無効化できるが、それでも蓄積の果てにアビリティの許容上限を超えてしまったり、他の魔物の毒と組み合わさって凶悪な効果を発揮する可能性がある。

 なんでもかんでも恩恵(ファルナ)頼りで突破するのではなく、自分の知恵で避けられるものについてはなるべく工夫で避ける。常に余裕をもって攻略すべし、クレスの迷宮(ダンジョン)探索における拘りがここに現れていた。

 

「(……?)」

 

 そこで、クレスははたと気づいた。

 足元に落ちていた鋏角(ドロップアイテム)の位置が、食事前と比べて少しだけズレている。

 じーっと見つめていれば、それは徐々に汚泥に沈みながらも南の方向……未だ彼が探索していない迷宮(ダンジョン)の先へと移動している。

 ここ(第239層)の地面は滞留しているのではなく、何かしらの潮流を持っているようだ。

 では、その流れの向かう先には何があるのか?

 もしかしたら一つ上(第238層)のように滝壺があって、その中に次層への通路があるのかもしれない。

 もしくはそれとは逆で、未知のモンスターや罠が待ち構えている可能性もある。

 

「(いずれにせよ……向かって確かめる以外に真実を得るすべはない)」

 

 階層そのものの仕組み(ギミック)が攻略の手掛かりになる事例も多い。

 この謎を解き明かすこともまた、次へと進むために必要な鍵の一つになるかもしれないというのなら。

 ならば行こう、とクレスは進む。

 恐れつつも尚、先へ。

 ひしめくモンスターたちを時には回避し、時には打倒して、退路を確保しつつ……先に潜む深淵の、その奥へ。

 

 

 

 

 

 迷宮(ダンジョン)を潜れば潜るほど、階層ごとに探索しなければならない面積が増えていく。

 加えて単独冒険者(ソロ・アタッカー)として仲間の救助を期待できないために慎重な立ち回りが求められることから、彼の攻略速度は決して早いものではない。

 クレスが第239層の探索を開始してから、およそ半年と二か月。

 それだけの時間をかけてようやく、毒沼の潮が行く先を突き止める彼の旅が終わりを迎えるのだった。

 

 階層の南方にぽっかりと開いた大穴。

 そこにとめどなく流れ込む汚泥の濁流は、とある一匹のモンスターの食事場へと繋がっていた。

 毒沼に沈むモンスターたちの骸と魔石。それらを残留する無念ごと優しく抱擁し、甘く咀嚼し、王の名の下(・・・・・)に嚥下する、澱んだ泥の大海に浮かぶ巨体が、確かにそこにいた。

 

 彼はそれを知っていた。

 その真なる名を知らずとも、それの同属が保有する特有の威圧感を、彼の肌が覚えていた。

 

 ――それは、醜悪なる腐肉の塊だった。

 上層より滴り落ちる汚泥とほぼ一体化した、ぬらりと輝く猛毒色の皮膚に覆われた身体。その体表の一部には、腐り落ちているかのように溶けた箇所と、ふつふつと気泡が弾けては膿のような体液を噴出させている箇所が見受けられる。

 視点の定まらない無数の眼は天と地を平等に見下しており、全身を這う触腕のような力強い血管が不気味な脈動を伴って震えている。

 ()の意識がクレスへ向いているかは、分からない。

 されどクレスの方は、それの内包する古き星の如き重厚な存在感に、強く意識を惹きつけられざるを得なかった。

 

 

 

 新たなる迷宮の孤王(モンスターレックス)、『毒沼の怪塊(■■■■・■■■)』が、こちらを覗いている。

 

 

 

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