PSYCHO-PASS _Orakel und Gesetz 作:鈴夢
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"私の中に……槙島じゃない……別の誰か"――
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――センタービル 上層階
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ピースブレイカーとの激しい戦闘はまだ続いていた。
須郷は怪我を負い離脱。宜野座は元いた上層階周辺の敵を相手に。狡噛は"顔に傷のある男"を追い、花城は舞白を追い続ける。
監視官である常守と霜月もこの戦地を駆け抜けていた。センタービル地上一階に位置する噴水に落下し未だ安否不明の雑賀。しかしすでに二人の手元にあるデバイスに生体反応は無い。二人は嫌な予感を体全身で感じながらひたすら下層階へと向かう――
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「――ハアッ、ハアッ、ハアッ!!!」
爆撃で揺れるビル。銃撃音や戦闘員たちの声が轟く中、花城は白髪の少女を必死に追いかける。一向に狭まらない距離、無駄のない立ち回り、そしてスピード。その姿は"狡噛舞白"そのもののハズなのに"違和感"を感じる。ふとした動きは別人だ。それはまるで"舞白以上に"戦地に慣れすぎているプロの動きに見えた。
「待ちなさい!」
「…………」
「舞白!」
問いかけに反応すらない。振り向くことも、攻撃を仕掛けてくることもなかった。
そんな時、上層階に位置するセキュリティルームにたどり着く二人。広々としたスペースには舞白と花城の姿のみがあった。
「はあっ…ッ……舞白?……」
「…………」
激しく息を切らし肩を上下させる花城。ゆっくりと銃を構えるとその先には舞白の背中があった。未だに彼女はこちらに振り向くことなくただただ静かに立ち尽くしていた。その背中からは何も感じられない。完全な"無"
だった。
「舞白……手に持っているナイフを捨てなさい。」
「…………」
「お願い。今直ぐ。……じゃないと撃つわよ。」
「…………」
「くっ……」
どんなに声をかけても反応は無い。呼吸すらしているのかも分からないほどに舞白は微動だにしない。不可思議すぎるこの状態に花城は珍しく困惑の表情を浮かべていた。
震える手の先、舞白を捉える銃口。撃つことは簡単だ、寧ろ今がチャンスだろう。豹変した彼女を止めるには――今しかない。
「……ッ……」
グリップを両手で握り締め、トリガーに人差し指をかける。慣れている作業のはずなのにまるで初めて銃を握っているかのように戸惑い、固まってしまう。
その選択が仇となるとは知らず――
「――あっ……!」
刹那、目の前の舞白が身を翻し急接近。容易に軽々とねじ伏せ、花城が手にしていた銃はこぼれ落ち、床をスルスルと滑っていく。
「っ舞白!」
「…………」
突きつけられるナイフ。花城の眉間の真上に鋭い刃が落とされるとギリギリのところでそれを受け止めた。
「((なんて力!……まずいわ…せめて体を起こさないと……))」
仰向けに倒れ、その上に容赦なく馬乗りになる舞白。そしてその表情は恐ろしいほどに冷たく、漆黒の瞳は瞳孔が開ききっているような不気味さを放っていた。焦点がとにかく合わない。ぼーっと瞬きすら見せない瞳がどこを見ているのかも分からない。
まるで操り人形のようだ。自分の意思は無く、手足に繋がれた細い糸で全てを操られているような気配。
「ンっ……ぐっ……く……」
"――死ぬ"
花城の脳裏に浮かんだワード。もう数秒も持たないだろう。
刃を立てる舞白の手を掴み止めるのも限界だ。腕に力が残っていない。痙攣するかのように両腕がピクピクと動き出せば感覚さえも感じなくなる。
刃先が花城の眉間に微かに掠る。天井の照明が逆光となり舞白の表情はついに見えなくなった。
「――ッ!!!!」
刹那、花城に乗っていた体が何者かによって剥がされ、そのまま力なく壁に倒れ込む舞白。死を覚悟していた花城は何とか呼吸を落ち着かせ、この窮地から救い出してくれた人物に手を伸ばす。
「おい!大丈夫か!?」
「……ッ……ええ。助かったわ。」
現れたのは宜野座伸元だった。まったく状況が分からないと言わんばかりに彼も混乱している様子だ。それはそうだろう。仲間であるはずの舞白が何故か花城を襲っていた。しかも明らかに様子がおかしい。"アレは彼女ではない。"
「舞白!?」
「………」
ユラユラと再び立ち上がる舞白。相変わらず焦点は合わず、手に持っていたナイフを構え直した。宜野座は反射的に花城を背に隠し、持っていたスタンバトンを同じく構え直す。
「説明しろ!一体何がどうなってる!?」
「それが何も分からないのよ!」
「どういうことだ…ッ!クッ!…」
舞白は再び動き出す。次は明らかに宜野座を狙っている様子だった。ナイフを俊敏に動かし、彼の左腕にナイフを突き立てた。しかし宜野座の左腕は義手。スーツジャケットの布が破れるだけで皮膚が避けるような感覚は無い。
「……"義手か"」
「!?」
ボソリと舞白の口から呟かれた言葉。それは彼女自身が発した言葉では無い。声はもちろん彼女の声なのだがいつにも増して低く、宜野座でさえもあまり聞いた事のないようなトーンだった。その違和感に気づいた宜野座は再び舞白との距離を大きく開く。
「……アレは舞白じゃない。他に何か情報は?」
「ええ。ピースブレイカーとの戦闘中、突然首を押えて苦しみ出したの。…そこからは全く理解不能。まるで何かに取り憑かれているような……」
「首だと?」
思い当たる節はあった。
舞白の首。そこには過去に槙島に仕掛けられたチップが埋め込まれている。首には複数の血管が存在する。血液を循環させるもの、脳に作用する神経なども存在する。簡単にそのチップを取り出すことは出来ないことは分かってはいるが"あの槙島"がそんな単純なチップを埋め込むとも考えにくい。
元は起爆するものでもあったと聞いていた。自力で舞白が起爆を止めたのも事実だ。
――しかしなぜ今更それに反応を示した?
「……ッ……!!」
冷静に、落ち着いた状況で分析したいところだがそれは無理そうだ。相変わらず舞白からの攻撃は続き交わすことしか出来ない。相手が彼女でなければ、敵であれば容赦なく襲いかかることが出来る。しかし今目の前にいるのは"やはり舞白なのだ"。
「((目の前にいるのは間違いなく舞白。…だが何もかもが違う!構えも力の重さも全ての動きが別人だ!))」
必死にスタンバトンで抵抗し続ける。少しでも気を抜けば身の危険を感じるほどの力だった。蹴りを受ける度にビリビリと右手に電流が走るような力。それに無限の体力。そもそもこのタワーの中層階からここに来るまでもそれなりに体力を消耗しているはずなのに息一つ切らしていない。彼女は異常すぎる。
「おい!舞白!落ち着くんだ!」
「…………」
「俺の声が聞こえないのか!?」
「…………」
スタンバトンと舞白の右手の義手が鍔迫り合いのように力を押し合う。視線の合わない彼女にとにかく訴え続けた。
「舞白!目を覚ませ!!」
底力のある訴えるような叫ぶような宜野座の声。空間を割くような鋭い彼の声は様子を伺っていた花城でさえも大きく肩を揺らす程だった。
「ッ……ノブ…に……」
そんな声が舞白の鼓膜に届いたのだろうか。ほんの一瞬、舞白が戻ってきた。
「舞白!?」
「あ……ッ……く」
スタンバトンに加わる力に緩急を感じる。必死に抵抗をやめようとしている彼女と宜野座を捩じ伏せようとする力。それがせめぎ合っている様子だった。
「まし…ろっ!……手に持っているナイフを離すんだ!」
「……わ、……わた、し……」
「くっ!」
振り上げられたナイフを右手で抑え込む宜野座。簡単に皮の手袋に刃が通り、それは皮膚を割いていく。真っ赤な鮮血がぽたぽたと床に滴り落ち、特有の痛みに宜野座は表情を歪ませた。
しかしそれ以上に彼女の方が苦しんでいた。先程まで無機質だった舞白の表情が微かに変化していたのだった。
「ノブに、い……」
「ぐ……ッ……」
「ころ、して……」
「!?」
"殺して"――その言葉に宜野座は大きく目を見開いた。
そしてそれを本能で実行しようとする舞白。宜野座の手を傷つけていたナイフを自身の首を目掛けて即座に持ち変える。その行動に花城は既視感があった。つい先程も舞白は自分を殺そうと刃を突き立てていた。不気味すぎるその行為に恐怖さえも感じる。
舞白のその行動を宜野座は必死に止めようと手を伸ばす。刃を突き立て自害しようとするその手を無我夢中で掴み続ける。
「ッ!止めるんだ!おい!」
「……"この女!まだ抗うか!"」
「何!?」
「"さっさとこの男を殺せ!"」
人格が次々と変わるような光景。
舞白の中にいる何かは宜野座を殺せと指示するも身体の主である舞白は抵抗を見せ続ける。
「((どうすればいい!?考えろ!))」
宜野座の視線が舞白の首元に向けられる。確かチップがあるのは左耳付近。確かに先程もほんの一瞬抑える仕草を見せていた。
「((……賭けに出るしかない。この状態のままでもリスクは有る。俺か舞白の体力が尽きるか。))」
"首のチップ"に原因かある可能性。
それに賭けるしかない。このまま攻防を続けたとして、先にこちらが殺られるか、舞白が自害するか……
「くっ……!手を貸してくれ!舞白の体を押さえるだけでいい!」
「了解よ!」
花城は宜野座の視線を頼りに舞白の背後に回り込む。未だにナイフを自身に突き付ける舞白。混乱している今が最後のチャンスかもしれない。
「((頼んだぞ……お前がそんなにヤワじゃない事を信じるしかない!))」
その時、宜野座は隙をつきナイフを握っていた舞白の手を振り払う。そのタイミングを見逃さない花城は直ぐに舞白の体に掴みかかり容赦なく押し倒した。
「ッ!ここからどうするつもり!?」
「……はぁ……っ」
「スタンバトン!?」
宜野座の手に握られてるスタンバトンに電流が走る。バチバチと電気が弾ける音と光に息を飲むと花城と同じように舞白を押さえ込んだ。
「……頼むぞ……舞白……」
「ん……ぐっ!」
血走る舞白の瞳。大きな漆黒のそれは宜野座を鋭く睨みつける。
「!?ンっ!!!」
刹那、電気を纏うスタンバトンが舞白の細い首に宛てがわれる。芯が触れたのはちょうど首の左部分。触れたと同時に舞白は苦しそうに声を上げ、激しく体を痙攣させる。
「うっ!!ぅあぁぁあああああぁぁぁぁ!」
「ッ!!」
耳を塞ぎたくなるような悲鳴だった。宜野座はそのままスタンバトンを投げ捨てると必死に彼女を抱き留める。花城はその光景に唖然と目を見開き暫く息を乱す。
「…舞白!舞白!!」
「はぁ……はぁ……っ……一体、何がどうなってるの……」
舞白は宜野座の腕の中でぐったりと意識を手放す。心做しか表情が和らいでいる気がした。漸く解放されたような、安心しきった様子。呼吸も一定に落ち着くと花城と宜野座はホッと胸をなでおろした。
気がつくと、辺りに響き渡っていた戦闘音や爆発音は止み、静寂が漂っていたのだった。
ビルには自爆したピースブレイカー達の屍。そして負傷した仲間達や既に息絶えた者の姿――
――そしてセンタービル最下層、噴水の傍。
そこには力なく横たわる雑賀。傍らでは哀惜の念に堪えない常守の姿があったのだった。
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その後、被害の全容が明らかとなった。
ピースブレイカーの生き残りは輸送攻撃機に乗り全員が撤退。戦死した者は予め自爆するように仕掛けられていたらしく木端微塵だった。
外務省海外調整局局長である矢吹はピースブレイカーに拉致されていた。宜野座に舞白を任せた後、生き残った行動課職員と合流したのだが一向に矢吹との連絡をとることが出来なかった。不審に思った花城は直ぐに司令室に。するとそこには職員の屍の山と矢吹の補聴器が落ちていた。
全て敵の手のひらの上を転がされていたのだ。恐らく敵の狙いはストロンスカヤ文書の奪取、そしてもうひとつは局長の矢吹の拉致。彼らは自分たちより遥かに計画的だった。後手後手に回ってしまった。完全なる敗北だった。
そして――公安局側の被害も大きかった。
同行者のキーパーソンでもあった雑賀譲二の死亡。
一行はやり切れない曇りきった表情で外務省管轄の出島ビルへと戻ったのであった。
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「情報漏れを見越して動いていたのに……その結果がこれですか!?」
室内に常守の怒りと苛立ちがこもった声が響く。対し狡噛と花城は眉を顰め小さく息を吐いた、
「……言い訳はしないわ。」
「フレデリカを責めたところで何も解決しない。問題は何故失敗したかだ。」
落ち着いた二人の口調。その空気がやけに苛立ちを増幅させる。我慢できなくなったのは霜月だった。
「はぁ!?何言ってんの!?」
「……霜月。」
二人に噛み付くように声を上げる霜月の腕を"落ち着け"と言わんばかりに掴む宜野座。その背後では負傷した須郷の姿もあった。
霜月の反応は当然のものだろう。外務省側の不手際で最悪な状況に陥った事実。下手をすれば全員死んでいたかもしれない。
「いい!?そもそも失敗も何も先輩言う通りあんた達外務省が情報を漏らした!裏切ったのよ!?挙句の果てに…あんた達の"お仲間"が暴走して雑賀教授が死ん…」
「霜月!」
「っ……」
突如、霜月の言葉を遮るように珍しく宜野座が声を上げる。ふと彼の表情を見るとそれは恐ろしいものだった。あの霜月でさえ声を止め、ごくりと息を飲む。怒りに満ちている……などでは無い。変に真剣で引きつったような顔。そんな宜野座を目にするのは霜月にとって初めての事だった。
「……それで、舞白さんの容態は?」
そんな二人の重い空気に常守の声が被される。身を案じていたのはこの場にいない"彼女"の事だった。
「今は外務省管轄の医療センターで眠ってるわ。外傷はあるけど命に別状は無かったわ。」
「原因は何なんです?あれは明らかに舞白さんではありませんでした。」
兄と共に華麗に敵を薙ぎ倒し、常守も霜月も彼らに救われた事実。しかし彼女は突然豹変した。人が変わったように混乱し、味方に刃を向けたのだ。
「何故"ああなった"のかは原因は分かっていない。舞白があのタイミングで意図して裏切るなんてことは絶対に有り得ん。調査は直ぐに実施する。」
狡噛は冷静だった。妹の様子が急変し、身の危険を感じた時も容赦なく妹に刃を突き刺した。しかし実際、狡噛がそうでもしないと舞白を止められなかった事実。異常事態だった。
「狡噛。アイツがああなったことに対して思い当たることは無いのか。」
「……すまんが何も思い当たることは無い。」
「ッ……」
"原因不明"。一番時間を共に過ごしてきた実の兄でも理解できない事態。宜野座は更に険しい表情を浮かべるとあの時の舞白の状況を口にし始める。
「…アイツはまるで何かに取り憑かれていた。動作も表情も、言葉遣いも何もかもが別人だった。この俺でさえも一人で捩じ伏せることが出来ないほどにな。」
「別の人格があった、ということですか?」
「ああ。例えるならそういう事だ。男っぽい口調に動作、どう考えてもアイツじゃない。」
「別の人格……」
宜野座が目にした状況と光景。それを聞くに引っかかる点ばかりだった。常守は顎に手を添え、考える仕草を見せる。しかしとある人物が部屋に入ってきた時、常守の表情が驚きに変化した。
「慎導本部長?どうしてここに……」
現れたのは本部長の慎導篤志だった。
疑いに近い怪訝な表情で彼を見据えた。しかし慎導はとくに表情に出すことなく落ち着いた様子で皆の前で立ち止まる。
「立場上、外務省と事態の収拾に努めねばならない。最悪の場合、国防軍にも協力を要請することにした。」
その言葉にさらに目を丸くする常守。あまりにも早すぎる立ち回りにもはや疑心しか浮かばない。それに国防省の名前も上がるとは余程のことだ。国を上げての大きな案件になるのは間違いないだろう。
「外務省に国防省。まるで全てを仕切っているようですね?」
「私はそれほど大物じゃないよ。――ただ、私と矢吹はあの部隊の結成当初から深く関わっていた。」
男の台詞に全員が息を飲む。矢吹の部下である狡噛と花城でさえも初耳と言わんばかりの驚いた様子だった。
「獣の群れを野生化させてしまった。この責任は取らねばならない。」
凶暴すぎる狂犬達。元は外務省の特別部隊。これ以上被害を拡大させる訳にはいかない。その為にはどんな手も使う……だとしても、こんな結果はあんまりだ。
「その為に……雑賀先生を利用したと?」
常守の傍らのデスクに置かれた雑賀の遺品。血に濡れた眼鏡、いつも肩身離さず持ち歩いていたと思われるメモ帳とペン。それに手を伸ばし、一段と険しい表情を常守は浮かべたのだった。
「結果論だ。誰も犠牲は望んでいない。」
慎導の真剣な言葉が静かに響く。
一同はただただその言葉を飲み込むことしか今は出来なかった。
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――翌日 午後14時過ぎ
外務省管轄 出島医療センター――
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「……ん…………」
投薬の副作用で眠っていた舞白。晴れ晴れとした明るい陽の光が差し込む病室で彼女は目を覚ます。ぼんやりと霞んだ視界、地味に続く頭痛。そして薬によって今は感覚がない脚。
昨晩目を覚ました時、酷い悪夢を見ていたと思っていた。しかし夢ではなく全てが現実だった。ハッキリと内容は思い出せないが何となく記憶の片隅に残っていた映像。誰かが必死に自分の名を呼び、奮い立たせるような――
「……起きたか。」
声が聞こえた。
悪夢の中で聞こえたあの声だ。
「……ノブ……"宜野座"さん。」
「さっきまで常守も居たんだが急用が入ってな。」
「……そうですか。」
ベッドの傍らの椅子に座りこちらを見据える宜野座の姿が目に入る。舞白はゆっくりと体を起こすとビリッと痛む左首を押さえ息を漏らした。そして腕に絡む点滴の管を揺らしながら舞白はゆっくりと頭を下げる。
「――申し訳ありませんでした。」
真剣な、他人行儀な振る舞いと声。
今の舞白はただ謝ることしかできない。理由は明白だ。
「何故、お前が謝る。」
舞白は宜野座の言葉にゆっくりと顔を上げる。
「全て花城課長から聞きました。……私が……雑賀先生を…」
「お前のせいじゃない。」
「でも……私が先生にナイフを」
「それが全ての原因になった訳じゃない。」
宜野座は真面目な瞳でそう言った。決して相手の目から視線を外すことなく、じっと彼女を見つめる。
「教授を直接的に殺害したのはピースブレイカーだ。」
「間接的に殺したのは私です。」
「それなら"俺達"も間接的に関わってる。お前だけじゃない。」
「ッ……」
舞白の全ての言葉を否定するように宜野座は応える。それは彼の優しさでもあった。言わば舞白も被害者なのだ。原因は不明だがきっと意図して彼女自身が起こしたことでは無いと誰もが理解していた。
しかし当事者である舞白本人はただただ自負するしかない。ことの全ては自分に責任があると、そうとしか考えられなかった。
「とにかく、お前はもうこの件には関わるべきじゃない。」
突き放すような彼の言葉。しかし舞白が素直に聞き入れるはずもなかった。
「……私も戦える。」
「まだそんな口が叩けるのか。」
「私がそうなったのには必ず理由があるはず。ならそれを逆手に取れるチャンスがあるかもしれない。私が敵の懐に入れる唯一の…」
刹那、宜野座の左腕が乱暴に舞白の病院着の襟を掴んだ。反射的に顔を逸らし瞼を閉じる。
「ッ……お前……」
「う……」
襟に力がこもるのが分かる。瞼を閉じているから表情は分からないがきっと怒っているだろう。
「いい加減にしろ!そんなに死にたいのか!?」
「違う!そういう訳じゃない!私はっ……」
「俺の目を見ろ、舞白。」
「ツ……!」
「逸らすな!逃げるんじゃない!」
舞白はゆっくりと瞼を持ち上げると逸らしていた顔を彼に向ける。小さく震え、恐怖に怯える子供のように見えた。いざそんな彼女を目の前にするとどうしようもない感情が宜野座に湧き上がってくる。昔から変わらない漆黒の瞳、兄に良く似た顔つき。しかしどこか幼さを感じさせる。
「……ッ……何故……分からないんだ。」
「……」
「何故分かろうとしない!?」
「違う……"ノブ兄"……私――」
言葉を続けようとした時、ふわりと宜野座の腕に収まる舞白の体。久しぶりに漂う彼の匂いに心臓が激しく脈打つ。彼の感情が全く読めない。怒っているのか、泣いているのか、喜んでいるのか、言葉も口調も表情も全てが矛盾していた。
「……やっと……また会えたんだ。」
「…………」
「もう一生会えないと……俺は諦めていた。」
「何……言って……」
出島に到着した時の夜。あの電話とは打って変わって全く違う言葉だった。恐らくこれが本音なのかもしれない。
お前は誰だ?
お前は変わった。
かけてやれる言葉が見つからない。
お前に対して、もう寛容にはなれない――と
宜野座は間違いなくあの時そう口にしていた。
「――お取り込み中のところすみません。失礼します。」
その時、冷めきった女性の声が入口から飛び込んだ。恐らくノックをしてくれたようなのだが全く二人の耳には届いていなかった様子。半ばイライラとした面持ちでこちらをじっと見据えるのは霜月だった。舞白と宜野座は慌てて体を離すと"やってしまった"と言わんばかりの様子を見せつつ、誤魔化す様子も見せた。
「……悪い、霜月か。常守なら居ないぞ。」
「"宜野座執行官"に用事があるんですよ。」
わざとらしく彼の役職名も織り交ぜ名前を呼ぶ。そして二人の前に姿勢よく立ち、微かに咳払いすると再び彼女が口を開いた。
「今日の夕方に私は東京に戻ります。色々と先輩に調査を頼まれたので私は局から支援を。」
「ああ。分かった。」
「引き続き先輩と宜野座執行官、そして須郷執行官はこちらで指示があるまで外務省と共に行動を。禾生局長からの指示です。それと――」
淡々とした業務連絡。舞白は静かにそれを聞き流しつつ窓の外に視線を移した。嫌になるほどの真っ青の青空、気持ちの良さそうな気候が広がる景色。しかし舞白の心の中は真っ暗闇だった。
ひとしきり業務連絡を伝え終える霜月。すると静かに黄昏ていた舞白に視線を向けると淡々とした変わらぬ声色で声をかけた。
「狡噛舞白さん。」
「…はい……?」
ベッドの際にさらに近寄る霜月。グイッと前のめり気味に舞白に近寄ると無愛想な顔つきで詰め寄った。
「あの時!私を助けてくれてありがとう。……あの爆発に巻き込まれていたら多分死んでたから。」
「……いえ……私こそ」
「それだけです。それとウチの部下を振り回さないように、困らせないようにお願いします!あなた達外務省の事は信用してませんから。本当に…っ…本当に!」
指をさされ念押しするようにさらに詰め寄られると舞白は豆鉄砲を食らったかのように目を丸くした。
「正直、あなたの行動力を評価してるんです。立ち回りも全て。結果はどうあれ最悪すぎる自体は免れたと思ってるわ。」
「…えっ……と…」
何が何だか混乱してしまう。怒られているのか褒められているのか分からない。
「それでは失礼します!」
詰め寄られたと思えば今度は直ぐに部屋から姿を消す霜月。舞白はキョトンとしたまま寝癖で跳ねた髪の毛に手を添え傍らの宜野座に視線を戻す。
「……ごめん。私の中の感情がぐちゃぐちゃすぎて何を言えばいいか……」
「……はぁ……全く、アイツは……」
嵐のように現れ去っていった霜月。
何となく気まずさも感じるこの空間。とことんタイミングが悪すぎる。
「…………」
そんな時、舞白は再び宜野座に視線を戻した。霜月の"タイミングの悪い"あの瞬間が何となく空気を変えてくれた気がした。
今なら言える。あの電話の続きが……漸く。
「――"俺の前だけでは強がらなくていい。本音をぶつければいい。1人で抱えるんじゃない"……だよね。」
宜野座はハッと目を見開いた。
自分が舞白に放ったあの時の言葉をまさか覚えているなんて。
思いは伝わっていない、忘れられていたと一方的に考えていたのは誤りだった。
「…覚えていたのか?」
「勿論覚えてるよ。」
僅かに顔を俯かせ、困惑したような表情を浮かばせた。
「私の事"変わった"って言ったけど……私は対して何も変わってないよ。」
「……」
「ずっと……私も忘れたことなんてない。」
舞白の真剣な光を放った瞳が宜野座を捉える。切れ長の美しい目元は兄と全く同じだった。
「だから今度は"一緒に"私も戦う。何があっても貴方が助けてくれるでしょ?」
「……舞白。」
「ピースブレイカーを追い続けているのは私も同じ。それに……先生の仇を打つ。その為なら私は戦える。」
舞白の無機質な右手が宜野座の無機質な左手に伸びた。お互いに手の温度も何も感じない。しかし感じることは出来ていた。
「力を貸して……"ノブ兄"」
その瞳に何の邪心も虚飾もない。
それら不自然なくらいに澄んでいて、向こう側の世界がすけて見えそうなほど美しかった。
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