PSYCHO-PASS _Orakel und Gesetz 作:鈴夢
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雨は闇も一緒に包み込んで降り続く――
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庁舎や居住地区が立ち並ぶ出島の中心部の煌びやかな夜景とは大きく違い、男の目の前には真っ直ぐと地平戦へと続く夜の景色が目の前に広がっていた。
地平線の向こうに繋がる世界。自分と実妹が放浪していたその地が先にあると考えると未だに妙な気分が込み上げる。
「…………ふー……」
煙草の煙を吐き出し、雨が降り続ける闇夜に視線を向けた。バルコニーの柵にもたれかかると次は左手首のデバイスに視線を落とす。狡噛は雑賀の助言を快く聞き入れたつもりではないが彼なりに行動を起こそうとしていた。
デバイス画面に映る"常守朱"の文字。
そして狡噛は瞼を閉じ、ふと海外での出来事を脳裏に甦らせる。
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妹と日本を離れて数年。俺たちは海外を彷徨った。
正直なところ、初めは舞白を連れ出したことを後悔した事もあった。日本の外は混乱と紛争に溢れ、常に死と隣り合わせ。果たしてその世界で、俺は兄として妹を守ることが出来るのか?妹の人生を狂わせたのは間違いなく自分自身であり、これからもその道を妹に歩ませるのか?
日本に無理矢理でも置いていけば良かったのかもしれない。
妹なりに兄として唯一の肉親である俺という存在に無意識のうちに縛られているのかもしれない。
結果として妹は腕を失い、身体には複数の傷を負った―――
本当に……この選択は間違っていなかったのか?
――"なんて"心配は時間とともに消滅していった。
舞白は俺以上に適応能力も高く逞しい。元々身体能力も高く、俺以上に博学で頭脳明晰。それに勘も良い。やはり兄妹だと"血は争えない"と何度も思い知らされた場面があった。
その度に不安は消えていく。
だが……時折見せる幼い"少女らしい"健気な表情を見る度に、俺の心は痛みを感じていた。そして、妹を陥れた"槙島聖護"の傷跡。奴が妹の左首に残した異物――それはただの起爆装置ではなかった。
事件当時、舞白は機転を利かせて起爆装置としての機能を破壊したものの未だに異物は残されたまま、舞白の体を蝕む。
医者が言うには外頸動脈と内頸動脈の複雑な箇所にそれは埋め込まれているらしい。嫡出することはかなり難しく、脳神経にも絡む箇所に下手に手を加えれば出血性ショックからの心肺停止……死に至る事は否めないと言われていた。この数年、それに伴う発作は何とか薬で症状を抑えられているものの限界もある。
本人は摘出するリスクと異物を埋め込んだまま日常生活を送るリスクを天秤にかけた結果、摘出しないという選択をした。俺は肯定も否定もしなかった。
「「――――」」
そして、時折僅かに妹から漂う"奴の気配"。奴に憑依されているのでは無いのかと思う瞬間もある。イマジナリーフレンドなんていう言葉で喩えたくはないが……槙島聖護という人間をそれに近い存在で舞白は認識していると思う瞬間が多々あった。
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『――狡噛さん?』
刹那、現実へと引き戻すかのように女性の声がデバイスから漏れる。狡噛は一切動揺を見せない。手に持っていた煙草を指先で握り直すと視線は外に向けられたまま常守に応答した。
「……よう」
『…行動課って何なんですか。』
「外務省の調査部門であり実働部隊で――」
『言われなくても知ってます。』
「…そうか。」
流れるような2人の会話。
常守の口調はまるで台詞を読んでいるかのように淡々としていた。その声色や口調から、常守の感情を読み取ることは出来なかった。ほんの少し、怒りのような呆れにもとれる感情は微かに感じていたのだった。
『……狡噛さんと舞白さんは"暴力に対抗する暴力"として帰国を許されたんですか?』
"暴力に対抗する暴力"
その言葉は間違いなく的を得ていた。
「外務省も執行官が欲しかった。それで俺が呼ばれた。舞白も能力を買われて帰国した。あいつ自身で選択したことだ。」
『…私や宜野座さんが呼んだら、おふたりは帰ってたんですか?』
常守のその声はハッキリとしたものだったが少し寂しそうな響きが含まれていた。
"もし"、自分たちが本気で懇願すればこの兄妹は戻ってきていたのかもしれない。その言葉には重みさえ感じる。
それもそのはずだ、とくに常守は宜野座の想いを汲み取っていた。
全てが謎に包まれた舞白の経歴。常守はその理由を全て把握していたからこそ"消えた少女"の行方を追い続ける宜野座のその姿は見ていて苦しかったのだ。
そして自分自身も―――狡噛に対し特別な想いを持っていたのだから。
「…それは…どうだろうな。」
狡噛は言葉を濁す。
自分はともかく舞白はどうだったのだろうか。それは実の兄でさえ分からない。
『まあ、私の立場と権限じゃ無理ですけど。…矢吹局長はおふたりが犯した罪についてどう考えてるんですか?』
槙島聖護という人物の殺害。
シーアンでは国を揺るがす抵抗運動に参加し、傭兵たちと共に国を相手取り混乱を起こしたと言っても過言では無い。
本来であれば狡噛兄妹は逮捕されていただろう。兄の狡噛はそもそも潜在犯であり逃亡犯。妹の舞白に関してはサイコパスはクリアに違いないが実際に兄と共に共謀を図り罪を犯した。
その気になれば国家転覆も可能にしてしまうほどに頭脳明晰で人間離れした能力を持つ兄妹。そんな2人の過去に対し、外務省調整局の局長は何も咎める様子は無かった。
「その話をしたことは無い。気にしてないんだろう。あの人はピースブレイカー以外興味が無い、」
『今後も外務省で仕事をするんですか?』
「俺はすべきことをするだけだ。それはきっと……舞白も同じだ。」
『私は狡噛さんが法を犯そうとしたら…必ず次は止めます。それは舞白さんも同じです。これ以上、狡噛兄妹に背負わせません。』
もう二度と、この兄妹に罪を背負わせないと心に誓っていた。誰も使い捨てにはさせないと――
「アンタが正しいと思うことをしろ。俺達"兄妹"はやってきた事に後悔はない。」
狡噛は朗々としたハッキリとした口調で応えた。その言葉に嘘偽りは一切なかった。そこには兄妹にしか分からない特別な想いや感情が含まれていたのだった。
「―――ッ?」
途絶える通信。消えるデバイスの画面。
一方的に常守から遮断された通信に狡噛は微かに驚きを見せた。
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「……謝って欲しかっただけなのに――」
常守はぽとりと雫のように呟いた。
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窓を閉めていても、雨の流れる音が鼓膜を叩く。
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広すぎる窓。水平線が広がる通りに面し、薄いレースカーテンの隙間からは微かにネオンの色が確認できる。騒音はまったく聞こえず、そのせいか静かな室内からは寂しさを感じた。
若干20代前半の少女に与えられる部屋にしてはとにかく広すぎる。
壁一面に広がる本棚。部屋の隅に置かれたオーディオ。メゾネットになっているその部屋は階段の先に寝室があり、1階部分は物自体がとにかく少なくパッと見人が住んでいる雰囲気さえ薄い。そして部屋の雰囲気からして20代の女性が住んでいるとは誰も想像しないだろう。
「……」
リビングのソファに寝転ぶ舞白。入浴も済ませ、あとは眠りにつくだけだ。そんな彼女は気だるそうに手に持っていた文庫本を傍らのローテーブルに置くと、取り替えるように今度はデバイスを手に取る。
新たな履歴は矢吹と花城からのメッセージのみ。内容は業務連絡で何ら返信の必要も無さそうだ。
本当は常守の部屋に行こうかとも悩んだが既に日付が変わっていた。最悪、明日の仕事が終わった後にでも時間を作ってもらえればいい。まだ何も焦る必要はないのだから―――
「((……"詫び"。先生の助言通り、お兄ちゃんは朱さんに伝えたのかな。))」
先程の雑賀の台詞を脳内でリピートしながら手元のデバイスを操作する。そしてある相手の名前がデバイス上で浮かび、舞白は"通話"を押すことを躊躇っていた。
「((今の私がノブ兄に謝ったとして…何か変わるのだろうか。そもそも、もうノブ兄との関係修復ができるとも思えない。それに私は"それを望んでいない―――はずなのだから。"))」
正直なところ怯んでしまっている自分がいる。電話をかけたとして、謝罪をしたとして宜野座から返ってくる言葉が怖いのだ。
なんというか……この感覚は久しぶりだ。
2年前、シーアンでの再会。
とある抵抗作戦の参加中に偶然宜野座に再会したあの時。
背後から向けられた銃口。
まるで電気に打たれたかのように体が硬直したあの時。
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"狡噛舞白、
…あなたをテロ事件幇助疑いの為、逮捕する"
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あの時と同じ表情だった。
様々な負の感情が現れていたのだ。
「……明日からまた顔を合わせるし。ある程度この蟠りは解消すべきか……」
"宜野座伸元"
デバイスに映し出されたその名前を再び目にした舞白からは深いため息が漏れる。同時にゆっくりと体を起こすと背筋をピンと伸ばす。
「…………はぁ……」
ここまで来たなら雑賀の言う通りにしよう。先生の助言は間違いないのだから。結果はどうあれ、話すことは大切なのだから―――
舞白の無機質な指がデバイス画面に触れると"Calling"と表示され点滅する。デバイスの機械音が静かな室内に響くと更に緊張が高まっていく。ドクドクと脈打つ心音。耳までもが心臓になってしまったのでは無いのか?と錯覚してしまいそうな程に昂る。
刹那、相手が通話に応えた為に呼出音が停止する。しかし相手は何も言葉を発さない。
『……』
「夜分遅くに申し訳ありません。」
『……何の用だ。』
「…少し話がしたかったものですから。」
『…………』
数年前の関係性が嘘のようだ。
冷たささえ感じる彼女の口調と不慣れな敬語に、顔は見えずとも宜野座の表情は歪んでいた。眉間に皺を寄せ、目を尖らせ……
しかし宜野座は複雑な感情を抱いていたのだ。
"憎んでいいのか。許すべきか。"……自分の中に潜んでいる様々な感情が溢れ出す。
そんな時、予想外な事に宜野座が先に口を開くのだった。
『どうやって日本に戻ってきた。』
「…新疆ウイグル自治区で、当時外務省海外調整局のエージェントだった花城課長にスカウトされた。それで戻る事が出来た。」
『外務省海外調整局"行動課"。創設されたばかりらしいが目的は何なんだ。』
「表向きは"情報収集を目的とした部隊"………」
『"表向き"、か。ただの情報収集を担うような連中には見えないが?』
「……」
『お前の変わり果てた姿を見たら明白だ。』
「ッ……」
宜野座の言葉に怯む舞白。基本的にどんな時でも饒舌で怯むことなどないのにも関わらずどうも彼の前では言葉が見つからない。詰まってしまう。取り繕って言葉を探そうにもうまく頭が働かない。
真っ直ぐと隙のない宜野座の台詞に何も言い返せなかった。
『お前は何がしたいんだ。何の為に戻ってきた。』
「………」
『2年前、俺がシーアンで伝えたことは―――』
ふと、2人の脳裏に過去の光景が映し出される。
シーアンにて、あの寺院で語らい合ったあの時のこと、
『結局……お前には俺の思いは何も伝わっていなかったんだな。』
「…違う……そういう訳じゃ―――」
打って変わって怒りに満ちていた宜野座の声色が哀しい儚げな弱々しい声へと変化した。その様子に気づいた舞白は微かに手を振るわせ必死に否定した。しかし彼にその否定は届かない。
『―――"お前は変わった"。中身も全て。一匹狼で独りでなんでもできると勘違いしている大馬鹿者だ。――』
「……ん…………」
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"俺の前だけでは強がらなくていい。本音をぶつければいい。1人で抱えるんじゃない―――"
あの時の……夕陽に包まれる2人の光景が浮かぶ。
優しい彼の抱擁に涙したあの時の―――
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『"お前は誰だ"?』
「…………ッ……」
思考と会話の速度に言語中枢がついていけない。
ハッキリと述べられた言葉に舞白は何も言い返せなかった。喉の奥に何かが詰まっているような、言葉を返したくてもそれが引っ掛かって上手く声が出ないのだ。
宜野座に謝るつもりだった。
他にも言葉を用意していたはずなのに予想以上に頭が混乱してしまう。
『……悪いが。今はお前にかけてやれる言葉が見つからない。』
「……」
『昔のようにお前に対して寛容になれない。……もう切る。』
彼は悲しそうに言った。凄く悲しそうで、今にでも消え入りそうだった。
「待って……"ノブに―――」
舞白の静止も聞かぬまま、一方的に切られてしまう通話。
今までの後悔がどこまでも尽きない原始林のように心の奥に薄暗く生い茂る。"後悔"なんてしていなかったはずなのに、彼の台詞や声色を直接聞くとそれはどんどん膨らんで行く。
舞白は宜野座に忌み嫌われるのが嫌だった。腕を失おうが消えない傷を刻まれようが、命の危険に晒されようが―――ただただ蛇蝎のように嫌われる事を本当は心の奥底で恐れていたのだった。
―――結局。謝る事すらできなかった。
舞白はそのまま両膝を抱え、込み上げる感情を必死に押えながら唇を強く噛み締めるのであった。
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「―――どっちが子供なんだか……」
自分の発言を微かに悔いるように呟く。
我ながら"大人気ない"なんて思ってしまう。
生きていた彼女との再会を本来で有れば喜ぶべきなのに、それを素直に喜べない。自分がいた。
「…本当に…大馬鹿者だ―――」
デバイスを手首から取り外し、傍らのテーブルへと置く。そして力なくベッドに身を投げ出すと宜野座はゆっくりと瞼を閉じた。
あの頃の幼い彼女の面影を思い浮かべる。
可愛らしい笑顔を向ける彼女のその顔にだんだんと靄がかかっていく気がしたのだった。
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