君を愛することはナイト   作:quiet

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08話ー② その灯りの意味を

 

 

 アルセアが言葉を失ったのは、ほんの一瞬のことだった。

 

 聖塔の構造は、増築してもなおどこも同じだ。内周をぐるりと取り囲む螺旋の階段。その三分の一を過ぎるか過ぎないかのこと。

 

 ふっ、と塔の中から明かりが消えた。

 真夜中に蝋燭の火を消した、あの瞬間のように。

 

 これは普通の事態ではない、とアルセアは直ぐに感じ取った。塔の中に掲げられたランタンの全てが魔法系統の異常を起こしただけではない。自分の足元を照らすために持ち込んだそれも、同じく輝きを失っている。

 

 先程まで淡く光っていたはずの天窓すら、黒く塗り潰されている。

 唱えた小さな光の呪文が、生まれた途端に闇の中に消えていく。

 

 何かが。

 何か、今までよりも深刻な事態が、発生している。

 

「――――!」

 次の瞬間、アルセアは階段を蹴って走り出していた。

 

 何も自棄になったわけではない。視界の利かない暗闇の中、階段を全速力で――それもこんなに高い場所を駆けるのが危ないことなんて、彼女もよくわかっている。

 

 けれど、瞼の裏に残ったこの階段の像が消えないうちに。

 足が竦んで、ついさっきまで階段を上っていた感覚を忘れてしまわないうちに。

 

 音だけは消えていなかった。踵の低い靴が階段を蹴り付ける音が、この高い塔の中に響く。アルセアには想像ができていた。一の従基に対して行った最初の儀式と同じ。こうして塔の中で異変が起きているということは、塔の外でも何かが起こっているだろうということ。

 

 あるいはもしかすると、塔の中より外の方がずっと、と。

 思うから、恐怖をねじ伏せて全力で駆けている。

 

 手すりに縋りつきながら恐る恐る一段一段、なんてことをやっていて、外にどんな被害がもたらされるかわからない。そしてそれは、中についても同じような推測が言える。いつまでもこの場所が、ただ光が消えただけの場所であってくれる保証などどこにもない。

 

 何もかもが手遅れにならないうちに。

 

 幸いにして、その作業は一種の演奏に似ていた。階段の幅は常に一定で、駆け上がるテンポが揃っていればそうそう足は取られない。頭の中に浮かぶ位置情報がぐるぐると回る。馬車に酔ったような気分の悪さがじわじわとにじり寄って来る。それでも、と足を緩めずにアルセアは進む。

 

 

 そして、塔は揺れた。

 

 

 一瞬の、けれどきっと手すりを握っていても足を滑らせてしまうような、大きな地響きだった。身体から重力が消える。宙に浮いた、と気付く。

 

 自分の身体が、どこを向いて、どこにあるのかわからない。

 それでもたったひとつのことを、アルセアは強く思った。

 

 下に、落ちてはいけない。

 

 泳いだ手が手すりの端に引っ掛かった。掴むことはできなかったけれど、それで咄嗟にアルセアは判断する。どっちが後ろで、どっちが前で、どちらに転ぶべきか。

 

 前。

 無理やりにでも、床にしがみつくようにして倒れ込んだ。

 

 

 ぺき、と。

 下敷きになった指から音がする。

 

 

 

 

 

「っ、姿が――」

 暗闇で、まるで相手の姿が見えない。

 

 その不利を打破する手段がないのは明白だった。誰だってこの状況で明かりを点けようとするくらいのことはする。シグリオだってそうした。けれど交戦時間が二分を越えてなお、この場において視覚の補助となるだけの光源はどこにも見当たらない。

 

 初期位置。それから音。それだけを頼りに塔を守り続けていたが、今やシグリオは完全に相手を見失っていた。ついさっき、当たるはずだった水弾の手応えがなかった。右にも左にも、どちらに照準を修正しても反応がない。味方の背を撃つ可能性を考慮すれば、無暗に射程を伸ばして索敵するわけにもいかない。

 

 上か、と思う。

 つい先程の地響き。それを最後に反応がないことを思えば、と。

 

 けれど、次にシグリオが取った行動は空中への魔法の発射ではなかった。三次元戦闘に持ち込まれれば、ただでさえ照準が合わないのがもっと救いようがなくなる。

 

「道を開けろ!」

 そう思ったから、彼は駆けた。

 

 目的地は明白だった。これらの〈影獣〉が姿を現したタイミングを考慮すれば、標的も容易く想像がつく。聖なる塔。〈光玉・エルニマ〉。

 

 聖女アルセア。

 彼女のいる塔を背にして、彼は立ち塞がる。

 

 高さばかりはどうにもならない。ここに立っていても上から攻められれば、塔に被害の及ぶ余地はある。

 

 それでもあの異様な〈影獣〉を止めるだけの算段が、シグリオにはあった。

 

〈影獣〉は皆、生き物の持つ魔力に食いつく。

『生餌』が効くと、知っていた。

 

 

 降りしきる雨の中。暗闇の中。

 彼は己の身体に宿された、ありったけの魔力を込め始める。

 

 

 

 

 

 もう一段あるかと思ったが、もうそこが頂上だった。

 ぜ、と荒く息を吐いて、アルセアはすぐさま次の地図を頭の中に思い浮かべる。まっすぐ六歩。手すりを握る。方向をそれで正確に調整できればと思うが、あまり上手くいった自信がない。

 

 痛みは、なかった。

 

 暗闇の効能であってくれればいいと思う。明らかに、あの転倒のときに身体に損害は生じた。けれど子どもが自分の膝の擦りむいたのを見てから泣きだすのと同じ――視界に映っていないから、自分の目にしかと映していないから痛みを自覚できていない。そうであってくれればいいと思う。

 

 今は。

 痛みに悶えるより先に、やるべきことがある。

 

「――――っ」

 膝を突いて、祈りを込め始める。

 

 すぐに異常はそこにあると知れた。ここまで来ても〈光玉・エルニマ〉の姿が見えない。けれど〈魔法層〉との繋がりが完全に絶たれたわけではない。〈現象層〉との間に、何かこの光を遮るものがある。太陽の光を隠す、暗雲のようなものが。

 

 今しがた自分が込めた光の魔力も、その暗雲に吸われて姿を消す。

 対処法は、至極単純。

 

「あ、ぁ、あ――――!」

 喉が勝手に震えて、声になる。

 ありったけの魔力を、アルセアは放ち始めた。

 

 魔力保有量と魔力放出量の関係は、湖と水路の関係に似ている。どれだけ大きな湖であっても、一度に放出できるのはその水路の幅の限り――けれど、これだけでは足りない。

 

 必要なのは、繋げることだった。

 

 自分の魔力量では、根本的な問題解決には繋がらない。必要なのは〈光玉・エルニマ〉の機能。〈魔法層〉に溢れる光の魔力を、〈現象層〉のここまで引っ張ってくること。

 

 たった一筋でいい。

 自分の魔力が暗雲を貫けば、それが〈魔法層〉とのパスになる。

 

「――っ」

 みし、と骨の軋む音がした。

 

 魔力を込めるために無理やり曲げた指であれば、まだ良かった。けれどそうではない。あばらの骨。内臓がぎゅうぎゅうと締め付けられるような心地。吐き気。まだ足りない。もっと広い水路がいる。

 

 元あった水路に、罅を入れてでも。

 

「――――!」

 酷い音が鳴っている、とアルセアは思った。

 耳を澄ましてみれば、それは自分の喉から放たれる叫びだった。

 

 まだだ。苦しい。もっと。できない。これ以上。意識が分離していく。自分の身体を自分で損なっていく自分と、それを冷静に見つめる自分がいる。どんどん意識は後者に移っていく。苦痛が引いていく。楽になる。

 

 指を強く握り直す。

 痛みが、無理矢理意識を引き戻した。

 

 後少し。本当に? もう少し。嘘つき! 背中が割れそうに痛い。頭がどこに行ってしまったのかわからない。足がずっと震えている。痺れている。大事なものがなくなってしまう気がする。なくなってしまった気がする。嫌だ。姉さん、

 

 

 助けて、という言葉が。

 世界中から自分に向けられていることに、アルセアは気が付いた。

 

 

 光が、天を行く。

 

 

 

 

 

 全てはほんの、時の狭間の出来事だ。

 シグリオが魔力を込めた瞬間から、それは始まっていく。

 

 ありったけの生体魔力が、剣を握る彼の両手に込められる。それが文字通り呼び水になった。柄と一緒に握り込んだ僅かな雨水に、腕の下がるような重みが宿る。

 

 気配がする。

 殺気が、向こうからやってくる。

 

 もはや彼の手の中にあるのは、単なる自前の乏しい魔力だけではなかった。〈魔法層〉から引っ張り出した水の魔力。最も親和性の高いもの。並大抵の量ではない。これまでの人生でシグリオは幾度も全力の魔法を放ってきたが、常に彼はその最高を更新し続けている。

 

 雨と闇。

 生き物に恐怖を与えるに十分な、その冷たい自然の中。

 

 それを内側から食い破るような獰猛な嵐が、その手に。

 

「雨の日に、」

 

 あの不気味な〈影獣〉が飛び込んでくるのが、シグリオにはわかった。

 極限の集中が生み出した水との過親和状態――それが彼と、周囲にある全ての雨粒が持つ知覚情報を完全にリンクさせた。

 

 塔。兵。獣。己。思考が稲妻のように閃く。

 

 結果が、見えた。

 

「俺に――」

 

 限界まで手の中に止める。万一にも回避されてはならない。ギリギリまで伏せる。伏せる。伏せる。伏せる。引きつける。

 

 胴に食らえばそのまま死ぬとわかったから。

 生体魔力だけを左の手に移し替えて、囮にする。

 

 牙が手に突き刺さる、その瞬間。

 

 

「勝てると、思うな!」

 

 

 嵐が、吠えた。

 

 突き立てた水の刃が、〈影獣〉を食い荒らしていく。うぉんうぉんと雄たけびのような風鳴りを吹き散らして、その牙を、口を、胴を、舐め取るように骨と変えていく。

 

 腕に、それでも牙は刺さる。

 骨と化してなおその〈影獣〉は、シグリオに衝突する。

 

 音を聞く余裕がない。痛みを感じる意味がない。後ろに弾き飛ばされてしまった方が損害を最小化できる。

 

 関係がない。生きるか死ぬかじゃない。

 

 ここから先は、死んでも譲らない。

 

「――――」

 もはや、声にもならなかった。

 

 水の嵐が骨をバラバラにしていく。それでも死なない。闇の中に浮かぶ巨大な手がその骨を操るように。再び肉を与えようとするかのように。それでも微塵も負けるつもりはない。きっとこの身体は残らない。構わない。剣から手を離すつもりはない。このまま骨が臓腑が、背中の皮を突き破っても倒れるものか。骨になっても戦おう。血の一滴になってもお前を溶かす毒となろう。俺はそのために選ばれた。そのために生きてきた。全ては、全ては――、

 

 

 何のためだったの、と幼い自分が問い掛けてきた。

 

 

 それから、不意にシグリオの身体から力が抜けた。それは決して諦めたからでも、敗北したがためでもない。もっと単純で、明るいこと。

 

 対峙する〈影獣〉が、消え去った。

 風に吹かれる砂の城のようにさらさらと、その骨を黒い粉と変えて。

 

「光、玉」

 かろうじてシグリオは、見上げたそれの名を口にした。

 

 塔の上。煌々とそれは輝いて、この中庭を真昼のように照らし上げている。

 

 ああ、だからなのか、と彼は奇妙な納得をした。前からずっと胸に抱いていた微かな疑問。その答え。

 

 いくら教会預かりとはいえ魔法的なシステムによって作られたと誰もが知り、歴史にも残されているというのに、〈光継式〉がそれでもなお神聖な儀式として扱われる理由。

 

 

 だって、あれは。

 

 まるっきり、救いの神様のように見える。

 

 

「若! ――マズい、早く治療を! このままじゃ死んでしまう!」

 

 いつの間にか自分が倒れ伏していたことに気付く。道理で空がよく見える。このまま光の中で心地よく眠りにつきたい。けれど、どうも動転したニカは優先順位を間違えているみたいだから、もう少しだけ。

 

 もう少しだけ――

 

「ぁ、」

 名前を最後まで呼べたのか、そんなことももう、シグリオにはわからない。

 

 

 どうか彼女が、無事でいてくれますように。

 そんな子どものような願いだけを抱えて、深い眠りに落ちていった。

 

 

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