もうそろそろ臨月だろうか。大きくなったお腹を擦り、私は目を閉じた。まだ少しだけしか聞こえない鼓動はきっと私の愛しい子供。ローランと私の血を引く大切な子。
名前はまだ決めてはいない。性別も聞いていないが、こういう時は産まれた時に焦っている時の方が良いのが思い付くだろう。流石に『アルトリア』と付ける訳にも行かない。
女の子だったら大変だ。
私やアルトリアみたいに男勝りな性格に育ったらどうしようか……と、少し考えて、私はクスリと笑った。
おかしな話だ。実験台として扱われたわたしが今やこんなにも幸せなのだから。未来の娘にも出逢えたし。人生は何があるか分からないものだ。
「ローラン……心配を紛らわす為に何処か行っちゃったし……ん? 雪……? ですか?」
窓から見えた空を見上げると水色っぽい粉が降っていた。ベットから起き上がり、窓を開け、まるで天使の羽根のように舞う其れを、掴んでみる。するとそれは溶けて無くなった。心に染み入る様に冷たさを感じる。
「夏なのに……なんでしょうね? これ……」
冷たくて……寂しくて……でもとても懐かしい。
「せっかくですし外に出てみましょうか……」
私は一応薄めの上着を着て、外に出た。
気温は低くなく、暑くもない。ただ雪が冷たいだけで特に何も無い。
寧ろ雪が物珍しいのか周りの人々は外に出て子供も楽しそうに雪遊びに精を出す。
静かな鈴の音が鳴る、 その美しい音を聞く人々は釣られる様に、その音の元へと向かうように。
「ぅっ……はぁ……はぁ……」
急に動悸が激しくなり、私は蹲る
「……あ……はぁ……これは……」
周りが見えなくなる。頭がボーッとする、息ができない。
雪が肌に染み込む度に身体が冷えていく。
膜が、箱が、私を包み込み棺桶に閉じ込めるかのように……
「ぁ……まだ……ま、だ……し……ぬ訳……」
………………夢を見る。
兄が実験室に連れ込まれていく。
幼い私は職員に縋りつく。兄を返せと、何度も叫ぶが誰も耳を貸さない。
職員に殴られて蹴られて、それでも私は泣き叫んだ。兄は私の姿を捉え、私に向かって微笑んだ。
………………夢を見る。
「おい! しっかりしろ! このまま死んだりするなよ……」
都市の星『血染めの夜』を落とし、ローランを庇って傷つき、疲れて眠ろうとしていた私に彼が必死に話しかける。
「俺のせいでお前が死ぬとか……目を閉じるな! しっかりしろ!!!」
……流石に怒った。仲間にぶたれて死ぬなんてそんな無様な死に方、するものかと。
安堵しているらしい彼だが、認識阻害の仮面を被った彼の顔を見る事は出来ない。
ぶつくさと呟く彼の顔面をぶん殴って仮面を割ると涙を溜めた彼の瞳と視線が合う。
「……確実に問題ありげな顔ですね。……それでも心配はしてくれたみたいですね? 多目に見てあげましょうか」
………………夢を見る。
………………夢を見る。
過去を無理やり振り返させられる。
都市の苦痛を沢山味わった。
その分幸せも沢山味わった。
辛い事に背を向け、見ない事で私は幸せを勝ち取ったのに……。
もう長くは持たないと感じる。
ゆっくり、ゆっくり、死に向かっている
……大きな鐘の音が聞こえる。……私はこの音を知っている……。
真っ暗で暖かく包まれた世界に、亀裂が入る。亀裂の先にいる誰かが手を伸ばした。
その手を取り、引き揚げられた。
◇◇◇
アンジェリカが出産間近でどうも落ち着かず外に出てしまった……。
外を歩いているとチラチラと雪の様な物が舞い始めたのに気付く。
「ん? 雪…………じゃねぇな、店に入るか」
俺の勘が言ってる。やばい奴だ……これは。
そもそもこの時期に雪なんて有り得ないだろう。
周りの奴らは不思議がって出てきているが俺はすぐ近くにあったホームセンターに駆け込んだ。
「はぁ……どうなってんだ? これは……」
とりあえずレインコートを買って外の様子を眺める。
雪のようなものは止みそうにない。
ん? 様子がおかしい……なんだ? 白い繭のような物が見える。
「……おい! 外を見てみろ!!」
「うわ、なにあれ……」
周りの奴等がざわついている……。
人間大の白い繭が次々と生まれ続けている……。
よくよく見ると、人を覆うように、白い繭が形成されている様だ。
「……そろそろ足、洗いたいんだがなぁ……」
ツヴァイ協会は慌てているようだ……不味いか……。これだけ動きが早いという事はマジで緊急事態だ。
俺の持っていた無線が鳴る。
「……ヤバいな、これは……」
ピアニストでの時は裏路地だったから良かったものの、今回は巣の中か……。
「なんで毎回俺らの所に来るんだよ……! やっと掴んだ平穏なんだ、邪魔するな……! くそっ……」
俺は混乱し逃げ惑う人混みをかき分け、アンジェリカの下へ走った。
・
・
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家の前の道や周りにも繭があった。
大きい物から子供サイズのもの迄。
家の鍵は空いていた。
どうしようもない不安感が背筋を伝う。アンジェリカの無事を祈りながら、俺は部屋に入った。
「アンジェリカ!!」
「あぁ、ローラン……」
アンジェリカはベットを赤く染め上げてぐったりとしていた。
「どうした、何があったんだ……!」
アンジェリカに近寄り、毛布を剥がすと腹を裂かれていた。
「……ごめんね、ローラン……アル……に……」
「アンジェリカ、喋るな、今応急処置を……」
水分の無さそうな掠れた声で喋るアンジェリカ。俺は泣きそうになりながら、手袋にいれておいた治療薬を出すが、アンジェリカは首を振り、俺の頬に手を添えた。
「……もう……繭の時点で……駄目だから……」
アンジェリカは力無く笑うと、俺の頬を撫でる。
……体温がなくなって行くのがわかる。彼女は確かに死んでしまうのだと。
これは現実なのだと今、頭の中では理解した。
「おい、アンジェリカ……」
彼女は目を瞑り、俺が何も出来ないまま息を引き取った。
「あ……あぁ……ああぁあ……」
俺は絶望と共にその場で蹲り、その悲しみを、苦しみを、仮面で押さえつけ……手袋をしっかりと嵌め直す。
「殺してやる……先ずはあいつからだ……」
俺の中に生まれた明確な殺意。
あぁ、アイツは言っていた。
いつも一足遅い、なんて。思い返せば、あいつの言った事は正しかった。いつも、いつだって……俺は遅れている。
アンジェリカを守れなかったのも、ピアニストを相手にしてアンジェリカが倒れて居た時も……全部何もかも遅かったのだから。
遅れは取り返せない。取り返しの付かない所に、俺は既にいる。
……だが、それでも良い。この残酷な世界で生き残るには、それはそれ、これはこれで慣れるしかない。
だからこそ俺は仮面を被る。そして刃を研ぎ澄まして……復讐を誓った。
俺の苦痛よ、お前はこの上なく愛する恋人より優しい。
俺は知っているだろうか。
俺が死に就く日にもお前は俺の心の奥深くに入り
俺と共に整然と横たわらんことを。
topic エンバーミング:遺体を消毒や保存処理、また必要に応じて修復することで長期保存を可能にする技法。
if、若しくは補填が必要か
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必要
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不必要