前回のあらすじ
ご唱和くださいヤツの名を。
今回の話は、前話のラストから数十分ほど前に遡る……。
米金イバラの肉体は、おおよそ人類の常識が通じる範囲での限界ギリギリ上限いっぱいに近いスペックを誇っている。
だが、別にIQ140だの150だの200だの300だの、マンガやアニメの天才キャラのような頭脳はない。
金庫に使われるような金属製の分厚い扉を、素手でブチ壊して出てくるような腕力もない。
サラブレッドどころかチーターと追いかけっこできるような脚力もない。
放たれた銃弾を見切って手でつかみ取るような動体視力もない。
折れた骨はギプスや添え木がないと繋がらないし、流れ出た血液は輸血しなければショック状態になる。
そも、イバラがたたき出した記録の大半は『日本記録以上世界記録未満』な事が殆ど。
仮に世界記録を達成していても、それは『女子ギネス記録』に該当するモノばかり。
言っては何だが、イバラより腕力が強い男も、イバラより足の速い男もいる。
無論、人類の歴史上の上澄み何%だよ、みたいな金メダルガチ勢ばかりではあるが。
常人よりは圧倒的に強く、しかしフィクションじみた超人には程遠い。
スポーツの世界に挑んでいれば複数種目で金メダルを狙える人材と言えば聞こえはいいが、逆に言えば『人間の範疇に収まった』スペックとも言える。
そして、アイドルとしては言うまでもなく『向いていない』上に、アイというアイドル界の頂点に座する天才が、同時期かつ同グループに存在した。
『身長188㎝ 体重89㎏』*1
『IQ125』
『ベンチプレス220㎏』
『100m走10秒74』
『七ヶ国語を話せるマルチリンガル』
『サブカル方面もしっかり履修』
『ヅカ系のキレ目美人』
天から二物以上を与えられまくった人間ではある、それは間違いない。
アイドルとしてギリギリ通せるスタイルを維持する負荷のトレーニングでこのスペックな時点でとんでもない人間なのも、まあ間違いない。
一歩間違えなくてもこんなもんメアリー・スーじゃねーか!と言われたら、それもまあその通りである。
……が、米金イバラはどこまでいっても『人間』だ。
別に超能力があるわけでもなく、ゲッター線浴びたわけでもなく、アクアやルビーのような転生者でもない。
人より多くの手札を与えられ、それを必死にやりくりしながら生きて来ただけの『人間』なのだ。
だから、自分のスペックを限界まで振り絞ってもどうしようもない事があった時は……。
「……通してくれねーかな、石動せんせ?」
「そういうわけにはいかないな、米金さん?」
『限界まで根性振り絞る』。米金イバラの必殺技である。
麻酔で眠っているはずの意識を無理矢理覚醒させ、自分の腕に突き刺さっている輸血と点滴のチューブを外し、堂々と正面から病室を出る。
止めようとする看護師は、少しだけ『その気』になってひと睨みすれば、あっという間に腰を抜かして無力化される。
今まで散々野生動物とやり合ってきたのだ、今のイバラの放つプレッシャーは、ツキノワグマ級の猛獣に近い。*2
……つまり、ツキノワグマと相対できるレベルで肝の座った人間ならば、イバラの正面に立つことができる。
石動医師は、そういうレベルの人間だった。
「……どーしてもダメか?石動せんせにゃわかりづれぇかもしれないけどさ。
これは、アタシ達B小町と、そのファンにとっての夢なんだよ。
そして……それ以上に、アタシにとっての夢なんだ」
初めてのドーム公演、一流から超一流への登竜門。
ああ、確かに彼女はアイ達を信じて任せた。
だがしかし、その夢の舞台に自分がいない……それがどうしても耐えられない。
「分かりますとも。決して安っぽい同調などではなく……」
後ろ手に持っていた『何か』を、石動医師が差し出す。
イバラにとっては見慣れた外装、カラフルなカラーリングの分厚いダンボール。
そして、そこに書かれた『八人分』のサイン。
「『イバラちゃん印のダンベル』……!?それも全員のサイン入り!?」
「そうです。あの日のライブ会場で、物販コーナーでこれを手に入れた。
この世に七人いる『選ばれたイバラちゃん推し』ファンの一人、それが私だ!」
関わる医者がB小町推しの確率が高すぎないか?と変な所に疑問を抱いたものの、確かにそれなら気持ちも分かるはず。
緊急医療の担当ということは、休みだって好きに取れる職業ではない。
忙しい医師という職業の中でも、特に人手と時間と設備が足りていないのが緊急医療なのだから。
そんな生活の合間を縫って、ライブ会場まで足を運ぶほどのファン……なるほど、間違いなくガチ勢だ。
『推しが妊娠してた』吾郎せんせも相当あれだが、『推しが刺された』石動せんせの衝撃だって計り知れない。
「今回のドーム公演に行けない貴方の無念も、少しは分かるつもりです。
だからこそ……貴方の体を考えて!ここを通すわけにはいかない!!」
「なるほど、推しに言われちゃ仕方ない……で、止まれりゃ人生楽だったかもしれないけどさ」
患者衣を脱ぎ棄て、その下にいつの間にか着込んでいたラフな格好に変身するイバラ。
動きやすさ最重視、陸上競技等で使われるインナーを身に纏っていた。
手術の後はずっと病室にいたはずなのに、何処から手に入れたのかさっぱり不明である。
「……なるほど、あくまで押し通ると言うつもりですか。
ですが、麻酔から目覚めるまでに時間を使いすぎましたな。
ドーム公演が終わるまであと【40分】ほど……ここからドームまでは車で30分弱。
ここで足止めされれば、それだけでドーム公演にたどり着くのは不可能だ」
いくらイバラの健脚でも、流石に車より早く走り続ける事はできない。
それでもなお、イバラに『諦める』という選択肢は無かった。
「なら、アンタを5分、いや3分で突破して足を探す。何もおかしくない、順番通りじゃねーか」
「……侮られたものだ。こう見えて私はこの病院の御意見番。*3
こっそり病室を抜け出す患者を取り押さえる事は何度かあった」
脱走しようとするバカやナースにちょっかい出すバカをシバくのも彼のお仕事だ。
大学生ラグビー部のマッチョメン5人を、たった一人で取り押さえたことは未だにこの病院の伝説となっている。
こちらも白衣を脱ぎ棄て、大きく息を吸い込んでから「フンッ!」と体に力を入れた。
パンプアップ……筋肉に血流を通わせ、一時的に筋肉を肥大化させる行為だ。
「こんなこともあろうかと、鍛え続けたこの体!!」
丸太のような手足には、ギッチギチに鋼のごとき筋肉がフル搭載。
それはもう、医者なのに密でいいのか!筋肉は密でいいんだよ!とばかりにみっちみち。
腹筋板チョコ、肩メロン。純粋な体格という意味ではイバラを圧倒的に上回っている。
さらに学生時代に学んだ柔道は『二段』の腕前。二か月程度技術を齧った程度のイバラよりテクニックも上だ。
「腕力とスピードは互角……いや、僅かに其方が上かもしれませんが。
体格とテクニックは圧倒的にこちらが有利!組合では勝負にもならんよ!」
「で、その体格活かしたタフさを考えれば打撃技も効果薄、と。
なーんでそのフィジカルで医者やってんだ、アスリートやれアスリート!」
一言だけ言うならお前が言うな案件である。
なんにせよ、互いの目的と勝利条件はごくごくシンプル。
イバラは『5分以内に石動を突破してドームへ向かう』。
石動は『イバラの傷が開かないように鎮圧して病室へ戻す』。
医者として譲れない石動、アイドルとして譲れないイバラ。
この激突はある意味必然であった。
「過激な退院届だが、受理して貰うぜ石動せんせぇよぉ!!!」
「ドクターストップという言葉を骨身に分からせてあげよう!!!」
病院の廊下でストリートファイトおっぱじめる【推しの子】二次創作があってもいい。
(表現の)自由とはそういうことだ。