前回のあらすじ
病院で騒いじゃいけません。
米金イバラ脱走時の一部始終を見ていた、石動総合病院所属の内科医『松本 十郎(36)』。
彼は後に、とある雑誌の記者にこう語った。
「私もね、まったくの素人ってわけじゃあないんですよ。
こう見えて空手と柔道の黒帯ですよ、高校の時になんとか取りましたから。
でもね、あの時の二人は……そう、猛獣同士の威嚇に見えましたよ」
『しゃあっ!』
『ふんっ!!』
イバラが石動の胸倉をつかみ、石動はイバラの腕を掴む。
長々と組みあえる時間が無い以上、イバラの狙いは非常にわかりやすい。
打撃では時間がかかりすぎる、となれば。
「まあ、柔道の投げ……あるいは締め技って所ですかね。
投げ飛ばして脳震盪狙いか、締め技で締め落とすか……。
五分以内であの巨漢を沈めるとなりゃ、それしかない」
しかし一方の石動もまた、狙いは締め落としからの拘束であった。
互いに相手の組んでいる手を払いのけるように妨害しつつ、良い所だけは組ませないように立ち回る。
状況だけ見れば、インナーなので掴みづらいイバラと、白衣を脱いでワイシャツになった石動ならば若干石動の方が不利となる。
とはいえ、互いに袖が掴めない以上、決め手になるような大技が使えないのだが。
「大柄な柔道家となると、大外、払い腰、跳腰、あとは内股かな?
だいたいよく使う技が限られてくるもんで、読めちゃうんですよね。
厄介なことに、柔道って小柄な人が使うことを重視して開発されてるので」
ふー、と一度息を吐き、手元にある水の入ったグラスを一口飲んでから再度語りだす。
「当然石動さんも警戒してまして、いつでも『内股すかし』ができるようにしてました。
……あー、返し技ってご存じ?まあ、簡単に言えばカウンターですよ、カウンター。
相手の技を上手くいなして、体勢が崩れた所を投げる、って技です」
身振り手振りを交えながら、『内股すかし』がどういう技かを解説する。
時間が経過するのは石動院長の有利にしか働かない以上、イバラとしては一刻も早く石動をブン投げて無力化しなければならない。
が、石動は自分から攻めることはせず、組んだままイバラを消耗させ、焦れて仕掛けて来た所を返す……という構えを取り続けたのだ。
外見は石器時代の勇者だが、内面はこの上なくクレバー。
そもそもイバラの傷が開く危険性を考えれば、派手な投げ技などもってのほか。
さくりとカウンターで転がしてから締め落とす、それが石動院長の作戦である。
「大柄な選手が良く使う技は大半警戒されてるとなると……。
今度は逆、小柄な選手が使う技で切り抜けるしか無くなるんですね。
柔道やってない人でも知ってるようなのだと……背負い投げや一本背負い。
つまり【背負い技】といわれるカテゴリの技です」
相手の懐に反転しながら飛び込む、という性質上、背負い技は『自分より大柄な相手』に対して使うことが推奨される。
背中と腰を上手く利用し、相手を担ぎ上げる要領で投げ飛ばす技だからだ。
自分より小柄な相手に仕掛けようとすると、うまく担ぎ上げられないので腕力だけで投げるハメになる。
柔道において、力でゴリ押しが利くのはよほど実力差やフィジカル差がある時か、一部の怪物だけだ。
基本は技術を突き詰めた『術理』をもって相手を投げる、それが柔道である。
故に、イバラが背負い系の技を選択するのも当然なのだが……。
「石動院長も当然そこは百も承知、しっかり奥襟(おくえり)を取りに行きました。
あー、あれですよ。襟の後ろ側。タグとかがついてるあの辺です。
背負い系の技は『体を回転させる』のが必須。特に首と腰が重要です。
奥襟(ここ)を取られると、この回転が制限されるわけですね」
かといって、大柄な彼女向けの技を使えばカウンターが飛んでくる。
これが柔道の試合であれば、じっくりと組みあって消耗を狙うなりスキを作るなり、取れる手はある。
が、今回はまごまご攻めあぐねている内にタイムオーバーが待っているストリートファイト。
「内股や大外をフェイントに使って、透かし投げのために奥襟から手を放す。
その瞬間を狙って……という手もありますが、少々厳しい。
なにせお互い着ているのは柔道着ではない。掴める場所も限られる。
おまけに、確か彼女、柔道部は助っ人参戦でしょう?何故か優勝してますけど。
つまり長期的に柔道を学んでいたわけではない、あくまで才能があるだけ。
となれば、背負い投げや一本背負いを練習した経験も少ないはず。
女性としては非常に長身である彼女には向いてない技ですから」
イバラは陸上競技用のインナーに近い格好で、石動は白衣の下に着るワイシャツ姿。
お互いに柔道着ほど『掴んで投げる』事に向いた服装でない以上、一瞬のスキをついて投げるという行為自体が厳しい。
せめて長袖であれば別だが、残念ながらイバラはノースリーブで石動は半袖だ。
こうなると組み合いは硬直しやすいので、時間をかければ勝利である石動有利に見える。
「え?それじゃあ石動院長が有利過ぎやしないかって?
米金さんが勝てるわけがない、と?ん~~~~~~」
どう説明したもんかな?という風に悩んだ後、松本医師は再度口を開いた。
「やっぱりあなた達は分かっていない。米金茨という人物を────」
『ふんっ!!』
『むっ……!』
イバラが掴まれていた腕を大きく振り上げる。組み合いを避けたようにも見える動きだ。
組み直すと同時に内股あたりか?と読んだ石動が、奥襟ではなく通常の組み方に戻そうとする。
これがフェイントなら、背負い投げや一本背負いのためには石動の腕を抱え込む必要がある。
そうなったらもう片方の手で奥襟を取ればいい……どちらにせよ、石動の有利は揺るがない。
そのはずだった。
「いやー……あんなのフィクションでしか見た事ありませんよ。
あの時、米金さんは一切腕を取りにいく素振りを見せなかった。
掴んでいたのは間違いなく石動院長の胸倉だけ。つまり、片手です」
『ッしゃオラアアァ!!』
『ぬあああああぁぁっ!?』
『右手で石動の胸倉をつかんだだけの状態で』イバラは体を反転。
石動が予想外の動きに驚愕している間に、奥襟を取って止められるラインを踏み越えた。
「『釣り手背負い』……片手背負いとも言いますがね。
まあ、ようは片手で相手を担ぎ上げてブン投げる技ですよ。
いうだけなら簡単ですが、石動院長は体重100㎏前後の巨漢です。
片手どころか、両手でも……それも石動院長が無抵抗でも普通は無理だ」
『動き回りながら抵抗する100キロ超えの人間を片手で持ち上げてブン投げる』
天に愛された肉体とセンス、その両方がなければ到底成立しない神業だ。
「その後はね、ブン投げられた石動院長は脳震盪でダウン。
ふらついていても意識があるあたり流石ですが、そりゃ阻止するのは無理ですわ。
で、そのまま固まってる我々の横をとんでもないスピードで走り抜けていって……」
正気に戻った医師や看護師が追いかけるが、当然追いつけるはずもなく。
病院の入り口から外に出た途端、待ってましたとばかりに待機していた車に飛び込んだのだ。
『乗れ、バラドル!』
『あ、クソプロデューサー!なんでいるんだよ!?』
『お前ならどうせ来ると思ってたんだよ!来なかったら俺だけドーム公演見逃す覚悟でな!』
『いい仕事してるじゃねーか!でもバラドルって言ったから後で殺す!』
『いってる場合か!トバすぞ、つかまってろ!』
「こんなやり取りをしながら、走り去っていく車を見送るしかできませんでした。
……え?なんでその場にいた我々は走り抜けようとする彼女を止めなかったのかって?」
記者の質問に、はあ、やれやれ。と松本医師は呆れたようにため息をついた。
「当時……もう十年以上前になるあの日、私はぺーぺーの新人でした。
熱意はしっかりありましたし、患者のために体を張る覚悟もありました。
ですが、患者にうっかり殺される覚悟までは出来てません。それだけです」
石動院長をグロッキーにできる彼女が『うっかり』力加減を間違えたら、阻止しようとしただけの自分は確実に死ぬ。
松本医師は、当時のイバラをそう証言したのであった。
『20XX年 某週刊誌のインタビュー記事より』
【推しの子】でバキ風インタビューやってもいい。自由とは(中略)