キルアが斬る! 作:コウモリ
「どう…して……?」
セリューはガクガクと震える声で呟く。
「正義が…。正義が、悪に屈するなんて……」
「あのさあ…」
キルアが面倒臭そうに口を開いた。
「前にも似たようなこと言ったと思うけどさ。正義とか悪とか、あくまで概念であって、定義じゃねーんだよ。言ってみりゃ自己満だな」
「…………」
「要するに、てめーは自己満で今まで人殺して来たんだよ。てめーの言う悪と何か違うのか?」
「ああ……」
キルアの言葉にセリューは心が完全に折れてしまった。正義という大義名分を持ってセリューは多くの人間を死に追いやってきた。(そのことをキルアが知っていたかは定かでは無いが、そうでなくとも想像するのは容易い)。その全てが否定されたのである。自身の正当性を示そうにも体は全く動かない。生殺与奪は明らかにキルアの方へある。
「グォォ!!」
と、その時、コロが物凄い勢いでキルアへ襲い掛かってきた。主人のピンチを救おうと必死なのだろう。コロの牙がキルアの目前へ迫る。
ズブッ。
セリューは額へ強い衝撃を感じた。見ると、キルアの指が額へ深々と突き刺さっている。それは頭蓋骨を突き破っており、脳に直接触れられているのがセリューには嫌でも感じられた。同時に強烈な吐き気と目眩が誘発される。
「動くな」
キルアが冷たい口調で言い放つ。
「動くと殺す。余計なことを言っても殺す。今から俺の言うこと以外のことを実行しようとしたらその時点で殺す」
キルアのセリューを見る目。まるで、これから害虫を殺すかのように慈悲も憐れみも一切感じられない。これは交渉の類ではない。完全なる命令。逆らうことは許されない。
コロは大きな口を開けたまま静止していた。動けば自身の主人が殺されると本能で悟ったのだろう。それを見て取ったキルアはセリューに要求を告げる。
「あのクソ犬を完全に止めろ。二度と動かすな」
「…………!!」
コロを止めなければ死ぬ。それは間違いない。だが、コロを止めたところで無事では済まないだろうという確信がセリューにはあった。その中で彼女は決断する。迷いは一切無かった。
「コロ!!こいつを殺…」
「あっそ。じゃ、死ね」
全てを言い終わらぬ内にセリューの脳はキルアの指に貫かれた。更には強い電流で脳細胞の全てが焼き尽くされる。父親への敬愛、悪人に対する怒りと復讐心、帝国への忠誠…その全てが頭の中から消え去り。
全てを失ったまま、セリューは絶命した。
「キャィーン!」
主人の死と同時にコロは前のめりに倒れた。そして、主人の亡骸を求めてバタバタと手を動かす。
「クーンクーン……」
やがて、ゼンマイの切れた人形のようにコロは動かなくなった。この時を持って、コロは帝具・魔獣変化「ヘカトンケイル」へと戻ったのである。
キルアはその様子を何の感慨も無く見つめた後、興味を抱くことさえ無いかのように背を向けた。
「…待たせたな、アルカ」
先程までの冷酷な表情から一転。アルカの前でキルアは優しいお兄ちゃんの顔になった。
「お兄ちゃん、カッコ良かった!」
「ありがとな」
キルアはアルカを抱き締めると、その頭を優しく撫でる。
「ちゃんとお兄ちゃんの言い付けを守って偉いぞアルカ」
「わーい」
「…………」
マインは二人の様子を何か見てはいけないものを目撃しているかのような目で見ていた。つい先程まで敵を圧倒した時の怖気のようなものは鳴りを潜め、急に普通の人になったみたいである。
「おい、お前ら動けるか?」
キルアが声を掛けてきた。
「馬鹿にしないで。このくらい…」
「私は…肋骨をやられましたが何とか動けます」
マインとシェーレは現在の自分たちの状態を報告した。自力で立ったシェーレはともかく、立ち上がろうとしていてそれが出来ないマインが重体なのは見て取れた。
「もうすぐここに奴らの仲間が来る…か」
キルアはチラッとセリューの遺体を見た。先程聞こえた音は兵たちを呼び寄せるものだろうというのは簡単に予想出来る。キルア一人でアルカを含む三人を運ぶことはキルアの筋力なら可能だが、追っ手がいるとなると少し厳しいかも知れない。リスクは確実に減らした方がいい、とキルアは考えた。
「…おし。ちょっと待ってな。アルカ、またそいつらを見てろ」
「うん!」
「!?アンタ、何を…」
「大丈夫。殺さねーから」
そう言ってキルアはこちらへ向かって来ている多数の足音がする方へと、まるで散歩でも行くかのような様子で歩き出した。
あの夜、出動していた帝都警備兵の一人はその時のことをこう振り返る。
「一人、また一人と失神していったんだ…。何が起きてたのかさっぱり分からない。気付いた時には首に軽い衝撃が来て、次に目が覚めた時にはベッドの上だったよ…。あの場にいた全員が俺と同じ状態だったらしい。ありゃあ、きっと妖怪か何かの仕業だ。人間業じゃねえよ!」
無論、妖怪の仕業ではなく、キルアがやったことであるのは言うまでもない。帝都警備兵数十名を全員、自身の姿を見られずに失神させる。キルアには造作もないことであった。実際、キルアは二度目のハンター試験において、自分以外の参加者百数名を短時間で全員気絶させたことがある。そのくらいの人数で強敵もいないのであれば、念を使わずとも失神させることは可能なのだ。
当然、リスクもあった。セリュークラスの相手が残った警備兵の中に一人でもいれば、こんな簡単にはいかなかったかも知れない。実際、キルアもいきなり正面から迎え撃たずに最初は物陰から敵の様子を伺っていた。そして、瞬時の内に敵がただの雑兵と見抜くと、行動に移したのだ。
「終わったぜ」
キルアはひとっ風呂でも浴びて来たかのような手軽い感じで戻って来た。時間もそれ程掛かってはおらず、ほんの五分程度である。追っ手の気配が何も無いことから考えると、本当に一人で何とかしたのだろう。マインとシェーレは驚嘆を禁じ得なかった。
「んじゃ、行こうぜ」
キルアはさも当たり前のように言った。
「行こうぜ…って、アンタまさか…」
「入ってやるよ。ナイトレイドによ」
「!!」
予想だにしない言葉。これだけの戦力が仲間に加わる。本来ならば喜ばしいことだろう。それなのにマインは心の何処かで不安を抱えていた。
その不安はある意味で正しい。