キルアが斬る! 作:コウモリ
「…………」
「…………」
カタカタと揺れる馬車の中は無言であった。神妙な顔つきの初老の男とそれに寄り添う様に側へ座る少女。二人は目的地までの間、談笑したりなどはせず、ただただ周囲に気を配り、神経をすり減らしていた。
「……物騒になったものだ」
初老の男の方が不意にそう呟く。その声には怒りにも似た感情が込められていた。
「たかだか帝国までの道中…それも舗装された道でおいてここまで賊を警戒せねばならぬとはな」
初老の男は握り締めていた拳をグッと更に固く握る。
「…それもこれもあの男のせいだ」
「父上…」
少女の方が初老の男の言葉にそう口を開く。どうやら二人は父と娘の関係の様であった。
「…心中、察します」
「あのオネストがこのままのさばっていては、皇帝…ひいては帝国全体が駄目になってしまうであろう。それだけは、私の目の黒い内は決して許すわけにはいかぬのだ。このままのうのうと隠居生活など、とても耐えられん」
「はい。だからこそ隠居の身から、こうして再び帝国という魔窟へ戻ろうと決心されたのでしょう?元大臣としても、そして父としても尊敬に値すると私は思います」
「…………」
娘の言葉に、初老の男は目を閉じ、深く息を吐く。これからの厳しい戦いへの覚悟を決めるかのようであった。
初老の男の名はチョウリ。元帝国大臣である。人格者であり、民のことを第一に慮る良識派の男であったが、それが故にオネスト一派とは真っ向から対立していた。やがて、激化する争いの最中、命の危険を感じ取ったチョウリはそれから逃れる為に已む無く隠居という道を取ったのであった。
しかし、僻地で聞く帝国の噂は想像以上に酷いものであった。心優しいチョウリは、我が身可愛さで民を見捨てたことを深く深く後悔していた。そして、とうとう自らが立たねばと、今は遥か遠くの帝国へと馬車を走らせたのである。
「…お前には苦労をかけるな。スピア。こうして護衛まで買って出てもらって」
「…そんなことはありませんよ。私が皇拳寺槍術を学んだのは今この時こうして父上…いえ、お父さんを護るためだったのですから。寧ろ、ようやく本懐を遂げたとも言えます」
スピアと呼ばれた少女はそう言って笑って見せた。
「…全く、私の娘にしては出来すぎだな。しかし、勇まし過ぎるとも言える。これでは嫁の貰い手がいないだろうに」
「…それはそれですよ。鋭意努力しております」
「生きている内に早く孫の顔が見たいものだ。……むっ?」
突如、ガタンと大きく揺れて馬車が止まった。この止まり方は、突然何かが馬車の進行を妨げたが故のものだろう。
「賊か!?」
「出ます!!」
言うと同時にスピアは素早く馬車を飛び出すと、槍を構えた。
「何者だ!?」
「何者…と聞かれて素直に答える馬鹿はいないよねえ」
そう答えたのは小柄な少年であった。賊にしては何処と無く品のある顔立ちである。
「お?なかなかやりそうな女じゃないか。これは、いい経験値になりそうだな」
少年の側にいた大柄な男が言った。少年が小柄なせいか対比で男はより巨体に見える。巨大な斧のような武器を片手で持っているのがスピアの目に入った。見た目通り、力は並みのレベルでは無いだろうということが伺える。
「……失礼する」
一言、それだけ告げたのは壮年の男であった。紳士的な佇まいからは想像もつかないくらいの殺気を放っている。間違いなく目の前の三人の中でこの男が一番強いとスピアは直感した。
「あれは……!?」
チラッと馬車から外を覗いたチョウリは、よく知る人物を目にした。それは三人の真ん中に立つ壮年の男であった。
「リヴァ…!?何故、あやつが!?」
リヴァという男は、かつて帝国の兵士であった。信念を持ち、実力も高かったのだが、オネストへ賄賂を贈らなかったという理由で出世の道を絶たれ、終いには投獄されてしまったという。直接の面識こそ少なかったが、チョウリはリヴァという男を何れ帝国の未来を背負える男と買っていた。自身が隠居した矢先にまさかそんなことになろうとは思ってもいなかっただけに、リヴァに対しては済まないという思いもあった。帝国へ戻った暁には自身の手元へ置いておきたいと思った人物の一人である。
(…何故、あやつがこのようなことを?)
リヴァの姿を見てチョウリは確信する。これは賊や物盗りの類いではなく、明確な殺意を持った自身への刺客であると。
だが、そうであるならば何故、リヴァがそれに荷担しているのであろうか?自身を消そうと考える人間など、どう考えても現大臣のオネストかそれに与する者以外に有り得ない。そのオネストに嫌われ、また反オネスト派だったリヴァが、このような命令を下されるとも、引き受けるとも思えない。それとも、自身が帝国を離れている間に彼の信念をも曲げるようなことでもあったのだろうか。
少なくとも、そんなリヴァが目の前に立ちはだかるということは、ただでここを通ることは出来ないだろう。チョウリは愛娘へと視線を向ける。
(…スピア。無茶をするな。お前の目の前に立っているのはただの賊ではないのだ)
(…分かっています。お父さん)
スピアは、背後から感じる父の視線に心の中でそう答えた。
(真ん中の男は明らかに別格。連れのあの二人もそれに準じる強さがあると見るべき。このまま真正面からやり合えば、やられるのは確実にこちら。これだけ実力差があるならば、数の有利などあったものじゃない)
護衛としてスピア以外にも何人か兵を連れてはいるが、この分なら戦力としては期待出来ないだろう。
(…ここは撤退すべきね。今、一番しなくてはならないのは敵を倒すことではなく、生き延びること!)
死ねば全てが終わる。
スピアは他の護衛たちに目で合図をした。すると、彼らはコクリと頷いて瞬時に散開する。これは敵を攪乱する為であった。一瞬でも隙を作れれば、その間に全力で逃げる算段である。言わば囮作戦であった。元より護衛を受けた者たちは皆が命を捨てる覚悟であった。それだけチョウリが慕われていたということだろう。動き出したタイミングは申し分無い。作戦の出だしは上手くいった。と、スピアは思った。
だが。
「うおらあああああああ!!!!」
大柄な男は大きく振りかぶると、手に持っていた巨大な斧を軽々と投げた。男の手を離れた斧は一瞬の内に散開した護衛たちを真っ二つに切断する。スピアが気が付いた時には、自分以外の護衛たちが肉塊と化していた。
「なっ…!?」
「おいおい、下らない真似すんじゃねえよ。真正面から俺と戦おうぜ?」
大柄な男はパシッと斧をキャッチすると、ニヤニヤと笑いながらスピアへ話し掛けた。斧は弧を描き、ブーメランのように男の元へ戻ったらしい。
「そんなっ…!有り得ない!」
だが、現実として自分と父チョウリ以外は全滅し、隙を作るどころか完全に詰みの一歩手前。スピアは完全に見誤っていた。あの壮年の男にさえ気を付ければ何とかなるだろうと。真に気を付けるべきは一人だけでは無かったのだ。
「どうした?掛かって来いよ!」
「ダイダラ~、このお姉さん完全に戦意喪失しちゃったみたいだよ~?」
「何?この程度でか?」
ダイダラと呼ばれた大柄な男は残念そうにスピアを見た。
「…どうも見込み違いだったようだな。いい経験値になると思ったんだが」
「ダイダラはいつもそれだね」
スピアには目の前の二人の会話がまるで遠い別世界の出来事のように感じられた。最早、打つ手が無い。
(かくなる…上は……!)
スピアは覚悟すると、歯がへし折れそうになるくらい強く食い縛ると、ダイダラと呼ばれた大柄な男へ槍の切っ先を向けて勢い良く飛び出した。渾身の一撃である。
「お父さん!!この隙に逃げ…………」
「そいやあああああ!」
ズサッ
ダイダラの一振りによって、全てを言い終える前にスピアの体は両断された。
「スピアああああああああああああああ!!」
愛娘の惨劇を目の当たりにし、チョウリは思わず馬車から飛び出していた。と、その目の前に小柄な少年が立ち塞がる。
「やあ♪」
「どけ!小僧!!」
「嫌だ」
小柄な少年は返す刀でそう言うと、チョウリの手をザクッと切り落とした。
「ぐああああああああ!!」
「せっかくあのお姉さんが逃げろって言ったのに何で逃げないかなあ?……あ!」
小柄な少年は思い出したかのように馬車の前方へ視線を移した。
「そっかー。御者が死んでたら逃げられないよねー」
御者は体の上半分が綺麗に無くなっていた。どうやら先程のダイダラの投げた斧はここまで飛んで来ていたらしい。
「さあて、とっとと殺しちゃおっかなーっと」
「少し待て、ニャウ」
そう声を掛けたのは壮年の男…リヴァであった。
「ぐぐぐ……貴様ぁ………」
「お久し振りです、チョウリ殿…とは言っても私のことを覚えておいでかどうか…」
「覚えて…おるぞ。何故、こんな…真似を……」
「これが今の私の仕事だからですよ」
「オネストの…軍門に降ったか貴様…!」
「…それは少し違います」
「どういう…………」
ザシュッ
「………………………」
「チョウリ殿、元帝国大臣として、最低限の敬意は払わさせて頂きました」
リヴァはそう言うと、チョウリの死体の側で跪き、胸に手を当てた。
「あーあ。リヴァに取られちゃったなあ~」
「…………ー」
「ん?」
小柄な少年は僅かに聞こえる呼吸音に耳ざとく気付いた。見ると上半身だけのスピアの肩が僅かに上下しているのが目に入る。
「へー、お姉さんしぶといねー」
「…………お父さん」
「お姉さん、よく見たら綺麗な顔してるね。…………剥がしたいなあ」
小柄な少年は最後にボソッとそう呟くとニヤリと笑う。虫の息のスピアにはもう為す術は無かった。