村の近くまで来たが、とっぷりと日が暮れてしまった。これから村を訪ねるのは、いささか非常識であろうと考えた光秀は、とりあえず野営の支度を調え、ごろりと横になった。細かい羽虫が鬱陶しい。できるだけ気にしないようにして、目を閉じた……のだが、すぐまた目が醒めた。
(……いるな)
光秀は小声で囁いた。
「鬼が、いる……」
鴉も、光秀と同じ方を見ていた。国友村の方角である。
「行クカ?」
「行かずばなるまい」
途端に、脱兎の如く、光秀は駈けだした。鴉も飛んでいく。
どれほどの間、駈けただろうか。国友村のはずれまで一人と一羽はたどり着いた。鬼ノ気配が濃くなった。光秀は抜け目なく、日輪刀の柄に手をかけた。
「アッチダ!」
鴉が嘴で指した方向に駈けてゆく。その方向から、人が走ってきた。鬼から逃げてきたようだ。さらに駈けながら、光秀は刀を抜いた。人家の角を曲がったところに鬼がいた。その姿を見て、光秀は肝を冷やした。
――鉄砲を持っている!
果たして、鬼は鉄砲を手にしていた。普通の人よりはかなり大柄で、額から一本の角が生えている。そいつが、光秀の方を見て、鉄砲を向けてきた。咆吼とともに、鉄砲を撃ってきた。避けられない!
光秀は、咄嗟に日輪刀で銃弾を受けた。激しい衝撃があったが、弾は真っ二つに割れて、どこかに飛んでいった。光秀は転んでしまったが、すぐに体勢を立て直した。鬼は二射目を撃つべく、狙いを定めてきている。とりあえず一旦下がり、民家の陰に隠れた。鬼が来る気配がする。光秀はじっと息を殺して待っている。鬼が曲がり角のすぐ前まで来たところで、家の屋根に飛び乗った。
鬼は、角を曲がったが、いるはずの相手がいないため、周りを見回し始めた。
――今だ!光秀は跳んだ。 飛び降りた光秀の質量もろとも叩きつけた刃は、鬼の右肩から股まで斬り裂いて、真っ二つにした。しかし、すぐに切断面がつながりはじめる。光秀はすかさず、その頸を刎ね飛ばした。鬼は細かい灰のようになって、サラサラと風に流れた。光秀は愛刀を鞘に収めた。カチリ、という音がもの悲しかった。いつも、鬼を斬った後は、言い知れぬ虚しさに苛まれる。
そのとき、子どもの声がした。
「父ちゃん、父ちゃん!」
走ってきて、光秀の前の地面に身を投げ出して、わあわあと泣いた。周りを見回すと、何人もの村人が遠巻きにして見ている。
「安心せよ。鬼は死んだ。もう暴れることはない」
周りの村人に言って、子どもを見下ろし、お前の父だったのか?と問うた。子どもは、悲しみと憤怒の涙を滾らせた眼を上げて、光秀を見た。
「父ちゃんを返せ!父ちゃんを返せ!」
声を限りに絶叫する姿を見下ろして、またかと思う。突然、家族が鬼になってしまった者は、大なり小なり、似たような反応をする。しかし、鬼を殺さねば、その鬼が何人、何十人もの人を食い殺す。冷たいようでも、同情してやることはできないし、したところで、どうなるものでもない。
「お前の父は死んだ。鬼として死んだ。もう、どこからも帰ってこない。儂にも、お前の父を返してやることはできない」
それでも、子どもは、ひどい、ひどいと繰り返しながら泣いている。
「鬼舞辻無惨。それが、お前の父を鬼に変えた者の名だ」
そう言って村人たちを見回した。
「誰か、この子の父親が鬼になるところを見た者はいないか?」
皆、呆然としている。光秀と目が合うのを避けているように見える。
そうか、と小声で独り言ちた。それも、よく見てきた反応だ。
鬼は、居る。実際に存在し、実際に人を喰っている。その鬼と戦っている者が居る。鬼狩りという。だが、その事実を見たくない、認めたくないのだ。鬼など、空想の産物だと信じたいのだ。自分も、鬼と同じように恐れられているのだろう。軽いため息をついて、光秀は持ってきた鉄砲を頭の上にかざすようにした。
「儂は明智十兵衛光秀と申す。この鉄砲を組み分けられる者を探して、この村にやってくるところであった。誰か、組み分けしてくれる者はおらぬか?」
「ちょっと高くつきますが、あっしがお受けしましょう」
一人の若者が名乗り出た。光秀は鉄砲をその男に渡した。あまりぼったくるなよ、と言って。男は鉄砲を受け取り、自分の家を示して、明日の午後、取りにきてほしいと言い残して、帰っていった。分かった、と答え、見送ってから光秀はしゃがみ込んで、まだ泣いている子どもと目線を合わせた。
「儂は子どもの頃、父を鬼に殺された。父も鬼狩りであったが、強い鬼と相打ちになったのだ。それで、いつか自分も鬼狩りになって、家族を鬼に殺される悲劇をなくしたいと思ったのだ。そなたは、父が人を殺して喰う姿を見たかったか?」
子どもは泣きじゃくりながら、首を横に振った。儂もじゃ、と光秀は言い、そなたが父の代わりとなって、家族を守れ、今はまだ無理でも、強くたくましくなって、必ずいつかそういう男になれ、と言い聞かせ、その場を離れた。子どもが何か叫んでいたが、泣きながら言っているので、何と言っているのかよく分からない。光秀は涙を堪え、振り向きもせず、その場を立ち去った。
翌日、昨夜の鉄砲鍛冶の家を訪ねると、すでに鉄砲は組み分けられていた。
「ほう、見事なものだな」
これを人が考え、造ったのか――光秀は感慨に浸っていた。
「組み分け代はいらない。鬼を殺してくれた分と差し引きしてな。昨晩、村で話し合ったんだ」
男はぶっきらぼうに言った。かたじけない、と光秀は言い、立ち去ろうとした。その背中に、
「俺の名は伊平次、鉄砲のことで何かあれば、いつでも訪ねてきてくれ。あんたのためなら、いくらでも鉄砲を造ってやる」
横柄なもの言いだな、と思ったが、また、かたじけない、とだけ返しておいた。