妻木氏とは、光秀がまだ幼かった頃から交流があり、光秀は、煕子のふぅわりとした優しさに惹かれるものがあった。だが、光秀が剣術の稽古に明け暮れるようになり、野盗や鬼から里を守って戦い、美濃と近隣諸国の戦に呼ばれるようになっていくにつれ、どんどん会う機会もなくなっていった。
信長は、帰蝶の話をするとき、文句を言っているようでも、どこか嬉しそうでもある。細い目尻が下がっている。案外とうまくいっているのだろう、と思う。
帰蝶は勝ち気な女性で、幼少の頃から、光秀はちょっと苦手だったのだが、信長も気の強い方だから、お互いに抑えあい、うまくいくのやもしれぬ。いや……信長は、身内にも配下にも、己を理解してくれる者がないと嘆いていたことがあった。帰蝶がそうなのかもしれない。
……自分のことを、誰よりもよく分かってくれる人か。光秀は、結婚もいいかもしれないな、と思うようになっていた。
しかし、とも思うのである。自分は、夜中であろうが、鴉がコツコツと戸をつつけば、あるいはカァ!と一声鳴けば、すぐ身支度をして出ていかねばならぬ。近頃、鬼どもにも不穏な動きがあるという。そんな暮らしに、愛する者を巻き込みたくないという気持も強くある。どうしたものか……光秀は、一人うら寂しい気分になっていた。他の誰にも相談できない悩みであった。
それから何日経ったか。昼間、明智荘に野盗の襲撃があり、大立ち回りを演じて追い払った疲れからか、光秀はすっかり眠り込んでしまっていた。鴉は最初、控えめに戸板を嘴でトントンつついていたが、光秀が起きてくる気配がないので、しまいにカアァーーッ!と絶叫し、板を突き破らんばかりにつつき回した。これには、光秀もさすがに起き出して、眠い目をこすりながら、戸を開けた。
「妻木ノ里ニ鬼ガ現レタ!十兵衛、左馬助、急ゲ、急ゲ!」
妻木の里と聞いて、一気に眠気が吹っ飛んだ。光秀は寝間着のまま、日輪刀を引っ掴んで駈けていった。一度だけ、左馬助急げ!と叫んだが、振り向きはしなかった。左馬助が追いかけてきているかどうかも確かめず、ただ一心に駈けた。鴉が追いかけてきながら言った。
「彼ノ地デハ、二日ホド前カラ、若イ女ガ姿ヲ消シテイル。人攫イノ仕業カト思ワレテイタノダガ、昨夜、鬼ヲ見タト言ウ者アリ、儂ガ見張ッテイタトコロ、鬼ガ現レタ。鬼ハ三体イル。ヌカルナヨ、十兵衛」
「鬼は群れないはずではなかったか」
「コノトコロ、妙ナ動キガアル。気ヲ抜クナヨ」
光秀はそれに答えることもなく、いっさんに駆け抜けた。