光秀血風録   作:猫祭雉虎

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伍 雌伏 其の伍

 越前の光秀のもとに、幕臣である三淵藤英から使いの者が来た。時の将軍、足利義輝が松永久光らに襲われ、横死したため、幕臣である自分も、越前に落ち延びるというのである。尊敬していた将軍の死に呆然となった光秀であったが、使者を手厚くもてなし、三淵らが来るのに備えていた。

 三淵藤英らは越前に着くと、まず朝倉義景に会い、事の詳細を報告した。光秀も同席していた。義景は、三淵の話を興味なさそうに(むしろ迷惑そうに)聞いていたが、話が義輝の跡目争いになると、その瞳がキラリと光った。

 三淵藤英の話によると、義輝将軍を討った一派は、その従兄弟に当たる義栄を次期将軍に担ぎ上げ、自分たちの意のままにしようとしているが、三淵らは将軍の弟であり、将軍家の習いにしたがって僧侶となっている覚慶を還俗させ、将軍の座についてもらおうとしているということであった。さらに、義輝を殺害した一派は、その覚慶をも殺そうとしたが、大和の松永久秀がそれに従わず、興福寺に幽閉するに留めているのだという。そのため、なんとか、この覚慶を救い出して、義輝の跡継ぎとして、将軍に据えたいという。

 「で、どうするのじゃ?」

と、義景は問うた。

 「もし、無事に救い出せたとしても、覚慶様はご幼少のみぎりよりずっと、僧侶として生活してこられたのであろう。そんなお方がいきなり担ぎ上げられたからといって、武士の頭領たる将軍として、やっていけるものかな。それは、そなたらが、自分の敵が持ち上げようとしている者に着くのが面白くないだけではないのか。大局を見て、そう言っておるのか?どうじゃ?」

 答えに窮した三淵に替わって、光秀が口を挟んだ。

 「僭越ながら申し上げます。私は一度、足利義輝様とお会いしたことがございます。その時の印象では、義輝様は、心より、世の安寧を念じておられるお方とお見受けいたしました。その義輝様を襲撃し、殺してしまう者たちに、一寸の義もあるとは思えませぬ」

 それを聞いて、義景は光秀の方をねめつけた。

 「ほう。そこまで言うなら、もう一度、見てまいれ」

 「と申しますと?」

 「大和に行って、その覚慶様の様子を見てこいと言っているのだ。そなたが、義輝様を見て感じたような志を、覚慶様も持っているのか、武士の頭領たる気概、器量があるのか、その目で見てきて報告せよ、と申しておる」

 光秀は断りたかったが、三淵の目が、明智殿、頼みますと言っている。いや、懇願している。結局、断り切れなかった。光秀はその日のうちに大和に向かった。

 大和国に着くと、光秀はまず、松永久秀のもとを訪ねた。彼とは故あって、知己を得ていたし、何よりも彼は、覚慶を殺せ、との命に背き、幽閉するに留めた張本人である。まず、彼の話を聞くのが先決であると考えたのである。

 久秀は、光秀の顔を見ると、再会を喜び、家人に酒の用意をするよう命じた。

 「儂はお主のような、志のある若い者と一杯やるのが、一番の楽しみじゃ」

 浮かれ気分の久秀を押しとどめるようにして、光秀は単刀直入に切り出した。なぜ、命令に背き、覚慶を生かしているのか、もし覚慶が還俗して将軍になったとき、武士の頭領としてやっていけると思うかどうか、と。久秀は苦笑いをして言った。

 「そなたはまっすぐじゃな、十兵衛。儂はそなたのそういうところが好きじゃ。だが、そういうところがまた、己が身を滅ぼさぬとも限らぬ。気をつけろよ」

 その時、酒が届いた。久秀は光秀に座るよう促し、酒をついだ。まずは一杯、話はそれからじゃ、などと言いながら。最初は雑談ばかりで、なかなか覚慶の話をしないので、光秀はやきもきしながら相槌を打っていたが、いい加減に酔いが回ってきた頃、ようやく、久秀が核心に触れ始めた。

 「正直なところ、覚慶様は覚慶様、義輝様とはまた違う。あのお方は、心優しく、お坊様としては優れているやもしれぬが、武士となったらどうかと言うと……」

 久秀は、酒を注ごうとする光秀を片手で押しとどめ、手酌でグイッと一杯やると、

 「正直なところ、どうかと思う。それゆえ、殺してしまうのもどうかと思われたのだ。一介の僧を斬って、それで武士の世の何が変わるのか、と」

 「殺すまでもない、とお考えですか」

 光秀の問いに、久秀は曖昧な笑みを浮かべた。

 「強いて言えば、元々住む世界の違っていたお方だ。ただ、あのお方の意を汲んで、しっかりと支える武士がいれば、よい政(まつりごと)を行われるのではないかと思う。たとえば、そなたのような」

 本気とも冗談ともつかぬ物言いに、光秀は困惑しながら首を振った。

 「その覚悟がないなら、そなたも知らん顔をしているに限る」

 久秀の眼が鋭くなった。天下を狙う男の眼である。

 「確かに、儂の見るかぎり、覚慶様は心優しいお方、あの方が治世を行えば、貧しい者は救われ、世は平かになるのだろうが……要はそこまで行けるのかどうか、だ。自らに敵対する者に、支えてくれる者と同じように施しはしてやれん。あのお方が上洛するためには、従兄弟である義栄様との戦(いくさ)は避けて通れぬ。そのお覚悟を決めていただけるか否か。あのお方が、敵対する者を斬り捨てることができるか否か。……儂の見るところ、そういうお方ではない。誰かがそれをして、覚慶様に納得させなくてはならぬ。それをする覚悟がないなら、このまま、寺に幽閉したままで、毎日、念仏を唱えていただいている方が、あのお方のためでもあり、世のためでもある。しかしながら、三好の連中が担ぐ義栄様が将軍となるのを指をくわえて見ておればどうか。おそらく、義輝様よりもなお、管領家に頭が上がらず、意のままに操られるだろう。管領家に近い者はいいが、そうでない者は面白くない。そうなれば、さらに世は乱れるやもしれぬ。とはいうものの、意外とうまくやるかもしれない。それに、武士の立場、事情というものは、覚慶様よりはよく分かっておられる。良くも悪くもな」

 そう言って、ニヤリと嗤った。

 「どうする、十兵衛」

 「武士としての本懐は立身出世に非ず。私は明智荘から逃げ出して、越前にてのうのうと生きながらえておる身でございますが、残してきた百姓や里の者の身を案じ、祈らぬ日はありませぬ。武士たる者、己が領土を、その民を守り、富ませることこそ本懐と心得てござる。それはいずこの大名も同じ。となれば、将軍様を中心に、戦ではなく、将軍様の調停にて争いを収め、皆が一つの大きな国になるのが我が理想。そのために、命をかけて力を尽くす所存。それが、我が本懐でございます」

 久秀は心から嬉しそうに、ニィッと笑った。

 「ならば、儂はそなたにつこう。今夜はここに泊まっていけ。明日、酒が抜けてから、覚慶様に会ってみるがいい」

 

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