翌日、松永久秀の案内で、光秀は覚慶と会った。元はきれいに剃っていたであろう頭は中途半端に髪が生えてきている。髭も同様で、見た目にはちょっと汚らしい感じだが、眼は知的で、表情は柔和である。ただ、幾多の戦や鬼狩りで死線を越えてきた身としては、少し弱々しく見えてしまう。頭が切れて優しいとなれば、武士ならぬ身である百姓や漁師などには受けがよかろう。ただ、彼らと直接的に触れることはほとんどない。あくまで、武士という存在を通してしか、市井の者は接することがない。それがもったいないようにも思われる。
覚慶に、将軍の座を継ぐ気持はあるかと尋ねたところ、自分としては、このまま僧侶でいたいと思うし、世の中をかき回すつもりもない、ただ、それを義栄側が信じてくれるかどうか……松永殿の采配がなければ、自分はすでに殺されているところであった、自分は死にたくはない、と答えた。光秀としては、いささか頼りなく感じたが、彼の置かれた立場であれば、至極まっとうな答えであった。しかし、それを言った後、覚慶の眼が急に鋭くなった。
「兄は嗣子であり、私は違った。跡目争いを避けるため、嗣子でない男子は出家し、僧侶となる。これが足利将軍家の習いであり、私はその習いに従い、出家した。兄も、自分も生まれ落ちたときから宿命が決まっており、それは致し方ないと思っていた。だから、正直なところ、兄が死んでも、跡目争いに加わるつもりもなかった。そんなことをすれば、世の中がもっと乱れ、悲しむ人、苦しむ人が増えるばかりだと思うていた。私は僧侶として、戦(いくさ)の度、父が、夫が死んだと嘆く家族、家が焼かれたと言って途方に暮れる人々を見てきた。たまらん気持だった!兄とたまに会うこともあったが、いつも嘆いていた。父の教えを胸に、世を平らかに治めんとしてきたが、将軍となったからとて、自分の言うことを聞く人間ばかりではない、いや、将軍であればこそ、自分の意のままに操りたい、将軍を利用して、多くの利を得たいと考える者ばかりだと。私は慰めの言葉も見つからず、ただ途方に暮れていた。それどころか、内心、自分が将軍にならなくてよかった、と胸を撫で下ろしていた。いまにして思えば、私は最低の人間だった」
「だが、ずっと嘆いていた兄が、私と最後に会ったときは、眼を輝かせていた。そして言ったものだ、覚慶、世の中は捨てたものではなかった、と。己が利ばかりを求むるのではなく、いざとなれば己を虚しゅうする覚悟も持ち、心から世の安寧を願っている、そんな若武者と出会ったのだ、と」
「その者の名は明智十兵衛光秀という。今は雌伏の時であるが、あの者は必ず、世に出る。儂はそういう世を創らねばならぬ、と」
光秀の眼に熱いものがこみ上げ、流れ落ちた。見れば、覚慶も同じであった。
「その、明智十兵衛光秀が私の下に来た。私の目の前にいる。これぞ、仏の思し召しに他ならぬ、と思う。私は、武士のことは分からぬことだらけじゃ。鎧兜を着けて戦に出たり、人と斬り合うなど、身の毛もよだつ思いがする。しかし、そんな私なればこそ、殺し合うことでなく、理解しあうこと、争うばかりでなく、助けあうことを武士の世に知らしめることができるやもしれぬ。明智十兵衛光秀殿、私を上洛させてくれぬか」
涙の中から絞り出した心の叫びであった。光秀は深く頭を下げた。それでも、言うべきことは忘れていなかった。
「心得てございます。しかしながら、一つだけ、確かめたいことがございます。覚慶様は、人ならぬ者については、どうお考えか、お聞きしたく存じます」
鬼だな、と覚慶は言った。
「明智殿……鬼というものは、本当にいるのか?私が知っている仏教説話にも、鬼は出てくる。しかし、兄がひそひそ話で言っていた鬼は、それとは、ずいぶん様子が異なっておるようだ。そんな鬼が本当にいるのかと不思議に思っておったのだ」
「確かに存在します。私の幼き頃、父はその鬼に殺されました。義輝様がお話しになったという方の鬼です。鬼は、自分の欲するところをひたすらに求め、人の命をも省みません」
光秀は、自分がこれまでに出会い、斬り倒してきた鬼の話をした。そして、全国の武士を将軍の下にまとめ上げ、より多くの者に呼吸の技を教え広めて、鬼どもと対峙できる勢力を創りたい、という考えについても、懸命に話して聞かせた。覚慶は真剣な顔で聞いていた。
「私は、兄から鬼の話を聞いて、鬼とはいえど、真剣に仏法を説けば、御仏の道へと導くことができるのではないかと考えていた。その考えは、今も変わらぬが……実際に鬼と対峙したそなたの言う通りであるのだろう、そうなれば、殺すのもやむを得まい。しかし虚しいのう……」
そう言って、本当に悲しそうな顔をする。光秀はそんな覚慶を甘いと思うが、同時に、本当に鬼舞辻無惨を追い詰め、すべてを終わらせられるのは、こんな思いを持った人ではないかとも思われた。ただ憎み、殺し合うだけでは――人も鬼も救われぬ。
会見を終えた光秀は、松永久秀に礼を言い、もしも覚慶様が次期将軍として名乗りを上げ、上洛する折には助力を頼みたい旨を伝え、帰路についた。
越前に戻った彼は、旅装も解かぬうちに朝倉義景の下に赴き、覚慶様を次期将軍にすべく、お助けして上洛すべしと説いたが、義景は浮かぬ顔であった。義栄を担ぐ三好勢との争いを恐れているのであった。
朝倉の家臣の間でも、賛否は割れた。何度となく説得を繰り返すうち、細川藤孝らが覚慶を助け出し、近江まで逃げのび、越前に助けを求めてきて、ようやく仕方なく受け入れた。覚慶はすでに還俗して義昭と名乗っており、義景が烏帽子親となって元服した。それが義景自身にも感銘を与えたのか、義景はようやく、義昭とともに上洛する意思を固めるに至った。しかし、朝倉の家中は二つに割れており、話は一向に進まなかった。結果的に、光秀も義昭の上洛を支援する一派と、そうでない者の間で板挟みになる羽目になった。光秀は、尾張の織田信長に書状をしたため、上洛を促していた。その返事がようやく来た。文面からするに、どうやら、帰蝶が推してくれた様子である。ありがたい、光秀は尾張の方角に向かって手を合わせた。
光秀は喜んで、義景に、尾張の織田信長も一緒に上洛してくれるとのことだと伝えたのだが、これが逆効果だった。なぜ、朝倉義景ともあろう者が、あんな田舎侍に頼らねばならぬのか、と、逆に叱責されてしまった。義昭の上洛について、義景自身が、味方が少ない、儂だけがついていったとて、どうなるものか、などと言っていたことを取り上げて、ならばと援軍を募ったのだと諫めたが、どうにもならなかった。
仕方なく、光秀は、義昭および彼の下に集っていたかつての幕臣たちとともに越前を出奔、尾張に向かった。此度の一件で、光秀には、朝倉義景という人物が実力よりも体面を重んじ、自分が偉そうにしないと気が済まない、そんな人間であることが身に沁みてよく分かった。生まれや血脈に頼らず、己の実力と才覚だけでのし上がっていった斎藤道三の下で働き、その生き様を見てきた光秀にとっては、朝倉義景は対極であり、見るべきところのない人間だと映っていた。土岐家と朝倉家の関係を思えば、祖先に済まないという気持にもなったが、光秀自身は、越前には何の未練もなかった。むしろ、清々していたのである。