光秀血風録   作:猫祭雉虎

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陸 暗闘 其の陸

 義昭将軍の下、幕臣となってからというもの、光秀はずっと、公家衆や武家衆の板挟みとなって苦しんでいる。特に、公家衆の言葉は、そのまま鵜呑みにすると、えらい目に遭うことが多い。直截な物言いで、物事すべて白黒つけたがる武家衆とは、対極ともいえる存在である。その両側の立場を汲まなくてはならぬ光秀は、時に思わぬ形で泥をかぶることもあり、思っていた以上に辛い立場になっていた。信長とともに将軍を支え、その権威を取り戻して、諸国の大名を一致団結させるなど、夢のまた夢とさえ思われるようになってきた。思い描いていた理想とは裏腹に、公家と武家、双方を巻き込んだ勢力争いに呑まれ、戦をなくすために戦を繰り返す矛盾に苛立ち、苦しんでいるのが、光秀の現状である。

 とはいえ、これも未来のための犠牲と、割り切れないものをむりやり割り切って前に進むより他ない、と自分を言い聞かせている。

 重苦しいものを抱えて、光秀は義昭将軍に会い、勅命であるゆえ、幕府としても軍を出してほしいという信長の立場を伝えた。それは信長から頼まれたことでもあり、光秀自身の思うところでもあった。

 しかし、義昭はしばらく考えてから、都にて吉報を待つと答えた。しかしながら、と光秀が切り出すのを制して、儂は、越前には世話になった、そなたもそうであろう、と言って、話題を変えてしまった。光秀は歯噛みした。公方様のおっしゃることが分からないと言うのではない。しかし、一刻も早く全国を統一しなければ、真の平安は訪れぬ。鬼との戦いのこともある。将軍義昭に話を合わせながら、光秀は喉の奥に鉛の塊を呑み込んだような息苦しさを感じていた。

 ――この人とは、いつまでも一緒にいる訳にはいかないかもしれない。

 そんな考えが頭をもたげてきた。それではいけない、辛抱せねば、と思うのだが、義昭が掲げるあまりにも直截な理想論が、今では幼稚とも思えるのだった。

 細川藤孝や三淵藤英らにも声をかけてみたが、公方様には逆らえぬ、儂らも同じ考えじゃとのことで、話にならなかった。

 結局、幕府は兵を出さず、信長の他には、明智、徳川、松永らが挙兵し、越前へと向かった。

 織田軍は越前の朝倉領に侵攻した翌日には早くも朝倉景恒が守っていた金ヶ崎城を落とし、勢いに乗っていた。しかし、光秀は何か胸騒ぎがしてならなかった。そして、軍議の最中、左馬助が飛び込んできた。彼は部屋中に響く大音声で叫んだ。

 「斥候より連絡あり!浅井長政様が裏切られた由であります!北近江から、我らに向けて進軍中とのこと!」

 浅井長政といえば、信長の妹婿である。その浅井が裏切るとは思えない。信長は最初のうち、そんなバカな、と取り合わなかったのだが、続報も次々と入ってくると、信じざるを得なくなってきた。

 光秀は、恐れながら、と信長に進言した。

 「ここはいったん、退きましょう。このままでは、浅井と朝倉に挟まれて、どうにもならなくなってしまいます!」

 「しかし、儂は勅命を受けて来ておるのじゃ。這々(ほうほう)の体で逃げ帰るのか?そして、帝に何と申し上げるのじゃ?勅命を受けておきながら、敵が恐くて逃げてきました、と言うのか?そんなことができるか!」

 信長は悔しがっていた。両の眼に涙をためて、怒鳴り続けていた。延々と続く怒号の隙間をようやく見つけて、光秀は両手をつき、額を床に叩きつけて言った。

 「信長様!明日のために、ここはいったん退くしかありません!帝には、思わぬ裏切り者がおったため、一度は退いて、態勢を立て直して、再び出陣することにしましたと言えばよろしかろうかと存じます!信長様は、ここで死んではならぬお方です!日の本の国を救うために、今死んではならぬお方です!」

 信長は少し落ち着いたのか、黙って光秀を見下ろしている。息が荒くなっているが、少しは冷静になったと見た光秀は、さらに言葉を継いだ。

 「私が殿(しんがり)を務めます。ここは悔しくても、一度、お退きください」

 その時、部屋の板戸を突き破らんばかりの勢いで開けて、藤吉郎秀吉が飛び込んできた。

そして、光秀より一歩下がった所で土下座をした。

 「私もッ!私も殿にお加えくださいませ!私は一介の百姓の小倅に過ぎなかった。しかし、信長様は、身分にこだわらず、そんな私を取り立てて、ここまでにしてくださいました。殿のために死ねるのであれば本望!私にも、殿を務めさせてくださいませ!そして、殿は、信長様は必ずこの場を生き延びて、日の本を一つにしてくださいませ!」

 信長の頬は濡れていた。その頬を拭きもせず、叫んだ。

 「よし、逃げる!十兵衛、秀吉、両名に殿を申しつける!」

 踵を返して行きかけたが、ふと振り返り、

 「命令ついでにもう一つじゃ!二人とも、必ず生きて帰ってこい!」

 再び駆けだした信長は、振り返ることはなかった。

 

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