光秀血風録   作:猫祭雉虎

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陸 暗闘 其の拾弐

 そうです、と背後で声がして、二人は肝を冷やした。振り返れば、若い女が立っている。色白の、きれいな女だが、二人に気づかれずにここまで近づくとは、得体の知れぬ相手である。

 「あれは、祖父です」

 そう言いながら、女は左の袖をめくり上げた。その腕には、無数の切り傷がある。

 「まだ私が生まれる前に、祖父が鬼になったそうです。父はなんとか、祖父を人間に戻せないかと考えたのだそうですが、いまだにその方法は分かっていません。そもそも、人間に戻すことができるかどうかも分かりません。祖父が町の者を襲わないように、父は地下牢を造り、そこに祖父を入れたのだそうです。でも、鬼になった祖父は、すごい力で牢を破って出てきてしまう。そんなことを繰り返すうちに、ずっと暗くてじめじめしたところにいたせいか、祖父に黴らしきものが生え始め、それは次第に広がり、結局、ああなったそうです。それからは、あまりに哀れな姿だし、一族の者が血を与え、命だけは長らえさせているのです。いつか、祖父を人間に戻せる日がくることを信じて」

 「ほう、それは殊勝な心がけですな」

 光秀はせせら笑って、日輪刀の柄に手をかけた。

 「で、鬼になり、とんでもない強力で暴れ回るお爺さまを、あなたのお父さまはどうやって、その地下牢とやらに押し込めたのですか?それから、先ほど、我らが見たときには、牢の扉があったような名残はまったくなかった。この件については、どう説明なさいますか?」

 光秀が言い終わらぬうちに、女は後ろに跳びすさった。もう刀を抜いても届かない。

 「あなたは一体、何者なのです?」

 半ば呆れたように、光秀は問うた。

 「あれが祖父だというのは本当です。ただし、父が地下牢を造って閉じ込めたというのは、私の創作ですわ」

 光秀は慎重に間合いを詰めていく。左馬助も同様である。

 「元々、祖父は自ら穴を掘って、あそこに棲み着いたんですの。鬼になっても、自分のことが分かっていたようです。人を喰ってしまわぬよう、自らあそこに隠れたのです。一族の者が血を与えていたというのも、最初のうちは本当にそうだったのですよ。私の父母はどちらもそのために死んだのですから。でも、私は馬鹿馬鹿しいと思ったのです。だから、これは――」

 再び、袖をめくった。

 「まあ、見せ傷です。一族の者がこうやって、町を守ってきたのだから、皆さんもちょっとぐらい、身を切ってもらってもいいのではありませんか、と言うための。断っていただいても結構ですが、私まで死んでしまったら、この町の人はみんな、鬼に喰い殺されますわよ、と言うための。そう言って泣いて見せれば、皆さん、協力的になられましたわ」

 そしてまた距離をとって、軽い溜息をついた。

 「でも、どういうわけか、あんな風になっちゃって。鬼らしい恐ろしさとか威厳とか、まったくなくなってしまったんです。これでは、人様にお見せできませんもの。生贄と金子を出さねば鬼を解き放つと言えば、皆さん、求めに応じてくださっていたのです。ええ、この町は優しい方ばかり」

 光秀は憤っていた。この女からは、鬼の気配はしない。しかし、言っていることは鬼より酷い。

「そんな恐い顔をしないでくださいまし、お侍様。いただいた金子は、天台座主様にも納めておりましたもの。それで、この町は、あまり酷い搾取をされずに済んでいたのですよ。もちろん、私もちょっとばかり、贅沢はさせていただいてましたけどね。だけど、いつの間にやら、あのクソ爺ったら、あんな風になっちゃって。あれでは、人様にお見せしても恐れられるどころではありませんし、いい商いだったけど、そろそろ潮時かな、と思っていたところでした。これで、渡りに船というわけですわ」

 そして、ケラケラと大笑いした。

 「では、ご機嫌よう」

 逃げようと駆け出す目前に二人の武士が、ふわりと降り立った。人間とは思えない跳躍力で、女の頭を跳び越えて。

 「まあ、お二人は噂に聞く鬼狩り様ではありませんか?では、人は斬りませんよね?後はよろしくお願いしますね」

 「生憎と、儂らは信長様に仕えている身」

 「信長様からは、女子どもも残らず撫で切りにせよ、と言いつかっておる!」

 女の頸と胴、二ヶ所が同時に二本の刀で両断された。と同時に、二人は背後に熱気を感じた。振り返ると、そこには燃えながら立つ痩せさらばえた人影のようなものが見えた。それは、何か言おうとしているように見えたが、すぐに陽光の中で灰になって崩れ去ってしまった。あの爺さんは、ああなってまでも、孫を助けようとしたのか、それとも……。

 「左馬助」

 「はい」

 「虚しいなぁ……」

 「悲しいと言えばいいのか……、なんとも心が苦しゅうござる」

 

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