光秀血風録   作:猫祭雉虎

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壱 水の呼吸(後編)

 

 翌日、二人は最終選別が行われるという藤襲山に向かった。

 藤襲山では、季節はずれているのに、藤が満開になっていた。年がら年中、藤が咲いているのだという。

 鬼は、藤の花の香りを嫌う。一年中、藤の花に囲まれた藤襲山の中には、弱い鬼が放たれており、その中に入って、七日間、生き延びられれば合格だという。

 試験用の刀を受け取り、光秀らも山に入った。

 「左馬助、七日といえば長い。その間、ろくに飯を食うこともままならぬ。鬼との戦いは、できるだけ避けるようにしよう」

 しかし、光秀が言い終わるのと同時くらいに、最初の鬼が奇声を発しながら、飛びついてきた。小柄な鬼で、簡単に斬り捨てることができたが、これが毎日続くとなると、かなり厳しい試験だ。二人は顔を見合わせた。

 鬼は陽光に弱いというので、昼間はとにかく、陰にならないところを選びながら、出口に向かって進む。夜も眠るわけにはいかないから、交代で番をしながら、朝を待つ。

 それでも、飢えと渇きが辛く、このままでは、鬼と戦うまでもなく、死んでしまうのでは、とさえ思われた。

 山に入ってから三回目の夜を迎え、二人は休めるところを探していた。鬼が近づいていたとき、すぐに気がつけるように、見晴らしのいい場所でないといけない。だが、横になって眠りやすい場所でもないといけない。

 そのとき、二人に向かって走ってくる影があった。すぐに斬りつけたが、かわされてしまった。返す刀で斬りつけるが、それもかわされてしまう。――すばしっこい鬼だ!

 いや、自分たちの動きが遅くなっているのだ。何太刀目かで、光秀はそれに気づいた。――まずいぞ。しかしそのとき、どこからか赤い疾風が飛び込んできて、鬼の頸を撥ねた。

 赤い疾風と見えたのは、彼らと同年代と見える少年だった。

 「かたじけない。助かり申した……」

 光秀は息をはずませながら、そう言うのがやっとだった。赤い疾風と見えたのは、その少年の紙が赤かったからだ。その少年は煉獄と名乗った。話せば――と言うより、煉獄と名乗った少年が一方的に喋ったのだが――彼は、継国縁壱から直接、教えを得たらしい。だが、日の呼吸を修めることは叶わず、炎の呼吸を修めたのだという。彼は一人で山に入り、まだ元気があるようだ。やはり、継国縁壱様から直接、指導を受けたからか。光秀は考えた。自分と左馬助は叔父から水の呼吸を学んだ。はじまりの呼吸といわれる日の呼吸を直接学んだ方が強くなれるのか。

 ただ、彼が使う炎の呼吸が自分に合わないのは、なんとなく分かる。彼の技は、まさに烈火の如く、何もかも灼き尽くし、破壊するような激しさがあった。

 しかし、と光秀は思う。彼は、水の呼吸を使うとき、故郷の可児川の流れを感じる。ゆったりとした流れ。だが、雨が続くと激しい濁流となり、怒り狂ったかのように、すべてを呑み込んでしまう。そういう静けさと激しさが、水の呼吸には同居している。さっき見た炎の呼吸は、ただ激しく、強い。それをいなすようにして、よく制すことができるのは、水の呼吸かもしれない。おそらく、どちらが強いというものでもないのだろう。ただ、日の呼吸というのは、どんなものなのか。あの烈しい光……太陽の力を体現した剣技とはどんなものか、せめて一度、実際に見てみたいものだと感じた。

 煉獄とは、お互いの健闘を誓い合って別れた。一緒に行こうと申し出てくれたが、光秀にも意地があった。自分たちの力で、この試練を乗り越えてみせる、とあらためて心に誓った。

 七日目に、彼らが山から出てきたとき、一緒に出てこられたのは、わずか三人だった。彼ら以外には、煉獄一人だけだった。元気だった彼も、さすがに口をきく元気さえなかった。ただ顔を見合わせて、目だけで、死ななくてよかったな、と語り合った。山から出たところには、かむろ頭の少年たちが待っていた。

 「では、合格した人には、日輪刀と鎹鴉を与えます。日輪刀を打つための玉鋼を用意していますので、それぞれ選んでください」

 無表情にそう言って、そこに用意されていた机の上に玉鋼を並べて見せた。三人が選んだ玉鋼は、一つも被らなかった。不思議と、自分がどれを選ぶべきかは分かったのだ。

 加えて、彼ら三人に、一羽ずつ、鴉が送られた。要領を得ず、きょとんとしている彼らに、かむろ頭が声をそろえて言った。

 「今後、それぞれの鎹鴉が、それぞれの鬼狩りとの連絡役をいたします。大切にしてあげてくださいね」

 鴉は、鎹鴉というらしい。鎹というからには、自分たちと何か――おそらくは鬼殺隊の本部――とを繋ぐ存在ということなのだろう。かむろ頭の二人も連絡役と言っていた。

 光秀らは煉獄と別れ、明智荘に向かって、来るときは駆けてきた道をとぼとぼ歩いて戻った。二羽の鴉は、パタパタと後をついてきた。二人はとにかく、腹が減っていた。

 それでも、明智荘まで帰りついた時には、光安と光秀の母、牧が里の外れまで迎えに来てくれていて、二人の顔を見ると、涙を流して大喜びしてくれた。家族ってありがたいな、と二人はつくづく感じたのであった。

 その晩、光安はいつにもまして、酒をよく飲んだ。二人が揃って合格したことがよほど嬉しかったと見える。

 あまり飲み過ぎると、明日、堪えますよと牧にたしなめられたが、もう一杯だけ、とせがんで注いでもらうと、しみじみと語った。

 「この明智荘は、戦に巻き込まれることもあったが、それ以上に脅威となっていたのが鬼だった。昔は本当に、よく襲われたものだったが、兄上と儂は、鬼殺隊に入ることができ、鬼狩りとなった。ここまでは知っているな」

 光秀は頷いた。

 「それから、儂らは里を守って戦った。この明智荘だけでなく、鴉の指示に従って、近隣の里にも鬼退治に出かけたこともある」

 そこまで話して杯を持った手を牧の方に伸ばしたが、ピシャリと叩(はた)かれて、あきらめた。そしてまた、二人の方に向き直り、話の続きを始めた。

 「十兵衛。これから話すのは、兄上の死の真相だ。鬼狩りとしてすでに実績もあげていた儂らが、剛力とはいえ、なぜあの程度の鬼に後れをとったのか、本当のところを聞いてほしいのだ」

 光秀と左馬助の顔に緊張の色がさした。

 「あの日、儂らは鴉の指示で、尾張まで鬼を倒しに行った」

 「尾張?しかし尾張は……」

 「うむ。尾張の織田とはずっと小競り合いを繰り返しているが、鬼の被害に関しては、敵も味方もない。そこは割り切らねばならぬ」

 光秀は黙り込んだ。そのことを織田側が知れば、もうつまらぬ戦はせずとも済むのではないか。そんなことを考えていたのだ。光秀は臆病ではないが、戦は嫌いだった。

 「尾張に出た鬼は三匹ほどいたが、どれも大して強くはなかった。儂らはさっさと鬼どもを片づけ、帰路についた」

 「だが、明智荘まで戻ると、四本腕の鬼が暴れていた。儂らはさらに急ごうとしたのだが、体が痺れてきた。迂闊だった。毒を受けていたのだ。息きも苦しくなり、儂らは水の呼吸どころではなくなっていた。それでも、鬼は倒さねばならぬ」

 「兄上は、鴉に、毒消しをもらってくるように指示し、儂には、最悪の場合に備えて、戸板を持ってこいと言い置いて、自らは鬼に向かい、まっすぐ駈けていった。兄上は、儂ら二人が普段の力を出せないことを分かっていて、呼吸の技で倒せなければ、戸板に鬼を打ちつけて夜明けを待つつもりでそう言われたのだと理解した。だから儂は、壊れた農具小屋を見に行った。戻ってきたら、兄上は鬼を倒していたが、鬼の最後の一撃を躱しきれなかったのだろう、倒れていた。それで儂は察したのだ、兄上は、儂を鬼と戦わせないために、戸板をもってこいと言ったのだと。儂は悔しかった。正直、このまま生きていてもよいのかと自問したのだが、幼い十兵衛が成長し、明智家の家督を継ぐまでは生き恥を晒す決意をしたのだ。また、我らの水の呼吸を、継承しなければならぬと思い、左馬助とともに十兵衛殿にも、呼吸の技を伝承したのだ」

 「十兵衛、そなたの父は、決して弱いから鬼に敗れたのではない。儂を救い、里を救うために、己を虚しゅうした結果である。そのことを知ってほしい。忘れないでほしい。そして、その心を、ここにいる我らが継いでいかねばならぬ」

 光安とともに、光秀も左馬助も滂沱の涙を

流していた。

 

 

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