鬼など本当に存在するわけがない。黒田官兵衛はそう言う。しかし、そこら中にはり巡らせた間諜網から入ってくる情報は、官兵衛の意見とは矛盾する。
人食い鬼と言われるようなものが存在するのかどうか、秀吉には分からない。巷間に流れる噂はあまりにも多く、生々しい。とはいえ、信じる気にもなかなかなれない。彼は天下を取るのは自分だと自負している。そのために、信長の配下として力をつけ、最終的には信長を追い落として、自分が上に立つ気でいる。その前に、まずは明智をどうにかしたい。だが、明智には隙がない。加えて、もし巷で言われていることが真実ならば、己が天下を取っても、人食い鬼どもと戦う手段がない。
世間では、こう語られている。人間を襲って喰う鬼が存在するが、それを倒せる人間は限られており、彼らは鬼狩りと呼ばれ、鬼狩りが集まってつくる秘密の組織がある。織田家の重臣となっている明智光秀は鬼狩りの一人であり、織田信長が幕府をも差し置いて、武家の頭領となろうとしているのは、すべての武士を統べて、鬼との決戦に挑むためである。
そんなことは信じられないが、もし真実であったなら……天下を取る前に、全容を知っている必要がある。鬼と戦わなくてはならないのであれば、明智を失脚させても、死なせてはならぬ。己の下で鬼狩りを続けさせねばならぬ。しかし、自分が信長を倒したとき、彼がおとなしく、自分の下につくとは思えない。この件はもっと慎重に探らねばならぬ。しかし、官兵衛は、鬼などおりませぬと笑い飛ばす。彼の考えを無碍にするわけにもいかない。何か、うまい一手はないものか……。
家康は悩んでいた。正室・築山殿と嫡男・松平信康が武田氏と通じているため斬り捨てよ、と信長に命じられたのだ。家康にとっては、寝耳に水である。じっくり真偽を確かめたいところだが、もたもたしていると、信長に痛くもない腹を探られるのではないかとも思う。そんな折――
真夜中に悲鳴が響き渡る。飛び起きた家康が刀を引っつかみ、廊下へ走り出ると、下女たちが右往左往している。見たこともない生き物が暴れている。見たことがなくとも――それは鬼だと分かった。足がすくんだ。これまで聞き及んだ噂によれば、鬼狩りと呼ばれるごく一部の者だけが、鬼を倒せるという。それが事実であれば、自分では勝てない。どうしようもできない。
それでも、戦わねばならぬ。己が守らなくてどうする。すくんだ足を無理に動かして、鬼に立ち向かおうとした、そのとき!
外から青い疾風と見えるものが飛び込んできて、鬼の首を斬り飛ばした。その者はこちらに背を向けていたので、顔は見えなかった。しかし、その青ざめた刀身は、見覚えがあった。
「十兵衛!上ダ!」
声が響くと、その人物はおうっ!と一声、軽やかに跳んだ。一跳びで屋根の上に達したようである。たちまち、足音が響き、鬼らしき声が響いたが、すぐに静かになった。