光秀血風録   作:猫祭雉虎

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漆 決戦 其の弐

 家康はポカンとしている。家人が騒いでいるのは分かっている。皆は無事か。まず確かめなくてはならない。ただ、今、自分が見たことは現実とは思えぬ。

 十兵衛という名は、織田信長が明智光秀を呼ぶときに使う名だ。そして、その光秀は、あんな青い刀を持っている。以前から、不思議な色の刀を持っていると思っていた。あれは明智光秀殿か?しかし、今日見た剣士の太刀筋は、明智の使う鹿島の太刀とはまた違うように見えた。しかし、鬼も剣士ももういない。そのことを考えている時間はない。被害の状況を確認しなくては。家康は仔細を確認すべく、家人に声をかけてまわった。

 その三日後、光秀の元に密書が届いた。差出人は徳川家康である。他人に知られぬよう、一人きりで来てほしいとある。

 やっぱりあの時、見られていたのかな、と思った。しかし、一方で、もしや、家康も信長様に反旗を翻すつもりなのでは、とも思われ、不安がよぎる。

 家康が指定してきた場所に行くと、彼は一人ではなかった。

 「ここなる者は、柳生宗矩と申す者。松永久秀様の家臣であった柳生宗厳様を、松永様の死後、我が剣の師範にと招いたのだが、そのご子息であるこちらの宗矩殿を推挙なされたのです」

 光秀は黙って、軽く会釈した。柳生宗矩、その名は知っている。自分が修めた鹿島新當流の開祖である塚原卜伝と並び称される上泉信綱が創始した新陰流を伝承する柳生一族の俊英である。純粋に、一度、その太刀筋を見てみたいと感じ、軽く武者震いするような感覚を覚える光秀であった。

 二人が初対面の挨拶を交わしたところで、家康が切りだした。

 「実は先日、信長様から、儂の妻子が武田と通じていると言われ、調べたところ、確かに事実であったので、二人を斬り捨てました。なんとも恥ずかしいかぎりです」

 そんなことが言いたいのではないだろう。そんな話なら、柳生宗矩を連れてくる必要などない。光秀は訝しんだ。

 「今、妻と長男の裏切りが、調べて分かったことだと言ったのは性格ではありません。三日前の夜、儂の寝所が襲撃を受けました。その際、二人はさっさと逃げ出してしまったのですが、見つけて確認したところ、武田方から届いていた書状を持って、逃げておりました。それで、彼らの裏切りが事実であったことがしれたのです」

 家康は忌々しそうな表情を浮かべた。妻子の裏切りが分かったときのことを思いだしたのだろう。気の毒だとも思うが、不明を責められても致し方あるまい。とはいえ、すでにその二人は家康によって処分されたと聞き及んでいる。今さら、何の話なのか。

 「そのとき襲ってきたのは、明らかに人間ではありませんでした」

 ちらりと光秀を見やった。なるほど、と光秀は思った。剣術指南役を連れてきたのも、それなら頷ける。

 「それは、人食い鬼でした。正直、そんなものは存在しないと思っていましたが、この目で確かに見たのです。巷間の噂では、特別な刀で頸を斬らねば殺せない、とか言われていることも。恥ずかしながら、拙者は足がすくんで、動くことすらできなかったのです。しかし、そのとき、誰かが風のように現れ、その頸を切り落として、また風のように去っていったのです。その方の使った刀は深い青色でした。ちょうど、あなたが持っていらっしゃるような」

 光秀は目顔で続きを促した。家康は軽く咳払いをして続けた。

 「拙者は巷の噂を集めるべく、すぐに間者を行かせた。噂ではあるが、鬼狩りだと言われる者として名前が挙がっている中に、明智様のお名前もあったのです。拙者は確信しました。あの夜、我らを救ってくれた剣士の小体は、あなた様である、と。そこで、お願いをいたす所存でございます。この者、剣術の指南役としては申し分ないのですが、鬼と渡り合う術を持たない。明智様から、その技を伝授していただきたい」

 光秀としても、悪い話ではない。このところ頭を悩ませていた継子の問題は、ひとまず解決する。もっとも、世の流れを考えれば、他にもいた方がいいが……。それよりも、気になることがある。以前、筒井順慶に鬼退治を頼まれたことがあったが、今回は、退治するのではなく、自らの子飼いに技を教えてくれという。なぜ、光秀ら鬼狩りに頼らず、自ら鬼狩りを使おうとするのか。

 疑問はもう一つある。こちらは後でもっとじっくり考えないといけないが――あの鬼はなぜ、家康を襲ったのか。自分が不在の明智荘も襲撃された。最近、武家を襲うことが増えてきたように思われる。鬼は群れないと認識しているが、人間が鬼殺隊という組織をより強固にしようとしていることに呼応して、鬼たちも動いているように思えてならない。

 とりあえず、家康の願いを聞き入れると伝えると、かたじけない、と家康はかしこまった。そのうえで、光秀は尋ねた。

 「ところで家康殿は、なぜ、柳生殿に呼吸の技を憶えさせたいのか?今いる鬼狩りがそなたらを守るだけでは不満だということですか?」

 家康は虚を衝かれたように、光秀をじっと見た。そして、すっと目線を外した。気まずい沈黙が降りる。口を開いたのは、柳生宗矩だった。

 「人食い鬼が人々の安寧を脅かしております。看過できることではございませぬ。鬼を倒せる者は一人でも多い方がよい。我が主はそうお考えです。……それ以外の仔細はありませぬ」

 ……そう来たか。光秀は、家康自身が織田信長になりかわって、天下を取る気なのではないかと勘ぐっている。だから、敢えてなぜ柳生宗矩に呼吸を教えろと頼んできたのか、尋ねたのだが、そう返されると、こちらも矛を収めるよりない。

 「……分かり申した」

 爾来、宗矩は姿を変えてそれと判らぬようにし、光秀の家来衆に紛れ込んだ。そして折を見ては、呼吸の修練を積み、水の呼吸を会得した後は、家康の元に送り返された。

 奇しくも、それと機を同じくして、織田軍は甲斐の武田勝頼を討ち、武田氏は滅亡するに至った。

 

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