光秀血風録   作:猫祭雉虎

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漆 決戦 其の肆

 「おう、十兵衛。楽にせよ」

 奥から出てきた信長は上機嫌である。少し前に武田勝頼を討伐したことを喜んでいるのだろう、と思った。

 「武田討伐、おめでとうございます」

 光秀が恭しく頭を下げると、信長はにんまりした。

 「信玄の代からずっと、武田には悩まされてきた。信玄といえば、奴が急に病死しなければ、今、儂はここにいたかどうか。それも怪しいものだ」

 そう言って、嘆息した。

 「そこでだ、今回、特に功のあった徳川家康を招いて、宴を催そうということだ」

 そして、声を潜めた。

 「荒木にせよ、松永にせよ、謀反を起こされるまで、儂はまったく気づかなかった。それでな……不満を持たれないように、ということが一つ、もう一つは、こちらからちょっと探りを入れようということだ。十兵衛、そなたは徳川からも信頼を得ているようだ。そこで、十兵衛、そなたに饗応役を命じる。そつなくこなして、家康の肚を探れ」

 「はっ」

 「それと、これを見よ」

 信長が見せたのは、秀吉からの書状であった。

 「これは?」

 「うむ。饗応が終われば、急ぎ、秀吉の援護に向かえ……どうした?」

 光秀は返事もせず、その書状を凝視している。その表情は厳しい。

 「十兵衛?どうしたのだ?」

 「いや……分かり申した。饗応が終わればすぐに向かいます」

 「ふむ。よろしく頼むぞ。できるだけ早く、家康殿の饗応の準備をせよ。儂も、事前に目を通しておきたいしな」

 「は。心得てござります」

 こうして二人は別れた。

 坂本城に戻った光秀は、すぐに左馬助を呼び、先ほど、信長から聞いた話をした。

 「ふぅむ。それはなんとも……妙な具合ですな」

 「うむ。高松に鬼が出たというなら、鬼殺隊でも何かつかんでいるはずだ。秀吉殿が襲われたとなれば、儂に何の連絡もないのは解せぬ。儂が鬼狩りだという噂が巷間に流れているらしい。それは、これまでにも聞いたことだ。奴もそれを聞きつけて、探りを入れているのではないのか」

 一気にまくしたてて、一息ついた。

 「だが、なぜ、探りを入れる必要がある?釈然とせぬ」

 左馬助は言葉を選びながら返した。

 「あの御仁はなかなか出世欲の旺盛な方と拝見しました。そこで、あくまでもしもの話ですが、あの御仁が我らを追い落とし、自らの地位を上げようと考えているとしたら、いかがでしょう。我らは今や、織田家の家来衆の筆頭といえる存在でござる。それを、謀反の意思ありとかなんとか、濡れ衣をきせて、追い落としたい、しかし、我らが鬼狩りであり、信長様がそれを承知なさっているなら、簡単にはいきませぬ。むしろ、逆に己に疑いを持たれるやもしれぬ、と考えたのだとしたら」

 「うむ、そう考えれば辻褄はあうか。そうだな……。ならば、我らは大軍を率いて、秀吉の支援に向かおう。小規模な部隊では、鬼の存在を想定していると分かってしまう。家康殿の饗応が終わってから、やや気を持たせ気味に軍を出す。行ってみて、大した危機でもなければ、我らを鬼狩りと見込んでのことだったと分かる」

 左馬助は黙って頷いた。

 その後、光秀は何度か、信長を訪ねて、饗応の打ち合わせをした。何度目かの打ち合わせのとき、ふいに信長が言った。

 「のう、十兵衛。仮定の話だが、もし、もしもだ、儂にもしものことがあったら、そなたと秀吉で後を継いでくれ」

 光秀はギョッとした。思わず気色ばんで尋ねた。

 「何をおっしゃいます?何かあったのですか?」

 信長は首を振る。

 「いや、何もない。何も――。ただ、ふと思っただけのことだ。案ずるな」

 そう言ってごまかしたが、信長が不安を感じるのは、理由がある。

 最近、夜中に目が醒め、人の気配を感じることがあるのだ。すぐに枕元にある刀を手に取り、いつでも抜けるようにして、感覚を研ぎ澄ますと、いつも、その気配は消えてしまう。鬼ではないかとも思ったが、十兵衛から聞いた話では、基本的に鬼は本能のままに人を襲うらしい。こそこそ、寝所を探るようなことはすまい。ならば、どこかの間者か。それならば、十兵衛の手を煩わせるまでもない。自ら、その者を見つけ、誰の差し金かはっきりさせるまでだ。だが、そいつが何を知りたいのかわからない。いつか、寝首をかかれるやもしれぬ。いや、そんなことにならぬ自信はあるが、本能が、こいつは何か普通ではないと告げている。それで、一人になったときなど、言い知れぬ不安を感じるのだ。

 「もうよい、忘れろ。いや、ない筈だが、もしもがあったときには、よろしく頼む。本当に頼んだからな」

 そう言って、強引に会話を打ち切った。光秀は、何か不穏なものを感じたが、それ以上、追求することもできなかった。

 

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