光秀血風録   作:猫祭雉虎

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漆 決戦 其の伍

 饗応の日が来た。戦勝を祝う宴であるから、誰もが上機嫌である。饗応役である光秀は、打ち合わせどおり、膳の準備をした。そして、乾杯が済み、皆、箸を手にしたのだが――

 突然、信長が呻きはじめた。周りの者が、どうしたのかと寄っていったが、それを振り払い、十兵衛、食えぬ!と叫んだ。

 そんな筈はない。事前に信長自身と何度も打ち合わせをした通り、万端怠りなく準備したのだ。光秀がたまらず、しかし、と声を上げると、

 「食えぬ!食えんのだ!これは食えぬ!」

 信長は喚き散らして、部屋を飛び出していった。気まずい空気が流れる中、なんとなく宴はお開きになった。

 「此度はかような事になって、申し訳ございません。饗応役として、ひらにお詫びいたします」

 光秀が深々と頭を下げると、いや、お気になさらず、と言いながら近づいてきた家康が耳元で言った。

 「食事には何の問題もないと思います。信長様に何かあったのでは?」

 いや、そんなことはないと押し通したが、冷や汗が止まらない。

 他の家臣たちには、自分が用意した魚が傷んでいた、と言い繕って、その場をごまかした。まさか、と思うのだが――普通の食い物が食えぬのか。ただ、腹具合でも悪かっただけなのかもしれない。無理にそう思い込むようにした。翌日から、高松に向かう準備を始め、秀吉にはその旨を書状で伝えた。

 信長は苦しんでいた。家康らをもてなす宴で、光秀が用意した膳を前にしたら、途端に気分が悪くなった。宴の後、光秀が高松攻めの用意を始めるのを横目に、自らは本能寺に入ったのも、環境を変えることで、元に戻るかもしれないという淡い期待をもってのことでもあった。だが、あれ以来、今でも普通のものが食べられない。食事はすべてこっそり捨てていた。体の内側から、何かドス黒いものが込み上げてくるような感じがする。己の身に何が起きているのか、理性は分かっているが、それを認めたくない。しかし、太陽を恐ろしいと感じるようになれば、もう認めざるを得ない。今すぐにも暴れたくなる己を抑え込み、筆を執った。書き終わったものは、襖を開けて、廊下に置いた。それから大声で小姓を呼び、明智に届けよ、と命じた。そのまま、頭から布団を被って、横になった。

 

 光秀の顔は強ばっている。信長から届いたという書状であるが、それはとても、信長の筆跡とは思えない。いや、人が書いたとさえ思えないほどの汚い文字だ。それでも、かろうじてこう読めた。

 鬼狩り頼む 敵は本能寺にあり

 

 今、光秀の前には、明智左馬助、藤田伝吾、斎藤利三の三人が座っている。皆、緊張の面持ちである。

 言いたくない。だが、言わねばならぬ。光秀は一瞬、瞑目し、再び眼を見開いた。

 「戦の用意をせよ。これより我らは、本能寺にむかう」

 したりと頷いたのは左馬助一人。他の二人はポカンと口を開けている。厳しく叱責されたこともあった。理不尽とも思えることもあった。しかし、信長に取り立てられて出世もしたし、信長あっての光秀であった筈だ。なのに――本能寺を襲撃するのか?

 「織田信長様を討つ!」

 彼らの疑念も迷いも、自分が断ち切らねばならぬ。そのために、あらためて光秀は宣言した。

 まず、備中高松城を攻めている羽柴秀吉に対して、信長様は鬼となられた故、これから信長様を討つ所存である、ひいては、すぐに毛利方と和睦し、京に戻って、都を治める手助けをしてほしい、と密書を送った。気は進まなかったが、信長は生前、何度も後のことは二人で、と頼んでいた。致し方ない。

 また、柳生宗矩を、堺にいる徳川家康の元に返らせた。信長様が鬼になられた。自分が討伐に向かうので、危険を避け、すぐに三河に戻るように、また、自分の身に何かあった場合は、柳生宗矩に水の呼吸を受け継ぎ、さらに後世に伝えるよう頼んでいる0.ので、よろしく計らってほしいとの密書を送った。

 鴉を通じて、本部には連絡しておいた。鴉は戻ってきて、当日は同行し、事の次第をまた、鬼殺隊本部の御館様に報告することになっている。

 

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