退形成性星細胞腫の5年生存率は僅か20%とされていた―――だが、今は違う!(ギュッ) 作:推したい人
作者の医療知識は漫画くらいからしか吸収してないので矛盾している部分もあるかもしれませんが、生暖かい目で見守っていただけると幸いです。
追記
6月5日23時54分。加筆修正しました。
時刻は夜21時。M県M市のとあるアパートの一室にて、研修医の男が大量の医学書と論文を読みふけっていた。
その光景だけ見るならば、勉強熱心な医師に見えただろう。患者の健康を1%でも損なわない為に努力する医師の鑑に見えただろう。
―――焦燥感に歪められた医者の顔を除けば。
(ダメだ……ダメだダメだダメだ!!)
無力感に苛まれ、衝動のまま両こぶしをドン!と机に叩きつける。その衝撃で中身入りのコーヒーカップが倒れ、論文と男の衣服を茶色に染めていく。
しかし、男は―――雨宮吾郎は構わず何度も机を叩いた。
己の無力さに歯噛みしながら。
己に懐いてくれた少女の非業な未来に憤慨しながら。
(このままでは、さりなちゃんは……ッ!!)
頭を抱える吾郎の脳裏に一人の少女が浮かび上がる。
天童寺さりな。
脳の悪性腫瘍である『退形成性星細胞腫』に侵された少女だ。
『せんせ!』
彼女は健気だった。
実の両親が仕事を理由にお見舞いに来ない中でも、明るい笑顔を絶やさなかった。
『……で!この子がめいめい!ダンスが良いの!』
彼女の病室でサボっている時、さりなはよくB小町というアイドルのライブ映像を鑑賞していた。
『歌はありぴゃんときゅんぱんが良いんだけど―――』
テレビの中でキラキラと輝く少女たちに胸をときめかせ……
『やっぱ私の推しは~~~アイ一択でしょ!』
最推しであるアイドル『アイ』を熱く語っていた。
自分と同じ年齢なのに大人っぽいとか、歌とダンスが上手いとか。
極めつけには、生まれ変わったら彼女と同じ顔になりたいと宣う始末。
そんな彼女に、吾郎は否定的な言葉を投げかけた。
生まれ変わりなんて馬鹿な事だと。
芸能人の子どもに生まれ変わり、容姿やコネクションを持っていたらなんて考えたこともないと。
『夢がないねせんせ』
そんな吾郎に、さりなは呆れ顔だった。
しかし、彼も考え無しに言った訳ではない。
吾郎の目から見ても、さりなは可愛かったからだ。抗ガン剤の副作用で髪が抜け落ちていても、天童寺さりなの笑顔は輝きを失っていなかった。
だからこそ、吾郎は生まれ変わりを否定した。
退院したらアイドルになればいい。そしたら俺が推してやるよと宣言した。
『ほんと?―――せんせ好き!結婚して!』
すると、彼女は突然吾郎に抱き着き何度目かの求婚をしてきた。
しかし、彼も慣れたものでのらりくらりと言葉で躱す。
『このモラリストめー』
さりなも本気で受けてくれるとは思ってもいなかったようで、パっと離れると口を尖らせる。
そんな彼女の様子が面白くなり、吾郎は16歳になったら真面目に考えてやるよとつい軽口を叩いてしまった。
その軽口が、分岐点だった。
『………16かぁ。せんせ、いじわるだね』
彼女はどこか達観した表情で天井を見上げた。
その顔に、吾郎は過去最大級の衝撃を受けてしまった。
必死に絞り出した軽口『現実的なプランだろ』を最後に、逃げるように病室を後にしてしまうくらいには。
(あの顔は、死期が近いことを悟っているものだった)
彼女は己の身体だからこそ、担当医から説明を受けなくても薄々感づいていたのだろう。
自身の命が終わりに向かっていることを。
(さりなちゃんの余命はあと数か月……。悪ければ来月にも容体が急変しかねない)
だからこそ、吾郎は必死に治療法を模索し続けた。
あらゆる医学書をかき集め、ネットを駆使して世界中の論文を集め。
退形成性星細胞腫、いわゆるグリオーマを根治させる方法を見つけようとした。
しかし、現実は残酷だった。
己のプライベートを全て捧げようとも、天童寺さりなを救う術は発見できなかった。
―――いや、正確には発見できていたのだ。
オープンMRI下でのグリオーマ摘出術。
手術中に何度もMRIを撮影することで、ブレインシフト*1してしまう脳のガンと正常部分の境界をリアルタイムに把握しながら腫瘍を取り除く、現時点で最も有効とされる術式だ。
しかし、それをさりなに施すには大きすぎる障害が立ちはだかっていた。
それは、さりながグリオーマ摘出術の負担に耐え切れない点だ。
幸い吾郎が勤めている大病院には機材と術式を行える医師が揃っているが、以前見学した30代男性のグリオーマ摘出術は実に10時間にも及ぶ大手術になってしまっていた。当然、患者の身体に掛かる負担はとてつもなく大きい。
そんな大手術に耐えうる身体なんて、幼い上に病弱な彼女が持っているはずがなかった。
(せめて時間が5時間……いや6時間で済めばさりなちゃんを救えるはずだが……)
そんな神業を持っている医師のツテなぞ研修医が持っているはずもなく、吾郎自身もそんな医者は存在しないだろうと諦めていた。なにせ必死に集めた症例集に記された最短記録は8時間だったからだ。
このままただ無為にさりなちゃんの命は消費されていってしまうのか……。重苦しい絶望が吾郎の心を埋め尽くしてゆく。
しかし、ソレを吾郎は必死に振り払う。
彼女の担当医は既に諦め、如何にして最期を安らかに迎えさせるかという終末期医療を施している。
己が諦めたら、天童寺さりなの死は確定してしまうのだ。
吾郎は脳をフル回転させる。なんでもいい、今まで己が蓄積してきた知識のどこかに、突破口に繋がり得るものはないか。
なんでもいい、なんでもいい。
どんなにか細く厳しい道でも。
己のプライドが砕け散ろうとも。
(……あ)
そこで、吾郎は唐突に思い出す。
確か引き出しの奥に、あの人の名刺があったはずだ。
大学の卒業式の日、『手に負えない何かがあったら、遠慮なく頼れ』と押し付けられるように無理矢理受け取らされたプライベート直通の電話番号が載っている名刺が。
研修医としてここに赴任した時、安易に頼らないよう自分を戒める意味も込めて封印した名刺が。
吾郎は引き出しを取り外し、探す時間も惜しいと床へと中身をぶちまける。そのお陰か、見覚えのあるダイヤル錠付きの小型金庫がすぐに見つかる。
早速ダイヤル錠を開錠し、目的の名刺を取り出した吾郎は記載された番号に電話する。
プルルルル、プルルルルと通知音が鳴り響く。待機時間が無間にも感じられる。
どうかこの選択がさりなちゃんを救う手立てに繋がってほしいと、吾郎は必死に祈り続け……ついに、蜘蛛の糸に手を掛けることに成功した。
「夜分遅くに申し訳ありません、
『……まさかおめえから連絡が来るとはな』
「実は、折り入って相談したいことがありまして……」
『愛弟子の頼みだ。何でも言ってみろ』
通話相手は、帝都大学医学部第一外科教授『大垣 蓮次』。
医大生時代の雨宮吾郎の恩師だった。
◆
一縷の望みをかけた電話から一週間後。
時刻は昼の14時。天童寺さりなが吾郎に買ってきてもらったB小町の写真集を眺めていると、コンコンというノック音と共に彼女が大好きな人の声がドア越しに聞こえてきた。
『さりなちゃん、入ってもいいかな』
「! せんせ、どうぞ!」
パタンと写真集を閉じ、満面の笑みで許可を出す。
ガラリと個室のドアが開かれる。そこには愛しの吾郎せんせが立っていて……あれ?とさりなは首を傾げる。
何故ならば、せんせにしては珍しく、とても真面目な顔をしていたからだ。
「せんせ、どこか具合悪いの?……あっ!もしかして酷い失敗しちゃったとか!?も~しょうがないなせんせは~。慰めてあげるからこっちおいで!」
そんな顔は似合わない、とさりなは軽口を叩く。私が大好きないつものせんせに戻って、と願いを込める。
しかし、吾郎の顔は変わらなかった。いつものお気楽さを鳴りをひそめたまま、彼はさりなの傍らに座る。
「さりなちゃん、今日は大事な話があってここに来たんだ」
「? 大事な話?」
「そうだ」
こてんとさりなは首を傾げる。
「実はな―――治療法が見つかったんだ」
「治療法って……誰の?」
「さりなちゃんの」
「さりなちゃんって言う子のかー。それはよかったねー……って私?」
「イエス」
こくりと吾郎が頷く。
「え、いやいや、ジョーダンだよねせんせ?だって、今更新しい治療法が見つかるなんてありえないし……」
「いや、見つかったというか、可能になった、というのが正しいな」
「可能に?」
「ああ。オープンMRI下でのグリオーマ摘出術だ」
「え、でもそれってかなり前に無理って言われた気がするんだけど……」
「それがな、見つかったんだよ」
吾郎はさりなの瞳をしっかり見つめ、はっきりと宣言する。
「見つかったんだよ……ッ!さりなちゃんを救えるお医者さんが……ッ!」
真っすぐと、その宣言はさりなの胸に届いた。
自身を病魔から解放できる医師を見つけた。
その事実は既に諦観し、死を半ば受け入れていた彼女には衝撃的すぎるのか。さりなは十数秒間呆けていた。
しかし、ようやく呑みこめたのか、彼女の口からゆっくりと言葉が発せられる。
「―――せんせ、それほんと?」
「ああ、本当だ」
「―――嘘じゃないよね?」
「ああ、嘘じゃない」
「―――それじゃあ」
ぶわっ、とさりなの瞳から涙が溢れる。
「私、もっと生きられるの!?」
「ああ、その通りだ」
吾郎は安心させるように、再度力強く宣言する。
「またオムライス食べられるようになる……?」
「ああ、いくらでも食えるさ」
「またB小町のライブに行ける……?」
「ああ、行けるようになるさ」
「もしかして……アイドルにもなれる……!?」
「ああ、俺が推してやるさ」
「ッ!~~~~~~~ッ!!」
さりなは感極まり、吾郎の胸へと飛び込み嗚咽する。
涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を、力いっぱい擦りつけ、両手で吾郎を抱きしめる。
そんな彼女を、吾郎は嫌な顔一つせず受け入れ、ポンポンとあやすように頭を撫でていた。
◆
数分後。ようやく落ち着いたさりなは顔を真っ赤にしながら両手で顔を押さえていた。
なにせ、恥も外聞もなく大好きなせんせに泣いて抱き着き、涙と鼻水で白衣をグチャグチャにしたのだ。
我に返った彼女は、羞恥心から吾郎の顔をまともに見れなくなっていた。
「落ち着いたか?」
「……(コクリ)」
問いかけに、さりなは小さく頷く。
「それじゃあ、執刀医の先生を呼んでくる」
吾郎は立ち上がると、病室から退室する。
それを小さく開けた指の間から確認したさりなは、ようやく両手を膝に置けた。
(……せんせが見つけたお医者さんってどんな人なんだろう?)
そして、羞恥の思い出から逃げるように、さりなは謎の医師を推察した。
男?女?若い?年取ってる?
老若男女様々な医師象が頭を駆け巡る中、病室のドアから小さく声が漏れ聞こえてきた。
「申し訳あ―――――生。な―くお待た――てし―って」
「構――い。幼い――上で必―に―――き―――ろう。見――ケアだっ―ぞ」
せんせの声とは別の、男の人の声。
どうやらこの声の主が、私を治してくれるお医者さんらしい。
……男の人かぁ。どんな人なんだろう?
せんせみたいにカッコいい人なのかなぁ?それとも、この前テレビでみたヤクザみたいに厳つい人なのかなぁ?……もしかしたら太っちょかも?
様々な妄想が頭を駆け巡るが、ガラリとドアが開く音がきっかけでピタリと止むと同時に顔を押さえる。
コツコツコツ、とせんせとは別の足音が一人分聞こえる。どうやら、せんせは気を利かして病室の外にいるらしい。
ちょっと寂しいけど、それなら手をどけて見てもいいな。と感謝しながら、さりなは顔を上げる。
そして、絶句してしまった。
何故なら、その医師は180センチを超える長身で、筋肉ムキムキのマッチョマンで―――。
―――何より、時代にそぐわないであろうマントを羽織っていたからだ。
「初めまして。私の名前は神代一人。気軽にK先生、とでも呼んでくれ」
◆
K先生がやってきてからは、雪崩のように様々な出来事が私を襲った。
K先生から解説される治療方針、今までろくに見舞いにも来なかった両親の来訪、土下座して説得するせんせ、急に私に優しくなる両親、術前の検査etcetc……。
挙げればキリがないけど、その中でも一番印象に残っているのは麻酔から覚めた私を確認した両親と入れ違いにやってきたせんせの顔だ。
手術に立ち会い、K先生のオペが成功するのを間近で見てきたと言うのに、私が目覚めるまで気が気じゃなかったらしい。重圧から解放されて、心底ほっとした顔で泣いていたせんせの顔は、4年経った今でも鮮明に思い出せる。
ピロリン、と傍らに置いていたスマホに通知が届く。内容を確認すると、愛しのせんせからのメッセージだった。
『頑張れよ』
なんとも味気ない一言だ。きっと初めてのステージを前に緊張しているであろう私に気の利いたメッセージを送ろうとして、なにも思いつかなかった結果がこれなんだろう。
……でも、この一言で十分だった。つい先ほど激励しに来た両親の万の言葉より、私に活力を与えてくれた。
「よし!気合い入った!」
パン!と頬を叩き気合いを注入する。同時に、ステージの方からワッ!と歓声が聞こえてきた。どうやら、先輩方がステージに入場したようだ。
さぁーて、私の出番もすぐそこだ。水を一口含み、喉を潤してアーアーと軽く発声練習してからステージに向かう。
楽屋とステージの距離はさほど離れていない。5分もしないうちに、新メンバー加入という大イベントの為に特別にセットされた大道具の扉裏にセットできる。
その道中、すっ、と胸に手を当てる。緊張と武者震いが同時にやってきたせいか、衣装越しでも心臓がバクバク鳴り響いているのが確認できる。
……大丈夫。今日この日の為に、私は一生懸命努力してきたんだ。その成果を、ファンの人たちにお見せするんだ。
大きく深呼吸し、胸の高鳴りを落ち着かせる。
ーーーそして、その時はついにやってきた。
『それでは入場していただきましょう!
そして、炭ガスなどお構いなしに私はステージへと突撃し……
「みんな〜!今日は来てくれてありがとう〜〜〜!B小町の新メンバー、さりなで〜す!!」
満面の笑みで、アイドル人生の第一歩を踏み出した。
一応、アイ編も構想にあります。