私は病室に入るとコートをハンガーにかけ、 あいつの、やつれながらも美しい顔を見つめた。
そして隣にあった丸椅子に座り、 この世で何よりも愛しいものを眺めながら、持参したスポーツ飲料を飲んだ。
あいつは私が来たことに気づいて、少し目を開けた。あいつはにっこりと微笑み、
『ねえ、僕との子供が欲しいんでしょ』
そんな、あまりにも突拍子もないことをいった。
バカなことを言うなと私は言う。
『だって子供がいたら君も寂しくないでしょ。僕は君を残していくことだけが心残りなんだ。 せっかく僕は精錬潔白に生きてきたのに、僕を追って、君が死んでしまったらまるで僕が人殺しをしたみたいじゃないか。 そうしたら僕は殺人者だ。僕は君には死んでほしくないなぁ』
ひどいことを言う。こちらの気も知らずに。
『それか、僕のことを忘れて、自由になってよ。僕は自由をなくして初めて分かったよ。自由の本当の良さが! ね、君にも自由でいて欲しいんだ』
私は外にある銀杏の木を見ていた。
『一生のうちで人間が一番美しくなるのは死ぬ直前だよ。最後の言葉は考えてあるんだ。今は言わないけどね。ね、僕は元気だから、だから心配しないで』
初夏。お前は私にだけ見せる親しげな笑い方をして、 小さな声で言った。
『僕は君に会えて幸せだったよ』
夕日がなまめかしい頬を照らす。 顔色は元気な頃のあいつと変わらず、今にも動き出しそうだった。
拝啓
ぼくが初めて君と会ったのはいつだったっけ?
確か10年前じゃないかなぁ。早いものだね。
あの時はぼくは君をなんとも思ってなかったんだ。ただ、真面目なやつだなぁって、そう思ってた。
一緒に過ごしていくうちに、君は僕のことを好きなんだって、そう感じた。
けれども僕は、なんか特別扱いをしてくれるのが嬉しくて、ただ少し自分が偉くなったようなくらいの気分で、 僕は君を好きでも嫌いでも何でもなかったんだよ。
でも、君は、僕の気を引くために色んなことをしてきたよね。
僕はそれが嬉しかったり、ちょっと迷惑だったりしたんだ。
あのころの君は、中々いま思い出しても面白いね。
いつ頃からか、君は僕の血液のように(君の顔色はいつも青いけど……)、なくてはならない、僕の一部になっていた。
あの夜に、僕たちのしたことが次々と鮮やかに思い出されてきて、なんだろうね……。
あのとき見せた君の笑顔が、なんだかとても眩しく思えて、あなたが毎日気になって、とても心細くなった。
あなたは他の人みたいに、周りの目を気にせず、別に嫌われてもいいやって思ってるように見える。
そんなところが好きだったのかな。
僕は君がどんな風になったって、君を特別に思ってるよ。
別に年を取って、かっこいい人でなくなってもいいのです。
君は元気かな。
僕はきっと元気です。
拝啓
私は今、悲しくてしようがないんだよ。
悲しくて悲しくて、周りが全部敵のように思えるんだ。
世界が私を攻撃している。そんな風に思えるんだ。
この世に自分の幸福がもうないとわかって、この世界に生きる値打ちなんてない、そんな気持ちでずっといるんだ。
お前がいなくなって、 どんだけ忘れようと頑張ってみても、 お前の顔、声、言葉は僕の胸から一生消えはしないんだ。かっこ悪いかな。
この世界を生き抜くために一番大切なものは愛だよ。燃え上がるような愛だよ。
そのことがいまの私にはよくわかる。私は今、空っぽだ。
お前が憎い。お前がうらやましい。お前より先にいきたかった。
もう一度だけ会いたい。私はお前が、どうしようもなく好きなんだ。
お前の元へ行きたいと思っても お前の元はあまりに遠い。
ああ、お前との、子がほしい。