くそつよユーリ 作:Shrennewosukuitai
私の心には、時々声が語りかけてくる。
頭から、耳から、頬から、手から。祝福であり、呪いであるギフトが、決して離れる事がない。
私はそれらを無視していたけれど、心の奥底に深く突き刺さることもある。E.G.Oに比べたら、微々たる影響ではあるが、確実に私の心身は人間から遠ざかっていた。
恋人が、会いに来てくださいと囁く。魔弾が、撃鉄を起こそうと嘯く。青い星が、脈動しいつか帰るべき日が見える。
私は、誰だろう。自我を贈られる度に、己の自我が曖昧になる。私はユーリだっけ、いや、ユーリの皮を被った他人だっけ。身体中にまとわりつき、私はもう半分以上人間を辞めてしまっていた。
人を切っても、明日には忘れていられる。友が死んでも、涙は乾いて一粒も滴らない。無感情で、虚しいだけ。そんな私を人間と呼んで良いのだろうか。追憶すら薪に焚べて生きてきたが、もう疲れ切っていた。光になって消えてしまいたいと、私は何度か思ったけれど、それでも惰性だけで生きてきた。
貴賎なき生き方の代償は、既に支払われていたのだけれど。
初めは、何処にでもいる平凡な翼の市民の筈だった。支部で懸命に働き、死なないように努力して、同僚が死ねばわんわんと泣き叫び、朝の体操を嗜んで、傷に喘ぎ、ささやかな幸福を享受する、そんな生活だった。
支部で三ヶ月か四ヶ月ほど働いて、漸く幻想体との付き合い方も理解できた頃に、私は本社に引き抜かれた。重大な収容違反が発生したらしく、人員補完の一環として各支部の職員が、本社勤めとなった。
通知書が来た時に、私はどんな顔をしていたのだろう。絶望に染まったのか、それともただ受け入れたのか。
ただ、人生の終わりが近づく怖気が、身を震わせた。それから先は、覚えていない。次の記憶は、管理人、Xとの挨拶から始まった。
彼の声は落ち着いていて、所々戸惑いが混じる、初々しい感じだった。彼の指示に従い、たった一つの罪と数百もの善へと洞察作業を行なった。私の罪を厳正に審査する、心の内を見透かされているようで、私は罪善さんが苦手だった。
初めの一日は、それで終わった。それからは、苦痛と苦難に満ち溢れた生活が始まったのだ。最初の四日の内に雇用された職員で、50日まで生き残った職員は、私とジョシュアと、ウサギマフィンしかいない。
生き残れた要因は、朧げで掠れきった管理人としての記憶のお陰だった。してはいけないことの記憶が強烈にこびりついて離れない故に、私はしぶとく生き残り続けた。
いや、きっと幾多の死を経験した筈だ。管理人のお気に入りだったのか、それとも飛び抜けて有能な職員だと思われたのだろうか。私が死ねば、TT2が巡り巡ったのだろう。
戦って、切り裂いて、生き残って。死線を潜り抜ける度に、私の体は幻想へと近づいたような気がする。ビナー様に言われた忠告が、酷く脳に染み込んだ。
ユーリという色は、既に汚されて、ミルクと砂糖を飽和まで注ぎ込んだ下衆な紅茶と同じだと。そう貶された。
それは事実故に否定できず、私の心を燻り続けた。血には血を、骨には骨をと、E.G.Oを巧みに操り、身体の一部として扱って来た。
心寄り添い、しかし一線を画さず。綱渡りのような扱いを続けたせいで、わたしはアブノーマリティ達の異常な心に共感を抱ける、本物の人外への心へと変貌してしまったのだ。
人間のフリをした、穢れた存在。そう思ったし、そう罵られた事もある。罵った彼女は、翌日案山子に脳を吸い取られ死んだ。私は死に対して何の感情も抱けずに、ただ受け入れて、忘れ去った。
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剣を握り締め、肉で唇を湿らせ、血で喉を潤す。赤髪を、紅色へと染色させる、べとべとと、香ばしい血の匂いに、歓喜で鳥達が鳴いて止まらない。筋肉の束を切り裂くたびに、心が狂喜で揺れている気がする。私って、こんなに本能に偏重していただろうか。
終末カレンダーは、生贄がなければ部門全体に損害をもたらす危険なHEクラスだが、態々贄を作り出す奇妙な一面をあった。定期的に適性がある職員が採血するか、特殊能力によって発生する下位幻想体を捧げて管理していた覚えがある。囚人達を捧げるのは、私の道徳規範に触れそうなので、土偶を捧げる事にした。
「予定通り、本体は引き受けます。土偶を瀕死に追いやってください、生贄には土偶が最適でしょうから。」
終末と終末がぶつかり合い、激突するが、どちらが勝利するかは明白だった。心に黒い森の空を浮かばせ、公平に、凡ゆる種類の罪を裁く。天秤にカレンダーを載せて、罪の重さで奴を審判する。
筋肉の束で構成された長腕を傷つけ、破壊する。カレンダーは、怒りを増したようだ。予定道通り、土偶を捧げる時だ。囚人イサンが土偶を引きずり、カレンダーの眼前へと投げ出せば、土偶はぴくりと苦しみ蠢いて、それから筋肉が発火し、肉が焦げる特有の匂いを感じさせて、最後は灰になって頭蓋だけが残った。
生贄を捧げた影響で確かに激化した攻撃に緩みと隙が見え始める、それを逃す私ではない。双腕の叩き付けをスライディングで躱し、そのまま体制を立て直し、顔面に向かって黄昏を躊躇なく突き刺して、剣を支えとして蹴りで遠ざかる。
カレンダーは悲鳴とも言えぬ鈍い振動音で悲鳴を上げて、全身を赤熱させる。周囲の温度が10度以上上昇し、焼死しそうなほどの熱を半径50Mへ解き放った。羽は焦げ、髪はちりちりと焼けている。ぶわっと全身から汗が吹き出し、額から床へとぽたぽたと垂れ落ちる。冷たい心を持つ人が必要だ。
それでも、事前に始末しておいた土偶が役に立った。土は冷たく、大地を冷やすものだ。囚人ホンルが足を一歩踏み出して、土偶を抱きかかえると、膝をつき、カレンダーへ向けて捧げる体制を取った。土偶は先程と同様、薪としての役割を存分に果たし、灰だけが残った。
急激に気温が下がり、先程の熱は幻のように消え去ったが、それでも滴り落ちた汗が熱の存在を証明していた。呆けている場合ではない、剣を心のゆくままに振り回す時間だ。
硬い石を裂くのではなく、たもとの柔らかい肉を裂く。切っても切っても脈動し肉が虚空から補完されたが、それでも再生速度は徐々に下がっていた。そして、最後の悪足掻きか、本能が拒絶する、彩芽色と金色が混じったエネルギーを貯めこんでいた。
当たれば、きっと無事では済まない、だから、光線が発射する前に近付き、黄昏で仕留めてしまおうと思ったのだが、常に思惑通りに物事が進むわけなかった。他を滑るように疾走し、その醜いデザインを細切れに変えようと剣を振るったのがまずかった。剣を振れば、軌道は途中で変わらない。スローモーションで流れゆく視界は、剣がカレンダーを仕留める前に、光で覆われた。
それは、白夜とも似ていた。本社から逃げ出した時に、世界中に光が降り注いで、触れられない雪の様に、種が植え付けられた事を覚えている。久々の地上の空気と、空を眺める人々の姿が目に焼き付いて離れなかった。
「うぐっぅぁあ”あ”あぁ!」
獣のような唸り声を上げて、全身の神経が焼き切れるほどの痛みを味わう。ぷす、ぷすと指が一部炭化して、動かない。それでも、剣は手放さずに、床を這いずり回ってでも近付いて、覚束ない足で立ち上がり、千鳥足のようにふらふらと歩いて、黄昏を正眼構えで振り回した。ぐるぐる廻る視界の中で、カレンダーが卵の形態に縮小してゆくのが見える。思わず、大剣を支えに、膝をついてしまう。隙を晒してはいけないのに。
「うぅ...けほっ、けほっ。」
心配そうに駆け寄る囚人達の足音が聞こえる、どうやら耳は生きているようだ。無理をした、油断した。見栄を張らないで、アレックスの言うことを素直に聞いておくべきだったかな。
手足が痺れて、調子が悪い。
「心配させないでください、消し炭になったかと思いましたよ。動かないで、今手当します。」
塗り薬を取り出して、私に塗りたくるイシュメールの気遣いが、身に沁み込んだ。ただ、それ以上の処置は要らなかった。左手で制して、もう大丈夫ですと立ち上がる。腕の一本や二本が消失するよりは、遥かにましな怪我だったから。このくらいなら勝手に治る。
「けほっ、大丈夫です。先を急ぎましょう。」
カレンダーの死骸を横目に、私は足を動かした。歩きながら、囚人達に心配されたが、別に心配するようなことはなかった。
「おい、どうなってる?あれだけの攻撃を受けたのに、全然堪えてないどころか傷が治っているじゃねぇか。同じ人間とは思えねぇよ。」
ヒースクリフの疑問も最もで、痛めた喉元を抑え、ゆっくりと回答した。
「ギフトのせいです。私の胸元に引っ付いてる小石、これは幻想体の自我のカケラです。徐々に傷を修復する効果があるんですよ。」
囚人一同は驚嘆の表情に再び包まれ、ギフトを羨む視線を向けてきた。傷が治るだけならどれだけよかったか、取り外せるなら今すぐにでも外したかった。
「傷が治ったり、身体能力が向上する代わりに、ギフトの数だけ幻想体に近付きますよ。頭のキャンドルも、眼帯も、首掛けの煙管も、羽も全部ギフトです。人間を卒業したくないなら、貰わないほうがよろしいかと。」
片足どころか、両足を突っ込んでいますよと苦笑いを浮かべた所で、会話は打ち切られた。シンクレアの怯えと憐憫が入り混じった目が忘れられない、でも、彼が根が優しい子だとは理解していたから、何も言わなかった。
かつ、かつ、かつ。囚人達は足取りを速め、遂に第三層へと続く階段へたどり着いた。
「この階段を下りれば、第三層です。やっと黄金の枝の輝きが見えてきましたね、行きましょう。」
これで三度目の正直と言ったところか、奥に進めば進むほど、空気はどんどん濁り重くなる。カビた布切れや、ウジ虫達の喧騒が一層激しくなり、生理的不快感を発生させる。グレゴールもうんざりしているようだ。
「この階層には他のに比べてウジ虫がかなりいるね。」
<いっその虫のほうがマシだよ、前の階層にいた幻想体とかもう二度と見たくない。>
「ぷっ。...それグレッグが聞いたら喜びそう。ね、油虫君?」
ロージャとグレゴールは犬猿の仲に見せかけて、実は良いコンビに見える。揶揄うが、一線を越えることはしないロージャと、無難な反応を返すグレゴールは相性が良さそうだ。傍から見た感想ではあるけど。
しかしグレゴールは話を聞いていなかった。肩をびくりと震わせ、左手で右腕をさすり、キョロキョロと辺りを見回す。
「みんな、さっきから何か聞こえないか?」
私には、何も聞こえなかった。虫達の合唱だけ。ならば、耳ではなく、心で音を感じ取らねばならない。グレゴールの過去を思い返す、煙の記憶。ロボトミーの成り立ちを考えれば、なるほど、確かに聞こえてくる、戦場の怒号が。
「音ならずっと聞こえてたじゃないですか、ロージャさんはこの状況でもお腹が空くんですか?」
「そ、そういうのは聞かなかったフリをしてあげるもんだよ~、ね。」
他の囚人達は呑気に談話していたけど、私は苦しかった。他人の心とトラウマに触れて、共感できるから。一方的なそれは、理解される必要はなかった。
グレゴールが取り憑かれた様に、ふらふらと。しかし決意を固めた表情で、幻想体隔離室の扉を開いた。実際、この先に枝があるか化け物がでるかは彼次第だから、私は右手の剣に意識を向けた。
「まるで…あの時みたいに…。」
扉開けば、そこには溢れんばかりの眩い光を解き放ち黄金に光り輝く、ロボトミーの核心が存在した。しかし、それは束の間の幻影だった。
視界が180度反転し、煙と硝煙、そして血の匂いと怒号が溢れる場所へ、瞬きする間に変貌していたのだ。
空を眺めて、理解する。彼の心は、いまだに戦場へと取り残されているのだと。
わァ...ぁ...ニンゲンやめちゃった...