The Reverberation   作:ささみささじ

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サレムカルテットⅠ 「キレイな未来を信じてた」 メイクデビュー

 

 サレムカルテットの心は常に奏でている。

 心音はメトロノーム。血流はチェロ。自身の思考は歌唱。

 その日の気分で、サレムカルテットの奏でる音楽は変わる。今日は偶々その組み合わせだった。

 

 いや、メイクデビューという日だからこそ、チェロを手に取ったのかもしれない。奏でられる弦の音と彼女のみぞ知る。

 そして、その低く響く幻想的な音色は、彼女の気迫となって滲み出ていた。

 

 パドックでも、サレムカルテットは当然のように観客選手問わず注目を集めた。恐れ、期待、あるいは"勝って当たり前"。様々な視線と感情の濁流に自身の小さな身体が押し潰されそうになるも、彼女はそれに身を委ねていた。

 

 サレムカルテットは、アピールとして、指揮者の如き一礼をした。

 一瞬だけ、喧騒が遠のいた。唾を飲み込む音すら聞こえる気がした。

 

 この程度のプレッシャーで音を上げる身体ならば、そこまでだと、サレムカルテットは心の中で呟いた。

 諦めている訳では決して無い。けれど、彼女は自身の()()に対して、非常に淡白だった。

 

 サレムカルテット自身を除く七人のほとんどが、彼女の気迫に当てられて僅かに浮足立っている。

 ひとりだけ、すこしわくわくしているように、サレムカルテットには見えた。

 

 メイクデビュー、東京芝1600m。始発点であるが、クラシック三冠までの通過点に過ぎないし、此処で勝つには、此処までに何を積み上げてきたかが問われる。

 勝っても負けても、これからも、変わることはない。

 

 パドックを終えて、皆順に芝の上へ移動していく。

 ストレッチを始める者、芝の感触を確かめる者、軽く走り始める者、恐怖と期待を胸に、8人のウマ娘達が揃った。

 

 血が騒いだかのようにそわそわして、周りを見る余裕が無いウマ娘がいる。勿論、ホワイトデューだった。

 心中穏やかなわけがない。

 出来ることを全部したか、と訊かれると、答えはいつもの如くノーだった。あれもこれも足りないと挙げたらキリがない。しかしながら、本番はやってきてしまう。

 歯痒く思いながら、ホワイトデューはゲートを睨みつけた。

 

 ようやく自分の速度を測るということについて慣れてきたが、ちょっと集中が途切れると途端に分からなくなる。スタミナはトレーニングを始める前と比べると幾らか増えたとはいえ、十全とは言い難い。スタートダッシュの成功率も決して高いとは言えない。

 それでもホワイトデューは、無意識の内に、少しだけ口角を上げて笑っていた。

 

 一枠二番、白ゼッケン。天気は晴れの良馬場。暑いのが玉に瑕だが、気持ちよく疾走るのにはもってこいの条件だ。

 

 暗く狭いゲートの中に入って一息。

 ホワイトデューにとって、ゲートは未だ慣れることが出来ない障害であった。

 他のウマ娘達のように、落ち着けなくなるわけではない。むしろその真逆、過集中とも言うべき、度を過ぎた視野狭窄。つまり、スイッチが入り過ぎる。

 

 ガタンと爆音を撒き散らし、ゲートが開く。疎らにだが、ゲートから弾かれるようにウマ娘達が飛び出していく。

 その衝撃はホワイトデューの神経を削ぐに余りあるほどの大きさで、やはりというべきか、不利な状況でよくぞというべきか。スタートダッシュはまずまずの出来だった。彼女のトレーナーが見たら赤点だと評価するだろう。

 そして、そのスタートダッシュの勢いを殺すことなく、少し無理して前へ出て、ようやくなんとかハナを取ることが出来た。

 つまり、ホワイトテューが採ったのは逃げであった。逃亡者と呼ばれる類の大逃げではなく、自身がペースメーカーとして振る舞い惑わす逃げ。

 他の逃げを選んだウマ娘はホワイトデューの後ろに付くことを選んだ。

 

 ホワイトデューは少し息を整えて、体内時計を整え始める。逃げを選ぶのであれば、後先構わず前へ進むことを選ばなければ、今の自分の速度とスタミナの消耗度合を比較することがいずれ必要になってくる。

 さらに、他の逃げウマ娘や、先行を選びプレッシャーを掛けてくるウマ娘達との競り合いも考慮に入れなければならないが、そのあたりの図太さと芯の強さはホワイトデューは現状でも十分である……筈だった。

 

 

 四枠八番といえども、大外枠からの出走になったことを、サレムカルテットは歯痒く思った。幾ら最後尾から追い抜くからと言っても、大外では走る距離が長くなる。スタミナに問題である訳では無い。

 負ける要素はひとつを除いてない。サレムカルテットと、そのトレーナーはそう確信していたが、今後の為にも少しでも走る距離を短くしたかった。

 ゆっくりと、しかし着実に、前に進む。脚を前に進める。だんだん速く。

 

 

 残り400mに差し掛かるかとところで、背後でなにかが動いたのを、ホワイトデューは感じた。

 この瞬間に掛かるウマ娘がちらほらと居た。スパートするには早い。がしかしそうせざるを得ないと判断するなにかが、動き始めた、……否、演奏が始まったのだった。

 

 その旋律は、静けさと物悲しさと以て美しく立ち上がり、暴風雨となりて背後から襲いかかる。

 ぶわりと汗が吹き出る。後ろを見て、ホワイトデューは理解した。

 金にも見える栗毛、サレムカルテット。その影の猛追を。

 

 風に乗る音の様に。それは迫る。そして、抗する暇もなく抜き去っていった。誰も足を止めている訳では無かった。それなのに、サレムカルテットは、誰の足掻きも意に介すことなく、あっという間にハナを掻っ攫っていった。

 

 内側を綺麗に抜かれたホワイトデューは、一瞬呆けていた。

 抜かれて安心した?――違う。

 足音が近づくのに恐怖した?――違う。

 

 なら、この震えは何?この鳥肌は?自問自答して、眼を剝いて、サレムカルテットを見て、漸く理解した。

 

 一歩前と完璧な線対称を描く、絵画の如き美麗な疾走り。自身の実力を理解した上での完璧なコース取り。全てを掌握した上での自分の為だけの速度。ホワイトデューにとって、前を疾走るウマ娘の全てを理解できるわけではなかったけれど、感嘆するほどに綺麗であることはわかった。

 そして、あの疾走りに勝ちたいと思った。

 それを認識した瞬間に、自分の全身の毛が逆立ち、自分が今迄疾走ってきたどんなときよりも高揚しているのを、ホワイトは理解した。

 

 彼我の差は恐ろしいほどに歴然であった。

 ここで全てを擲っても幾らか着差が狭まるだけで、覆ることはない。

 

 それでも、……それでも、――それでも!!

 

「――届かなくても、喰らい付いてやる!」

 

 声に出たかどうかは誰にもわからない。けれど、ホワイトの気迫が膨れ上がったのを感づいたカルテットはちらりとホワイトの表情を確認し、彼女と視線が一瞬交錯し、そして驚いた。

 

 嘗ての怪物(スーパーカー)のように、疾走りで心を手折る程の実力差があった。そして、悲願の為ならば手折ることも辞さない覚悟すら、サレムカルテットにはあった。

 しかし、そこいるのは心を手折られたウマ娘ではなく、鬼気迫るほどの笑みを顕わにした白い獣が速度を上げてきているのだ。

 

 サレムカルテットは、速度を更に上げたい気持ちをぐっと堪えて、疾走り続けた。

 ホワイトデューは完全に会得したわけではない逃げを使って此処まで疾走り、その上で追いつこうとするも既に最高速度に達している。

 大勢は既に決まっている。精々大差が8馬身程度になるぐらいだ。

 

 

 

 

 サレムカルテットがゴールした後も、ホワイトデューが速度を落とすことはなかった。

 

 ホワイトデューは疲労困憊の身体を引き摺って、既に息を整えたサレムカルテットの前に立った。

 

「……ええと、サレムカルテットさん、凄いですね!どうやって、いや違うな――、()()()()()()()疾走っているんですか?」

 

 肩で息をしながらも、目を輝かせてホワイトデューはサレムカルテットに問い詰めた。この目の前の芦毛のウマ娘からは、先程の猛獣の如き気配が露ほども感じられない。同一人物かどうか疑ってしまうほどに。

 サレムカルテットは少し困惑の色を滲ませながら、ゆっくりと答えた。

 

「沢山、足は此処まで上げるとか、角度はこれだけとか、テンポはどれぐらいとか、……とにかく沢山、かな。」

「後日コツとか聞きに行っても良いですか?!確かお隣のクラスでしたよね!」

「大体、空いてる音楽室のどれかにいるから、そっちを探してもらうほうがいいかも。――また会えたらお話しよう。」

 

 今日ずっと仏頂面だったサレムカルテットは、ようやく表情を綻ばせた。




サレムカルテット
 比較的新興な良家のサレムという家の音楽大好きウマ娘。
 ある日はピアノ、ある日はヴァイオリン、トランペット、果てはエレキギターにドラムまで。音楽室に行けば彼女が何かしらを奏でている。
 実力はかなりのもので、その分掛けられる期待も大きいけれど……。




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