この世界には、鬼姫と呼ばれる剣士がいる。
鬼姫の森、と呼ばれる、立ち入れば命を落とすと言われる場所に住処を構え、滅多に人前に姿を表すことがないらしい。
この世界には、鬼姫と呼ばれる剣士がいる。
その鬼姫の森からは、日が傾く頃にとてつもなく大きな地響きが轟く。その地響きを合図に、仕事を終える連中も多いらしい。
この世界には、鬼姫と呼ばれる剣士がいる。
書物に残る記録では、その歴史は4000年も前に遡る。過去に存在したハイネケン王国。その石碑に『王、鬼姫と対峙す。…汝ら、…決して敵対することなかれ』と、書いてあったことが最近判明したらしい。
この世界には、鬼姫と呼ばれる剣士がいる。
ハイネケン王国の国宝、紅の宝珠、銀の命糸、恒久の腕輪、智見の足輪、そして夜見の耳飾りを纏い、美しい肢体を惜しげもなく曝す美姫であるという話だ。
そして何より。彼女の腰まで届くような銀の髪、金色の瞳。その姿はまるで妖精のようだと言う。彼女を手に入れようと鬼姫の森に軍を送った王も居るらしいが、翌日には国がなくなっていたという伝承もある。
この世界には、鬼姫と呼ばれる剣士がいる。
それだけ美しい癖に。腰には100サンチはあろうかという、長竿と見間違わんばかりの剣を携えている。
この世界には、鬼姫と呼ばれる剣士がいる。
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居合術。極めればどこまでも速く動ける必殺の一撃。ロマンの一撃。
私は以前からそれに憧れていた。憧れに憧れ、ただその一打のために剣を振るった。
決意を、覚悟を決めて魔獣が闊歩する『死地の森』へと足を踏み入れ、ただただ剣を振り、命を狩り、命を繋ぐ日々。
手にするのは無銘の野太刀。3尺3寸。家族が死別の証として家宝を譲ってくれた。剣に決意を込めた馬鹿に、よく、良いものを贈ってくれたと思う。
抜刀。正眼。振り上げ、振り下ろし、切り上げ、袈裟斬り、逆袈裟斬り、そして突く。基本を愚直にこなす日々。
ただ。残念なことに私はそもそも居合というか、剣の才能は無かった。
1年、2年、5年、10年、15年、30年も、40年もただただ真剣を振り続けた日々だったけれど、ついぞその芽が出ることはなく。
ならば、80年、160年、320年、640年、1280年。加速度的に毎日毎日剣を振り続けた。気づけば積み重ねた刃は、2メートルはあろうかという巨木を一撃で消し飛ばす程度には鋭さを増していた。だが、まだまだ足りない。そうやって自分を追い込むさなか、私は好敵手と出会うことも出来た。
「…ヴ」
「…ん」
デカイ熊。出会いは最悪。私がクマを食料として採取したときに、こんちくしょうとばかりに襲いかかってきたのだ。しかし、その頃には居合も1つ型になり、並のクマであれば一撃でケリが着いていた。だが、ヤツと私は気づけば打ち合い、互いの肉を喰らいあい、そして、楽しんでいた。
伝わってきたのだ。やつの刃と交わる瞬間。『ああ、楽しい』と。
そう感じた我々は、同時に飛び退いた。互いに必殺の間合い。私は刀を鞘に戻す。やつは、爪を隠す。そしてお互いに自然体。一瞬の静寂。風がなびき、水がどこかで流れている。木々がざわめき、草たちが騒ぎ出す。そして。
刀に手をやる。脱力した体から、我ながら惚れ惚れするようなスピードでもって相手に肉薄し、相手も惚れ惚れするような速度で私に肉薄し。
ガツン、と違いの刃が交わった。
『やるなお前』
『やるね、あなた』
言葉は判らない。でも、伝わる物がある。私の野太刀は無銘。神仏に捧げられたそれは、神の加護のお陰なのか刃こぼれ1つしていない。ヤツの爪には僅かな傷がついている。どうやら、今日の勝負は私の勝ちらしい。
「ヴ」
視線を一度こっちにやって、ヤツは背中を向けて森の中へ消えていく。その背中を追うことはしない。どうせ、明日もここに来るのだろうから。長年この森にいて、たいがいの魔獣を真っ二つに出来る私の剣で切れない相手。やつからしてみても、自分の爪で殺せぬ相手。お互いがお互いを殺したい。お互いがお互いの刃を認めている。実に良い関係だと思う。
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水の音と、ガアガアという鳥の声で目が覚める。奴が鳴くのはいつも同じ時間。冬でも夏でもお構いなしだ。だからこそ、規則正しい生活が出来ているから感謝はしている。
「さて」
1000年という時間は、亜人である私にとっては一瞬の出来事。この1000年の時間で、人間の国は何度も滅び、作られ、滅び、作られ。今はハイネケン王国という国が世界を治めている。この『死地の森』にも時折軍隊を送り、その領土を増やそうとする野心あふれる国だが、しかし、まいどまいど魔獣に追いやられて領土なんか広げられちゃいない。
「ふう」
息を吐き、身支度を整える。とはいっても、簡素な肌着だ。胸には一枚の布を当て、揺れないようにだけ背中でキツめに縛る。下はなくても良いのだが、親に散々言われた習慣は1000年たっても抜けないもので、腰の両端で布を結び恥部を隠す。素足だが、特に問題はない。髪の毛が少々邪魔だが、切っている暇もなし。
「まずい」
そしてそこらへんに生っている木の実を食らう。ピリリと口に来るから、毒の実だとわかる。だが亜人である私には意味がない。ただ、栄養は有るようで食うたびに力がみなぎってくる。その勢いのまま、無銘の野太刀、三尺三寸を佩く。右利きだから左の腰に佩く。帯は仕留めた獣のなめし革だ。先の毒の実を革に塗り込むと良い色合いになる。
「ふっ!」
試しに抜刀。遅い。佩いた位置が少し前過ぎたかもしれない、位置をズラしてもう一度。
「はっ」
腰で抜く。そのまま正眼に構え、上から振り下ろし、瞬間切り上げる。うん。ひとまずは思い通り。では、ここから1万回の素振りを行うとしよう。その後は突いて、薙いで、袈裟斬り。足さばきと、体捌きと、握りを意識しながら。振り下ろす時は一瞬脱力してから、踏み込み、その勢いを筋肉で上半身に伝え、すべての捻りを、勢いを、指に持っていく。
「ぜあっ!」
ドン、と音が通り過ぎる。更にもう一歩踏み込み、左肩を入れるように切り上げる。うん。悪くない。今日も思い通りに体が動く。ヤツとの対話は太陽が天を跨いだ時。さあ、それまでに鍛錬を終わらせ、飯を食うとしよう。