マイネン達、追撃部隊は古都を部下に任せ、川沿いを遡上していく。先頭を剣姫、殿を生き字引。そして、間にマイネンら人間が4人。順調に足が進み、泉まであと半分までいったあたりで、剣姫が異変に気づいた。
「…これは。マイネン様」
しゃがみ込み、地面を確認する剣姫。マイネン達は何事かと近寄る。すると、そこにあったのは乾きかけていた血液そのものだった。しかも、数か所に大きな痕跡が残っている。
「新しいな。どうみる、マッケイ」
「は、少々お待ちを」
マッケイは懐から小瓶を取り出し、その液体に小瓶の中身をふりかけた。すると、液体がほんのりと光を帯びる。
「…これは、間違いなく人の物かと」
「まことか。となれば…」
「賊で間違いはないかと存じます」
マッケイは深く頷いた。そして、今度はルドネルとドネルが、腰に吊り下げていた宝石を翳す。すると、2人が手に持つその宝石が、それぞれ赤く光っていた。
「ふむ。この血液は、副長の腹心の血液ですね。ドネル、そちらは」
「こちらも同じだ。逃げた2名の血が混じり合ってるな。となると、亜人剣姫の言う通り、ここで何者かに襲われたと考えるのが自然だな」
ドネル、そしてルドネルは宝石をマイネンへと掲げていた。
「そうか。となると剣姫。お前の予想では、狼に殺されてしまっているということだったが」
「はい。状況はまさにそれを示していると思います」
「生き字引。お前はどう思う」
「はい。同じく。ですが、衣類を含めてなにもない事を考慮しますと…おそらく、逃げたか、巣にでも持ち帰られた、と考えるのが通りかと」
マイネンは眉間にしわを寄せた。川沿いに血痕。だが、賊は居ない。逃げたとなれば、この森の中に賊がいるということになる。探すのは容易ではない。もし、巣に持ちされらたと考えても、この亜人が勝つのは難しいと言うほどの魔獣がいる巣だ。不用意に踏み込むのもまた危険だ。
「そうか。…生き字引。まずは、周囲を調べろ。特に、血痕の行方を確実に見つけ出せ。ドネル、ルドネル、剣姫と共に行け。私とマッケイ、そして生き字引は状況を整理する」
「はい。畏まりました。参りましょう。ドネル様、ルドネル様」
周辺探索に出る亜人と、部下の背を送りながら、マイネンは再び地面を見る。
「生き字引。この出血量、どう見る?」
「はい。…そうですな。2人分だとしても、どう見ても致死量に見えますな。マッケイ様はどう見ておりますかな?」
「お前と同じだ。致死量だな。いや、2人分だとしても多すぎる。むしろ、3人分とも言えるほどの出血量だ。生き字引、どうだ?」
「…言われてみれば。こちらの血溜まり、そして、こちらの血溜まり…」
生き字引は、血溜まりを見ながらも、眉間にしわを寄せた。そして、顎に手を当てながら考える素振りを見せている。
「…3人分。確かに言われてみればその通りですな。マイネン様。賊の人数は、3人でしたか」
「ああ。ということは、賊は、ここで殺されていると考えるのが」
マイネン、生き字引、マッケイはお互いに顔を見合わせ頷いた。そして、確認するように生き字引が言葉を投げる。
「はい。自然でしょうな」
「そうか」
「はい。まぁ、確証を得るためにも、剣姫達の探索を待ったほうが吉でしょうな。これだけの出血、移動したとなれば血痕を残さないほうが難しいというもの。それに」
生き字引は周囲をゆったりと見回す。血痕以外、特に何もないこの場所を。
「装飾品の類がないというのがどうも気になりますな。この森の魔獣は、肉にこそ興味あれど、物には興味がありません故に」
「そうか。生き字引。マッケイ。ひとまずは剣姫たちが戻るまで、一時休養だ」
「はい。承りました。では、周囲の警戒はお任せあれ」
「マイネン様、では、少々食事の用意を致します」
マッケイは背負っていた大きな荷物を地面においた。そして、封を切り、その中からいくつかの調理道具と、食材をテキパキと揃え始める。
「任せた」
マイネンはそれを尻目に、改めて周囲へと目を配らせる。あるのは血液の痕跡のみ。周囲の木には特に傷などはなく、どうも争った跡はない。ただ、気になることが1つ。
「…獣道はある、か」
木の間。進行方向に少しだけ草が潰されたような跡がある。もしかすると、あちらの方に逃げたのかそれとも、連れさられたのかと考えたが、首を横に振った。血痕が1つもない。
「やはり情報が少ない。ここは、焦っては駄目だな」
そう言いながら、マイネンは天を仰いだ。古都を出発してからすでに数時間。陽は、徐々に傾き始めていた。
■
探索から戻った剣姫、ドネル、ルドネルは、納得のいかない顔をしながらマイネンに報告を行った。どうも、血痕はこの場所だけにある。そして、装飾品などの人の痕跡は一切無かったと。
「…血痕のみ、か。剣姫」
「はい。周囲、出来る限りの探索を行いましたが、ひとの痕跡はどこにも。ドネル様、ルドネル様にご協力頂き、宝珠による探索も致しましたが…」
「特に、反応はなし、か。ドネル」
ドネルは一歩前に出る。そして、宝珠をマイネンに掲げながら、真顔でこう告げた。
「は。確かに亜人剣姫の言う通りです。周囲に血液の反応は一切無い。この場所を起点に一周、円を書くように宝珠で調べ尽くしましたが…反応がない。私個人の意見ですが、地上を動いたと考えるのは不自然です」
「地上を運ばれていない、ということか?」
「は。例えばの話ですが。装飾品ごと腹の中と考えれば1つ、辻褄は合います」
「腹の中か。確かにそれも考えられるな。剣姫。どうだ?」
首を横に振りながら、剣姫は眉間にしわを寄せた。
「はい。僭越ながら良いですか?それは有り得ないですよ。私の知る限り、この森の魔獣は肉は喰らいますが、物は喰いません」
「そうか。ルドネルはどう見る?」
「ドネルと同じ意見です。装備品ごと腹の中と見ます。…ああ、ただ」
「ただ?」
「これだけ剣姫と生き字引が否定している事が起こるのか、という疑問も浮かびます。そこで、1つ、突拍子も無い事を申し上げても?」
「かまわん。言ってみろ」
ルドネルは、少し、考える素振りを見せた後、右手の人差し指を上に向けた。
「空、という線は考えられませんか?」
「空」
マイネンは天を見上げた。雲ひとつのない星空だ。星がまたたき、月が大きく光り輝き、その月の中に、小さな鳥が飛んでいる。
「剣姫、生き字引。空の線はどうなのだ?」
眉間にしわを寄せながら発せられたマイネンの言葉に、生き字引と剣姫も天を見上げた。
「はい。確かにその可能性もありますが。ただ、人を空に持ち上げられる魔獣となりますと、心当たりは1つだけです」
「答えよ」
「はい。鴉です。我々がミムズビと呼んでいる大鴉の魔獣は確かに空から人を襲います。ただ」
「ただ?」
「はい。その鴉は強靭な爪でたちまち人を掻っ攫うので、血痕は残らないはずなのです」
マイネンの眉間の皺が更に深くなる。そういうことならば、鴉の線は薄いのか。どういう事だ。もしかして、隣国の間者による工作の可能性もあるのか?思考がぐるぐると回る。それに釣られるように、月の中に飛んでいた鳥が、ぐるぐると回る。回って、回って…。
「…ん!?」
最初に異変に気づいたのは、月をよく見ていたマイネンだ。コトリ、かと思っていた影が、一気に此方に迫っている感覚が襲ってきた。
「剣姫。月を見ろ!」
その言葉に、剣姫は月を凝視する。刹那、その顔に焦りが張り付いた。
「はい。あれは…大鴉!?まずい、こっちに一直線に来ている!マイネン殿は私の後ろへ!」
「く!任せたぞ、剣姫!生き字引!」
「はい。お任せあれ!ルドネル様、マッケイ様、ドネル様はこの後ろへ!」
「ああ!頼むぞあ」
マッケイの言葉が途切れた。剣姫と生き字引が後ろを見てみれば、そこにあったのは変わり果てた3つの肉の塊だった。そして、それを咥える黒き狼の姿が、暗闇にぼんやりと浮かび上がる。
「なっ!大狼!まずいですぞ剣姫!」
「挟撃か!マイネン殿、間に!」
マイネンを守るように魔獣に相対する亜人。そして、呼吸を合わせるように、同時に足を踏み出した。
「セイヤッ!」
「ゼェイ!」
剣姫の剣は、鴉へと。生き字引の剣は狼へと迫っていく。
「ヤッ!」
振り下ろした刀を、鴉は一歩足を下げて避ける。と、次の瞬間にはその返し剣が鴉の頭に迫る。
「ガアア!」
鋭く鳴いた鴉が、その嘴でその剣を弾き飛ばす。そして、その後ろでは狼の爪を弾き飛ばす生き字引の姿があった。
「ゼェイ!」
弾き飛ばした爪を叩き斬ろうと、大げさに刀を振り下ろす生き字引であるが、甘いと言わんばかりに腹に蹴りを受けて、横薙ぎに吹き飛ばされる。
「ガウ」
「ぐはっ!?ええい、さすが狼!だが、この程度の傷であれば!」
生き字引と剣姫は、一進一退の剣戟を繰り広げる。鴉と狼だけであれば、きっとマイネンの逃げる隙も作れたことであろう。だが。
「ワゥオオオオオオオオ!」
狼が遠吠えを思い切り鳴いた。まずいぞと、剣姫と生き字引は苦い顔を浮かべる。
「ち、仲間を呼びましたな」
「間違いないですね。白が来るのも時間の問題かと」
「ええ。それに、この血痕の状況が理解できました。賊も、このように挟撃にあったと見て間違いはないでしょうね」
「そうでしょうな。我々とて苦戦するこの相手。ただの人間の賊には辛かったでしょうなぁ!」
じり、と鴉、そして黒狼が少しずつ間を詰める。カチリと、剣姫と生き字引も体に力を入れる。
「マイネン様、その場を動きませんよう」
「ああ。頼むぞ、剣姫、生き字引」
「はい。この身に変えても、必ずやお守り致します」
「はい。お任せくだされ。切り抜けて見せましょうぞ」
じり、じりとお互いの殺気が、場を支配していく。一触即発。だが、どちらも引く気がない。彼らにとっての長い夜は、まだ始まったばかりだ。
■
惰眠を貪るとはまさにこのこと。至福、至福。クマと大狼に挟まれてぐぅすかと寝てしまっていた。気づけば、すでに日は落ちている。
「ヴ」
起きたか。クマは間違いなくそう言ったのであろう。視線をこちらに向けて、目を細めていた。そして、クマの前には、パチパチといい音を立てて焚き火が燃えている。
「…夕餉?」
「ヴ」
魚。そして、なかなか大きな猪が火に焚べられていた。ほお、これはこれはなかなか豪勢な。よく見れば、牙が断ち切られ、頭が叩き割られている。
「もしや、私が切った」
「ヴ」
クマが頷いた。夜でよく見えなかったが、こいつはなかなかに大物だ。ふむ。よく生きて帰れたなと改めて思う。
すると、その猪の表面をクマが爪で削いだ。それをこちらに差し出す。ちょうど一口サイズ、ジュウと油が溢れ出て、旨そうな肉だ。
「ヴ」
食え。と言われた気がする。ならばと受け取り、早速、口に放り込む。野生の香りが鼻に抜ける。歯を食い込ませてみれば、たちまちに油が溢れ出て、旨味が舌を包み込む。
「おお」
こいつは旨い肉だ。焼き加減も丁度いい。クマに向かって頷けば、どこか満足気にクマも頷いた。そして、クマと狼も肉を食らう。
静かに過ぎる時間。暗闇、静寂。狼、クマに守られて。気が抜ける。思わずおおきく欠伸が出てしまった。そうやって夕餉を楽しんでいたときだ。
「キャウ?」
「ヴ?」
む。にわかにクマと狼が殺気立った。どうしたものかと、狼の頭を撫でてやる。
「キャウ」
ちょっと行ってくる。そう言いたげに、腹に乗っていた私をどかすと、ぶるりと体を震わせた。クマも喰うのをやめて、爪を研いでいる。
「もしや、鴉?」
違う、と首を振る。ふむ。となると、もしかして新たな侵入者か?例の人間を追いかけてきた、とか。などと考えているうちに、どうやら彼らの準備は完了したようで、クマも、大狼もすぐさまに飛び出しそうな力み方。ならば。
「私もついて行く」
これは確認せずにはいられまい。私の言葉に反応した狼は膝を折り、顎で示す。乗れと言わんばかりに。
「感謝」
ならば乗らせて貰おう。そして、面倒事ならばさっさと去ることにしよう。人間や、亜人の政に関わるなど、まっぴら御免だ。