「これは、お恥ずかしいところをお見せしまして…」
シグネルは、ソファーに座るマイネンに対して、腰を折っていた。その顔にはシワが寄り、拙いことをしたと言わんばかりだ。
「気にしては居ない。しかし、この狼が懐くとは。シグネル殿。貴方は私と違い、正しく生きたようだ」
「はは。お褒め頂き感謝致します。おっと!?」
狼がシグネルの脇に控えた。足に擦り寄り、視線を向ける。
「これはこれは、大狼。シグネル殿が気に入ったのか?」
「キャウ」
撫でろ。そう言わんばかりに鳴くと、頭を擦り寄せる。シグネルの顔が思わず綻び、マイネンにちらりと視線を向ける。
「あの、マイネン様。撫でても?」
「どうぞどうぞ。お好きに」
「では…!いや、いや。私犬を飼うのが夢でありまして」
笑顔で大狼を撫でくりまわし始めたシグネル。
「ほう。飼わないのか?お前ほどの財力があれば問題ないだろう?」
「まぁ、財力面では。しかし、この街が森のすぐ近くでありますからね。襲われてしまうんですよ。私も、最初のペットが散歩中に」
「ああ、それは…」
「ですが、またこうして、動物を…魔獣ではありますが、撫でることが出来た。これは、嬉しい」
飽きは来ないと言わんばかりに、満面の笑みで狼を撫で続けるシグネル。そこには、亜人を下衆な目で見ていた男は居なかった。
「クマ殿」
「ヴ?」
「あのシグネルは…銀糸は入っていないな?」
「ヴ」
耳打ちをしながら、クマに問いかければ、帰ってきたのは小さな頷き。どうやら、このシグネル。ある程度は信頼の置ける人物であるらしいと、マイネンは想う。
「そこまでお気にめしたのならば、どうでしょう。今晩、狼をお貸しするか?」
「え!?よ、よろしいので?」
「かまわんよ。良いか?狼」
「キャウ」
狼はひとなきすると、シグネルを促すようにドアへと向かう。
「ああ、それと」
「何でしょうか、マイネン様」
だが、その前にとシグネルは引き止められた。
「私は亜人と楽しむのでな。痴態を知られたくはない。人払いは頼むぞ?」
「もちろんですとも!今日は我が名誉に誓って、誰もこの部屋に近づけませんとも!」
「ならば結構!ああ、クマも付けるか?」
「…よろしいので?」
シグネルは隠しきれない笑みを浮かべ、そう聞いた。
「世話になっているのだ。このぐらいはさせてくれ。クマ、いいな?」
「ヴ」
頷いたクマ、笑顔のマイネン。ソレを前に、シグネルは見事な最敬礼を見せていた。
■
話がまとまった事をサクナから聞き、なるほど、人払いを行ったわけか、と納得したところまでは良かった。
「で。この格好か」
禊、つまりは体をやたらと湯で浄められ、そして私とサクナに用意された服がこの有様。ほぼ羽衣のような薄さの布一枚だ。ただただ、首に通る穴が空いていて、そこから膝下まで伸びる。腰を帯で結んではいるが、これでは私の森の着物よりもよっぽどただの痴女だ。
「ええ。…まぁ、致し方ないですが」
しかも私達は城の中をその格好のまま移動している。例のメイドに先導されながらだ。なんというか、亜人の扱いが徐々に徐々に、肌身に沁みて見えてきた。
「サクナはこの有様を続けていたのか」
思わずそう呟いてしまった。しかもこの後は明らかに男の相手。いやはや。世も末だ。
「まぁ、ええ。なんでしょうね。銀糸の檻からは抜け出せましたが…、やはり、慣れてしまっていますね。年月は恐ろしいものです」
甘えさせてやる。なんて思っていたが。これでは甘えさせてやると言うか。別の意味の甘えになりそうだ。ま、今日のところはマイネンのところに行くわけだから問題はないとして。
「そういえば、カキサは」
「その話はマイネンを交えて。今日の、情報収集の整理をこれからします」
「承知」
そういうことならば、暫く黙っているとしよう。私達の言葉、この時代では失われたとは言え、サクナのように操られている亜人が近くにいないとも限らない。斥候というやっかいな線もありうる。
『剣姫様?銀髪の亜人と何を喋っていたのです?』
メイドが何がしかをサクナに聞いているようだ。
『ああ。夜のマイネン様の扱いです。特に、この亜人ははじめてですので』
『あら、あらあらあら。それはそれは。今日はお目出度い日ね』
『ええ。なので、失敗しないようにとアドバイスを贈っていましたよ』
『そうなのねぇ。あ、じゃあ、亜人転がし。ここで渡しておくわね?』
マイネンが待つ部屋の前に来ると、メイドがなにやら小瓶を2つ、サクナに手渡した。…さらっとしていて、なんだろうか。酒か?
『ああ…そうですね』
受け取りながら笑顔を浮かべるサクナであったが、少々目が笑っていない。これは碌でもないものなのだろう。
『じゃあ、楽しんできてね?私達メイド、執事達は離れた部屋で仕事しているから。何か用があったら、獅子の部屋まで来て頂戴。マイネン様の寝室から右に出て、突き当りの部屋よ』
『承知しました。お気遣い、ありがとうございます』
『いいのよ。2人共可愛いんだから。思いっきり乱れてきなさい?マイネン様もお気に召すと想うわよ!じゃ、ごゆっくり!』
敬礼をしたサクナに続いて、腰を折る。さて、では、と。
『マイネン様。お待たせいたしました』
『入れ』
『はい。失礼いたします。さ、貴女も』
サクナが扉を叩き、開く。そして迷いなく踏み込んでいく。それに続いて、私もマイネンの前へと歩みを進める。
『おお』
感嘆の声が聞こえた。と、同時に扉がサクナの手に寄って閉められ、鍵がカチリと閉められた。
『おお、じゃありません。マイネン。姉様の裸はなるべく見ないように』
『もちろん。とはいえ、サクナ殿。貴女は隠す気が無いようだが?』
『知らぬ仲ではないでしょう。別に』
『…だな。ああ、我が妻になんと言えば』
『知りませんよ』
サクナが何か呆れ顔で、備え付けられているソファーにどかりと座り込んだ。私もそれに続いて、ソファーに座る。
「サクナ。そういえば、先程メイドから貰っていた瓶は?」
「ああ、これは媚薬です」
「媚薬…」
サクナが私に瓶を手渡してくれた。ふむ。色は透明だ。やはり、サラリとしている。匂いは…蓋を明けて嗅ぐ。ふむ。酒だな。
「酒か?」
「まぁ、似たようなものですね。覚えておられます?我が父を貶めた毒の話」
「ああ」
「あれが酒のようなもので、亜人殺しといいます。人間のような力しか出なくなる」
ふむ。それは聞いた。
「そして、この媚薬はそれを元に開発された、淫靡な考えしか思いつかぬようにする酒です。つまりはまぁ、亜人の力で人を抱いても、殺さないようにするというくだらない薬です」
ああ、なるほどな。確かに我らの力は人間のそれを凌駕する。夜伽を行えば、確かに人は挽肉になることだろう。それを解決する薬まであるのか。と、なると…。どのような物なのか、少々気になるな。
「…一度試し…」
「今はやめてください。ここには男と言えばマイネンしか居ないのですよ?姉様とマイネンがまぐわる姿を見せられるなど、まっぴらごめんです」
「む。我慢すれば良いのでは無いか?」
「あのですね。聞いてましたか?淫靡な考えしか思いつかぬようにする酒ですと申し上げました。私も未だ、これを呑むと理性を無くします。ええ。全く。厄介な酒ですよ」
それほどか。ふむ。それならばやめておこう。蓋をしっかりと閉じて、サクナに押し付けた。
「これで良いです。ま…ただ」
ぎらりと怪しくサクナの目が光る。
「これは後に飲んでいただきます」
「む。捨てては駄目なのか?」
いや、そんな危険なものならば、飲まずに済むのでは?そう思って聞いてみると、サクナは首を横に振った。
「この瓶、厄介なことに魔術具なんですよ。調べると、誰が飲んだのか判るんです」
「なぜそんな面倒くさい」
「警備面ですね。この亜人転がし、人間が飲んだ場合は強力な媚薬になるのですが…猛毒なもので。その場合は毒消しを1日以内に取らないと、内臓が壊れます。それを知らぬ奴が厄介なことをしないように、この酒が入っている瓶は全て、魔術が掛けられています」
ふむ。…ふむ。そうか。ため息を吐いて、頷く。
「承知。後に、飲もう」
「ええ。それで。ま、ご安心ください。幸い薬が効いている間は人間の力しか出せません。四肢を縛り付けられれば、それまでです」
そうかと天井を向く。いやはや、なんだか厄介なことだ。と、放置されていたマイネンが、おずおずと口を開いていた。
『サクナ殿。そろそろ、今日の話をしても良いか?』
『あ、はい。申し訳ありません。しましょうか』
『ちなみに、今は何の話を姉殿とされていたのですか?』
『ああ…媚薬です』
何かを話していたマイネンとサクナだが、急にマイネンが額に手を当てて、深く息を吐いた。どうしたんだ?
『…ああ。あれか。そうか…。サクナ殿と姉殿が、飲まぬ訳にはいかんのか』
『ええ。マイネン。後でご協力願いますからね。ああ、少なくとも、理性を失った我々を襲わないよう、今のうちに頼んでおきます』
『無論だ』
と、思えば、強い意志を持つ目で、こちらに頷いた。ふむ。まぁ、なんだか判らんが、安心感と決意だけは伝わる。さて、ではここからは今日の情報の整理。サクナとマイネンにまずは会話してもらいつつ、整理していこう。