「では」
「ええ、どうぞマイネン様。受けましょう」
スラリと剣を抜いたマイネンと、自然な立ち姿の狐が、月明かりに照らされて静かに浮かび上がる。立会はカキサ。何かあったときのためにと、いつでも飛び出せるように気を張っている。
「ハアッ!」
そして、すぐさまマイネンが動き、剣を振り下ろす。この剣は賊がハイネケンから持っていった副長の剣だ。切れ味が良く、耐久性も良い。そしてなにより、使い手の技術のレベルを一回りも二回りも成長させるという特徴を持っている。
「甘いですね」
だが、狐はそれを、一日脚を引くだけで交わして見せ得る。そして、その背中に軽く、抜刀して柄を当ててみせた。
「うおっ!?」
「まだまだですね。マイネン様。その剣に振り回されていますよ。しかりと、まずは自らの腕で振り下ろすことを意識してみて下さい」
言われたマイネンは、まっすぐに狐を見ると、再び剣を天に掲げる。右半身を若干引いて、いつでも踏み込める勢いだ。だが、狐はやはり自然体のまま。刀は鞘に仕舞われたままであり、全く殺気を感じさせない。
「ゆくぞ!」
「来なさい」
じり、とタイミングを見計らうマイネンに、一瞬鋭い目を向けた狐の顔が月明かりに映る。鬼姫と瓜二つの、一本角の亜人。マイネンは思う。ああ、おそらく、鬼姫の親族なのであろうと。そして銀糸を見て忌々しくも思う。碌でもないものを使っていたものだ、と。
「セエイ!」
それらの思考を断ち切るように、無心で踏み込み、そして剣を振り下ろした。すると、今度は狐も鞘から剣を抜き放ち、まともに受ける。
「なかなか、良い太刀筋です。それでこそマイネン様」
じり、と受けた剣から火花がチッた。だが、狐の口元には笑みが浮かび、どこか満足そうだ。そして、マイネンは続けて剣を弾き飛ばして、横に薙ぐ。それをまた狐が涼しい顔で受け取り、軽く往なして距離を取った。
「良い連撃です。並の亜人とならばいい勝負でしょう」
「はは。それはそれは」
亜人と人間では力が違う。基本的には太刀打ちできないのが常だ。だが、並の、とは頭についてはいるが並び立てると言われるマイネンの腕は、相当なものであろう。
「やはり、15年前の亜人事変。あれの陣頭指揮を取った方の剣は違いますね」
「褒めても何も出んぞ。狐」
「あら、でも、その顔を見れただけでも幸運というものでしょう」
狐の指摘に、マイネンはふと自分の顔を触る。と、どうやら口角が上がっているらしかった。無意識に、笑みを浮かべていたらしい。
「こんな顔ならいくらでも見せよう。さ、では、次は狐。お前が打ち込んで見てくれ」
「私からですか?」
「ああ。亜人の力を最近受けていないのでな。ナマクラを鍛え直すつもりで、来てくれ」
「承知いたしました。マイネン様。では」
す、と狐が刀を正眼に構える。と、同時に、濃密な殺気がマイネンの背筋をひやりと撫でた。
「死ぬ気で、受けてくださいな」
「はは、承知したぞ」
その気持ちを、口角を無理やり上げることによってやり過ごすマイネン。そしてその刹那。鋭い踏み込みと、鈍い輝きがマイネンの頭上に降りかかる。
「ゼェイ!」
「ハアッ!」
ガチン!と剣と剣がぶつかり合う。どうやら、一太刀はマイネンも受け止められたらしい。だが。
「っつ!」
ガラン、とマイネンの手から剣が落ちた。そして、よく見てみれば、その手には大きく震えが起きていた。
「お見事。よく止めました。振り抜いたつもりだったのですが」
「そうか…!いや、相変わらず強い。私も鍛錬を続けねば」
「その向上心、尊敬致します。…さ、ともかくはその手をまずは冷やしましょう。生き字引。宿から冷やした手ぬぐいを」
「承知。少々お待ちくだされ」
カキサは急ぎ、宿へと駆け戻る。そして、それを見送ったマイネンは、その場に腰を下ろして、ため息を吐いた。
■
不安定だったサクナが、大狼の腹の上でようやく、ほぼ完全な落ち着きを見せた。とはいえ、傷は深いようで、腹をぐりぐりと弄りながら何やら呪詛のように、『母上…姉上…私は…いや…しかし…』などと言っているあたり、本当、ハイネケンという国は碌でもないという感想しか浮かばない。
「サクナ。ひとまずは一つ聞きたい」
「…ああ…いや、兄様よりはマシ…あ、はっ!?あ、はい、なんでしょう、姉様!」
「いや、無理なら良いのだ。明日にでも」
「いえ、大丈夫です!」
む、そうか。強く言われれば従うしかあるまい。そもそも、なぜこの記憶が消されていたのかだ。
「なぜ、母を忘れていた?そして、私を覚えていた?」
これだ。一体、何がどうなっているのか、全く判らん。
「…うーん、正直、その点については私もよく…」
頭を捻り、眉間に皺を寄せるサクナ。
「そうか。何か、断片的にでも覚えていないか?」
「ううん…あ、そう言えば…」
なんだろうか。とサクナの言葉により注目する。
「銀糸を使われて、初めてハイネケンに入ったときのことです。当初は、母と認識して会話していた記憶があります」
ほう。それはそれは。となると…200年前はまだ記憶はいじられていなかった、ということか。
「そうか」
「はい。それで…確か、仕え始めて5代目の王…だったと思います。その時代から…その」
言いにくそうなサクナ。ああ、皆まで言うまい。首を横に振って、続きは不要と示しておく。
「配慮、感謝致します…。ええ、と。ですので、おおよそ140年ほど前ぐらいから…母を母と、姉を姉と、兄を兄と認識出来なくなっておりました」
ふむ…。となると、その時期に記憶を改竄されたということに他ならんか。
「なぜ、という心当たりは?」
「…ううん、そこは覚えていない、ですね。気づけばそうなっていたと言う他ありません」
ふーむ…となると、サクナが忘れたか、それとも、銀糸の何かがまだ引っかかっているのか。それとも…もしや、この銀糸、完全に記憶を変えることすら可能なのか。
「難儀」
少々、背筋がゾクリとする。いやしかし、それならば、そもそも私、いや、亜人の歴史というか、そういう記憶を改変して、他を忘れさせて、戻らぬようにしてしまえばいいだけの話。それが成されていないということは、そこまでの拘束力は無いと見て…良いだろうな。
「ただ…その」
「ただ?」
何かを言いづらそうにするサクナ。また、何やら碌でもない雰囲気を感じ取れたぞ。
「…その時の王が、非常に、その。大変に、変態…だった記憶はあります」
「…はぁ」
ため息が、思わず出た。いや、まさかそんな理由で、母子の記憶を無くした可能性もあるのか?いや…しかし、それではあまりにもサクナと、母が不憫すぎるであろう。
「クマ」
「ヴ?」
「結局、母の記憶を戻す方法は」
私達が会話をするなかでも、クマと大狼は何かを話していた。そろそろ、何かの結論は出ないものかと聞いてみれば。
「ヴー…」
あまりおすすめはしないが…と、いう雰囲気の元、部屋のある場所を指差すクマ。その指の先を辿ってみれば、一つの小瓶が目についた。
「…亜人、転がし?」
頷くクマ。………つまり?
「母と、まぐわれ、と?」
そう私が告げると、視線を逸しながらも、確実に小さく、頷いたクマ。
「クーマー?」
いやいや、それは無い。それは無いだろう。なぁ、クマ。抗議の意味を込めて、耳を思いっきりひっぱってやるが、しかし、動じない。そして、ナスがママにされているが、一つも痛がって居やしない。
「キャウ…」
だが、このやり取りを見ていた大狼も、申し訳無さそうに頷いていた。…この両者がそれをしろ、と。今までの事からするに、おそらく、間違っては居ないのだろう。ううむ…ううむ…。
※所用により、次話の投稿は28日予定です。