銀糸と耳飾。この2つの関係は徐々に徐々に、身に沁みて判ってきた。なるほど、言った通りとは文字通り。母に落ち着けと言えば、落ち着く。耳飾の主を無視せよと言えば、ようやく母が戻ってきた。なんとも、忌々しいものである。
「母上」
「なんでしょう、ナガヒメ」
「事情は理解出来ました。やはり、サクナと同じなのですね」
机を間に座り、今までの、200年の事を聞いていたのだが、どうやら、概ねサクナと同じ記憶を持っていた。200年前、父が人間に操られ、そしてそこから里全体に銀糸が蔓延る。そして気づけば、人間の奴隷として、戦争、夜伽、そして殺人、暗殺、更には政と、さまざまな事に従事してきたとのことだ。
「ええ。ああ、サクナにも苦労をかけて…」
そう言って、母は、私の隣に座るサクナにも改めて頭を下げていた。クマと大狼はそれを見ながら、安心したような頷きを見せている。ちなみにマイネンとカキサは風呂だ。男同士、話したいことがあるのだとか。あとはまぁ、マイネンは母に一発、頬を張られたので気まずさもあるのだろう。
「いいえ、母上。私も同罪です。私も操られたまま、人間に仕えてしまいた。それも、母を母と気づかず」
「私もですよ、サクナ。銀糸の拘束がここまで強いとは…」
「…それにしても、これ、取れないのでしょうか。何かご存知ないですか?母上」
「流石に私もそこまでは。人間も、厄介なものを作り上げたものです」
しみじみ、そして恨み節。顔は苦い。2人は謝りながら、しかし、王国への文句を言い続けている。さて、ここは好きなだけ言わせておこうか。触らぬ神に祟り無し。と、いうことで。
「クーマー」
「ヴ?」
「腹を貸せ」
「ヴ」
来い、とばかりに腹を見せ、脚を開くクマ。立ち上がって、その腹に飛び込む。ふかふか、そして温い。こいつらも昨日、風呂に入っているから、その毛並も実になめらか。ちらりと横をみれば、大狼も腹を見せていた。どうやら、こっちにも飛び込めということなのか。それとも。
「キャーウ!」
大狼が大きく鳴いた。その視線は、サクナに向いていた。ふむ。と、そして、その声で母とサクナが此方を向いた。
「サクナ?ナガヒメは、いつも?」
「…はい、その。再会してからこっち、自分が関係ない会話の時は大抵、クマの腹に」
「…そうですか。昔から、相変わらずですね」
何がしかを話しているが、私には特に関係ないことであろう。…いや、少々呆れられているような気もする。いや、しかし、この熊の毛皮には敵わん。
「それにしても、サクナ。貴女もあの大狼に呼ばれておりますよ?守り神のお誘いを受けてはどうです?」
「あ…はい。母上がそうおっしゃるのならば…」
サクナも誘われるように、大狼の腹に倒れ込んだ。すると、大狼は嬉しそうにサクナの体を四肢で包みこむ。そしてサクナの顔にも笑顔が浮かぶ。うむ。そうだろう。そうだろう。やはり、この毛皮は魔性の何かだ。熊の腹から手を伸ばして、大狼の頭を撫でてやる。うむ。こちらの毛皮もなめらかで良い。
「ナガヒメがこれほどまで、鬼熊と阿吽に懐かれているとは…。やはり、森に送り出した旦那様の判断は正しかったですか」
む、母が何やら難しい顔で考え込んでいる。なんだ、熊と大狼が気になるのか?ならば…クマ。
「ヴ?」
「母を包め」
「ヴ!」
のっそり。私が腹からどくと、母の元へと向かった。そして。
「お、鬼熊様!?」
「ヴ」
もふん。と、言わんばかりに熊に包まれた母上。そして、そのまま熊は、母を抱いたまま床に転がった。さて、どんな顔をしているか。
「…鬼熊様。お戯れを」
「ヴ」
何やら母は難しい言葉を使っているが、その顔はどこか満足そうに口角が上がっている。そうだろう、そうだろう。その毛皮に包まれただけで、幸せが襲う。…と、いうか、鬼熊様?
「母上」
「…ああ、もふもふ…。は!?あ、はい、どうしましたか?ナガヒメ」
「鬼熊、とは?」
おそらくこの熊の事を指しているのだろうが、母がこの熊に敬称を付けている時点で、並大抵ではないことは判る。
「ああ、そうですね。サクナにも、ナガヒメにも話してはおりませんでしたが」
母は少々格好つかない姿、熊の腹で毛皮に包まれながら、私に言葉を続ける。少々面白い。
「私が、里の巫女をしていたことは、覚えておりますか?」
「無論。母上」
里の巫女。神職と言い換えても良い。教会をまとめていた役職で、郷の守り神を崇め奉る役職であったはずだ。本来は、私が継ぐとか、継がないとか話があったような気もするが、私が森に出ると伝えたせいで有耶無耶になったが。
「歴代の巫女に伝えられる魔獣が何柱もいるのです。その中の2柱。それが、この鬼熊と、阿吽の狼の阿です」
ほう、それはそれは。と、言うことはもしや。
「この熊と大狼。郷に伝わる守り神?」
「はい。その通りです。…とはいっても、私も実際にお会いするのは初めてでしたので、あくまで口伝と合致するということですが」
ほう。そうなのか。熊と大狼の顔を見てみると、首を傾げていた。まるで、『そんな事無いけど?』と言いたげな雰囲気が漂う。
「クマらは何か、自覚なしらしいが」
「…む?判るのですか、ナガヒメ」
「まあ、顔を見れば」
1000年の付き合いだ。ある程度、その表情は読み取れる。と、次の瞬間だ。
「おふっ!?」
突っ立って母と熊を見ていたわけだが、その熊に脚を引っ張られて母の横、熊の腹に飛び込む。何をするか、と、熊を睨んで見れば、今度は頭に脚が置かれた。
「クーマー」
少し怒気を込めてみれば、すまんすまんとばかりに頭を撫でられる。まぁ…悪気は無いのだろうから、ここは許すとしよう。毛皮に負けたわけではない。
「ふふ。ナガヒメ。貴女はやはり巫女の素質がありますね」
「不要。私は刀を極めたい」
「判っています。しかし、貴女の剣は私を捕らえました。その鍛錬、見事です」
隣で横になる母に、笑顔でそう褒められた。そして、今度は母から頭を撫でられる…ああ、存外に、私は。
「ありがとうございます。母上。非常に、嬉しゅうございます」
母からの言葉。それを、求めていたのかも知れない。
■
「さて、それではサクナ、ナガヒメ。少々、ここで待っていてくださいね」
しばらく、母子でゆったりと時間を過ごした時、母が急にそう言って部屋の外に向かってしまった。クマ、大狼らもどうしたんだろうかと首を傾げる。
『戻ったぞ』
『戻りましたぞ』
そして、その時、丁度カキサとマイネンが戻ってきていた。着流しに汗ばむ肌。見る者が見れば、見惚れる美男子であろうな。さてさて。それはそうとして。
「サクナ、そろそろ腹が」
「私もです。安心も相まって、非常に腹が減りました」
空腹が、我々を襲う。どうやら、マイネンらもそのようだ。だがしかし、朝食まではまだ時間がある。と、なると何か小腹を満たすものがほしいのだが…。流石に、森から持ってきた物を今喰うわけにも行くまい。数が限られているわけだしな。
「お待たせしました。ナガヒメ、サクナ。おにぎりです。お腹、空いたでしょう?」
『それに、マイネン、カキサも。よろしけば朝食までの一時、こちらを』
流暢に言葉を切り替えながら、母が盆を机においた。その上に置いてあったのは、記憶の彼方にあった、母のお結びそのままの料理だ。
『私も腹が空いたもので、無理を言って調理場より米と塩を頂きました。具は入って居ませんが、よろしければ』
マイネンらに言葉を掛けている母を尻目に、私とサクナはお結びに手を伸ばす。ああ、懐かしい。1000年も前、森に出る前に喰っていた、あの握り飯そのままだ。
「頂きます、母上」
「頂戴します。母上」
早速と、それを口に運び、喰む。…ああ、ほどよい塩気。ほどける米。そして、どこか懐かしい香り。ああ、これは、旨いな。