マイネンらと飯を喰らい、再び天幕で休む。母も、サクナも手慣れたものだ。すっかり寝息を立てている、かくいう私も1000年の間、森で寝ていたからから全く不自由がない。ただ、唯一あるとすれば、死合がなかなか思い通りに行かんというぐらいか。
「…しかし、私が」
斬る。それにおいては里一番、だという話。サクナの口からしか伝えられていないが、とはいえ、サクナが嘘をつくとも思えん。何か、悶々としながら横になっていると。
「ナガヒメ、どうしました?」
優しい声色が耳に入る。母か。
「いや」
なんでも。と言葉に出そうとしたが、いや、それならばと思い直す。せっかくの旅、聞けることは、聞いておかねばなるまいて。
「少々お聞きしたいことがあります。外に、よろしいですか」
「よいですよ」
案外と素直に頷く母。ならばと、立ち上がり外に出る。一瞬、サクナの目が開き、此方を見たが、首を振っておく。
「サクナは、そうですね。また後で」
母もそれに気づいたのか、そう告げて天幕を後にした。そして、昨日と同じようにカキサに声を掛けて、見張りを変わる。
『おや、親子水入らず、ですかな』
『ええ。少々デリケートな話です。聞き耳は立てていただかないほうが助かりますが』
『承知しましたぞ。まぁ、何、私はこれからマイネンと酒盛りをしますからな。きっと、聞こえますまい』
『左様でしたか。…しかし、マイネンもよく夜伽を我慢しておりますね?必要ならば、まぁ…サクナやナガヒメは駄目ですが、私は別に。カキサも溜まっているのでは?私でよろしければ、如何ですか?』
『これはこれは。巫女様からお誘い頂けるとは魅力的な。しかし、怖いですから遠慮しておきます。マイネンもまぁ、負い目という奴でしょうな。日々、うなされておりますわ』
何を2人で話しているのか。しかし、軽く笑いならが談笑しているあたりまぁ楽しげな話題なのであろう。…ぬらりと舌舐めずりした母の顔は無視だ。無視。そして、立ち去るカキサの背に軽く手を振りながら、私は母と相対した。
「さて、ナガヒメ。これで水入らず。何を聞きたいのですか?」
自然体な母。しかし、隙はない。やはり、この母よりも私のほうが斬る事が上とは思えんぞ、サクナ。
「サクナより、私が一族でも才に秀でていると聞いた。真か?」
身も蓋もない聞き方だが、回りくどく聞くよりも良い。それに、母は私のことを良く判っている。
「そうですね、貴女には正直に申しましょう。腹芸は、貴女の得意とするところではありませんから」
ため息を1つ吐く母、そして、こちらを真っ直ぐに見つめ直すと、その口はこう動く。
「…真ですよ。ナガヒメ。貴女は私達よりも『斬る』ことについては上です」
「左様か」
「はい。ただ、その代わりに、我らの技や駆け引きについては壊滅的に才が無かった」
その点は自覚がある。一族の誰にも勝てず、対の刀も未だに無い。気づけば、無意識に刀に手が伸びていた。
「だからこそ、我が夫、我が長は貴女にそのヒノモトを託したのです」
頷く母を見て、思わず首を傾げた。なぜ、そこでこの刀に話が飛ぶのだろうか。
「判らない。そう言いたげですね」
「はい。斬る才が一族で一番。それは呑みましょう。しかし、なぜそれでこのヒノモトを託した話と繋がるのかが、不明瞭です」
刀を抜く。先程のサクナの据え切りで、刃こぼれはしているが曇りのない、美しい刀身。しかし、祭壇にずっと安置され、誰も手に取ることの無かった一振り。一体、この刀は何だというのか。私はてっきり、森に籠もる娘に、最後の餞別にと貴重なものを渡した、ぐらいなものかと想っていたのだが。
「父は、それを渡すときに何か申していましたか?」
「いえ。ただ…『お前なら扱える』とだけ」
「そうでしたか。ナガヒメ、一度その剣を見ても?」
頷いて、母に刀を渡した。受け取った母はといえば、1つため息を吐いて、刀を天に掲げた。
「ええ、やはり美しい。宜しい。やはり、これは貴女に持って居て欲しいものですね」
そして、軽く刀を振り込む。すると、私の振る音よりも、より鋭い音が刀から鳴る。が。
「…ほら、見てみなさい。柄が緩みました」
柄を此方に向ける母。見ると、なるほど、確かにガタが有る。
「我々が振るうと、こうなるのです。これを1つも零れさせず、緩ませず。振れる。そしてあの守り神らとも打ち合い、私とも打ち合える貴女は特別です」
そのまま柄を持ち、刀を鞘にしまう。ふむ。大分に褒められている。が。
「母も、父も。私を高く買っている事は承知しました。しかし、なぜ、この刀をもたせたのか、その理由を知りたい」
結局、質問には答えて頂けないのか。と、母の表情が引き締まる。
「…ま、ナガヒメにはいずれ話す事。良いでしょう」
母が再び天を向いた。そこにあったのは、新月を過ぎた二日月が、薄く光を湛えている。
「その剣は、我々の技術では再現不可能な一振り。切れ味は現存する我らの剣のどれよりも鋭く、陽の光と、月光を元に、自らを修復するという特異な性質を持つ、生命のような一振りです」
なんと言った?いや、知っていることもあれば、知らぬこともある。これは、一つ一つ聞くしか有るまい。
「母上。我らの技術では再現不可能、と申されましたか?」
「ええ。この剣は、我らが生れ出づるときよりも前から、あの土地に根ざしていた剣。我々の悲願は、その刀を再現すること。…しかしながら、それは不完全な形でしか未だ実現しておりません」
それは、亜人と対になった剣が折れぬという性質のことだろうか。それにしても驚いた。この刀が、我らの剣の雛形だったとは。
「我らの遠い祖先は、そのために技術を磨き、命を燃やし、そしてあの都を作り、社を作り上げました。ですが、数千年の間、打ちに打った刀はついぞ、真に迫れず。2000年前ほどからは技術の追求が諦められていた、というのが実状です」
それはまた、大層なことだ。なんだ、この刀。そんないわくつきのものだったとは思いもせん。
「ですが、そこにひとつの可能性が浮かび上がりました。貴女です」
「私ですか」
「ええ。貴女は、誰よりも斬る事に秀でていた。覚えておりますか?幼少の頃、貴女が悪戯にその刀を抜き、据え切りで岩を砕いたこと」
…そんな事、あったか?記憶にないぞ。
「覚えては居ないようですね。無理もありません。まだ貴女が生まれて10年も経たない頃の話。それで確信を持ったのです。この子が次の巫女であり、そして、刀を完成させる一つの希望であると」
「左様でしたか…。と、もしや、その刀。今、サクナが持っている鳳凰朱雀?」
「はい。その通りです。100年の月日を経て我が里総出で作られた一振り。鳳凰朱雀の名は、死なぬという逸話から、その銘に相応しいと付けられたもの」
ほう。あの刀がそれほどの業物だったとは思わなんだ。
「…しかし、完成を見る前に、あなたが森に籠もってしまった。故に、我が夫…貴女の父は、その大本を貴女に託したのです」
そうであったのか。となれば、この刀は一族にとっては宝物も宝物。それを、ただの一人の判断で行ったとなれば、父の進退は如何になったのか。
「ま、無論反対もされたようですが。しかし、里の重役達、長老達も反対申し出る者は少なかったと聞いています。全員が全員、扱えなかった物ですから」
「左様でありましたか。貴重なものを頂いたのですね。私は」
「ええ。それに、我が娘が森に籠もるというのに、何も与えないというのは親として有り得ぬこと。最高の物を、与えたつもりです」
視線を刀に落とした。そうか、これは、ただの餞別では無かったのだな。親としての、最高の贈り物であったと。
「感謝、致します」
私がそう頭を下げれば、母は小さく頷いた。
「…そういえば母様、先程の言葉で、1つ疑問が」
「はい」
「刀の修復には、太陽と月が必要と申しておりました。しかし、私がこの1000年で感じたことは、太陽の光が必要と言うことだけ。何か、勘違いを成されてはおられませんか」
すると、母は首を横に振った。明確に、違うらしい。
「いいえ、太陽と、月が必要なのです。昼は太陽に晒し、夜は鞘に入れて月光を浴びる。それが、その剣の呼吸です」
「呼吸」
「はい。その剣は生き物のような剣と申しました。ですから、今、鞘に入れているその刀は自らを修復、そして研磨しています。間違いなく。明日、朝日に晒せば全てが元に戻ることでしょう」
零れた刃も、柄も確かに戻る。それは、経験が言っている。しかし、その実は夜にしかりと鞘に仕舞っていたからなのか。知らなんだ。
「…長からは聞いて居ませんでしたか?」
「何も」
「そう、ですか」
ピキリ、と母の眉間に血管が浮かぶ。小さく、殺気が溢れた。
「あの人はあいも変わらず言葉足らず。再会することがあれば、まず、切らねばなりませんねぇ…そもそも娘の餞別にこれだけとは…せめてこの剣との対の義は行ってから送り出せと…」
ぶつぶつと、黒い気迫が迫る。何やら、我が父は失敗したらしい。まぁ、確かに、思い返せば刀を渡されただけで送り出された。不足と言えば…不足であったか。
「母上。とはいえ、森に入り、研鑽を積む事は、私が決断したこと。何も貰えぬと想っていたのですから父は何も悪くはありません」
私がそう言うと、母からの殺気が消えた。
「まぁ、ナガヒメがそう言うのなら、そういう事にしておきましょう。ああ、そして…あとはその銀糸についても、1つだけ」
「なんでしょう」
銀糸について。なぜ、その話が絡んでくるのか。サクナの話では、この銀糸は人間が亜人拘束のために作った、ということだったが。
「その銀糸も生命のようなものです。切れても、月光と太陽を浴びれば修復されます。輪も、同じです」
「む?」
それは、つまりどういうことだ?なぜ、銀糸の事、輪の事も母が知っている?いや、そもそも、なぜ刀の話が、そこに飛ぶ?首を傾げていると、その疑問に答えるように母が言葉を続けた。
「疑問はあるでしょうが、しかし、私もそこまでしか知りません。詳しいことは父か、それとも、貴女の兄のザナキならば…もっと、深い話が聞けると思います」
「左様か」
兄、父。どちらにせよ、この銀糸を取り払うためには再会の目に合わなければならぬということか。ふむ。まぁ、なんにせよまずは、ハイネケンを目指すことには変わらんな。
「…さて、それはさておき、ナガヒメ」
と、佇まいを直してこちらに向き直す母。どうしたのだろうか。
「柄も緩み、刃毀れしたその剣では夜の番は務まらないでしょう。天幕で休みなさい」
「む、しかし」
「順番はありますが、無理なものは無理。昨日もどうやら、鬼熊との死合いに興じたようですしね。しかりと、寝なさい」
あ、これはいかん。母の目が笑っていない。あれか、つまり、昨晩。夜更けまでクマと死合に興じていた事に、腹を立てているか。
「そもそも、貴女は妙齢なのです。嫁入り前の身で、夜を更かすなど言語道断。いいですか?しかりと睡眠を取り、食事を取る。でなければ、巫女など、次期長を見つける職務など務まるはずがありません。それが何ですか、あの鬼熊と遅くまで死合いなどに興じて。確かに夜の番は交代制ですが、昼にずっと寝ているほど無理をせよとは申しておらぬはず。ああ、そうです。思えば里でも貴女はそうでしたねナガヒメ。止めても止めても剣を振ることを辞めずに鍛錬を続けて、今もどうやら変わっていませんね。やはり一度、我が一族の女性とは如何様に有るべきかを叩き込まねばなりませんね。1000年ぶり、貴女の姿を見た時は感動を覚えました。その剣も、欠点を補って余りあるほどに進歩していた。しかし、女性としての鍛錬はまだまだ足りません」
いかんいかん。母が随分と興奮している。いやまぁ、心配している事は伝わるのだが、しかし、いつの間にか私が里の巫女を継ぐ話になっている。それは、勘弁願いたい。
「いやしかし、私はこの刀を極めると決めております。それに、私が里の巫女など務まるはずなど。サクナのほうが適任かと」
と、告げた瞬間に襲ってきたのは、母の冷酷な視線。いかん。
「―いいですね、ナガヒメ」
「はい」
…これはこれは、有無を言わさずとはこの事か。いやしかし、女性としての鍛錬など、巫女としての鍛錬など正直不要なのだがな。ま、母から認められているという点は、素直に喜ぶとしよう。