その日の晩、母より改めてキリンジの事を聞いた。曰く、キリンジの一族は我が家の守りを担当していた奴ららしい。その歴史は2000年ほど前までに遡るとか。私が生まれる前の話であるが、どうやら、この私の持つ刀も関係するような話だとか。
「その刀が奪われた事が一度ありましてね。それを人間から取り返した時、キリンジが守りに入ったのです」
そうなのか、と頷く。ただ、母も詳しくは知らんらしい。祖母の時代、そういうことがあったのだとか。
「ヴ」
そのとなりで、寝転びながらも小さく頷くのはクマ。雰囲気としては、そうそう、そんなこともあった。大変だったぞあれは。という感じであろう。
「クマ。お前、長生き」
「ヴ」
頷くクマ。そうだぞ、2000年前から生きてるぞと、なにやら誇らしげだ。ふーむ、やはり、こいつは底が知れない。本当、言葉が通じればどれほど楽かと、何度も思ってしまう。
「しかし、鬼熊様。何故に、我が娘と行動を共に?」
「母上。それは、前にも話したはずですが」
サクナが首を傾げながらそう問いかけていた。その通り。旅の道中、我々の軌跡をしかりと説明したはずなのだ。マイネンとの出会いから、ここまで。
「そうではないのです、サクナ」
首を振って、それを否定する母。す、と目が細められ、クマを少しだけ睨んでいるような気がする。
「森からこっちの話は聞きましたが、そもそも、何故見初められたか、という話です。私の母も、私も、鬼熊様の姿すら遠目で見たのが唯一の事。それが、このナガヒメにはべったり。正直に申しますと、嫉妬しております」
「ヴ…」
クマは明らかに困惑しているな。…いや、そうではない。言いづらい、と言う感じであろうか。クマと目が合った。
「いや、見られても困る」
「ヴ…」
こちらに答えを求められてもな。お前と出会ったのは森に入ってすぐ。違いに出会い頭。その刹那に刀と爪で打ち合ってからの関係だ。…と、思い返してもなぜこいつとここまで腐れ縁が続いているのか。
「ナガヒメは心当たりはありませんか?」
「特に」
己の中に、心当たりはない。途中からはそれこそ飯を交換する仲程度にはなったが、それも最近。長い間は昼の間に死合いをするだけの仲である。まぁ、ここ最近の方が好ましいがな。もふもふが楽しめるし、こいつの腹はよく眠れる。
「…そうですか。では、逆に鬼熊様」
「ヴ?」
「私が貴方様と相見えることが叶わなかった、その理由をお教え願えませんか?」
「ヴ」
頷くクマ。そして、そのクマが母の剣を指さした。む、その剣が悪いのか?
「…この白神狐が原因、なのですか?」
「ヴー」
そうではない、と首を振るクマ。違うのか。となると、なんだ?
「もしや」
すると、母が徐ろに立ち上がると、剣を鞘から抜く。そしれそれを正眼に構えた。少し離れた机で酒を楽しんでいたマイネンとカキサがぎょっとしながらこちらを向く。サクナも、目を見開いている。ただ、私は一つ理解できた。剣が原因ではない、母の原因となれば、数は少ない。そして。
「ハ!」
勢いよくそれをクマに向かって振り下ろす。が。
「ヴ」
それを、爪も出さずに、クマは手のひらで簡単に受け止めてしまっていた。そして、クマは頷きを見せる。…ははぁん?
「もしやクマ」
私も立ち上がり、刀を手に取った。すると、クマは爪を出して、上半身を軽く起こす。ふむ。
「ゼェイ!」
「ヴ!」
ガキリ、と、抜刀した刃とクマの爪がカチリと噛み合う。どころか、ここ数日のサクナや母との研鑽のせいか、軽く爪に刃が食い込む。そして。
「ヴ、ヴ」
これよこれ。そう言いたげに、クマは上機嫌に頷きを見せていた。
「…そう、でしたか。私では、鬼熊様の足元にも及ばない。故に…お会いすることが叶わなかった」
「ヴ」
その通り。と、強く頷くクマ。そして、部屋の隅でこちらの様子を伺っていた大狼も、のそりとこちらに歩み寄る。
「キャウ」
そして、ひとなきすると、母の頭に軽くその手を置いた。まるで、何か、慰めるような優しさだ。母は、その手を甘んじで受け入れながら、ため息を一つ吐いていた。
「…ありがとうございます。阿吽様。嗚呼」
そして、目を瞑り、小さく頷く母。そうか。母の剣の腕では、クマや大狼の御眼鏡にかなうには足らない、ということなのだろう。と、なれば…サクナや、母が私に告げた『才』という言葉。
「自覚せざるをえない、か」
斬る。その才を認められた私は、この熊と大狼に気に入られたということなのだろう。…だが、そうすると解せんことが一つ。
「クマ」
「ヴ」
「お前らが私を気に入った事は承知した。が、鴉は私が嫌いか?」
腕を認められ、クマやらと過ごせていたわけだが、しかし、里の守り神、と母が申していた鴉には殺されかけた。それはどういう事か。
「ヴヴヴ」
首を振るクマ。しかも、勢いがある。と、いうことは?
「鴉も私を気に入っているのか?」
「ヴ」
「いやしかし。殺されかけたぞ?お前らが助けてくれたであろう?」
「ヴ…ヴー」
煮えきらぬクマ。そうなのだが、そうではないのだと言いたげだ。そして、徐ろにクマは、宿に用意されていた饅頭を掴む。
「ヴ」
見ろ。と言わんばかりに、その饅頭を私の前に持ってくる。ふむ。器用に持っている。クマの力であれば、こんなものスグに潰せるだろうに。
「ヴ」
そして、それを少し潰す。が、すぐに離す。む…何かを伝えようとしているな。なんだ?
「…クマ殿。もしや…」
我らの会話を聞いていたサクナがおずおずと口を挟む。何かピンと来たのだろうか?
「…その詳細は私も知り得ませんが、その殺しかけた、というのは姉様からの立場ですよね?」
「ああ。爪で持ち上げられ、危うくな」
「…姉様がこの饅頭とすれば…その、もしやクマ殿。その、饅頭を潰しかけていたのがその、鴉…で宜しいのですか?」
「ヴ」
そうそう。と頷くクマ。ふむ?
「姉様。もしかすると…鴉は、力加減を誤ったのでは?」
「ヴ!」
それ!と頷くクマ。同時に、饅頭をクマから手渡された。力加減を誤った?
「姉様。あの、思い出していただきたいのですが」
「うむ」
「その、鴉に殺されかけた前、何か、姉様の命が危うい場面がありませんでしたか?」
言われて、少し思考をめぐらす。…そう言えばあの日、クマとの死合いに熱中しすぎたせいで、夜の森を闊歩する事になったか。そして、たしか猪に襲われ、満身創痍…。
「あ」
「ヴ」
クマが小さく頷いていた。…もしや、あの時の鴉は。
「もしやクマ。あの時の鴉。私を安全な場所に送ろうと?」
「ヴ」
その通り。と頷くクマ。ははぁ…。いやしかし。
「それでも、私は死ぬ思いだったのだが。鴉は本当に私の事を気に入っているのか?」
「ヴ…」
すると、クマは部屋の片隅に置いてある、新鮮な森の幸を指さした。あれは、たしか鴉が持ってきた…。
「…ああ」
合点がいった。そうか。あれは、クマに向けてではなく、私への差し入れ。もしくは。
「もしや、あれは鴉なりの詫びか」
「ヴ!」
「キャウ!」
そうそう!と、クマと大狼から同時に頷きと鳴き声が。…なんと判りにくい。
「…サクナ、ナガヒメは本当に、愛されていますね」
「ええ。そう思います」
「ただ、鬼熊様?」
「ヴ?」
ギラリと、母の目が光る。落ち込んでいたと思った母であるが、何やら、殺気。
「…少々、お話がございます。阿吽様も」
「キャウ?」
「ナガヒメが殺されかけた。とは、真でありましょうか?」
ビクリとクマと大狼の背筋が伸びた。あ、いかん。母の逆鱗に触れた雰囲気だ。ちらりとこちらに目線を寄越すクマと大狼。余計なことは言うなよ?頼むぞ?そう聞こえたのだが。
「ナガヒメ?答えなさい」
「はい」
すまぬ。私もこうなった母には逆らえん。そして、正直にあったことを母に話してから数刻の間、クマと大狼は、母の前で大人しく、殺気溢れる説教を喰らっていた。
「確かに娘を助けていただいたことは感謝を申し上げましょう。しかし、それ以前の問題でございます。守り神、としてのご自覚も有るご様子。ならば、娘を殺しかけるなどという愚行を犯す前に、気に入っている者を殺すなどという可能性のある、愚かな事をする前に、お仲間の教育をしかりと行うというものも貴方がたの責務であると私は考えておりますが。まさかここまで言葉を理解し、頭も良い守り神であらせられる貴方がたがまさかまさか言い訳など申すわけございませんよね?いや、別に、守り神と言えど野生という事は理解してございます。ございますよ?しかし、しかしです。母としては娘が殺されかけたなどという事実に心穏やかに居れる訳がございませんことは、理解頂けますか?理解して、頂けますよ、ね?」
「…ヴ」
「キャ…」
『マイネン殿。狐殿は怖いですなぁ。くわばわ、くわばら』
『…藪蛇だぞ、カキサ。口を出すな。ほら、もう一献』
『これはこれは有り難い。マイネン殿もどうぞどうぞ』
『カキサ?聞こえておりますよ?聞けば貴方も、鬼姫に襲いかかった…のですよね?マイネン様も。操れられていたとはいえ鬼姫を我が物に?どうです?…鬼熊様の横にいらしては?』
『はははははは…。冗談、冗談でございます。どうか、どうかその剣から手をお離しくだされ』