遠くで、音がしている。パチ、パチとなにかが割れるような、しかし、安心感を覚える音。
「ヴ」
「キャン」
聞き慣れた、声もする。はて、さて。私は…何を?はて、ええと…。確か、大狼と死合ったあと、寝床に帰ろうとしていたはず。はて…記憶が、いまいち。それに矢鱈と体が重い。まるで、鉛でも付けられたようだ。
「…ん」
両目を開ける。左目に、赤い炎が映る。ああ、この音は焚き火の音か。だが、右目に視界がない。ああ、そうだ。大狼にやられたのだったか。首を動かし、周りを見る。すると、見慣れた大きなクマと、大きな狼が居た。周りは暗い。夜か?
「ヴ?」
おお、起きたか。そんな雰囲気で、こちらに焼けた魚を差し出してきた。ああ、確かに私は腹が減っている。上半身を起こして、それを受け取った。しかし、火など起こした記憶はないのだが。
「…火」
パチパチ、と火が灯り続ける音がする。そして、自慢げに爪を見せるクマ。
「お前が、火を」
「ヴ」
頷きで返したクマの姿に、ため息が出た。この1000年、こいつはそもそも言葉が通じないと思っていたのだが、どうやら、言葉は通じるようだ。そして、火も起こせるらしいとなれば、実は私はこいつの夕飯時に不要だったのではないかと思う。
「言葉、判る…のか」
魚を喰らいながら、言葉を繋ぐ。うん、魚の焼き具合も完璧だ。こいつ、私よりもよっぽど上手い焼き方を知っているじゃあないか。どこか、負けた気がする。
「ヴ」
「キャン」
そして、意外なところからも返事がやってくる。クマだけではなく、大狼ですらも頷いて見せていた。お前ら、私の言葉を理解していたのか。
「…ふ」
面白い。野生の癖に、言葉を理解するか。奇想天外なことは、そこら変に転がっているものだ。
「ならば問う。なぜ、ここに」
ここは、間違いなく私の寝床であろう。焚き火があり、背後に、体を休めるための少しの洞窟が見て取れる。奴らがここに、しかもこの闇の中で居るというのは、初めてのこと。
「ヴヴ」
そう鳴きながら、クマは私の腹を指さした。
「む?」
視線でクマの指を追う。すると、そこにあったのは、大穴の空いた我が腹。む、これは一体。痛みがないあたり、幸い、内臓は無事であるようだが…。
「…ぐっ!?」
思わず、腹を抱えて蹲る。思い出したように、痛みが、体の中から襲いかかる。脂汗がにじりと浮き出る。―ああ、そうか。大鴉にヤラれたのか。思い出した。
「キャン」
ふわりと、大狼が私の背に寄り添う。まるで、大丈夫か?と言わんばかり。だが、しかし、大丈夫かと言われれば。
「なか、なか」
これは辛い。腕は折れて居ないが、しかし、この痛み方、アバラは間違いなく何本も折れている事だろう。内臓も、いくつか潰れているかもしれない。
「…あの、実を」
そうだ。寝床ならばあの実の蓄えがある。腹も満たされ、傷も治るあの木の実。ひとまずは、あの実を食って体を治すべきだろう。だが。
「ヴ」
首を横に振って、木の実の蓄えている袋を隠すようにしているクマの姿があった。ふむ、食うな、というのか?いやしかし、それはあまりにも。
「クマ、お前、鬼、か」
「ヴ」
鬼とはお前だろう、と言わんばかりに頭の角を指で示された。いや、角がある私は確かに、鬼とも呼ばれるが。そうではない。痛む体を一刻も早く落ち着けたいのだ。そして、右目にも光を宿したい。だが、どうやら彼らの総意は違うらしい。
「キャン」
「お前も、か」
大狼ですらも、木の実を喰わせまいと立ちはだかる。ふむ…。
「…承知」
お前らがそこまで止めるのならば、辞めておいたほうがいいのだろう。理解は出来ないが、ひとまずは納得しておくとする。
「が、痛みが酷い。どうにか」
ならんか?無理やり魚を胃に叩き込みながら、奴らに問う。と、差し出されたのは蓮の実だった。む、喉を潤すためのものだろうに、これは。
「…蓮?食えと?」
「ヴ」
そうだ。とクマは頷く。ならばと、蓮の実を口に運ぶ。ジャリ、ジャリと良い歯ごたえと共に、水が口の中に溢れる。そして、少しのしびれの後に、甘い水に変わる。やはり普通の蓮の実。これでは、少しも傷が良くなるものか、と首を傾げながら、ごくん、とそれを嚥下する。
うむ、旨い。ああ、喉も乾いていたか、と、思ったのもつかの間。
「ぐっ!?がっ!?」
体の中から、先程とは比べ物にならないぐらいの激痛が湧き上がる。まるでそれは、蓮の水が通るところをなぞるように、喉の奥から、胃の腑に落ち、そしてその先の腹の下まで、どんどん痛みが増していく。
「あ!あ…」
情けない声が、口から溢れる。口からはよだれが垂れ、鼻水が垂れ、涙が垂れ。自分の意志ではどうにもならない。なんだこれは。この間食らった、龍でも痺れる毒、とやらよりもキツイ。
「ヴ」
「キャン」
背中を擦られる。死合いからは想像もできないぐらい、優しい手付き。痛みの中で、しかし、頭は冷静に回る。そして理解する。―ああ、大鴉から、クマと大狼は私を救ってくれたのか、と。
「…ぜ…」
なぜ。そう問おうとしたのだが、掠れた声しか出ず、音にならない。体の痛みは、激しくなるばかり。ああ、長い生のなかで、これほどの痛みを感じたのは、初めてだ。ああ、くそ。拙い。視界が暗くなる。ああ、クソ。なんだこれは…蓮の実が、これほどの痛みを…。と思った刹那。
不意に痛みが消えた。なんだ、体の中の痛みは残っているが、随分柔らかくなったような…?そして、1つ気づく。右目に、焚き火が映っている。
「これは…!」
木の実だけではなく、蓮の実にも傷直しの効果がある、ということに他ならない。ならば、傷を治すためにももうひとつ、と伸ばした手が、はたき落とされた。
「ヴ」
今日はここまでと、首を横に振るクマ。木の実どころか、蓮の実も喰わせんというのか。
「食っては、いかん、のか」
「ヴ」
その通りと頷いたクマ。と、同時に、もう一本魚を差し出された。仕方ない。ここは、大人しく言うことを聞くとしよう。明らかに私は看病されている。とはいえ、実の食いを止める理由は解らん。
「…頂く。感謝」
「ヴウ」
2本目の魚を喰いながら、考える。なぜ木の実を、蓮の実を食ってはならない?普段は痺れのあとに体の傷が治る木の実、少しのしびれの後に甘い水となる蓮の実。
「痺れ」
もしや、と思い立った。良薬口に苦しという諺がある。普段、傷直しの効果がないと思っていた蓮の実。しかし、蓮の実は傷直しの効果がある。治る時にこの痛み。
そして木の実は常に痺れを伴いながら、私の体を癒やしてくれていた。蓮の実より、木の実のほうが傷直しの効果が大きい。つまり。
「もしや、この実、たちまちに傷は治れど」
「ヴ」
頷いた。なるほど、確かに考えてみれば普段の怪我は軽いもの。だからきっと、体が治る際に感じたものが軽い痺れで済んでいたのだろう。つまり、これだけ腹に穴が空き、アバラが折れているこの体の傷に木の実など使えば。
「痛みで、頓死していたか?」
「ヴ」
そうだぞ。と言わんばかりに深く頷くクマ。そして狼。普段食いしていた木の実と蓮の実が、このような代物だったとは思いもしなかった。…まてよ?
もしや、夕餉を私と食っていたのは。自惚れでなければ、木の実、そして蓮の実…いや、死地の森で変な食い物を食っていないのか。それを、見張ってくれていた?
「…は。ふふ」
そんなことはないか。言葉が理解できる、とはいえ。相手は野生だ。今日もきっと、気まぐれで私を救ってくれたと思っておいたほうが吉であろう。
「キャウ」
ふわり、と私の周りを大狼が囲う。手触りの良い毛皮が、私の肌に触れる。
「ふわふわ」
「キャウ!」
どこか嬉しそうな大狼。そして、不意に頭にクマの腕が乗る。こちらは、大きく。
「ヴ」
「温かい」
体が弱っているからか。どうも、彼らに安心を覚えている。まぁ、次の瞬間には首を掻っ切られているかもしれないが、まぁ…それは仕方ない。奴らは野生。今の、弱っている私にどうにも出来ないもの。だからこの場は。
「…休む」
体の欲望に従って、睡眠に入るとしよう。まぁ、そうだな。明日も生きていたら、奴らに礼の一つでも言うとしよう。